ゴロネ読書退屈日記

ゴロネ(89年生まれ)一児の父。読書ブログを目指している雑記ブログです。息子ハルタとじゃれ合うことにはまっています。

食事の苦痛と息子の銘菓と芥川龍之介の『芋粥』の話

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そういえば、子供の頃、食事の時間が苦痛であった。

 

食べ物の好き嫌いも多く、何より決まった時間に3食を胃に詰め込めなければならないとうのが嫌だった。(日に3食、それなりに健康的な食事を摂れることのありがたみをまだ知らない子どもであったので許してください)

 

食事の苦痛というと、太宰治の小説『人間失格』の冒頭を思い出す。主人公の大庭葉蔵は、

 

最も苦痛な時刻は、実に自分の家の食事でした。

 

と始め、幼少期の食事の苦痛を長々と語っている。

 

人間失格、グッド・バイ 他一篇 (岩波文庫)

人間失格、グッド・バイ 他一篇 (岩波文庫)

 

 

葉蔵ほどの苦痛を感じていたわけではないものの、僕も幼少期の食事の時間に葉蔵と似た感覚があった。好き嫌いもほとんどなく、食べ物で手遊びもせず、ぱくぱくと美味しそうにご飯を食べる1歳の息子を見て、そんな子どもの頃の憂鬱を思い出したのである。

 

 

 

息子・ハルタはたくさんご飯を食べるので、自然、う○ちの量、回数が多い。夏になり、オムツのゴミの匂いがきつくなっている。

 

先日の仕事中、妻から「さっき出た銘菓は無臭だった!」というLINEがあった。

 

「銘菓」というのは、僕と妻の間での、ハルタのうん○の隠語である。なぜ、○んちを「銘菓」と呼ぶようになったのかというと、ハルタのそれの形が、なんとなく地方の高級なお菓子のお土産を連想させるからである。

 

さて、妻はハルタの「銘菓」が無臭だった原因について調べたそうだ。そして、無臭になったのは、最近食べさせているヨーグルトの効果であったことが判明した。

 

無臭の「銘菓」ができあがるのは、腸内善玉の乳酸菌がたくさんあることで、食べ物が綺麗に分解されている証拠であるらしい。すごいぞ、ヨーグルト。

 

 

 

自宅で書斎として使っている部屋の窓を開け、扇風機をつけ、本棚から芥川龍之介の文庫を引っ張りだした。たらたらと汗を流しながら、『芋粥』を読んだ。

 

羅生門・鼻・芋粥・偸盗 (岩波文庫)

羅生門・鼻・芋粥・偸盗 (岩波文庫)

 

 

時代は平安時代の元慶か仁和年間の頃。主人公の五位は摂政藤原基経の役所に勤務する、風采のあがらない40歳過ぎの小役人である。彼は才覚もなければ見た目も貧相で、日ごろ同僚からも馬鹿にされ、道で遊ぶ子供に罵られても笑ってごまかす、情けない日常を送っている。しかし、そんな彼にもある夢があった。それは芋粥を、いつか飽きるほど食べたいというものだった。

ある集まりの際にふとつぶやいた、その望みを耳にした藤原利仁が、「ならば私が、あきるほどご馳走しましょう。北陸の私の領地にお出でなされ」と申し出る。五位は戸惑いながらその申し出に応じ、彼に連れられて領地の敦賀に出向く。しかし、利仁の館で用意された、大鍋に一杯(匙で一杯ではなく大鍋一杯)の大量の芋粥を実際に目にして、五位はなぜか「食べ飽きた」として食欲が失せてしまうのであった。(wikipediaより引用)

 

この小説の最大の面白さは、なぜ五位は、夢であった大量の芋粥を目前にして、食欲を失ってしまったのかを考えることである。

 

やはり五位は、自分の心の支えとなっていたささやかな夢が簡単に成就してしまったことに虚無感を覚えたのではないだろうか。

 

どうもこう容易に「芋粥に飽かむ」事が、事実となって現れては、折角今まで、何年となく、辛抱して待っていたのが、如何にも骨折のように、見えてしまう。出来る事なら、何か突然故障が起って一旦、芋粥が飲めなくなってから、又、その故障がなくなって、今度は、やっとこれにありつけると云うような、そんな手続きに、万事を運ばせたい。

 

夢はそれを追う過程に意味があるのであり、自分にとって本当に大事な夢であれば、その夢への障害が大きければ大きいほど、その夢に夢中になる。その夢が何の苦労もなく、思いがけず叶ってしまったとしたら……。

 

五位は小説の最後で、大量の芋粥を目前にする以前の自分をなつかしく振り返っている。

 

それは、多くの侍たちに愚弄されている彼である。京童にさえ「なんじゃ、この鼻赤めが」と、罵しられている彼である。色のさめた水干に、指貫をつけて、飼い主のない尨犬のように、朱雀大路をうろついて歩く、憐れむ可き、孤独な彼である。しかし、同時に又、芋粥に飽きたいと云う欲望を、唯一人大事に守っていた、幸福な彼である。

 

五位は「芋粥に飽かむ」という夢があったからこそ、それが心の支えとなって、惨めな生活にも耐えられたのである。夢であった大量の芋粥を目前にした彼をはたから見た他者は「幸福」であるように思うだろうが、この瞬間、彼は大切にしてきた夢を突然、ほとんど暴力的に奪われ、「不幸な」人間へと転落してしまったのである。

 

 

 

僕が子供のころに飽きるほど食べたいと思っていたのは、フルーツゼリーであった。

 

嫌いな食べ物はたくさんあったが、やっぱりこういうデザートが子供なので大好きだった。食後デザートとして、よくフルーツゼリーがうちの食卓では出されたが、いつもなんでこんなちっぽけな量しか食べさせてもらえないのだろうと思っていた。

 

フルーツゼリーをお腹いっぱい食べたい。……その夢は案外すぐに叶った。

 

食べ放題のお店に家族で行ったのである。僕は『芋粥』の五位のように食欲が失せることなどなく、お腹がはち切れるんじゃないかと思えるほどフルーツゼリーを食べたのであった。

 

さて、今年の夏は異様に暑く感じ、食欲が減退し、ゼリーばかり食べています。うっ……、お腹が痛くなってきたぞ。