ゴロネ読書退屈日記

ゴロネ(89年生まれ)一児の父。好きなものは読書、映画鑑賞、息子ハルタとじゃれ合うこと。

『NARUTO』の話ー諦めの悪い忍者、うずまきナルトについて

 

NARUTO -ナルト- 1 (ジャンプ・コミックス)

NARUTO -ナルト- 1 (ジャンプ・コミックス)

 

 1

 

漫画『NARUTO』を全巻読んだ。

 

中高生の頃に熱心に読んでいたのだが、大人になるにつれ、次第に読まなくなり、コミックを集めるのも40巻あたりでやめてしまった。しかし最近、妻の本棚に全72巻が揃っているのを見つけ、「最後まで読んでみるか」と思い立ち、平日は1冊、休日は2冊のペースで1巻から読み進め、約2ヶ月で読み終えた。

 

うーむ……、この漫画は……、面白い!!

 

 

 

中高生の頃、『NARUTO』は好きな漫画の一つであったが、「最高!」と言えるほどの作品だったかというと、それほどでもなかった。とにかくこの漫画は設定の無理矢理感が大きく、「『NARUTO』のツッコミどころ」というテーマで漫画好きの友人と語らえば、2時間は軽く超えてしまうだろう。

 

個人的には、主人公である、うずまきナルトに魅力を感じられなかった。「少年週間ジャンプ」のライバルであった『ONE PIECE』の主人公であるルフィに比べると、ナルトはかなり繊細で弱い主人公のように感じたのである。

 

ルフィは最初から今まで超ポジティブ人間で、他の登場人物から好かれやすい。対して、ナルトはすぐに落ち込んだり傷ついたりするし、自身の負の感情にしばしば飲み込まれ、周囲の人間から見下された目で見られることがある。

 

ナルトにもポジティブな部分はある(むしろ、読み返してみてわかったが、ポジティブ傾向の方が強い)。しかし、ネガティブ体質であった中高生の頃の僕は、自分とは真逆なスーパーポジティブな強い主人公に憧れがあった。だから、少しでもネガティブな匂いのする少年漫画の主人公が好きになれなかったのである。

 

 

 

ところが、大人になりじっくりと読み返してみると、自分の中で新たな感情が湧いていることに気づいた。……ナルトって、いい奴じゃん!!

 

通して読むと、この物語は、負の感情にまみれ、周囲の人間との関わりによる温かさを知らなかったナルト少年が、関わった全ての人間を前向きにさせるスーパーポジティブ忍者に成長する話だということが分かる。

 

ナルトは他者とのつながりに元々飢えていたからか、一度できたつながりにしつこいほど執着する。最大の友であるサスケに何度も関係を断ち切られそうになっても、ナルトはその関係を必死に繋ぎとめようとする。

 

ナルトの最大の武器は、この諦めの悪さである。

 

まっすぐ自分の言葉は曲げねぇ。それが俺の忍道

 

俺があきらめるのをあきらめろ!

 

ナルトのような人間が今の現実社会にいたとしたら、かなり「ウザい」存在だろう。しかし、同時に貴重な存在でもある。

 

SNSなどの発達によって、価値観の近い他者とつながることが容易になったが、反面、いつでも代替可能な関係であるように思えてしまい、一度できたつながりを断ち切る(ブロックする)ことも容易になってしまったと感じる。

 

他者との衝突が起きる予感がすれば、その時点でつながりを断ち切る行動をしてしまうという経験が僕にもある。しかし、それは、衝突してでも相手と腹を割って話し合うことで起きる、さらなる関係の深化の可能性を手放してしまっているとも言える。

 

ナルトはサスケにどんな仕打ちを受けようとも、過去の友情の思い出を原動力に、決して諦めず、衝突を繰り返し、遂にはサスケの心を再び開かせ、信頼に基づいた強い人間関係を得ることとなる。

 

他者とつながることが容易になったにも関わらず、浅い人間関係しか作れずに孤独を感じる現代人が、ナルトの人間関係に対する姿勢から学べることはとても多いように思える。

 

 

 

ナルトが成長するにつれ、自身の強みを最大限に発揮できるようになったことには様々な要因があると思うが、最も大きな要因は、「大人による承認」であろう。

 

ナルトの最初の師であるイルカ先生は、次第に存在感が薄くなっていくが、この人の果たした功績は大きい。周囲からバカにされ、他者を憎み、存在を認めてもらうためにイタズラを繰り返す少年期のナルトの良さを見つけ、認め、彼を応援する。

 

ナルトが自分に自信を持つきっかけを作ったのは、このイルカ先生である。これ以後も、ナルトはナルトの良さを認め、伸ばしてくれる良き師に巡り合うことで、自己肯定感を高め、さらには敵をも承認するような寛容な心を持つまでに成長し、忍者の里の長である火影となる。

 

僕はある程度のネガティヴさは生きる上で必要だと考えているが、あまりの自尊感情の低さは子供の健全な成長を妨げるし、他者の良さを認められない大人に育つ危険性もある。

 

ナルトが自身を認めてくれる師に出会うことなく、短所ばかりを非難してくる大人や、彼の存在を認めようとしない大人ばかりに出会っていたとしたら……。

 

