ゴロネ読書退屈日記

ゴロネ(89年生まれ)一児の父。読書ブログを目指している雑記ブログです。息子ハルタとじゃれ合うことにはまっています。

『いのちの食べかた』についてたまに考える話

 

最近、妻は料理がマイブームなようで(この前まで編み物がマイブームだった)、昨夜は鶏のから揚げを作ってくれた。僕はから揚げが大好物である。朝昼晩、から揚げを食べて、加えてデザートがから揚げでも問題なしです。

 

そういえば、妻は大学時代に生物学を専攻していて、よく鶏を絞めて、解剖したそうな。解剖して、観察、実験に使った鶏肉は、研究室の仲間と美味しくいただいたと言っていた。

 

僕の大学時代といえば、文系の学部に所属していて、図書室で飽きるまで読書をしたり、授業をさぼって映画館に行ったりしていた。僕と妻の大学生活はだいぶ違いますね。僕が頭の中で様々なくだらない妄想をしているとき、妻は「いのち」に触れていた。

 

 

 

「食べるため、いのちを奪う」という実際の経験が乏しい僕は、鶏肉や牛肉や豚肉を口に運ぶとき、このお肉が口に運ばれるまでに、鶏や牛や豚がどのような過程を辿ったのかと意識することはまずない。

 

この肉がかつてどのような姿であったのか、どのように「いのち」を失ったのか、どのように加工されたのか。このようなことを食事の度に考えていたら、今の食生活はまともに維持することはできない。

 

でも、たまにはそういうことについて、ちゃんと考えてみるのも大事なことかなとも思ったりしている。

 

 

 

一昨年読んだ『サピエンス全史』にこんなことが書かれていたのが印象に残っている。

 

サピエンス全史(下)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(下)文明の構造と人類の幸福

 

 

 動植物さえもが機械化された。ホモ・サピエンスが人間市場主義の宗教によって神のよう地位に祭り上げられたのと同じころ、家畜も痛みや苦しみを感じる生き物と見なされることがなくなり、代わりに機械として扱われるに至った。今日こうした動物たちは、工場のような施設で大量生産されることが多い。その身体は産業の必要性に応じて形作られる。彼らは巨大製造ラインの歯車として一生を送り、その生存期間の長さと質は、企業の損益によって決まる。業界は、動物たちを生かしておき、そこそこ健康で良い栄養状態に保つ配慮をするときでさえ、彼らの社会的な欲求や心理的欲求には本来関心を持たない(ただし、それが生産に直接影響するときは話が別だ)。

(中略)

 ブタは哺乳動物のたちのうちでも非常に知能が高く、好奇心が強く、それを凌ぐのは大型猿人類ぐらいのものだろう。だが、工場式養豚場では母ブタはあまりに狭い仕切りに入れられるので、文字通り、向きを変えることすらできない(歩いたり餌を漁り回ったりできないことは言うまでもない)。母ブタたちは出産後の四週間、朝から晩までこのような仕切りの中に閉じ込めたままにされる。子供たちは連れ去られて太らされ、母ブタは次の子供たちを妊娠させられる。

(下巻P172、173)

 

 

 

自分の本棚から、大学生のときに読んだ『いのちの食べかた』を引っ張り出して読み直した。著者は、映画『A』などを監督したドキュメンタリー作家、森達也

 

いのちの食べかた (よりみちパン!セ)

いのちの食べかた (よりみちパン!セ)

 

 

 魚は切り身で泳いじゃいないって、テレビで見て知ってるよ。釣り上げられて、冷凍されて、市場に届いて・・・・・・。じゃあ、毎日食べてる大好きな「お肉」は、どんなふうに食卓に届くの? 誰も教えてくれない、食べものといのちの、たいせつな関係。

 (Amazon内容紹介)

 

この本には、牛や豚が「と場」に運ばれ、どのように屠殺(とさつ)され、解体されるのかが平易な文章で詳細に書かれている。

 

自分自身の食生活を省みることができたり、「と場」で働く方々への敬意や、食物に感謝の気持ちがわいてきたりする素晴らしい本です。

 

 

 

「いのちを食べる」ってことに関する本を読んだりすると、すぐ僕は牛とか豚とか鶏ってかわいそうだなとか思ってしまう。しかし、その「いのち」を消費しているのは、紛れもない僕自身なんだよね。

 

『牛や豚たちはきっとこう思っている。「僕たちは食べてもらえて幸せだ」と。』

 

 ……そんなごまかしやきれいごとを、僕はこの本に書くつもりはない。殺される彼らはやはり哀れだ。殺されて嬉しい「いのち」などありえない。幸福なはずがない。

 僕が書きたいことは、彼らを殺しているのは、君であり、僕であり、僕たちすべてなのだということだ。

(『いのちの食べかた』P62)

 

 

 

10ヶ月になった息子ハルタは、近頃様々な食べ物をパクパクと食べるようになった。

 

この前は、妻に「やってみ」と言われ、牛の細かいひき肉が入っているマーボー豆腐を、小さなスプーンを使ってハルタに食べさせた。

 

「いのちを食べること」について、親として息子に、何を何から教えるべきであろうか。

 

とりあえず、「いただきます」と「ごちそうさま」をちゃんと言える子に育てたいと思います。