ゴロネ読書退屈日記

ゴロネ。読書ブログを目指している雑記ブログ。2人の息子とじゃれ合うことが趣味。

不条理小説『少年の日の思い出』

【ChatGPTにメッセージ】

 

以下の条件で不条理小説を書いてください。

 

•「客は、夕方の散歩から帰って、わたしの書斎で私のそばに腰掛けていた」という一文で小説を始める。

 

・小説内のどこかで、「クジャクヤママユ」という言葉を使う。

 

・小説内のどこかで、「そうか、そうか、つまり君はそんなやつなんだな。」という言葉を使う。

 

・小説の後半で、「そして、ちょうを一つ一つ取り出し、指で粉々に押しつぶしてしまった。」という一文を使う。

 

 

【ChatGPTの回答】

 

客は、夕方の散歩から帰って、わたしの書斎で私のそばに腰掛けていた。その男は、見た目は普通だが、不思議な雰囲気を持っていた。私は彼が誰かわからず、胸騒ぎを覚えた。

 

「あなたは、誰ですか?」と私は聞いた。

 

彼は「クジャクヤママユ」と答えた。私は驚いた。その言葉は、私が過去に聞いたことがある言葉だったが、その意味を思い出せなかった。

 

彼は私に近づいて、こう言った。「そうか、そうか、つまり君はそんなやつなんだな。」私は理解できなかったが、彼は自分の言葉に納得している様子だった。

 

突然、彼は手にした小さな箱を開けて、中からちょうを取り出した。私は恐怖に震えた。彼は私に向かってちょうを投げつけてきた。

 

私は怒りを感じた。私が持っていた古い辞書を手に取り、彼の頭に叩きつけた。そして、彼が手にしていた箱を奪い取った。

 

彼は倒れていたが、私は彼が復活する可能性に備え、彼が持っていた箱を開けた。そして、ちょうを一つ一つ取り出し、指で粉々に押しつぶしてしまった。私は彼が復活できないように、そのまま捨ててしまった。

 

この事件が起こってから、私は孤独に生きるようになった。今度は私が「クジャクヤママユ」と呼ばれるようになった。私は一度も自分の本当の名前を使うことができなかった。

 

 

 

なぜ秀吉はバテレン追放令を発布したのか

 

戦国期、庶民の信仰の主導権は、領主や家長など、所属する共同体のリーダーに掌握されていたとする清水有子の論を興味深く読んだ。キリシタン大名が、神仏を媒介とした領民との関係を保ち続けるために、領民をキリスト教に集団改宗させたという戦国期の宗教事情に面白さを感じると同時に、ある疑問も生じた。清水は、「天下人の豊臣秀吉天正十四年(一五八六)に発給した宣教保護状が各大名領の集団改宗に拍車をかけた」とするが、秀吉は宣教保護状を発布した翌年の1587年に、バテレン追放令を発布している。全く逆方向の政策が、この短い間になされているのである。なぜ秀吉はバテレン追放令を発布したのか。


バテレン追放令が発布された理由は諸説あるようだが、秀吉が全国平定に執着していたこと、そして、キリスト教の宣教の影響力がその全国平定を揺るがすほどのものであったことが最も大きな理由ではないかと僕は考える。


清水克之は中世を「自分の身は自分で守る」、「自力救済の時代」と論じているが、 この無秩序に、上からの一定の秩序を与えることが天下人の務めであると秀吉は考えていたのではないか。それは、天下人となった秀吉が、太閤検地、刀狩りと矢継ぎ早に全国に秩序を与える政策を打ち出していったことからもうかがえる。その秩序を破壊する可能性のある懸念材料が、宣教師とその影響を受けたキリシタン門徒たちであった。天下人となった秀吉は当初、南蛮貿易の利益もあることから、織田信長キリスト教の保護政策を踏襲していた。だからこその宣教保護状だろう。しかし、秀吉はすぐに宣教師とその影響受けたキリシタン大名とその領民たちの孕む暴力性に気付き、恐れを抱いたのであろう。


バテレン追放令では、宣教師の追放を決めた理由の一つとして、宣教師やキリシタン大名門徒に寺社の破壊をさせていることを挙げている。バテレン追放令に踏み切ったきっかけは、このキリシタン門徒による伝統宗教への攻撃であると僕は考える。宣教保護状を発布からしばらくして、秀吉はキリシタン大名の領地で寺社の破壊が繰り返されているとい うことを伝え聞いている。三浦は、「平和構築」を目指す秀吉像を示し、秀吉が「大名間のみならず、民衆同士の紛争も、中央政府の裁定によって解決することを目指していた。」とし、「その中には、宗教対立も含まれていた」と論じている。僕もこの考えを支持したい。宗教対立を伝え聞いた秀吉は、これが全国平定の秩序を揺るがす火種となると危険視したのである。