NARUTO』を読んで、子供のよりよい成長に対して、いかに大人の責任が大きいかということについて考えてしまったのである。

 

 

 

NARUTO』はアニメもクオリティが高く、面白い。アニメで使われているOP曲やED曲も名曲が多いです。

 

アニメに使われた曲の中で個人的に最も思い入れが強いのは、「サスケ奪還編」のときに使われていたOP曲である、サンボマスターの『青春狂騒曲』です。

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『ハン・ソロ/スターウォーズストーリー』の話ー激しい眠気の中で

 

先日購入した『ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド』にどハマりし、子供を寝かしつけると、広大なハイラルに旅立つ毎日である。目の下のクマは濃くなり、現実と空想の世界の違いが曖昧になり、ブログを書く意欲もぱたりと失った。眠い。

 

ゼルダ』をプレー中のとある深夜、知人からのLINE。

 

「『ハン・ソロ』見ましたか?」

 

……そうだ! 「スターウォーズ」のスピンオフ作品『ハン・ソロ』がすでに公開しているじゃないか! 自分としたことが!

 

僕はゲームの電源を切り、布団に勢いよく潜り込んだ。ハイラルの旅は終わった! 明日は宇宙の旅だ!

 

翌日、猛烈なスピードで仕事を片付け、映画館に踏み込み、ポップコーンとペプシコーラとブランケットを装備してスクリーンへ。客は自分を含め、3人! 少なっ!

 

 

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2(ここからネタバレします。

 

エピソード4に似ていると思った。

 

似ている点は、連続するアクション、単純明快なストーリーなどである。若きソロと若きルークも類似している。

 

主人公たちに次々とピンチが訪れるジェットコースター感が良かった。手に汗握る場面が何度もあった。ケッセル・ランを12パーセクで飛ぶときのドキドキ感といったら!

 

あとは、シリーズを重ねるごとに増していく、何が善か悪かを考える小難しさがなく、眠気で頭にもやがかかっている自分にとってはぴったりの映画であった。

 

若き日のハン・ソロは、孤独であり、自分の故郷を抜け出し、いつか宇宙を自由に飛び回りたいと願っている。ソロは、世界をどうしたいかではなく、自分がどうありたいかということを常に考え、もがき、戦う。それは、エピソード4のときの若きルークの姿に重なる。(ルークの方がお坊ちゃん感が強いけど)

 

ソロやソロと手を組む仲間たちが、宇宙の平和とかそういう大義のためではなく、あくまでも自己中心的な目的や夢のために最後まで戦い続ける姿が、見ていてすごく気持ち良かったのである。

 

 

3

 

ソロの仲間たちも皆魅力的である。ウーキー族のチューバッカ、ソロの幼馴染で謎多き美女キーラ、強盗グループのリーダーのベケット、ギャンブラーで運び屋のランド、女性型ドロイドのL3ー37など、クセが強いキャラばかり。

 

ソロとチューバッカの関係以外は信頼関係で結ばれていくわけではなく、仕事のために手を組んでいるだけである。ベケットとソロは言わば師弟関係であるが、ソロはベケットのことを尊敬こそしているものの、信頼はしていない。オビワンとルークのような温かい師弟関係とは違った、ドライさのある師弟関係が『ハン・ソロ』らしさを醸し出しており、そこもこの映画を評価したいポイントである。

 

キーラはとても怪しさのある女性で、観客はこいつは絶対裏切るだろうと確信している。生き残るための勘が鋭いソロであれば、ベケットに忠告されなくとも、このキークの危うさに気づいているはずであろう。

 

しかしソロのすごさは、危うさを感じたとしても、自分の惚れた女性には猛烈にアタックし、死んでも守ろうとするところだ。この清々しい女たらしぶりが、ソロの最大のかっこよさである。

 

ソロの息子であるベンは、明らかにその女たらしの血を引いている。師であるルークや、父であるソロの言葉に耳を傾けなかったベンが、レイの言葉に心動かされたのは、レイが「女性」であったからであると僕は勝手に断定した。

 

 

 

最後にダース・モールが出てきたシーンは、蛇足である。

 

しかし、蛇足なんだけど、ダース・モールの登場はちょっと嬉しかった。エピソード7以降の新作が、エピソード1〜3とのつながりがあまり感じられなかったので、1〜3世代の僕は寂しく思っていたからである(『ローグ・ワン』にベイル・オーガナが出てたけど)。

 

終始、目が醒める面白さのあったこの映画であるが、不満な点が一点だけあった。

 

それは、、、

 

僕が大好きなジャバ・ザ・ハット様が出てこなかったことである! 絶対出てくると思ってたのに! ジャバ様〜!!

