ゴロネ読書退屈日記

ゴロネ(89年生まれ)一児の父。好きなものは読書、映画鑑賞、息子ハルタとじゃれ合うこと。

北陸三大祭りの一つ、三国祭に行った話

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近頃、妻がフリマアプリのメルカリにはまっている。

 

僕たちが小さい頃に遊んだおもちゃなどがメルカリに高値で売られているのを知った妻は、「こんなガラクタなら、実家にたくさん眠ってる」と言って、実家に物色目的で帰ることを望んでいた。

 

そんなわけで、先日の土日に、新幹線や特急を利用して4時間かけ、妻の実家がある福井県坂井市三国町に遊びに行ったのであった。

 

 

 

5月19日の福井は寒かった。安易に妻の実家まで短パンで来てしまったことに後悔。義父がジャージを貸してくれた(つんつるてん)。

 

義父と義母ともに、1歳になった孫のハルタに久しぶりに会えて喜んでいる様子であった。ハルタは長旅と妻の広い実家の中を這いずり回ったことに疲れたのか、到着1時間後くらいに寝てしまった。妻をその合間に、「宝の山」の物色を始めた。

 

僕は一人で外に出て、三国湾をぷらぷらと散歩した。

 

97年にロシア船籍のタンカーが座礁し、この湾に重油が流れ着いたと妻に聞いた。そのとき妻の実家では家族総出で、重油を取り除くボランティアに参加したらしい。

 

歩いていると、雄島が近づいてきた。遠くに東尋坊が見える。雄島に続く橋の前で雄島の写真を撮っていると、妻からちょうどLINE。

 

「雄島に入っちゃダメだよ。呪われるから」

 

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前に一緒に入って釣りしたじゃん。

 

雄島は東尋坊で身投げした人の遺体が流れ着くことがあるらしく、心霊スポットとしても知られていた。

 

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家が建ち並ぶ狭い路地を歩いた。マンホールをパシャリ。描かれているのは、三国町にある龍翔館という建物である。

 

海沿いに立つ住宅は古い家ばかりで、空き家も少なくない。ネットで調べたり、義父の話を聞いたりすると、福井の他の市町村ほどでないにしろ、三国町の過疎化は緩やかに進行しているようだ。

 

僕たち家族がここに移住しない限り、老夫婦二人だけで暮らす妻の実家もいずれなくなるだろう。沈みゆく地方か……。

 

 

 

5月20日は三国祭に行った。富山の御車山祭、石川の青柏祭と並ぶ北陸三大祭りの一つである。

 

福井行きの妻の目的はメルカリへの出品物探しかもしれないが、僕の目的はこの三国祭であった。初めてのこの祭りの見物にとてもわくわくしていた。

 

三国祭は毎年5月19日(前祭り)、20日(本祭り)、21日(後祭り)に行われている。本祭りの日が平日に重なると、市内の学校は早引きになると聞いて驚いた。今年は祭りが休日に重なったからか、お客さんが多く、ハルタを乗せたベビーカーを進めるのが大変であった。

 

この祭りの目玉は、6.5メートルに及ぶ山車(やま)である(明治期の山車は10メートルを越えたらしい)。事前にどのような山車が出るのか調べておいた。

 

本祭りの午前中に6基ある山車が三国神社周辺をそれぞれのルートで廻り、正午に三国神社の前にすべての山車が集結する。

 

祭りに行って、最初に僕たちが出会った山車は、「源義経静御前」である。

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男性たちが威勢良く山車を引っ張って屋台の並ぶ狭い道を進んでゆく。山車の上に立っている人がトンボみたいなもので電線をあげ、さらに屋台は屋根をあげ、山車の進行の邪魔にならないようにする。

 

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見所は山車が道を直角に曲がるときである。引っ張り手が勢いよく引っ張り、山車は「ガガガガガッ!!」と大きな音を立てて曲がる。道には車輪がつけた傷がついていた。

 

「この道につく傷が粋なんだって。私にはよさがわからないけど」と妻。僕は山車の迫力に、素直に「かっけえ」と思ったのでした(男の子)。

 

源義経静御前」についていき、三国神社の前に到着。正午になり、6基の山車が集結した。

 

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壮観。僕のお気に入りの山車は「一寸法師の鬼退治」である。左下に一寸法師がちょこんといる。

 

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義父が、今は山車の職人が減っていて、自分の友人の職人も亡くなってしまったと言っていた。跡継ぎとなる若者もあまりいないのだろう。三国祭保存振興会と町内会の方々の努力でなんとか支えられている祭りなのである。

 

 

 