 

キリシタン門徒の忠誠心の強さも、秀吉にとってキリシタンの活動を看過できない理由の一つであっただろう。キリスト教への忠誠心は、日本社会に根付いた伝統宗教への攻撃に向かわせるほどのそれである。ルイス・フロイスの『日本史』には、キリシタン門徒が「その宗門に徹底的に服従している」など、仏教門徒以上の忠誠心に警戒を抱く秀吉の言葉がいくつも残っている。安定した秩序づくりは豊臣家への忠誠心がなくてはなし得ない。民が秀吉よりキリスト教を上位のものとして認識することは許し難いことであっただろう。安野は、キリシタン大名には「秀吉に対する忠誠とデウスに対する忠誠のいずれを摂るかという原理的な問題が存在していたはず」と論じている。バテレン追放令の発令後、豊臣政権を担うキリシタン大名高山右近は棄教を迫られたが、それを拒否している。秀吉は以前にも増して、キリスト教への忠誠心の強固さに驚き、恐れを抱いただろう。 秀吉は、強い忠誠心を持ったキリシタン門徒が、いずれ一向一揆以上の騒乱を巻き起こすかもしれないと危惧したはずである。


キリシタンの強い影響力は、いわば、秀吉の全国平定のグランドデザインを破壊しかねない「爆弾」であった。それに気づいた秀吉は慌てて、キリスト教の宣教師の排除を政策の優先順位のトップに据えた(南蛮貿易の保護は継続したため、結局バテレン追放令は宣教師にとって「甘い」政策となってしまったが)。これが宣教師の保護からバテレン追放令の発布へと政策が急な方向転換をした実情ではないかと考えた。

 

 

 

 

 

5歳に言葉を教える話

 

「ばかばかしい」が、5歳息子の近頃の口癖である。

 

「パパってホント、ばかばかしいよね」なぞと言ってくる。「“ばかばかしい”って意味わかってんの」と聞くと、「しってる。くだらないって、いみでしょ」と答える。「何を愚問を」というふうな口ぶりである。もうこいつは赤ん坊ではないなと僕は思った。

 

 

今年度は僕が息子を保育園に送り届けている。毎朝バタバタ、気分はもう戦争。出発予定時刻を過ぎると、焦り、「パパ遅刻しちゃうよー。早く準備してくれー。頼むー」とのんびりしている息子に懇願するが、「パパ、ばかばかしい」とお決まりの返事。先日の朝なぞ、玄関から出た途端、息子が突然「うちのパパは、ばかばかしいしでーす!!」と叫んだ。近所迷惑。

 

 

この頃、この「ばかばかしい」に辟易していた僕は、「“ばかばかしい”みたいに、“い”で終わるのは、形容詞って言葉の種類だぜ」と息子に言ってみた。すると、今度は「〇〇って、けいようし?」と聞いてくるのが息子の口癖になった。

 

「“からい“って、けいようし?」「形容詞」「“ほしい”は?」「形容詞」「“たのしい”は?」「形容詞」「“たくしい“は?」「たくしい? あ、“タクシー”ね。それは名詞」「めいし、てなに?」

 

また難儀な質問である。「モノやコトについている名前だね。で、“が”とか“は”が後ろにくっつけられる。“机”とか“肉まん”とか“ジバニャン”とか」「ミッキーは?」「ミッキーも、ミニーも、プルートも、バズ・ライトイヤーもみんな名詞!!」

 

 

全国の5歳児はだいたいこんな感じなのかもしれないが、息子は新しい言葉への関心がかなり強く、新しい言葉を耳にするたびにその言葉の意味を聞いてくる。主に朝、保育園に行く前に視聴している「めざましテレビ」で、言葉を“発見”している。

 

この前の朝は、台所で保育園の給食セットの用意をしていると、「パパ、“ぶり”ってどういういみ?」と聞いてきた。「おならの音でしょ」「ちがうよ! 3ねん“ぶり”とか、ひさし“ぶり”についてる“ぶり”」

 

言葉についての質問をされたときには、なるべくその場で5歳児にもわかるような言葉を駆使して答えるようにしているが、即答できないときには、小学館の『例解学習国語辞典』を引くようになった。

 