 

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gorone89.hatenablog.com

2018年上半期に読んだ、心に残る20冊

『故郷』(魯迅

故郷故郷

 

 『故郷』 は、作者の魯迅自身をモデルとした「私」が、20年ぶりに帰郷するところから始まる。「私」は、時代のうねりの中で貧困に苦しむ故郷の人々の暗く絶望的な現実に打ちのめされる。「私」の家の雇い人の息子で、少年時代の親友である「閏土(ルントー)」も、子どものときの快活さとは打って変わり、暗い影を落とす大人へと変貌していた。

「閏土」の息子と彼を慕う自分のおいのことを「私」が思い、彼らには「新しい生活」をしてもらいたいと願う最後の語りが印象に残る。国語の教科書にも載る名作です。

 

 『宮本武蔵』(吉川英治

宮本武蔵(一) (新潮文庫)宮本武蔵(一) (新潮文庫)

 

VS吉岡一門が燃える。佐々木小次郎との巌流島での戦いは、引っ張った割にはあっけない決着な気がする。『バガボンド』は、この巌流島の戦いをどのように料理してくれるのか楽しみです。

 

 『翔ぶが如く』(司馬遼太郎

新装版 翔ぶが如く (1) (文春文庫)新装版 翔ぶが如く (1) (文春文庫)

 

2018年の大河ドラマ「西郷どん」にはまり、西郷隆盛の人生の後半戦を描くこの小説に手を伸ばした。司馬遼太郎の小説には、やっぱり心が揺さぶられる言葉が多く、『翔ぶがごとく』にも多くの赤線を引いた。

「大衆は明晰よりも温情を愛し、拒否よりも陽気で放漫な大きさを好み、正論よりも悲壮にあこがれる。」

 

『蠅の王』(ウィリアム・ゴールディング) 

蠅の王 (新潮文庫)

蠅の王 (新潮文庫)

 

 「未来における大戦のさなか、イギリスから疎開する少年たちの乗っていた飛行機が攻撃をうけ、南太平洋の孤島に不時着した。大人のいない世界で、彼らは隊長を選び、平和な秩序だった生活を送るが、しだいに、心に巣食う獣性にめざめ、激しい内部対立から殺伐で陰惨な闘争へとの駆りたてられてゆく……。」というあらすじの非常に恐ろしい小説。闘争が極限へと達するクライマックスは手に汗握った。

大人のいない孤島に生きる少年たちは、正体不明の獣に怯え、不安から衝突する。ただひとり、「獣というのは、ぼくたちのことにすぎないかもしれない」と気づいたサイモンという少年は、人間の内なる暗黒の象徴である蠅の王と対決する。自身の獣性に目をそらさず、向き合うことで、初めて人は人間性を獲得できるんじゃないかなと思ったりしました。

 

『愛についての感じ』(海猫沢めろん) 

愛についての感じ (講談社文庫)愛についての感じ (講談社文庫)

 

僕が大好きなラジオ番組である「文化系トークラジオlife」の出演者の中でも異彩を放つ海猫沢めろん先生の小説。はみ出し者たちの恋を描く短編集である。

ヤクザと色町で働く女性のはかない交流を描く短編、『新世界』がおすすめ。

 

 『大日本サムライガール』(至道流星) 

大日本サムライガール1 (星海社文庫)

大日本サムライガール1 (星海社文庫)

 

拡声器を片手に街頭で叫ぶ謎の演説美少女・神楽日鞠(かぐらひまり)。彼女の 最終目的は日本政治の頂点に独裁者として君臨し、この国を根底から変えることである。その目的達成の手段として、さまざまな人々の協力を得ながら、美貌を武器にアイドルとして活動していく。 

キワモノかと思いきや、キャラが立ち、物語の構成も緻密な本格的なエンターテイメント作品に仕上がっている。右翼とアイドルという意外な組み合わせが、読者を魅了する面白さを十二分に発揮している。

 ヒロインである神楽日鞠がすごく魅力的で、彼女のアイドルとしてずれた言動にクスクスと笑ったり、(僕は右思考ではないけど)彼女の国のことを心の底から思う真摯な姿勢に感動させられたりしたのでした。

 

『グローバライズ』(木下古栗)

グローバライズグローバライズ

 

読者によって好き嫌いが真っ二つに割れるであろう木下ワールド。僕は時に木下ワールドが恋しくなったり、憎たらしくなったりする。読むと、体調によって、極上な時間を過ごした気分になるときと、時間をかなり無駄にした気分になるときがある。

短編集である本書の中には、同じ意味不明な下ネタで終わる2つの短編などがあります。

 

 『風姿花伝』(世阿弥) 

風姿花伝 (岩波文庫)

風姿花伝 (岩波文庫)

 

 『風姿花伝』は、世阿弥が父である観阿弥から受け継いだ能の奥義を、子孫に伝えるために書いたものである。この書の中で世阿弥は、若い頃の初心、人生の時々の初心、老後の初心を忘れてはならないと言っている。

若い頃の初心とは、具体的には24〜25歳のころである。この時期こそ、改めて自分の未熟さに気づき、周りの先輩や師匠に質問したりして自分を磨き上げていかなければ、「まことの花」にならないと世阿弥は言っている。世阿弥が言うように「初心」を忘れることなく、自身を日々更新する努力をする生き方をしたい。

 

いのちの食べかた』(森達也) 

いのちの食べかた (よりみちパン!セ)

いのちの食べかた (よりみちパン!セ)

 

