ゴロネ読書退屈日記

ゴロネ。読書ブログを目指している雑記ブログ。2人の息子とじゃれ合うことが趣味。

三大和歌集と『君の名は。』と逆流性食道炎の話

 思ひつつ寝ればや人の見えつらむ夢と知りせば覚めざらましを

 小野小町

古今和歌集 (岩波文庫)

古今和歌集 (岩波文庫)

 

 

朝は大抵、気持ち悪さで目が覚める。胸のあたりがムカムカする。もっと爽やかに目覚めたいなあとは思っていたけど、耐えられないほどの気持ち悪さではなく、朝には治るので、あまり気にしていなかった。

 
ただ、先日はこの気持ち悪さが昼まで続いた、うぷ。その日の仕事中、隣の席に座る上司との雑談の中で、その症状について話をしたら、「にいちゃん、それ逆流性食道炎だよ」と言われた。胃酸が食道に逆流する症状らしい、おえ。
 
「眠る直前に飯を食ってるからじゃね?」と言われたけど、自分も気持ち悪さの原因はそれじゃないかと思って、眠る前の3時間は何も食べないことを心がけている時期があったが、症状が全く改善しなかった。「じゃ、いつも、うつ伏せで寝てるとか」と上司。
 
……え?うつ伏せ寝ダメなん? 僕は基本的に寝の入りは、うつ伏せだ。それが原因だったのかあ〜。そういえば、気持ち悪さが長く続いたこの日の前日の深夜、自宅で『君の名は』のDVDをテレビで流しながら、床にパソコンを置き、毛布を敷いて、うつ伏せでお持ち帰りの仕事をしていた。長くうつ伏せを続けていると、胃酸が上昇してくるらしい。
 
 
新訂 新古今和歌集 (岩波文庫)

新訂 新古今和歌集 (岩波文庫)

 

 

新古今和歌集』をぱらぱらと読んでいると、藤原定家の以下の句が目にとまった。
 
見わたせば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ
 
苫葺きの小屋が何軒かまばらに建っている寂しい海辺。学生のときは、それに加え、水平線の向こうに夕日が沈んでいき、空が赤々と染まる情景をイメージしていた。
 
しかし、和歌に詳しい人に聞いたら、この歌は、「花も紅葉も」ないとわざわざ詠っているのだから、色彩を欠いた水墨画のような夕暮れ時の情景をイメージしなくてはならないそうだ。普通の人が寂しいとかつまらないとか思われる情景に良さを見出そうとするのが、新古今時代の歌人の特徴の一つらしい。
 
そういえば、頭の中では海に夕日が沈むイメージって浮かんだことあるけど、これまで実際に夕日が海に沈む情景を目にしたことがあったかなあ。……ということを妻に話すと、「いや、夕日は海に沈むもんでしょ」と言われた。
 
ここで、28年間気づかなかった当たり前のことに気づいた。日は東から昇り、西に沈む。生まれてこの方、関東に住んでいる僕は、太平洋の海しか知らないから、海からの日の出を見ることがあっても、海への日没を見たことがないのだ。
 
妻もその当たり前に気づいていなかったらしく、「あっ、そっか」と言った。妻は福井にある海沿いの小さな町で育った。日本海に沈んでいく夕日のイメージが頭に焼きついているのだろう。今度、妻の実家に行くときは、水平線に沈む夕日をじっくり眺めてみよう。
 
「秋は夕暮れ」と清少納言は書いたが、近頃すっかり秋めいてきて、夕暮れ時の景色が美しい。夕暮れ時は薄暗くなり、少し離れたところに人がいると、その人が誰なのか判別が難しくなる。そんなときに出る「誰そ彼(だれ、あの人は)」という言葉が「黄昏」の語源だと言われていると高校の古典の先生が教えてくれた。
 
万葉集(一) (岩波文庫)

万葉集(一) (岩波文庫)

 

 

『君の名は』でも、古典の先生が万葉集の以下の和歌を引いて、黄昏時について説明している場面があった。
 
誰そ彼とわれをな問ひそ九月の露に濡れつつ君待つ我そ
 
黄昏時は、逢魔が時と呼ばれ、この世のものではない何かに遭遇する時間帯だ。黄昏時になると赤ちゃんが泣き出すけど、大人には見えない何かが見えているのかしら。
 
今更ながら初見だけど、本当にいい映画だったなあ〜、『君の名は。』。和歌、日記、メールなど古代から現代まで続く、コミュニケーションツールとしての言語を全面的に肯定していて、なんだか気持ちがよかった。
 
タキ君とミツハちゃんの恋愛模様もドキドキしちゃった。お互いを求め続けるが、なかなか会えない二人(相手の体の中には何度も入っているけど)。日が沈もうとしている黄昏時に時空がつながり、やっと二人は出会う。あのシーンで僕は、ちびりそうになるほど感動に震えたのであった。
 
 
近頃、時が流れるのが早く感じる。さっき日が沈んだと思ったら、すぐに日が昇ってくる。……毎朝、胃酸も昇ってくる。今夜から仰向けで寝ます。