ゴロネ読書退屈日記

ゴロネ(89年生まれ)一児の父。読書ブログを目指している雑記ブログです。息子ハルタとじゃれ合うことにはまっています。

『ブレードランナー2049』の話・前編(デッカード編)

トピック「ブレードランナー2049」について

 

今回は『ブレードランナー2049』の感想文を書きます。ネタバレは気にしません。

 

息を飲む映像美、前作を思い出すどこか悲しみを帯びた音楽、2時間44分の長さを感じさせない物語構成、つい感情移入してしまうキャラクター造形など、どれをとっても最高の映画だった。

 

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先日、運転中にラジオから流れてきたニュースが印象に残った。「LINE」で一対一で会話できる人工知能(AI)キャラクターを、渋谷区が開発し、「特別区民」として区民登録したというニュースだ。

 

www.tokyo-np.co.jp

 

AIを住民登録しちゃうなんて。SFだ。

 

一時期、わかりやすそうなAIに関する本を選んで何冊か読んでいたけど、AI技術は日進月歩の勢いで進んでいるらしい。

 

これからの科学技術の発達によって、AIを核とした人造人間が生まれ、彼らに人権を与えるかどうかということについて大きな議論を巻き起こす日もそう遠くはない未来かもしれない。そのときはきっと、いやがおうでも人間そのものの存在価値を問われる時代になっている。

 

人間とAIを分ける要素はなんであろうか。

 

『AIの衝撃 人工知能は人類の敵か』には、「これまで人間とコンピュータ(機械)を分ける最大の要素は、『創造性』あるいは『独創性』にあると考えられてきた。」とある。

 

AIの衝撃 人工知能は人類の敵か (講談社現代新書)

AIの衝撃 人工知能は人類の敵か (講談社現代新書)

 

 

筆者は「創造力」を「全く異なる領域に属する事柄を結びつけて考える能力」であると述べ、発達し続けるAIの未来について語る。

 

今後、ニューロモーフィック・チップのような最先端のニューラルネットを搭載したロボットがこの世界を自由に動き回り、そこに搭載された各種センサーから外界の情報を吸収して学ぶようになれば、それは多彩な経験から学んで成長する人間に急速に近づいていくでしょう。そこに人間並みの汎化能力が生まれることは十分考えられます。それはいずれ意識すら備えた強いAIへとつながる道でもあります。

 

人間と同じ意識を備えた人間ではない何かが実際に社会に表れたとき、私たちはそれらをどのように受け止めればよいのだろうか。

 

映画『ブレードランナー2049』は、そんなことについて深く考えさせてくれる映画でもあった。

 

この映画の主題のひとつは、たくさんの人が指摘するように、「人間とレプリカントを隔てるものとは?そもそも人間とレプリカントを隔てる必要性はあるのか?」といったものであったと思う。

 

デッカードは、そういったテーマ性を象徴している存在であった。

 

前作の『ブレードランナー』の最大の謎であり、ファンの関心事は、レプリカントを排除しているブレードランナーデッカードは人間ではなく、実はレプリカントではないのかということであった。

 

前作の監督であるリドリー・スコットは、「デッカードレプリカントである」と言っているが、物語の中ではそれを可能性として示唆にとどめた程度だった。

 

ブレードランナー』のファンは、その答えが続編である『2049』で明らかになることを「期待」したり「恐れ」たりしてた。(ファンはその答えを知りたいという気持ちがある反面、いつまでも知りたくないという気持ちを持っていただろう)

 

『2049』では、デッカードが人間なのかレプリカントなのかということについて、逆にもっと曖昧にされていた。彼は子供を作り、年老いるという生物としての特徴を備えながらも、レプリカントのような強靭な肉体を持つ。

 

デッカードという存在は何なのかという前作からの議論は、人間とレプリカントを隔てるものと不明瞭さという『2049』の主題にそのまま直結した。

 

デッカードの登場には、「よっ、待ってました!」と拍手を送りそうになったなあ。(『スターウォーズ エピソード7』でのハン・ソロ登場の場面でも同じ衝動に駆られた。フォードのニヤリスマイルが大好き)

 

僕が今作で最も印象に残っているのは、主人公のKなどの新型レプリカントを製造するウォレス社の社長ウォレスを、デッカードが前にするシークエンスだ。

 

ウォレスはデッカードに対し、デッカードと、後に彼との子を産むことになるレプリカント、レイチェルとの出会いは、ウォレス社の前身とも言えるタレイル社によって仕組まれていたものであった可能性を告げる。

 

デッカードにとってこれは耐えらないものであったろう。二人の出会いと、その間に育まれた愛がプログラムされていたものであったなんて。僕があの場にいたら、ウォレスの鼻に指突っ込んで背負い投げをする。(その前に殺される)

 

デッカードの「人間」としてのアイデンティティは揺らいだことだろう。神でもないやつに、自分の感情も思い出も運命もコントロールされているなんて話は、まともな「人間」であれば耐えられない。

 

自分にとって苦痛となる言葉を的確に吐いてくるウォレスに対し、デッカードは自分は「本物」が何かを知っていると言う。かっくいい。そして泣ける。

 

そして麗しき若きレイチェルの登場。僕は感動でズボンがびしょびしょになった。

 

 

久しぶりにシネコン行ったけど、やっぱりキャラメルポップコーン旨い。毎日食べたい。ご飯にかけて食べたい。(後編に続く。多分)