学生のときに読んだけど、久しぶり読み直した。著者は、映画『A』などを監督したドキュメンタリー作家、森達也

この本には、牛や豚が「と場」に運ばれ、どのように屠殺(とさつ)され、解体されるのかが平易な文章で詳細に書かれている。自分自身の食生活を省みることができたり、「と場」で働く方々への敬意や、食物に感謝の気持ちがわいてきたりする本です。

 

社会学』 (長谷川公一、浜日出夫、藤村正之、町村敬志) 

社会学 (New Liberal Arts Selection)

社会学 (New Liberal Arts Selection)

 

にわかに「社会学」 を勉強したい気持ちになり、入門書として良さそうな本書を買った。丁寧な解説でとても分かりやすい。各テーマごとに、参考文献が紹介されていて、読書の幅が広がります。

 

『暇と退屈の倫理学』(國分功一郎

 

 昨年読んだ『中動態の世界 意志と責任の考古学』にドはまりし、同じ著者が書いた本書にも手を伸ばした。「何かをしなくてはならない」という強迫観念に駆られる、あの暇と退屈の正体がよく分かります。

 

人工知能と経済の未来 2030年雇用大崩壊』(井上智洋)

今後AIを搭載した機械が人々の雇用を順調に奪っていくと、今から30年後の2045年には、全人口の1割ほどしか労働しない社会になっているかもしれないそうだ。僕みたいな役立たずは真っ先にAIに仕事を奪われるであろう。

9割の人が職を失ってしまうそんな時代を救う現実的な制度として、筆者がおすすめしているのが、「ベーシックインカム(収入の水準に拠らずに全ての人に無条件に、最低限の生活費を一律に給付する制度)」である。労働意欲のない僕は、「ベーシックインカム」が導入される時代を今か今かと待ち望んでいます。

 

『古市くん、社会学を学び直しなさい!!』(古市憲寿) 

古市くん、社会学を学び直しなさい!! (光文社新書)

古市くん、社会学を学び直しなさい!! (光文社新書)

 

様々なメディア媒体で活躍する若手社会学者の古市憲寿橋爪大三郎宮台真司大澤真幸など、日本の社会学のビッグネームと「社会学とは何か?」をテーマに対談している。

「Life」のメインパーソナリティである鈴木謙介(チャーリー)とも対談していて、そこで古市憲寿の「僕がパブリック社会学に何かの貢献ができるとすれば、これからどうしていけばいいと思いますか。」という質問に対し、チャーリーが「『マージナル・マン(境界人)』としての役割を意識的に引き受けていくということ。」と発言するのが興味深い。

 

 『勉強の哲学 来たるべきバカのために』(千葉雅也)

勉強の哲学 来たるべきバカのために勉強の哲学 来たるべきバカのために

 

この本には、「勉強とは、これまでの自分の自己破壊である。」と書いてある。勉強とは、「新たな環境のノリに入る」ことらしい。「アイロニー」と「ユーモア」という言葉を使い、勉強へ取り組む姿勢のあり方が分かりやすく説明されていて、夢中で読み進めた。

勉強の具体的な実践の方策として、勉強用のノートづくりを維持することが推奨されている。「勉強用のノートとは、生活の別のタイムラインそのものであり、自分の新たな可能性を考えるための特別な場所なのだ」と著者。

 

  『世界からバナナがなくなるまえに:食料危機に立ち向かう科学者たち』(ロブ・ダン)

世界からバナナがなくなるまえに: 食糧危機に立ち向かう科学者たち世界からバナナがなくなるまえに: 食糧危機に立ち向かう科学者たち

 

この本には、病原体による現代の食糧危機と、それに立ち向かう科学者たちの戦いが熱を持って書かれている。タイトルにあるバナナだけでなく、私たちが頼る数少ない作物は、すべて危機にさらされている。……僕が大好きなチョコレートの原料である、カカオも例外ではない。この食料危機の危険性を一気に高めたのが、大規模なアグリビジネス(農業関連産業)の台頭である。

アグリビジネスは、生産の極端な効率化を図るために、広域な農場に単一栽培(モノカルチャー)を行っている。短期的な効率化には最上の手段ではあるが、広大な農場に遺伝子的に同一の作物しかないというのは長期的に見て非常に危険である。遺伝子的に同一ということは、同じ害虫や病原体に弱いということである。一つの作物が弱点である害虫や病原体に攻撃されると、その農園の作物が全滅する道にそのままつながるのである。

故意でなくとも、自然に害虫や病原体が農場に拡散する可能性は常にある。本書ではそういった食糧危機に対する科学者の地道な戦いと、私たちに何ができるかということが書かれていて、最初から最後まで知的好奇心を大いに刺激されました。

 

 『パパは脳科学者 子どもを育てる脳科学』(池谷裕二

パパは脳研究者 子どもを育てる脳科学パパは脳研究者 子どもを育てる脳科学

 

この本では、脳科学者である著者が、娘さんの4歳までの成長を、脳の機能の原理から分析して、成長の一か月ごとに章立てして記録している。自分の息子(現在1歳2ヶ月)の成長と合わせて読み進めていて、とても勉強になります。この娘さんと比べると、自分の息子の成長はかなり遅れており、不安になる笑

  

『1990年代論』(大澤聡 編)

1990年代論 (河出ブックス)

1990年代論 (河出ブックス)

 