妻はメルカリに出品できそうなものを実家で見つけて、大満足な様子であった。ダンボールには、人形やカードやピンバッチなどなどが詰められていた。その中には、子供のときに三国祭りの露店で手に入れたものが少なくないそうだ。

 

僕も三国祭の初体験を大いに楽しみ、かなりいい休日を過ごせたという実感があった。正直、感動した。また三国祭行きたい。

 

 

『生まれてはみたけれど』と映画漬けだった大学時代の話

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先日買った社会学のテキストに、参考文献として、小津安二郎監督の映画『大人が読む繪本 生まれてはみたけれど』が紹介されていた。小津安二郎監督は、僕が敬愛する映画監督のひとりである。

 

『生まれてはみたけれど』は、1932年製作の無声コメディ映画で、これがすこぶる面白い。

 

 

名匠・小津安二郎監督がサイレント期に撮り上げた、初期の代表作と呼ぶべき作品。良一と啓二の兄弟はある日、近所に住む父の上司の家に呼ばれるが、そこでの父の卑屈な態度を見て彼を弱虫だと責める。

 

DVDでこの映画を大学時代に観賞したことが懐かしくなり、先日久しぶりに観賞した。

 

大学時代に見たときは、上司にぺこぺこと頭をさげる情けない父親に憤る息子たちに共感した。しかし、自分が社会人となり、父親になったからであろうか、今回の観賞では、情けなくても家族との今の生活を守るために一生懸命になる父親の方に共感した。

 

「偉くない」父に失望し、反抗する息子たちを見ていて、なんだか画面のこちら側から「お父さんだって頑張ってるんだ」と叱りたくなったが、斎藤達雄演じる映画の父は優しく、「子供たちの気持ちもわかる」と受け止め、愛情を持って息子たちの心に寄り添おうとする。

 

『生まれてはみたけれど』の父は情けないかもしれないが、人として本当に大事なものは何かを分かっている気がし、心打たれた。どんなに生きづらい世の中であっても、つながりの深い大切な人々に対して、思いやりの心を持つことを忘れない人間でありたい。

 

 

 

『生まれてはみたけれど』は物語も良いが、80年前の東京郊外の住宅街の風景ものどかで良い。町の中には目蒲線が走っている。

 

この映画に出演している人々は、もうほとんどこの世には存在しないと思うと不思議な気分になる。こんなに生き生きと動き回っているのに!

 

昔の映画を見て、現代と変わってしまったこと、現代でも残り続けていることを探すのは面白い。僕が昔の映画を好きな理由の一つは、この強いタイムスリップ感であった。

 

 

 

映画に詳しくなろうと決めたのは、大学1年生のときであった。高校生まで続けていたバスケをやめ、何か新しい趣味を持ちたいと思っていたのである。決めた日から、映画観賞三昧の日々を送った。

 

授業をさぼって映画館に行ったり、TSUTAYAでDVDを借りまくったり、大学のAV視聴室に通ったりして、映画を浴びるように見た。(映画好き界隈では、映画をDVDなど映画館のスクリーン以外で視聴した場合、それは映画観賞と言えるのかという不毛な議論があります)

 

観賞した映画はすべてノートに記録した。

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映画史の勉強も始め、段々と映画監督の名前や俳優の名前を覚え、映画用語も覚えた。様々なミニシアターや名画座にも足を運ぶようになった。

 

愛読する雑誌も少年漫画誌から、「キネマ旬報」、「映画秘宝」などに変わった。twitterで映画クラスタと作品について語り合ったり、映画誌に映画批評を送ったりもするようになり、立派な映画好きへと変貌したのである。(なぜか自分で映画を撮ろうという発想には至らなかった)

 

今ではこの映画漬けの日々は、ほとんど無駄であったと思っている。多分、もっと外に友達と遊びに行ったほうが得るものが多かったであろう。

 

それでも映画を見続けて良かったと思うことが少しだけある。その一つは、どんな作品に出会っても、分け隔てなく、その作品の面白さを探そうとする姿勢が身についたことである。

 

 

 

大学3年生の後半になり、就職活動が始まった。

 

そこで重大なことに気づく。たくさんの物語を映画を通して取り込んできた自分であるが、語ることのできる自分自身の物語を持っていなかったのである。

 

大学時代のほとんどを、ただお菓子をつまみながら映画を見ていただけなのである。何かに努力したり、挫折したわけでもないし、アルバイトも最低限やっただけ、サークルにも所属していなかったので交友関係も浅かった。大学の勉強も、もちろんしていない。

 

企業に語れる自分自身の魅力は皆無で、自分に自信が持てなかった。エントリーシートがなんとか通っても、自分の中身のなさを見透かされてか、最初の面接でことごとく落とされた。

 

そして、大きな地震がやってきた。

 