ぶり[振り]接尾 ①物ごとのようすや状態などの意味を表す。(例)ゆたかな生活ぶり。話ぶり。②時間がたったことを表す。(例)十年ぶり。ひさしぶり

 

しかし、国語辞典に書かれた通りに説明しても、まだ5歳児には伝わらない。それをまた限界まで噛み砕き、説明する。しかし、それでも伝わらないことも多々あるのであった。

 

息子の国語の力の成長につながるかもと思って、言葉の質問には真摯に相対しているが、案外、幼児にわかるように説明をするってのは、自身の国語も鍛えられている気がする。

 

野矢茂樹の『大人のための国語ゼミ』の冒頭に、相手に伝わる分かりやすい話し方や書き方ができるようになるには、「相手のことを考えて話し、相手のことを考えて書」かなくてはならないと書かれていた。当たり前のことではあるが、大事なことである。

 

 

 自分の言葉が相手に理解されているかどうかについて鋭敏な感覚をもち、理解されていないことを嫌がらずに謙虚に受け止め、理解してもらうにはどうすればよいかを本気で考える。何度も何度も、そんな経験を繰り返さねばならない。

 

 

今度息子と漢字検定を受けに行きます。僕が2級で、彼が10級。

 

「ブックカルテ」に選書してもらった話

 

「ブックカルテ」を通じて選んでいただいた本を楽しく読んでいる。

 

「ブックカルテ」は、「読書傾向などを書いた問診票をもとに、書店員さんが一万円以内で本を選び送ってくれるサービス」である。

 

bookkarte.com

 

一万円はちと高いが、とっても面白そうなので、「ブックカルテ」を知ってすぐにホームページにて問診票を書いた。問診票では以下の質問に答えていく。

 

Q1.これまでに読んだ本で印象に残っている本BEST10を教えてください。

 

Q2.本を選ぶ時に、どのような基準で選んでいますか?

 

Q3.1ヶ月で読む本の冊数や読むシチュエーションなど普段の読書習慣について教えてください。

 

Q4.苦手な本のタイプはありますか?

 

Q5.あなた自身のことを、教えてください。

 

Q6.これまでの人生でうれしかった事、苦しかった事はなんですか?

 

Q7.時間とお金に余裕があるとして、はじめてみたいことはなんですか?

 

Q8.今悩んでいること、解決したいことはありますか?

 

Q9.あなたにとって幸せとは何ですか? これだけはしないと心に決めていることはありますか?

 

Q10.届く本に期待する読後感はどんなものですか?

 

……一つひとつ簡単に答えられそうに見えて、答えるのに結構窮してしまう問いであり、時間をかけて答えを考えた。例えば、「Q10.届く本に期待する読後感はどんなものですか?」には、悩んだ末、「読んでよかった、また少し社会や人間を多角的・多面的に見る視野が広がったなと思える読後感を求めています」と答えてみた。

 

ブックカルテに登録された多くの本屋さんの中から、「書原」さんを選び、問診票を登録した。僕の問診票はどのように読まれ、どのような選書がなされるだろうかと想像するのは楽しかった。数日経ち、選書が送られてきた。

 

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届いたのは、『教養の書』(戸田山和久)、『コモンズとしての日本近代文学』(ドミニク・チェン)、『インターネットは言葉をどう変えたか』(グレッチェン・マカロック)、『手の倫理』(伊藤亜紗)、『会って、話すこと。』(田中康延)の5冊。確かに、僕の好みにマッチしそうなタイトルである。

 

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最初に読んだのは、『手の倫理』。

 

 

これは様々なメディアで話題になっていた本なので、タイトルは知っていた。中身は期待通り面白く、一気に読み進めた。

 

コミュニケーションについての鋭い分析は勉強になった。「多様性」についての考え方は特に印象に残った。「みんな違う」という多様性の強調は他者を安易にラベリングしてしまい、却って分断を生み出してしまう。まずは「多様性」は、一人ひとりの中にあるということを意識することが肝要である。

 

こうした考えは、自分や他者を簡単に「キャラづけ」しようとする風潮へ違和感を抱いていた僕にヒットした考えであった。人は統一されたキャラクターではない。多様なキャラ(性格や嗜好、価値観など)が、ひとつの人格の中に共存していると信じたい。多様なキャラの共存は、人間を矛盾した存在として見せるだろうが、その矛盾こそが人間らしさであり、それをそのまま受容しようとする姿勢が、コミュニケーションの契機となる。

 

『手の倫理』によって僕の頼りなかった考えの輪郭ははっきりし、確かに人間や社会を多角的・多面的に見る視野がまた少し広がった気がした。

 