様々な論者が多角的に90年代を論じている。「社会問題編」では、現在の様々な社会問題が90年代に端を発していることが分かる。「文化状況編」では、様々な90年代のコンテンツが軽妙に論じられていてワクワクした。90年代は幼年期であった自分。もう10年早く生まれて、全身でこれらのコンテンツの受容を楽しみたかった。

 

 

『不安な個人、立ちすくむ国家』(経産省若手プロジェクト)   

不安な個人、立ちすくむ国家不安な個人、立ちすくむ国家

 

 

昨年5月に経産省の若手プロジェクトが発表したレポートを書籍化したものである。このレポートでは、変化する社会状況や、その中で増幅される個人の不安を指摘と、変わりつつある価値観に基づいた新しい政策の方向性の提示がまとめられている。日本社会のひずみが浮き彫りにされていて、日本の未来について悲観的にならざるを得ない。 

書籍版には、経産省若手プロジェクトと養老孟司の対談が収録されている。養老孟司が、高齢者が「死にたくない!」とわめく様子を見て、若者に向けて「早く大人になってしまい、やりたいことを後回し後回しにしていくと、人生を生きそびれてしまいますよ」と言っているのが印象的。

 

 『新・日本の階級社会』(橋本健二

新・日本の階級社会 (講談社現代新書)新・日本の階級社会 (講談社現代新書)

 

現代の日本社会が「階級社会」に変貌してしまった現実を、様々な社会調査データを基にして暴いていくといった内容である。階級格差は加速しており、特に非正規労働者から成る階級以下の階級(アンダークラス)の貧困が甚だしい。しかも、階級は世襲として固定化しやすく、親の階級以上の階級に転じることは難しくなっている(逆に「階級転落」の可能性は高い)。

この本では、格差拡大が社会全体にもたらす弊害が具体的に述べられて、読後、現代社会に対する危機感をちょっぴり持ったのでした。

 

 『若い読者のためのサブカルチャー論講義録』(宇野常寛) 

若い読者のためのサブカルチャー論講義録

若い読者のためのサブカルチャー論講義録

 

この本は、評論家の宇野常寛による、マンガやアニメやゲームといった「オタク的なもの」を取り上げたサブカルチャー論の大学での講義録をまとめたものである。ここ40年ほどのオタク思想を広く(浅く)学べます。

宇野常寛は「life」の出演者でもありますが、番組中、話の流れをぶった切り、自分の話したい話を止まることのなく話しまくるので、個人的には彼をあまり好きではありません。

 

 ☆

 

2018年下半期も読書ライフを楽しみたいです。

 

 

 

海外映画につけられたひどい邦題に対する批判に対する批判

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海外映画につけられたひどい邦題をまとめたネット記事を目にすることがあるけど、そこにはよく「最近の邦題つけてる奴って本当にセンスがない」というコメントがついている。僕はそのコメントに違和感を抱く。海外映画の邦題をつける配給会社は、どうやったら観客が高いチケット代を払ってその映画を見てくれるかと、現代の観客の嗜好を踏まえて戦略的に邦題をつけている。センスうんぬんといったコメントは少々ずれている。

さて、僕が好きな邦題は、1967年製作の『俺たちに明日はない』(原題:Bonnie and Clyde/ボニーとクライド)や、1969年製作の『明日に向って撃て!』(原題:Butch Cassidy and the Sundance Kid/ブッチ・キャシディザ・サンダンス・キッド)など様々あるが、特に好きなのは、1960年製作、ビリー・ワイルダー監督の名作、『アパートの鍵貸します』(原題:The Apartment)である。「鍵貸します」の言葉が、タイトルにどこか官能的な香りを与えている。

タイトルだけでは内容にわかりにくさがあるかもしれないが、原題を超え、受け手の心を揺さぶる、いわゆるセンスのある上に挙げたような邦題を「文学的邦題」、『幸せの~』『最高の~』など万人が喜びそうな言葉を修飾語として使うなど、映画の内容が容易に想像できるようなわかりやすい邦題を「ポエム的邦題」と自分勝手に呼んでみるとする。「ひどい邦題」と馬鹿にされる「ポエム的邦題」は、制作費をかけた大作ではなく、TSUTAYAのDVDジャンルで言うところの、「ドラマ」「恋愛」に分類される作品に多い気がする。知名度の高い俳優や監督が関わる作品や、膨大な制作費のかけた大作と勝負するには、まずタイトルを工夫しなくてはならない。シネコンの増加で鑑賞する映画を選択する幅が広がったり、自宅で映像コンテンツが格安や無料で見ることができたりする映像興行の現状では、作品を「まず見てもらう」こと自体が難儀なのである。膨大な映像作品の中からどれでも視聴できるという環境と、映画館で映画を見るには高い料金を支払わなくてはならないという事情が相まって、観客は映画鑑賞の選択に保守的にならざるを得ない。選択に失敗し(つまり、つまらない映画を見て)、お金と時間を無駄にしたくないという思いになる。そんな安心感を求める観客の傾向を念頭に置いて、配給会社は戦略的に「ポエム的邦題」をつけているのである(多分)。「ハマる人」だけにハマるような文学的邦題をつけては、鑑賞のハードルを上げてしまいかねない。