 

 

震災の影響で、都心の企業の採用活動は一時ストップした。

 

一旦就活を休んだら、急速に就活への意欲がしぼんでしまった。そこに失恋が重なり、精神的に落ち込み、就活をほとんどしなくなった。

 

現実逃避的に、さらに映画観賞にのめり込んだ。そして就職先も決まらないまま大学を卒業し、新卒のカードを捨ててしまったのである。

 

いやはや、ここからが大変でしたね。

 

それでも人生に絶望するような精神状況に陥らなかったのは、一つは、家族や数少ない友人の存在があったからである。もう一つは、映画で様々な人生を疑似体験していたので、小さな人生のつまづきも「まあ、いろんな人生があるよね」と素直に受け入れられたからであった。

 

 

 

最近は、仕事と一歳の息子の相手で忙しく、ほとんど映画は見ていない。『スターウォーズ』の新作など、どうしても映画館で見たい映画が上映するときしか、映画館には行かない。

 

細切れの時間で楽しめる読書のほうに今は傾倒しているが、映画熱が完全に冷め切ってしまったわけではない。

 

KONMA08さんのブログで、親子で映画観賞をしている記事をよく読むが、とてもうらやましく思う。

 

konma08.hatenablog.com

 

息子がもう少し大きくなって、いろいろと理解できるようになったら、一緒に映画観賞を楽しみたいです。

 

『風姿花伝』を読んで

 

ここ数日、仕事でのミスが続いている。スケジュール管理での失敗など、初歩的なミスが多い。

 

今の会社に入社して、今年度で3年目である。2年しか仕事をしていないくせして、「自分はもう一人前である」という慢心がどこかにある。

 

さらに、1年目の頃と比べると、仕事に対する情熱や新しいことに挑戦しようとする気概が減じている。仕事は楽しいが、正直言って、惰性で仕事を処理している時間が増えた。

 

仕事は自己実現のためにやっているわけではないと思っているし、仕事に対して「意識低い系」でありたいと思っていた。しかし、このままでは自身の人間性自体がどんどんとよくない方向に進んでいくような予感がし、今更ながら、不安と焦りを感じるようになったのである。

 

職場の僕の机には、1年目の自分が書いた、「初心忘るべからず」という走り書きのメモが貼ってある。

 

 

 

久しぶりに古文が読みたくなり、『風姿花伝』と、その読書案内である『NHK100分de名著ブックス 世阿弥 』を買って、GWに読んだ。

 

風姿花伝 (岩波文庫)

風姿花伝 (岩波文庫)

 
NHK「100分de名著」ブックス 世阿弥 風姿花伝

NHK「100分de名著」ブックス 世阿弥 風姿花伝

 

 

風姿花伝』を残した世阿弥は、室町時代に能を大成した人物であるということは、学生時代、歴史の教科書で学んだ。ただ、「初心忘るべからず」が世阿弥の言葉であるということは知らなかった。

 

風姿花伝』は、世阿弥が父である観阿弥から受け継いだ能の奥義を、子孫に伝えるために書いたものである。この書の中で世阿弥は、若い頃の初心、人生の時々の初心、老後の初心を忘れてはならないと言っている。

 

若い頃の初心とは、具体的には24〜25歳のころを言っている。この頃の能役者に対する戒めの言葉が、今の堕落しかけている僕にとってまさに大事に思えた。

 

  この頃の花こそ初心と申す頃なるを、極めたるやうに主の思ひて、はや申楽にそばみたる倫説をし、至りたる風体をする事、あさましき言葉なり。たとひ、人も褒め、名人などに勝つとも、これは一旦めづらしき花なりと思ひ悟りて、いよいよ物まねをも直にし定め、名を得たらん人に事を細かに問ひて、稽古をいや増しにすべし。(『風姿花伝』第一 年来稽古条々)

 

あたかも道を極めたかのように思って、人々に話をし、さもそのように舞台でまったりするのは、なんとあさましく、嘆かわしいことであろう。

   むしろこの時期こそ、改めて自分の未熟さに気づき、周りの先輩や師匠に質問したりして自分を磨き上げていかなければ、「まことの花」にならない。(中略)新しいものへの関心からみんなが褒めたたえてくれている時、その中に安住してはいけないと世阿弥は言っているのです。そこでいろいろと勉強しなおして初めて、その上のステップに行けるというのです。(『NHK100分de名著ブックス 世阿弥 風姿花伝』P48) 

 

自分は「イケてる」と勘違いし、堕落していくのがいちばん怖い。成長した息子にも「かっこ悪い父親」と思われたくない。

 

世阿弥がいうように「初心」を忘れることなく、自身を日々更新する努力をする生き方をしたい。

 

