ゴロネ読書退屈日記

ゴロネ(89年生まれ)一児の父。読書ブログを目指している雑記ブログです。息子ハルタとじゃれ合うことにはまっています。

『生まれてはみたけれど』と映画漬けだった大学時代の話

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先日買った社会学のテキストに、参考文献として、小津安二郎監督の映画『大人が読む繪本 生まれてはみたけれど』が紹介されていた。小津安二郎監督は、僕が敬愛する映画監督のひとりである。

 

『生まれてはみたけれど』は、1932年製作の無声コメディ映画で、これがすこぶる面白い。

 

 

名匠・小津安二郎監督がサイレント期に撮り上げた、初期の代表作と呼ぶべき作品。良一と啓二の兄弟はある日、近所に住む父の上司の家に呼ばれるが、そこでの父の卑屈な態度を見て彼を弱虫だと責める。

 

DVDでこの映画を大学時代に観賞したことが懐かしくなり、先日久しぶりに観賞した。

 

大学時代に見たときは、上司にぺこぺこと頭をさげる情けない父親に憤る息子たちに共感した。しかし、自分が社会人となり、父親になったからであろうか、今回の観賞では、情けなくても家族との今の生活を守るために一生懸命になる父親の方に共感した。

 

「偉くない」父に失望し、反抗する息子たちを見ていて、なんだか画面のこちら側から「お父さんだって頑張ってるんだ」と叱りたくなったが、斎藤達雄演じる映画の父は優しく、「子供たちの気持ちもわかる」と受け止め、愛情を持って息子たちの心に寄り添おうとする。

 

『生まれてはみたけれど』の父は情けないかもしれないが、人として本当に大事なものは何かを分かっている気がし、心打たれた。どんなに生きづらい世の中であっても、つながりの深い大切な人々に対して、思いやりの心を持つことを忘れない人間でありたい。

 

 

 

『生まれてはみたけれど』は物語も良いが、80年前の東京郊外の住宅街の風景ものどかで良い。町の中には目蒲線が走っている。

 

この映画に出演している人々は、もうほとんどこの世には存在しないと思うと不思議な気分になる。こんなに生き生きと動き回っているのに!

 

昔の映画を見て、現代と変わってしまったこと、現代でも残り続けていることを探すのは面白い。僕が昔の映画を好きな理由の一つは、この強いタイムスリップ感であった。

 

 

 

映画に詳しくなろうと決めたのは、大学1年生のときであった。高校生まで続けていたバスケをやめ、何か新しい趣味を持ちたいと思っていたのである。決めた日から、映画観賞三昧の日々を送った。

 

授業をさぼって映画館に行ったり、TSUTAYAでDVDを借りまくったり、大学のAV視聴室に通ったりして、映画を浴びるように見た。(映画好き界隈では、映画をDVDなど映画館のスクリーン以外で視聴した場合、それは映画観賞と言えるのかという不毛な議論があります)

 

観賞した映画はすべてノートに記録した。

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映画史の勉強も始め、段々と映画監督の名前や俳優の名前を覚え、映画用語も覚えた。様々なミニシアターや名画座にも足を運ぶようになった。

 

愛読する雑誌も少年漫画誌から、「キネマ旬報」、「映画秘宝」などに変わった。twitterで映画クラスタと作品について語り合ったり、映画誌に映画批評を送ったりもするようになり、立派な映画好きへと変貌したのである。(なぜか自分で映画を撮ろうという発想には至らなかった)

 

今ではこの映画漬けの日々は、ほとんど無駄であったと思っている。多分、もっと外に友達と遊びに行ったほうが得るものが多かったであろう。

 

それでも映画を見続けて良かったと思うことが少しだけある。その一つは、どんな作品に出会っても、分け隔てなく、その作品の面白さを探そうとする姿勢が身についたことである。

 

 

 

大学3年生の後半になり、就職活動が始まった。

 

そこで重大なことに気づく。たくさんの物語を映画を通して取り込んできた自分であるが、語ることのできる自分自身の物語を持っていなかったのである。

 

大学時代のほとんどを、ただお菓子をつまみながら映画を見ていただけなのである。何かに努力したり、挫折したわけでもないし、アルバイトも最低限やっただけ、サークルにも所属していなかったので交友関係も浅かった。大学の勉強も、もちろんしていない。

 

企業に語れる自分自身の魅力は皆無で、自分に自信が持てなかった。エントリーシートがなんとか通っても、自分の中身のなさを見透かされてか、最初の面接でことごとく落とされた。

 

そして、大きな地震がやってきた。

 

 

 

震災の影響で、都心の企業の採用活動は一時ストップした。

 

一旦就活を休んだら、急速に就活への意欲がしぼんでしまった。そこに失恋が重なり、精神的に落ち込み、就活をほとんどしなくなった。

 

現実逃避的に、さらに映画観賞にのめり込んだ。そして就職先も決まらないまま大学を卒業し、新卒のカードを捨ててしまったのである。

 

いやはや、ここからが大変でしたね。

 

それでも人生に絶望するような精神状況に陥らなかったのは、一つは、家族や数少ない友人の存在があったからである。もう一つは、映画で様々な人生を疑似体験していたので、小さな人生のつまづきも「まあ、いろんな人生があるよね」と素直に受け入れられたからであった。

 

 

 

最近は、仕事と一歳の息子の相手で忙しく、ほとんど映画は見ていない。『スターウォーズ』の新作など、どうしても映画館で見たい映画が上映するときしか、映画館には行かない。

 

細切れの時間で楽しめる読書のほうに今は傾倒しているが、映画熱が完全に冷め切ってしまったわけではない。

 

KONMA08さんのブログで、親子で映画観賞をしている記事をよく読むが、とてもうらやましく思う。

 

konma08.hatenablog.com

 

息子がもう少し大きくなって、いろいろと理解できるようになったら、一緒に映画観賞を楽しみたいです。