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届いた選書のおかげで、しばらく退屈せずにいられそう。「ブックカルテ」、本が好きな方々に強くお勧めします。

 

 

今年のバレンタインチョコを自慢したい

 

半年ぶりにブログを書く気持ちになったのは、妻がバレタインにプレゼントしてくれたチョコレートをどうしても誰かに自慢したくなったからである。妻からのプレゼントを職場の人や友人に恥ずかしくて自慢なぞできない。よって、ここに書くのである。

 

僕はチョコレートが3度の飯より好きである。この前、胃腸炎による吐き気で寝込んでいたときもチョコレートだけは口にしていた(糖尿病になるぞ)。

 

妻は、バレンタインは毎年チョコレートを手作りしてくれていたのだが、「今年は素敵なチョコレートをネットで見つけたから、それを注文するね。楽しみにしてて」と言った。どんなチョコレートが届くのかしらん、わくわく!

 

そして今日届いたチョコレートがこれだ……!!まずは、チョコレートが入る缶のデザイン!!

 

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かわいい〜!! ポケモンじゃん!! 初代ゲームから25年ポケモンに親しんでいる僕にとってはドストライクなデザインである。

 

そして中身のチョコレート!!

 

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うおー!! チョコレートもかわいい〜!! それぞれのチョコレートはフシギダネヒトカゲゼニガメピカチュウをモチーフにしている。

 

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この素敵なチョコレートを作ったのはメリーチョコレートカムパニー。5000円もするそうだ。食べるのが勿体ない……!

 

以上、今年のバレンタインチョコの自慢でした。

 

P.S. 『ポケモンLEGENDSアルセウス』面白すぎる。

実家でゴロゴロしながら『自律する子の育て方』を読んだ話

 

 

夏休みの終わり、実家に寄った(実家は自宅から車で10分のところにある)。祖父母宅に久しぶりに来た僕の幼い息子たちは、大はしゃぎ。おもちゃを突然壁に投げつけたので、「こらこら、おもちゃを投げちゃだめでしょ!」と叱った。

 

うつ病から脱した父も元気そうであった。仕事もちゃんと行ってるそうだ。うつ病と診断されたときは、もう以前の父は戻ってこないのではないかとちらりと思ったが、元気になってくれて本当によかった。

 

gorone89.hatenablog.com

 

父は消防士である。定年間際の今は出動はせず、事務仕事が主であるそうだ。「どうよ、最近は消防は忙しい?」と聞くと、「救急車が帰ってこない」と父。コロナ患者の受け入れ先の病院がなかなか見つからないため、救急車は一度出動すると出ずっぱりになってしまうのだ。最前線で戦っている方々には感謝の気持ちでいっぱいです。

 

昨年の自身のブログを読んでみると、「このコロナ禍が収束したら」という言葉がよく出てくる。近頃、もうそういう希望すら抱けなくなってきた。このマスクはいつになったら外せるのだろうか。実家に行ってもマスクをつけているなんてバカみたいである。

 

 

 

父は狭い庭に子供用プールを用意していて、孫をそこに入れて遊ばせた。

 

僕は和室でゴロ寝して読書をした。今年度は昨年までに比べ時間に余裕があり、読書が捗る。自分は教師でありながら、これまで教育関連の本を進んで読んでこなかったのだが、今年度は意識して月に1、2冊のペースで教育関係の本を読み進めるようにしている。

 

今のところ特に感銘を受けたのは、『国語の授業の作り方:はじめての授業マニュアル』と『一枚ポートフォリオ評価OPPA』の2冊である。この2冊は今後の教育活動で手放せないことになると思う。

 

 

 

実家では、教員仲間が貸してくれた『自律する子の育て方』を読んだ。

 

 

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本書は約3年間にわたる「麹町研究」の一部をまとめたものです。麹町研究とは、学校改革の旗手麹町中学校の元・校長工藤勇一氏と、神経科学という最先端研究を教育分野で活用しようとする青砥瑞人氏による「神経科学をエビデンスにしながら学校教育を本質から問いただす」ことをテーマにした研究会です。全国からメンバーを広く集め、学校運営システムや教育環境、生徒へのアプローチの仕方、人材育成の方法を一から問い直していく場が設けられました。実践と研究を両輪としたこれまでにない教育書の決定版です。

 

宿題廃止、定期テスト廃止、固定担任制廃止など教育改革を進めた麹町中学校の元校長、工藤先生の実践や研究は公立学校界で話題になっているので元々興味があった。本書では青砥氏の脳神経学の知見を裏付けとして、麹町中の実践の合理性が語られている。