 

 

『NHK100分de名著ブックス 世阿弥 風姿花伝』の筆者である土屋惠一郎は、『風姿花伝』に書かれている「住する所なきを、まづ花と知るべし。」を最も好きな世阿弥の言葉としてあげている。

 

意味はまさに字の通りで、一つの場所に安住しないことが大事である、ということです。(中略)今までやってきてうまくいったのだから、これ以上のことはやる必要はない、同じことをやってればいい、という心こそがだめだと言っているのです。(P114)

 

千葉雅也が『勉強の哲学』で書いていた「勉強とは、これまでの自分の自己破壊である」という言葉と通じるところがある。なんだか『風姿花伝』を読んで、仕事も趣味も現状に満足して惰性でこなすのではなく、一つひとつの取り組みに情熱を傾けつつ、新しいことにどんどん挑戦したいと思えるようになった。

 

へたな自己啓発書を読むより、かなり啓発されました。『風姿花伝』が時代を超えて読み継がれていることに納得です。

 

 

 

まずは新しいことへの挑戦の手始めに、元々勉強したいと思っていた「社会学」の勉強を始めることにした。仕事や趣味の幅を広げることにもつながる気がする。

 

入門書として、『社会学』(有斐閣)を買った。

 

社会学 (New Liberal Arts Selection)

社会学 (New Liberal Arts Selection)

 

 

3500円(+税) ……。専門書とあって、ちと高い。

 

息子が1歳になり、育休中の妻の育児手当が終わってしまった危機感から、妻が「節約宣言」をした。このところ僕は本を立て続けに買っているので、またこんな本を買っていると妻にバレたら叱られるだろう。

 

自己破壊も楽じゃないです。

勉強がしたい……!!!

 

1歳の息子ハルタの投げる力が向上している。

 

ゴムボールを投げるのがすごく上手になった。ハルタは「きゃっ、きゃっ」と声をあげ、満面の笑みを浮かべながら、毎日僕とのキャッチボールに励んでいる。

 

ゴムボール以外にも様々なものを投げるようになった。ゴムボールよりはるかに大きく重いものも投げる。したがって、ハルタの近くではおちおち昼寝もできない。

 

例えば、下のおもちゃをハルタが投げ、事故が起こった。

 

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鼻血出ました。

 

 

 

ハルタはすげー勢いで学んでいる。学ぶことに躊躇がないのである。

 

「投げる」だけでなく、「歩く」も覚え始めた。

 

最近、7歩くらいまで歩けるようになった。歩くことに限界がやってくると、前にずっこける。しかし、ハルタはそのような転倒にも負けず、再び歩行に挑戦するのである。

 

よく怖くないなあ。

 

ハルタよ、勇気を分けてくれ! パパは自分が生きる社会のことを少しだけ知ってしまったがために、新しい一歩を踏み出すことがひどく億劫で、怖い大人になってしまったんだよ!

 

 

 

勉強がしたい……!!!

 

どんな勉強がしたいかというと、何らかしらの専門分野を時間をかけて体系的に学び、知識や思考の型を身につけたい。

 

大学を卒業し、社会人になって6年ほど経つが、今すごく大学に行きたい気持ちである。大学生に戻って、ちゃんと授業に出席して能動的に学びたい。

 

僕は大学生のとき社会学部に所属していたものの、大学生が陥りやすい典型的なアパシー(無気力状態)となり、大学の勉強や授業の出席については留年しない程度の最低限のことだけをやり、あとは図書館で本を読むか、映画館で映画を見る毎日であった。

 

そのため、当たり前であるが、社会学の専門性はひとつも身につかなかった。そして、ゴミみたいな卒論を提出して卒業したのである。

 

もったいないことしたなあ。今では大学時代の奨学金の返済に苦しんでいる。

 

本を読むことや、映画を見ることも勉強じゃないかと思われるかもしれないが、あの頃読んだり見たりした本や映画の内容はほとんど覚えていない。本の読み方や映画の見方を身につけた気もあまりしないのである。

 

 

 

大学時代ほとんど勉強をしなかった後悔から、勉強をちゃんとやり直したいという気持ちがもともとあったが、にわかにその気持ちが盛り上がったのは、『勉強の哲学』を最近読んだからであった。

 

勉強の哲学 来たるべきバカのために

勉強の哲学 来たるべきバカのために

 

 

この本には、「勉強とは、これまでの自分の自己破壊である。」と書いてある。勉強とは、「新たな環境のノリに入る」ことらしい。

 

アイロニー」と「ユーモア」という言葉を使い、勉強へ取り組む姿勢のあり方が分かりやすく説明されていて、夢中で読み進めた。

 