観客も当たりか外れかわからない「文学的邦題」の作品より、内容がある程度予想できる「ポエム的邦題」を選択するだろう。そうすると、漫画原作の日本映画が増える論理と同じで、「文学的邦題」の映画が淘汰され、より一層「ポエム邦題」が幅をきかせることになる。つまり「ひどい邦題」の増加の責任の一端は観客にもあるのである。観客が保守化する気持ちはとても分かる。しかし、観客が「文学的邦題」の映画へのチャレンジを避け、「センスのない」選択ばかりしていると、今後さらに「ひどい邦題」の増加を推し進めることになると思うのです。

『大日本サムライガール』と銀だこと意外な組み合わせの話

 

自分は何をしているときが幸せか? ということをじっくり5秒ほどかけて考えてみた。

 

3つある。

 

1つ目は、息子と遊んでいるとき。2つ目は、読書をしているときである。

 

そして、3つ目は……、納豆を食べているとき!

 

白米とおかずに納豆が1パックあれば、その食事は満足です(安上がりな男)。

 

 

 

今夢中になっていて、おすすめしたい小説は、『大日本サムライガール』(全9巻)というライトノベルである。

 

大日本サムライガール1 (星海社文庫)

大日本サムライガール1 (星海社文庫)

 

 

裏表紙にある強烈な作品紹介を読み、購入を決意した。

 

「真正なる右翼は、日本に私ただ一人である!」

 

拡声器を片手に街頭で叫ぶ謎の演説美少女・神楽日鞠。

彼女の 最終目的は日本政治の頂点に独裁者として君臨し、この国を根底から変えること――!! しかしどれだけ努力しても活動の成果がさっぱり挙がらぬ日鞠に、日本最大の広告代理店・蒼通の若手社員、織葉颯斗は、現実を突きつける。「メディアに露出しない政治家なんて、存在しないのと同じこと――」

熟考の果て、日鞠と颯斗はタッグを組み、独裁者への道を最短コースで実現するため、あらゆるメディアを席巻するアイドルスターになることを決意する。

目的は政治の頂点、手段はアイドル――。

至道流星の〝政治・経済・芸能〟エンタテインメント、ここに開幕!!

 

キワモノかと思いきや、キャラが立ち、物語の構成も緻密な本格的なエンターテイメント作品である。右翼とアイドルという意外な組み合わせが、読者を魅了する面白さを十二分に発揮している。

 

ヒロインである神楽日鞠(かぐらひまり)がすごく魅力的で、彼女のアイドルとしてずれた言動にクスクスと笑ったり、(僕は右思考ではないけど)彼女の国のことを心の底から思う真摯な姿勢に感動させられたりしたのでした。

 

 

 

意外な組み合わせといえば、先日、「築地銀だこ」に行ったことを思い出す。

 

休日にショッピングモールに家族に行き、買い物が終わったあと、妻から「たこ焼食いたくね?」という提案。ショッピングモール内にある「銀だこ」に寄った。

 

大学生のときのバイト帰りに、バイト仲間とよく「築地銀だこ ハイボール酒場」に通っていた。ハイボールを飲みながら、銀だこを頬張り、バイトの1時間分くらいの時給を消費し、ほろ酔いで帰っていた。

 

久しぶりの「銀だこ」である。僕は今まで食べたことのないメニューである「てりたま」を注文した(妻は「チーズ明太」を注文)。

 

たこ焼きの上に照り焼きソースと、卵サラダが乗っている。この組み合わせ……、合うのか?

 

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う、うまい……!!たこ焼きとてりたまの騎馬戦や〜!

 

__人が魅了されるものは常に、既存の要素のいまだかつてない組み合わせなのである。

 

 

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大日本サムライガール』のヒロイン、日毬が独裁者が目指すのには理由がある。

 

日鞠は児童養護施設でボランティアをしている。そこで虐待児童の増加、そして虐待へと走ってしまった親たちの経済的困窮の現実を知る。高齢者と若者の格差をどうすることもできないなど、日本の現状の様々な制度の歪みを日鞠は本気で憂い、独裁者としての権力を手に入ることで、国の制度を根本的に変えることを決意するのである。

 

日鞠には、以上のような強い信念がある。1巻で、日鞠がその信念のもと、あの手この手で日鞠とそのマネージャーである颯斗に嫌がらせをしてくる大手プロダクションにマスコミを引き連れて、木刀を持って乗り込む場面は最高のカタルシスを感じた。

 

「真正なる右翼は、日本に私ただ一人である。有権者諸君、私は日本の未来のために、魂のすべてを捧げる所存である。ここに誓う、私が日本を代表し、再び燦然と輝く国家の栄光を取り戻してみせることを。ここに宣する、私は日本国の首班となり、この国に太平の繁栄を華開かせる礎とならんことを」

 

 

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納豆カレーがおいしいよと言われ試してみたが、この組み合わせ、僕の口には合わなかった。やっぱり納豆の最高の相手は白米です。

北陸三大祭りの一つ、三国祭に行った話

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近頃、妻がフリマアプリのメルカリにはまっている。

 