 

「『叱る』を目的にしない」「大人にもできないことを求めない」「『失敗してもOK』を徹底する」「大人が完璧な人間を演じない、目指さない」「人と比較しない」などなど、肝に銘じておきたいフレーズがごろごろとあった。個人的にはここに語られている実践は自分がなんとなく理想としていた教育であったが、なかなかこれまで言語化できずにいた。それをこの本が言語化してくれてすっきりした。

 

さらに、この本を読んで、これまで生徒の心を無意識に追い込んでいなかっただろうかと、大いに反省をした。「『叱る』を目的にしない」という話題は印象的だった。

 

 叱ることが一概に悪いわけではありません。麹町中学校でも子どもの命に関わることに関しては、迷うことなく叱ると全教員で共有していました。しかし、それ以外のことでは、頭ごなしに叱ることはありません。もちろん体罰のような暴力行為はもってのほかです。なぜなら「子どもがどう変化するか」という「結果」のほうが大切であり、「叱る」という行為は、そのための手段にすぎないからです。

 

僕は学校現場で、「誰かの心を故意に深く傷つけたとき」と「誰かの命を危険にさらしたとき」以外の場合は叱ることをしないように心がけてはいた。しかし、果たして「『叱る』は手段である」ということをちゃんと整理できていただろうか。

 

 

 

こういう本を読むと、最近は生徒より先に自分の幼い息子たちの顔が浮かんでくる。

 

生徒の前では結構穏やかな自分でも、息子たちを前にするとつい怒りの感情が先走ってしまい、口うるさく叱ってしまうことが少なからずある。青砥氏は「激しく怒られるほど頭には残らない」といい、怒られるかもしれないというプレッシャーが子供の自律を阻むという。またまた反省し、ちゃんとアンガーマネジメントができるようにならなきゃなと思うのでした。

『獄中からの手紙』と所有欲にまみれた自分の話

 

 

コロナ禍でなければ、お盆休みは妻の実家がある福井に行き、夏を満喫する予定であったが、今年も行けず。自宅でぐだぐだしていた。

 

僕は家でぐだぐだするのも大好きなのでステイホーム万歳なのであるが、4歳と2歳の息子はやっぱり退屈してしまう。ということで、近くのショッピングモールに連れて行ってやった。この頃家族でガシャポンにハマっていて、モール内にある「ガシャポンのデパート」を楽しんだ。何百台も設置されているガシャポンを見て、妻も息子らも狂喜していた。

 

bandainamco-am.co.jp

 

ついでにオモチャ屋にも行って、息子らに電車のオモチャを買ってやった。あと、「子供たち、これも欲しがってるようだぞ」と妻に言って、『機界戦隊ゼンカイジャー』の変身アイテムを買った。「君が欲しいだけでしょ」と妻。

 

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ゼンカイジャーの変身アイテム「ギアトリンガー」

自宅に帰ると、息子らは仲良くオモチャの電車で遊び、妻はガシャポンの気持ち悪い生き物のフィギュアを眺め、僕はゼンカイジャーの変身アイテム片手に鏡の前で変身ポーズの練習をした。

 

 

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変身の練習に飽きると、ごろ寝をして読書をした。この頃、インド独立の父、マハトマ・ガンディーについて勉強していて、彼の書いた『獄中からの手紙』を読んでいる。

 

ガンディーは、幸福に生きるために欲望を小さくすることを勧める。例えば、所有欲。自分が本当に必要とする物以外の物を所有することは盗人と同じであると彼は言っている。また、泥棒に物を盗まれるのは、泥棒が悪いのではなく、泥棒が泥棒をしたくなるほど物を所有している方が悪いのだといったようなことも言っている。

 

ガンディー、パねえ。カッコ良すぎる。僕はすぐに彼のフィギュアをネットで探して、ポチろうとした。

 

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……いやいや、このすぐ消費しようとする姿勢がダメなんだ! 僕は家の中を見渡した。休みになるとくだらない物のために消費して、家が必要のない物で溢れかえっている。所有欲にまみれてるやないかい。

 

ガンディーの理想には遠く及ばないかもしれないが、消費を抑えて、少しずつ断捨離していこう。まずは近頃読んでない漫画、聴いていないCDなどから捨てよう……とすると、妻が「私がメルカリで売る」と言った。抜け目ない。

 

 

 

ガンディー関連の本では、『人間ガンディー』がおすすめ。写真が多めで、読みやすい。

 

 

83年にアカデミー作品賞を獲った『ガンジー』も久しぶりに観た。これも絶品です。