勉強の具体的な実践の方策として、勉強用のノートづくりを維持することが推奨されている。

 

勉強用のノートとは、生活の別のタイムラインそのものであり、自分の新たな可能性を考えるための特別な場所なのだ、という意識を持ってほしい。

 

そうか。勉強はインプットだけではなく、インプットしたものをどこかにアウトプットすることも含めなくてはならないのだ。そういえば、大学時代、本を読んだり映画を見たりすることを繰り返していたが、どこにもアウトプットなんてしていなかった。

 

アウトプットの手段として、ブログを書くことは、おそらく良いことだろう。実際、読んだ本や見た映画についてのことをブログに(ゆるく)アウトプットするようになってから、学んだことをあまり忘れなくなり、それぞれの学びを少しずつ関連づけられるようにもなった。

 

 

 

本を読むことに関する勉強については、近頃、本の内容についてのブログを書いたり、読んだりするだけでは少々物足りなくなってきた。対話的な学習によって、読みを深めていきたい。

 

聞いたところによると、大きな都市では、課題本を読み、その本について複数の人で語り合うことで読みを深める「読書会」なるものが存在するそうだ。なんて魅力的な会!

 

僕もいつか「読書会」に足を運んで、読書好きな人と一緒に学びを深めたいという願望があるのです。

 

ジモトの花火大会と古市憲寿氏の話


 

先日、自分が暮らす町の花火大会に行った。この花火大会は、10年ほど前から始まった大会で、実際に大会の会場に行くのは初めてであった。

 

昨年の花火は、自宅マンションの部屋から妻と生まればかりの息子ハルタと見た。遠くの夜空に、小さく花開いていた。

 

今年は近くまで行って見ることにした。打ち上げ花火、遠くから見るか? 近くから見るか?

 

この日は時間もあったし、何より、近頃仕事ばかりで家族と過ごす時間が少なかったので、家族サービスがしたかったのである。

 

 

 

会場に着いたのは、花火大会開始の30分くらい前であった。

 

妻とベビーカーに乗ったハルタに鑑賞場所を確保してもらい、僕は花火を見ながら食べる食べ物の買い出しに行った。花火が始まる前に食べ物を確保しようとする人は多く、並ぶ屋台の前は人でにぎわっていた。

 

一通りの屋台を眺めてみて気づいたが、屋台のレベルが高い。地元のホテルや料理店が出店している屋台が何件かあった。僕はステーキ串、フランクフルト、ゴマ団子などを買い込んだ。

 

小さな町の花火大会なのであまり期待していなかったのだが、花火の演出にもかなり感動した。町はこの大会にかなり力を入れていることが伝わってきた。

 

ありきたりの演出かもしれないが、5部構成くらいに分かれており、そのテーマごとのクラシックやJ-POPに合わせて、花火は打ち上げられた。音楽に合わせた花火の打ち上げのタイミングが絶妙で、音楽と花火の調和を感じたのである。

 

花火大会終了後、主催者側が来年の花火大会実施のための募金を呼びかけていた。普段なら募金などしない心の狭い人間の僕であるが、花火大会全体にかなりの満足感があったため、募金に協力したのであった。

 

 

 

最近、通勤中の車で「文化系トークラジオ Life」を聞いている。

www.tbsradio.jp

 

TBSラジオで偶数月に一度、深夜に放送されていて、社会時評サブカルチャーに興味のある人にはかなりおすすめの番組である(自分も「文化系」なお話が好きな友人にすすめられた)。

 

「Life」のホームページに載っている過去の回を遡って聞いているのであるが、この前聞いた『マイルドヤンキー限界論』(2014年4月7日放送)の回がかなり面白かった。「マイルドヤンキー」とは2014年頃話題になった言葉で、知っている人も多いと思うが、簡単に言うと、「不良ではないが、上昇志向が薄く、地域に密着して仲間との小さな範囲での消費にとどまる人々」のことである。

 

この回を聞いた後の花火大会であったので、大会の人ごみの中、ついマイルドヤンキーに該当しそうな人を探してしまった。……いやあ、たくさんいるなあ(勝手にマイルドヤンキーだと断定してしまい、すみません)。

 

というか、よく考えると、自分もマイルドヤンキーか。実家暮らしではないが、子供のときからずっとこの町で暮らしているし、基本は地元の範囲での消費にとどまっている。「マイルドヤンキー」という概念を提唱した原田曜平のあげるマイルドヤンキーの特徴にも、少なからず当てはまっているのである。

 

 

 

『マイルドヤンキー限界論』での、社会学者の古市憲寿の語りが特に面白かった。

 

