ゴロネ読書退屈日記

ゴロネ。読書ブログを目指している雑記ブログ。2人の息子とじゃれ合うことが趣味。

ジモトの花火大会と古市憲寿氏の話


 

先日、自分が暮らす町の花火大会に行った。この花火大会は、10年ほど前から始まった大会で、実際に大会の会場に行くのは初めてであった。

 

昨年の花火は、自宅マンションの部屋から妻と生まればかりの息子ハルタと見た。遠くの夜空に、小さく花開いていた。

 

今年は近くまで行って見ることにした。打ち上げ花火、遠くから見るか? 近くから見るか?

 

この日は時間もあったし、何より、近頃仕事ばかりで家族と過ごす時間が少なかったので、家族サービスがしたかったのである。

 

 

 

会場に着いたのは、花火大会開始の30分くらい前であった。

 

妻とベビーカーに乗ったハルタに鑑賞場所を確保してもらい、僕は花火を見ながら食べる食べ物の買い出しに行った。花火が始まる前に食べ物を確保しようとする人は多く、並ぶ屋台の前は人でにぎわっていた。

 

一通りの屋台を眺めてみて気づいたが、屋台のレベルが高い。地元のホテルや料理店が出店している屋台が何件かあった。僕はステーキ串、フランクフルト、ゴマ団子などを買い込んだ。

 

小さな町の花火大会なのであまり期待していなかったのだが、花火の演出にもかなり感動した。町はこの大会にかなり力を入れていることが伝わってきた。

 

ありきたりの演出かもしれないが、5部構成くらいに分かれており、そのテーマごとのクラシックやJ-POPに合わせて、花火は打ち上げられた。音楽に合わせた花火の打ち上げのタイミングが絶妙で、音楽と花火の調和を感じたのである。

 

花火大会終了後、主催者側が来年の花火大会実施のための募金を呼びかけていた。普段なら募金などしない心の狭い人間の僕であるが、花火大会全体にかなりの満足感があったため、募金に協力したのであった。

 

 

 

最近、通勤中の車で「文化系トークラジオ Life」を聞いている。

www.tbsradio.jp

 

TBSラジオで偶数月に一度、深夜に放送されていて、社会時評サブカルチャーに興味のある人にはかなりおすすめの番組である(自分も「文化系」なお話が好きな友人にすすめられた)。

 

「Life」のホームページに載っている過去の回を遡って聞いているのであるが、この前聞いた『マイルドヤンキー限界論』(2014年4月7日放送)の回がかなり面白かった。「マイルドヤンキー」とは2014年頃話題になった言葉で、知っている人も多いと思うが、簡単に言うと、「不良ではないが、上昇志向が薄く、地域に密着して仲間との小さな範囲での消費にとどまる人々」のことである。

 

この回を聞いた後の花火大会であったので、大会の人ごみの中、ついマイルドヤンキーに該当しそうな人を探してしまった。……いやあ、たくさんいるなあ(勝手にマイルドヤンキーだと断定してしまい、すみません)。

 

というか、よく考えると、自分もマイルドヤンキーか。実家暮らしではないが、子供のときからずっとこの町で暮らしているし、基本は地元の範囲での消費にとどまっている。「マイルドヤンキー」という概念を提唱した原田曜平のあげるマイルドヤンキーの特徴にも、少なからず当てはまっているのである。

 

 

 

『マイルドヤンキー限界論』での、社会学者の古市憲寿の語りが特に面白かった。

 

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この『マイルドヤンキー限界論』を最後に、「Life」に出演していないのでさびしい。歯に衣着せぬ物言いをするので、テレビ出演で炎上することが多いが、僕は『だから日本はズレている』を読んだときから彼のファンである。

 

だから日本はズレている (新潮新書 566)

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 この前読んだ、『古市君、社会学を学び直しなさい!!』も面白かった。

 

古市くん、社会学を学び直しなさい!! (光文社新書)

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古市憲寿橋爪大三郎宮台真司大澤真幸など、日本の社会学のビッグネームと「社会学とは何か?」をテーマに対談している。 「Life」のメインパーソナリティである鈴木謙介(チャーリー)とも対談していて、そこで古市憲寿の「僕がパブリック社会学に何かの貢献ができるとすれば、これからどうしていけばいいと思いますか。」という質問に答えるチャーリーの発言が興味深い。

 

もっと業界と外とのブリッジングを強めることを考えればいいんです。たとえば、プロ社会学からの「社会学をもっと勉強しなさい!」みたいな批判を逃げずに正面から受け止めつつ、そこでの勉強をもとに、アイドルや俳優と対談するような「マージナル・マン(境界人)」としての役割を意識的に引き受けていくということ。

 

「マージナル・マン」としての古市憲寿のこれからの活躍が楽しみです。

 

 

 

さて、1歳になったハルタですが、花火が打ち上げあげられている最中、ずっと花火の光や音に怯えていて、僕や妻の体にしがみついていました。花火大会はまだ少し早かったね。