僕たちが小さい頃に遊んだおもちゃなどがメルカリに高値で売られているのを知った妻は、「こんなガラクタなら、実家にたくさん眠ってる」と言って、実家に物色目的で帰ることを望んでいた。

 

そんなわけで、先日の土日に、新幹線や特急を利用して4時間かけ、妻の実家がある福井県坂井市三国町に遊びに行ったのであった。

 

 

 

5月19日の福井は寒かった。安易に妻の実家まで短パンで来てしまったことに後悔。義父がジャージを貸してくれた(つんつるてん)。

 

義父と義母ともに、1歳になった孫のハルタに久しぶりに会えて喜んでいる様子であった。ハルタは長旅と妻の広い実家の中を這いずり回ったことに疲れたのか、到着1時間後くらいに寝てしまった。妻をその合間に、「宝の山」の物色を始めた。

 

僕は一人で外に出て、三国湾をぷらぷらと散歩した。

 

97年にロシア船籍のタンカーが座礁し、この湾に重油が流れ着いたと妻に聞いた。そのとき妻の実家では家族総出で、重油を取り除くボランティアに参加したらしい。

 

歩いていると、雄島が近づいてきた。遠くに東尋坊が見える。雄島に続く橋の前で雄島の写真を撮っていると、妻からちょうどLINE。

 

「雄島に入っちゃダメだよ。呪われるから」

 

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前に一緒に入って釣りしたじゃん。

 

雄島は東尋坊で身投げした人の遺体が流れ着くことがあるらしく、心霊スポットとしても知られていた。

 

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家が建ち並ぶ狭い路地を歩いた。マンホールをパシャリ。描かれているのは、三国町にある龍翔館という建物である。

 

海沿いに立つ住宅は古い家ばかりで、空き家も少なくない。ネットで調べたり、義父の話を聞いたりすると、福井の他の市町村ほどでないにしろ、三国町の過疎化は緩やかに進行しているようだ。

 

僕たち家族がここに移住しない限り、老夫婦二人だけで暮らす妻の実家もいずれなくなるだろう。沈みゆく地方か……。

 

 

 

5月20日は三国祭に行った。富山の御車山祭、石川の青柏祭と並ぶ北陸三大祭りの一つである。

 

福井行きの妻の目的はメルカリへの出品物探しかもしれないが、僕の目的はこの三国祭であった。初めてのこの祭りの見物にとてもわくわくしていた。

 

三国祭は毎年5月19日(前祭り)、20日(本祭り)、21日(後祭り)に行われている。本祭りの日が平日に重なると、市内の学校は早引きになると聞いて驚いた。今年は祭りが休日に重なったからか、お客さんが多く、ハルタを乗せたベビーカーを進めるのが大変であった。

 

この祭りの目玉は、6.5メートルに及ぶ山車(やま)である(明治期の山車は10メートルを越えたらしい)。事前にどのような山車が出るのか調べておいた。

 

本祭りの午前中に6基ある山車が三国神社周辺をそれぞれのルートで廻り、正午に三国神社の前にすべての山車が集結する。

 

祭りに行って、最初に僕たちが出会った山車は、「源義経静御前」である。

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男性たちが威勢良く山車を引っ張って屋台の並ぶ狭い道を進んでゆく。山車の上に立っている人がトンボみたいなもので電線をあげ、さらに屋台は屋根をあげ、山車の進行の邪魔にならないようにする。

 

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見所は山車が道を直角に曲がるときである。引っ張り手が勢いよく引っ張り、山車は「ガガガガガッ!!」と大きな音を立てて曲がる。道には車輪がつけた傷がついていた。

 

「この道につく傷が粋なんだって。私にはよさがわからないけど」と妻。僕は山車の迫力に、素直に「かっけえ」と思ったのでした(男の子)。

 

源義経静御前」についていき、三国神社の前に到着。正午になり、6基の山車が集結した。

 

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壮観。僕のお気に入りの山車は「一寸法師の鬼退治」である。左下に一寸法師がちょこんといる。

 

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義父が、今は山車の職人が減っていて、自分の友人の職人も亡くなってしまったと言っていた。跡継ぎとなる若者もあまりいないのだろう。三国祭保存振興会と町内会の方々の努力でなんとか支えられている祭りなのである。

 

 

 

妻はメルカリに出品できそうなものを実家で見つけて、大満足な様子であった。ダンボールには、人形やカードやピンバッチなどなどが詰められていた。その中には、子供のときに三国祭りの露店で手に入れたものが少なくないそうだ。

 

僕も三国祭の初体験を大いに楽しみ、かなりいい休日を過ごせたという実感があった。正直、感動した。また三国祭行きたい。

 

 

『生まれてはみたけれど』と映画漬けだった大学時代の話

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先日買った社会学のテキストに、参考文献として、小津安二郎監督の映画『大人が読む繪本 生まれてはみたけれど』が紹介されていた。小津安二郎監督は、僕が敬愛する映画監督のひとりである。

 

『生まれてはみたけれど』は、1932年製作の無声コメディ映画で、これがすこぶる面白い。

 

 

名匠・小津安二郎監督がサイレント期に撮り上げた、初期の代表作と呼ぶべき作品。良一と啓二の兄弟はある日、近所に住む父の上司の家に呼ばれるが、そこでの父の卑屈な態度を見て彼を弱虫だと責める。