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この『マイルドヤンキー限界論』を最後に、「Life」に出演していないのでさびしい。歯に衣着せぬ物言いをするので、テレビ出演で炎上することが多いが、僕は『だから日本はズレている』を読んだときから彼のファンである。

 

だから日本はズレている (新潮新書 566)

だから日本はズレている (新潮新書 566)

 

 

 この前読んだ、『古市君、社会学を学び直しなさい!!』も面白かった。

 

古市くん、社会学を学び直しなさい!! (光文社新書)

古市くん、社会学を学び直しなさい!! (光文社新書)

 

 

古市憲寿橋爪大三郎宮台真司大澤真幸など、日本の社会学のビッグネームと「社会学とは何か?」をテーマに対談している。 「Life」のメインパーソナリティである鈴木謙介(チャーリー)とも対談していて、そこで古市憲寿の「僕がパブリック社会学に何かの貢献ができるとすれば、これからどうしていけばいいと思いますか。」という質問に答えるチャーリーの発言が興味深い。

 

もっと業界と外とのブリッジングを強めることを考えればいいんです。たとえば、プロ社会学からの「社会学をもっと勉強しなさい!」みたいな批判を逃げずに正面から受け止めつつ、そこでの勉強をもとに、アイドルや俳優と対談するような「マージナル・マン(境界人)」としての役割を意識的に引き受けていくということ。

 

「マージナル・マン」としての古市憲寿のこれからの活躍が楽しみです。

 

 

 

さて、1歳になったハルタですが、花火が打ち上げあげられている最中、ずっと花火の光や音に怯えていて、僕や妻の体にしがみついていました。花火大会はまだ少し早かったね。

「タテに伸びる」物語への関心と『若い読者のためのサブカルチャー論講義録』の話

 

4月は山のように仕事があり、処理に忙しく、なかなかブログ遊びに行き着かない。

 

しかし、ストレスが溜まっているわけでもなく、仕事に熱中することに程よい充実感のある今日この頃である。

 

今はお客さんの「成長」を応援する仕事を主にしていて(アバウトですね)、この前お客さんに「いつもニヤニヤしていて楽しそうですね」と言われた。いや、ニコニコしているつもりなんだけど。

 

 

 

先月のとある日の夜、珍しいところから電話があった。

 

大学生の頃にアルバイトをしていた個人経営の学習塾の塾長からである。この塾は、大学生のアルバイトを雇い、個別指導で中学生に勉強を教える小さな塾で、自分も中学生のとき、ここに塾生として通っていた。

 

塾長はもう70歳くらいになるだろう。高校受験のときに、数学のセンスが圧倒的に欠落している僕に、つきっきりで(しかも無償で)数学をみっちり指導してくれた恩師である。

 

高校を合格して塾をやめたが、大学を合格したとき、恩師である塾長に合格の報告に行き、そのままの流れでこの塾の講師になったのである。

 

5年間勤め、講師をやめてから、塾長とは一度も連絡を取り合っていなかったが、突然の電話である。

 

「Aさんが来てるよ」と塾長。「君に会いたいって」

 

時間もあるし、車で行けばさほどの距離ではないので、懐かしの塾に遊びに行くことにした。

 

 

 

塾は相変わらず狭く、ボロボロで、壁には僕が中学生のときに書いた落書きが残ったままだった。生徒はまだいて、静かに勉強をしている。奥の部屋に塾長とAさんが待っていた。

 

Aさんは、中学校3年間、僕が文系科目を教えていた女の子で、よく笑う元気な子であった。その子が今や21歳になっていた。

 

「勉強なんて教えてくれなかったよね」とAさん。

 

「教えたでしょ、ちゃんと」と僕。

 

「なんかイラストを裏紙に描いて、ニヤニヤしながら『うまいでしょ?』とか言ってそれを見せてきた思い出しかない」

 

「……」

 

Aさんは、この4月から看護師になるそうだ。そういえば、中学生のころから看護師になりたいと言っていた。立派な仕事です。

 

21時半頃となり、生徒はみんな帰ってしまった。驚いたことに大学生講師の女の子2人(BさんとCさん)も、僕が大学生のときの教え子であった。

 

塾長がチーズケーキを出してくれ、生徒のいない小さな塾は、塾出身者のプチ同窓会の会場となった。

 

「給料安いでしょ?」と僕は塾長が近くにいるのにも構わず、BさんとCさんに聞いた。

 

「情で続けてるんです。やめられなくて」とBさんはCさんの顔を見て答えた。

 

その後は、今何をしているのかを互いに報告し合ったり、思い出話に花を咲かせたりした。

 

「いやはや、久しぶりに女子大生と話したわ」と僕は言った。

 

「いやらしい言い方ですね」とCさん。

 

「いやらしい言い方ですね」と僕。

 

彼女たちが大人になったことに大きな驚きがあったと同時に、喜びがあった。

 

そして、3次元はやっぱり2次元とは明確に違うなと妙なことを思った。3次元はなぜこんなにも3次元的なのであろうか?

