『存在と時間』と結婚記念日と男の無力さの話
もうすぐ1年目の結婚記念日である。妻は「あの日はちょっとむかついたわ」と、昨年の婚姻届を出しに行った日を思い出す度に言うのだった。
婚姻届は平日の夜に出しに行った。あの頃は僕も妻も、仕事や引っ越しなどでストレスが溜まっていた。届出に行く日は事前に決めていたのだが(その日は大安だった)、当日は二人とも疲労で口数が少なかった。届出に行く前、「とっと出しに行って、とっとと帰ってこよう」とどちらかが言った気がする。車で自宅から約15分のところにある市役所へ向かった。
市役所の守衛さんに婚姻届を出そうとしたときに、僕は自分のファイルの中に届けがないことに気づいた。いくら探してもない。コピーだけはあるのだ。
「げっ」
すぐにどこに置いてきたのか分かった。市役所に行く前に、僕は自宅近くのコンビニで、婚姻届を思い出として残すためコピーをとった。そのまま、その原本をコピー機に置いてきてしまったのだ。
「一緒に取りに戻ろう」と妻は優しい声で言ったが、明らかにその表情から怒りが読み取れた。慌ててコンビニに戻ったら、コンビニのおばちゃんの店員が預かっていてくれていた。
「これは忘れちゃダメだよ」とおばちゃんに言われた。はい、これは忘れちゃダメです。
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先日、「机の上掃除しろ」と妻に言われたので、汚い自分の机上を片付けにかかった。まずは積んである本を、本棚に戻す作業から始める。本の山の下の方に、『反哲学入門』(木田元)があるのを発見した。その本を見て、あることを思い出し、手に取って最後のページをめくった。
そこには、自分の小さな字で「3月〇日 AM4:20 陣痛ありとの電話」とメモが書かれていた。
妻が出産準備のために入院をしたのは3月の始めであった。自宅に一人になった僕は、購入したばかりの本棚を組み立てたり、『ワンピース』のアラバスタ編のDVDをまとめて見たりして生活をしていた。
陣痛が始まったとの病院からの電話で飛び起きると、荷物をまとめ、その頃読んでいた『反哲学入門』を持って家を出た。
ここ二年くらい、ハイデガーの『存在と時間』を少しずつ読み進めている。内容は難解で、正直言って自分の頭では書いてあることがほとんど理解できない、あはは。「現存在」ってなに? とか「共同存在」ってなに? とか。(「現存在」は「人間」、「共同存在」は「他人とともにあるという人間の自明なあり方」のことらしい)
しかし、読み始めた本は必ず読み終えなければならない(自分ルール)。自分が少しでも理解できそうな箇所には、ボールペンで線を引いている。理解の手掛かりを得るために、解説本やハイデガーについて書かれている本を何冊か読んだりもした。『反哲学入門』はその内の一冊であった。
陣痛が激しくなり、妻は分娩室に入った。「立ち会わないで」と事前に妻から言われていたので、僕は分娩室の中には入らず、分娩室の近くにある窓から早朝の景色を眺めていた。どこかにこの日のことを記録しておこうと思ったが、メモ帳がないので、持っていた『反哲学入門』に書き込んだ。(今思えば、スマホに書き込めばよかったのだ)
子どもが産まれるまで、男らしくドンと構えて待っていようと思っていたが、いろんな感情が渦巻き、やっぱり落ち着かない。情けない。久しぶりにタバコが吸いたくなった。僕は禁煙に10回くらい成功していて、この1年半くらいは全く吸っていなかった。最近は人が吸っているのを見て、嫌悪感を抱くほどにまでなった。しかし、このときはタバコの煙を肺いっぱい吸い込んで、吐き出したい気分だった。最近の村上春樹の小説の主人公がよくなるやーつだ。……無力である。妻が妊娠してからこれまでずっと、アタフタしていただけだった気がする。
メモの最後に「AM 7:57」と書いてある。赤ちゃんが産まれた時間だ。結構早く産まれた。
初めて自分の赤ちゃんに出会ったときはとても嬉しかった。しかし、同時に恐れや不安の気持ちがあったことも否定できない。
すべてが不思議でしょうがなかった。この世界に現れた自分の息子という存在、息子と僕たちのつながりの存在、親になった自分という存在……。この子は一体何者で、その親である自分は一体何者なんだ?
「存在とは何か」を問うことが哲学の根本問題であると『反哲学入門』に書いてあった。この頃僕は、ハイデガーの『存在と時間』のこんな箇所に線を引いていた。
現存在の存在にはー現存在にとっては、じぶんの存在自身においてこの存在が問題なのであるー、他者たちとの共同存在がぞくしている。共同存在としての現存在は、だからその本質からして、他者たち〈ゆえに〉「存在している」。
その現存在はじぶん自身について一箇の存在了解を有しており、かくて〔他の〕現存在へとかかわるのである。他者たちへとかかわる存在関係はその場合、自分自身へとかかわる固有の存在を「或る他者のうちへと」投射するものとなるだろう。他者とは自己の複製なのである。
このとらえどころのない自分や、自分を取り巻くこの世界を理解するための手がかりは、他者の存在や他者との関係性を問うことのによってはじめて得られるのであった。
息子であるハルタが生まれてから、とにかくこの子に愛情を注ぎたい、この子をどんなことがあっても守りたいという感情が心の底から沸き起こった。なにかにこんな感情を抱くのは、生まれて初めてのことであった。うまく表現できないが、この気持ちは恋愛感情とはほとんど別種のものである。妻も同じようなことを言っていた。まあ、子供を育てていくことにいろいろと不安はあるが、こういった本能的な感情にしばらくは従ってみようと思った。
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結婚記念日って妻にどんなものを贈ればいいのかなあ。ググるべ。