 

DVDでこの映画を大学時代に観賞したことが懐かしくなり、先日久しぶりに観賞した。

 

大学時代に見たときは、上司にぺこぺこと頭をさげる情けない父親に憤る息子たちに共感した。しかし、自分が社会人となり、父親になったからであろうか、今回の観賞では、情けなくても家族との今の生活を守るために一生懸命になる父親の方に共感した。

 

「偉くない」父に失望し、反抗する息子たちを見ていて、なんだか画面のこちら側から「お父さんだって頑張ってるんだ」と叱りたくなったが、斎藤達雄演じる映画の父は優しく、「子供たちの気持ちもわかる」と受け止め、愛情を持って息子たちの心に寄り添おうとする。

 

『生まれてはみたけれど』の父は情けないかもしれないが、人として本当に大事なものは何かを分かっている気がし、心打たれた。どんなに生きづらい世の中であっても、つながりの深い大切な人々に対して、思いやりの心を持つことを忘れない人間でありたい。

 

 

 

『生まれてはみたけれど』は物語も良いが、80年前の東京郊外の住宅街の風景ものどかで良い。町の中には目蒲線が走っている。

 

この映画に出演している人々は、もうほとんどこの世には存在しないと思うと不思議な気分になる。こんなに生き生きと動き回っているのに!

 

昔の映画を見て、現代と変わってしまったこと、現代でも残り続けていることを探すのは面白い。僕が昔の映画を好きな理由の一つは、この強いタイムスリップ感であった。

 

 

 

映画に詳しくなろうと決めたのは、大学1年生のときであった。高校生まで続けていたバスケをやめ、何か新しい趣味を持ちたいと思っていたのである。決めた日から、映画観賞三昧の日々を送った。

 

授業をさぼって映画館に行ったり、TSUTAYAでDVDを借りまくったり、大学のAV視聴室に通ったりして、映画を浴びるように見た。(映画好き界隈では、映画をDVDなど映画館のスクリーン以外で視聴した場合、それは映画観賞と言えるのかという不毛な議論があります)

 

観賞した映画はすべてノートに記録した。

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映画史の勉強も始め、段々と映画監督の名前や俳優の名前を覚え、映画用語も覚えた。様々なミニシアターや名画座にも足を運ぶようになった。

 

愛読する雑誌も少年漫画誌から、「キネマ旬報」、「映画秘宝」などに変わった。twitterで映画クラスタと作品について語り合ったり、映画誌に映画批評を送ったりもするようになり、立派な映画好きへと変貌したのである。(なぜか自分で映画を撮ろうという発想には至らなかった)

 

今ではこの映画漬けの日々は、ほとんど無駄であったと思っている。多分、もっと外に友達と遊びに行ったほうが得るものが多かったであろう。

 

それでも映画を見続けて良かったと思うことが少しだけある。その一つは、どんな作品に出会っても、分け隔てなく、その作品の面白さを探そうとする姿勢が身についたことである。

 

 

 

大学3年生の後半になり、就職活動が始まった。

 

そこで重大なことに気づく。たくさんの物語を映画を通して取り込んできた自分であるが、語ることのできる自分自身の物語を持っていなかったのである。

 

大学時代のほとんどを、ただお菓子をつまみながら映画を見ていただけなのである。何かに努力したり、挫折したわけでもないし、アルバイトも最低限やっただけ、サークルにも所属していなかったので交友関係も浅かった。大学の勉強も、もちろんしていない。

 

企業に語れる自分自身の魅力は皆無で、自分に自信が持てなかった。エントリーシートがなんとか通っても、自分の中身のなさを見透かされてか、最初の面接でことごとく落とされた。

 

そして、大きな地震がやってきた。

 

 

 

震災の影響で、都心の企業の採用活動は一時ストップした。

 

一旦就活を休んだら、急速に就活への意欲がしぼんでしまった。そこに失恋が重なり、精神的に落ち込み、就活をほとんどしなくなった。

 

現実逃避的に、さらに映画観賞にのめり込んだ。そして就職先も決まらないまま大学を卒業し、新卒のカードを捨ててしまったのである。

 

いやはや、ここからが大変でしたね。

 

それでも人生に絶望するような精神状況に陥らなかったのは、一つは、家族や数少ない友人の存在があったからである。もう一つは、映画で様々な人生を疑似体験していたので、小さな人生のつまづきも「まあ、いろんな人生があるよね」と素直に受け入れられたからであった。

 

 

 

最近は、仕事と一歳の息子の相手で忙しく、ほとんど映画は見ていない。『スターウォーズ』の新作など、どうしても映画館で見たい映画が上映するときしか、映画館には行かない。

 

細切れの時間で楽しめる読書のほうに今は傾倒しているが、映画熱が完全に冷め切ってしまったわけではない。

 

KONMA08さんのブログで、親子で映画観賞をしている記事をよく読むが、とてもうらやましく思う。

 

konma08.hatenablog.com

 

息子がもう少し大きくなって、いろいろと理解できるようになったら、一緒に映画観賞を楽しみたいです。