 

 

 

『若い読者のためのサブカルチャー論講義録』を読んだ。

 

若い読者のためのサブカルチャー論講義録

若い読者のためのサブカルチャー論講義録

 

 

この本は、評論家の宇野常寛による、ここ40年間ほどのマンガやアニメやゲームといった「オタク的なもの」を取り上げたサブカルチャー論の大学での講義録をまとめたものである。

 

今はそれほどでもないが、僕は中学生のとき、マンガやアニメやゲームが大好きであったので、これを読んでいてワクワクした。自分の世代は、この本の第十六回の講義にある「セカイ系から日常系へ」の世代であると思う(「セカイ系」というと、高校生のとき、授業中に友人が『最終兵器彼女』の最終巻を読んで涙を流していた姿が思い出される)。

 

この回では、『涼宮ハルヒの憂鬱』、『らき☆すた』、『あずまんが大王』、『けいおん!』、映画では『ウォーターボーイズ』や『リンダ リンダ リンダ』を例として挙げ、この頃の物語が「目的のない青春の日常の美しさ」を強調して描かれていたと語られている。

 

これらの作品の気分は、中高生の頃の自分の気分そのまんまであったと思う。これらの作品にハマっていた中高生の頃の僕は目標や目的がなく、だから自分自身の成長にもほとんど関心がなかった。一緒にいて居心地の良い仲間たちとニヤニヤとこのまま過ごしてればいいやと思ってたし、この日常に終わりはやってこないと思っていた。

 

 

5

 

中高生の頃、週刊漫画誌はコンビニで立ち読みをしていて、中でも「週刊少年ジャンプ」の『ONE PIECE』にハマっていた。毎週月曜日の友人との話題は、まず「今週の『ONE PIECE』読んだ?」から始まった。

 

『若い読者のためのサブカルチャー論講義録』では、ジャンプ黄金時代を支えた『幽☆遊☆白☆書』、『ドラゴンボール』、『SLUM DUNK』をトーナメント方式で物語がどんどん「縦に伸びる物語」として、それらの物語と比較し、『ONE PIECE』をこのように語っている。

 

ONE PIECE』は、主人公ルフィがどんどん強くなっていくというよりも、どちらかというと仲間が増えていくということのほうを主題に据えています。要するに個人が成長することよりも、仲間が増えて絆が深まることによって物語が展開していくことになります。尾田栄一郎はこうやって「横に広げる」ことで『ドラゴンボール』や『SLUM DUNK』が嵌った罠を回避しようとしていて、そのやり方は比較的、成功していると思います。

 

そういえば、『こちら葛飾区亀有公園前派出所』を全巻収集したのも高校生の頃であった。主人公の両津勘吉は、見た目はおっさんだが、中身は悪ガキのままで、200巻を重ねても、ほとんど成長しない。

 

振り返ってみると、この頃の僕は「成長しない」物語ばかりを好んでいて、それは目標や成長を拒否する自分の心理からやってきていたのではないかなと推察される。

 

 

 

しかし、当たり前だが、3次元では成長を拒否することはできない。終わることのないと思っていた少年期、青年期はとうに過ぎてしまった。

 

ただ、別に寂しさがあるわけではない。むしろ、近頃、人が「成長する」ということにかなり喜びを覚える。

 

相変わらず自分の成長には無感動なのだけれど、例えば、大学時代の教え子や、自分の子供の成長を見たりすると、強烈な感動がやってくる。

 

「縦に伸びる物語」も悪くないと思ったり、仕事や家庭で人の成長に貢献しているという感覚に居心地の良さを感じている(これが大人になるということかしらん)。

 

3次元は、カットなどの編集ができず、はたから見ているとその動きは非常に遅く感じる。しかし、未来に向けて確実に変化を続けていて、過去を振り返ってその変化に注目するのは面白い。

 

それなりにフィクションの物語に浸かり、楽しんできたけど、最近、個人的に思っていることは、この「現実」という物語に勝る面白さを持ち合わせた物語は存在しないということなのです。

 

【息子1歳の誕生日】東京ディズニーランドと自撮りしまくる女子たちの話

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朝の首都高は渋滞していた。

 

僕たち家族の目的地は東京ディズニーランドだ。この日は、一人息子のハルタの1歳の誕生日であり、その誕生日をお祝いするためのディズニーなのである。

 

しかし、車は渋滞で遅々として進まない。やっとディズニーランド近くにある高速の出口が見え始めた頃、運転席に座る僕に我慢の限界が近づいてきた。

 

……おしっこがしたい!!

