ゴロネ読書退屈日記

ゴロネ(89年生まれ)一児の父。好きなものは読書、映画鑑賞、息子ハルタとじゃれ合うこと。

【ブログ開設6ヶ月】『暇と退屈の倫理学』とトイザらスの衰退とアイロンビーズへの没入の話

 

暇と退屈の倫理学

暇と退屈の倫理学

 

    おろかなる人間は、退屈にたえられないから気晴らしをもとめているにすぎないというのに、自分が追いもとめるもののなかに本当に幸福があると思い込んでいる、とパスカルは言うのである。(『暇と退屈の倫理学』p35)

 

 

 

ここ最近取り掛かっていた大きな仕事がようやく片付き、すかさず、1日有休を取得した。

 

休日の朝、妻は「トイザらスに連れて行って」と言った。アラサーとなった今でも、僕らはトイザらスキッズであった。

 

トイザらスに向かう車では、桑田佳祐のCDなぞ流し、休日感を演出。僕は運転しながら、「波乗りジョニー」を熱唱した。妻は笑いながら、「まじでうるせえな」と言った。

 

トイザらスにやってくると、いつでも子供心を思い出し、ワクワク感が止まらない。棚の隅から隅へと積まれるおもちゃ。いつまで見ていても飽きない。

 

そういえば、アメリカのトイザラスが経営破綻して、アメリカの全店舗が閉店もしくは売却する方針であるというニュースを聞いた。経営破綻の原因のひとつは、玩具のネット通販の台頭だそうな。日本トイザらスは、「通常通り営業を継続する」と言っているが、アメリカと同じようなことが、いつか日本でも起こりかねない。

 

ネット通販も便利だけど、玩具店でのワクワク感が失われてしまうのは寂しい。

 

 

 

退屈とは何か? ラッセルの答えはこうだ。退屈とは、事件が起こることをのぞむ気持ちがくじかれたものである。

(中略)

ここに言われる「事件」とは、今日を昨日から区別してくれるもののことである。(『暇と退屈の倫理学』p53) 

 

 

 

トイザらスでは、カワダの「nanobeads」というアイロンビーズを購入した。

 

ナノビーズ 101 ピカチュウ/モンスターボール 80-63006

ナノビーズ 101 ピカチュウ/モンスターボール 80-63006

 

 

こんにちは。ナノビーズです。ナノビーズはパーラービーズが小さくなった、ミニサイズのアイロンビーズです。絵を描くように表現できる、オトナが楽しめるビーズアート。自分だけの“かわいい”を作ってください。

 

いくつかセットを購入し、帰宅後さっそく妻と作成に取り掛かった。

 

f:id:gorone89:20180318114624j:plain 図案の上にプラスチックの土台を置き、その上にピンセットでビーズを敷き詰めていく。

 

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 全部置けた!ふー。

 

f:id:gorone89:20180318144013j:plain 敷き詰めたビーズの上から、アイロンを押し当てるとピカチュウの完成である。

 

細かい作業が得意な妻も次々と以下のような作品を作成。

 

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 『スーパーマリオブラザーズ3』のしっぽマリオ

 

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 『星のカービィ2』のクー&カービィ。(ネットに載っていた図案を参考に作成)

 

 

 

労働が消費されるようになると、今度は労働外の時間、つまり余暇も消費の対象となる。自分が余暇においてまっとうな意味や観念を消費していることを示さなければならないのである。「自分は生産的労働に拘束されてなんかないぞ」。「余暇を自由にできるのだぞ」。そういった証拠を提示することをだれもが催促されている。

   だから余暇はもはや活動が停止する時間ではない。それは非生産的活動を消費する時間である。余暇はいまや、「俺は好きなことをしているんだぞ」と全力で周囲にアピールしなければならない時間である。逆説的だが、何かをしなければならないのが余暇という時間なのだ。(『暇と退屈の倫理学』p152)

 

 

 

アイロンビーズで初めて遊んだが、かなり楽しい。シンプルな作業ゆえか、没入できる。

 

一つひとつのビーズを置くたびに、散らかった心の中が整理されていく心持ちになった。 

 

そうだ……!僕は休日に「没入」を求めていたのだ!! 

 

さらに没入感を高めるため、アイロンビーズの作成中、stillichimiyaをBGMとして流した。

 

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   気晴らしをしているとき、私たちは何かやるべきことを探している。やるべき仕事を探している。街道を歩く。木々の数を数える。座り込んで地面に絵を描く。何かやるべきことを探し、その仕事に従事しようとする。

   やるべき仕事といっても、その際、その仕事と内容はどうでもいい。どんな仕事につくかは問題ではない。ここで関心の的になっているのは、やるべき何かをもつことであって、どんなことをやるべきかでない。(『暇と退屈の倫理学』p209)

 

 

 

悲しき哉、休日を上手に休むことができない。ぽっかり空いた暇を、どのような手段で埋めようかということばかりを考えてしまう。

 

自分の中から「退屈だなあ」という声が聞こえるのが怖い。退屈を抑え込み、没入できる「気晴らし」をいつでも求めている。

 

ブログを始めて、もうすぐ6ヶ月。何のためにブログを続けているのかと考え、いろいろと理由が思い浮かんだが、最終的には「退屈しのぎのため」というたった一つの理由に行き着くのでした。