 

出口は目前だが、車は詰まっていて、ノロノロと進んでは止まるというのを繰り返している。妻は僕が尿意に苦しむのをなぜか喜んでいて、「ハルタと同じように、オムツを穿いてくればよかったのに」なぞとくだらないことを言っていた。

 

出口に続く道は、東京都と千葉県の境界にある旧江戸川の上である。川面は春の日差しによって、きらきらと輝いていた。

 

僕は額をハンドルにつけ、「車から降りて、川に放尿してえ」と言った。妻は冗談だと思ってケラケラと笑っていたが、僕は本気でそうしようかと迷った。

 

川への放尿の夢想より約5分、やっと高速から降りることができ、ディズニーランドの敷地の前にあるガソリンスタンドに突入した。

 

妻は「いえ、レギュラー満タンではありません。膀胱が満タンです」とギャグを言っていたが、僕はMM5(マジで漏れる5秒前)であったので無視し、車から降り、スタンドのトイレに駆け込んだのである。

 

 

 

ハルタが誕生日ということで、チケット売り場で、誕生日シールをもらった。そのシールには「ハルタくん」と書かれていて、それをベビーカーに貼って入園すると、早速キャストさんに「ハルタくんお誕生日おめでとう」と言われた。ありがとうございます。

 

僕にとってはかなり久しぶりの東京ディズニーランドである。ものすごい人ごみに驚いた。

 

僕たち家族3人はまず、記念写真を撮影するために、シンデレラ城に向かった。

 

「なんじゃこりゃ」

 

シンデレラ城の前の広場には、双子コーデをした女の子や学校の制服姿の女の子たちが溢れんばかりにいた。学校は春休みなのであろう。彼女たちは、シンデレラ城を背景とした自撮りに熱心に励んでいた。

 

僕はその中の一組の双子コーデの女の子に、「写真を撮ってくれませんか?」と撮影をお願いした。すると、右の子が「いいですよ〜」と快く引き受けてくれた。

 

僕は撮影用に自分のスマホを彼女に手渡した。シンデレラ城を背景に並ぶ僕たち家族。

 

スマホを持った子は不意にしゃがみ、撮影する体勢をとった。なるほど、ローアングルからあおりで撮ることによって、城全体が写る。撮影役ではない左の子は、ハルタに向かって、「こっち向いて〜」と言って、手を振って、ハルタの注意を正面に向けた。

 

こやつら撮影慣れしておる。実際、撮っていただいた写真は上手に撮れていた。

 

双子コーデの女の子たちにお礼を言うと、すかさず制服姿の女の子2人組が寄ってきて、妻に「私たちを撮ってくれませんか」とお願いした。

 

女の子たちは写真の構図にかなりこだわりがあるらしく、妻に「この位置で、この角度から撮ってください」と細かく注文していた。

 

 

 

1歳の赤ちゃんが乗れるアトラクションは限られている。僕たちはファンタジーランドにある「アリスのティーパーティー」に並んだ。

 

僕たちの前にいた制服を着た女の子4人組は、列に並んでいる間中、ポーズを変え変え、ずーっと自撮りを繰り返していた。

 

どんだけ自分たちを写真で記録することが好きなんだよ。もっと並んでいる間のたわいもない会話を楽しみなさい。と僕はハルタをビデオカメラで撮影しつつ思った。

 

そうか。彼女たちにとって遊園地に来ることは、レジャーの目的の一部に過ぎない。

 

彼女たちのレジャーは、その場所で撮ったリア充感のある写真をSNSにアップし、仲間と共有したり、他者に「いいね」をもらってプチ承認を得たりすることで、完成するのである。

 

僕は今年で29歳になる。そういえば最近Facebookなどの実名性の高いSNSを覗くと、何年か前より、自分が写る写真や旅行先の風景の写真などをあげる同年代の友達がめっきり減ってしまった。

 

アップした写真について他者からネガティヴな思いを持たれることについて恐れているのであろうか。それもあるかもしれないが、それだけではないだろう。

 

彼らは大人になった。仕事に熱中したり、社会的な関係をどんどん構築していたりする人も多い。子どもが生まれ、「愛」という相互承認を得ている人もいる。そもそも毎日が忙しく、SNSで遊んでいる暇もない人もいるだろう。

 

彼らは現実で充足している。つまり、SNSを必要としない「本物のリア充」になってしまったのである。

 

 

 

僕も大人になったので、「いいね」による承認など求めていません。

 

 

有り体に申しますと、ブックマークによる承認が欲しいのです。よろしくお願いします。