ゴロネ読書退屈日記

ゴロネ。読書ブログを目指している雑記ブログ。2人の息子とじゃれ合うことが趣味。

息子への料理と金髪の友人の話

1○

 

妻が第二子を妊娠した。

 

つわりの妻に代わって、1歳の息子・ハルタの離乳食づくりを請け負うこととなり、家にあった『離乳食新百科』を開いた。

 

 

先日の休日、食材をメモし、ハルタを抱いて徒歩でスーパーへと向かった。

 

とにかく暑い。ハルタの鼻の下には、玉の汗が浮かんだ。

 

スーパーへ向かう道の途中にある公園のそばを通ると、公園で女子中学生たちが水風船をはしゃぎながら投げ合っている様子が見えた。夏らしい、涼やかな心持になる風景である。

 

そういえば、自分も中学生の頃は、放課後によくクラスの仲間と公園で水風船を投げ合っていた。

 

僕たちの場合、見た目も清潔感はないし、ぎゃあぎゃあと騒ぐし、涼を感じさせる爽やかさは持ち合わせていなかったように思える。公園の近所の人たちも、さぞ迷惑したことだろう。

 

 

2●

 

金髪の転校生・Kがやってきたのは、中学3年生の4月のことであった。

 

Kは金髪な上に恰幅もよいので、僕たちは当初彼に恐怖を感じた。しかも、聞くところによると、彼が前にいた中学校は隣町にある、不良が大勢いることで有名な中学校であり、なお彼を恐れた。

 

ところが、彼と付き合ってみると、案外いいやつであった。口数は少なく、穏やかで優しい。すぐに僕たちと打ち解け、彼は僕らの遊び仲間に加わった。

 

僕らの放課後の遊びのひとつにゲーセン遊びがあり、Kもよく付き合ってくれた。Kはゲームが上手で、特に『頭文字D』のレースゲームはベテランであった。そのゲームの記録には、Kの名前が並んでいた。

 

彼がどんな人間であったかについて、もっと具体的なエピソードを記述したいところであるが……、僕はこのごろ、彼の外見と、それとギャップのある「穏やかで優しい」という抽象的な内面の印象以外のことをなかなか思い出すことができないのである。もっと覚えていたはずなんだけど。

 

 

3○

 

ハンバーグを作る予定であった。

 

ちゃんと『離乳食新百科』にしたがって、豚のひき肉、玉ねぎ、絹豆腐をスーパーで購入した。

 

帰りは徒歩ではなく、路線バスで帰ることにした。自宅近くのバス停まで、バスで行けば5分足らずなのであるが、歩くにはあまりにも暑い。

 

さらに、ハルタは地元の路線バスが大好きである。バスを見つけると、「バッ、バッ!」と言って、興奮してバスを指差す。

 

バスに乗っている間中、ずっとハルタはゴキゲンであった。

 

 

4●

 

Kが死んだのは、高校2年生の夏である。

 

朝、母が「この子、あんたの友達じゃない?」と言って、新聞の地域欄を見せてきた。交通事故の記事である。

 

そこにはKの名前があった。Kと僕は進路が別であり、中学卒業後はほとんど連絡を取り合っていなかった。

 

Kは新聞に名前が載る前日、原付に乗って、赤信号に構わず交差点に進入し、そのまま路線バスの下敷きになった。即死だったそうである。

 

僕は中学3年生のときに学級委員だったので、かつての仲間に一人一人連絡をし、一緒にKの通夜に行った。通夜の帰り道、「バカなやつだよな」と仲間の誰かがぽつりと言った(もしかしたら、僕が言ったのかもしれない)。

 

その時僕は、悲しいというより、不思議な気持ちだった。学校生活を共にし、放課後も一緒にいた遊び仲間が突然この世からいなくなってしまった。同じ時間を生きていたはずなのに、彼の時間だけ止まってしまった。

 

亡くなった彼も思っていたことだろう。赤信号を通過した先も、ずっとなんとなく自分の人生が続いていくだろうということを。

 

今でも中学の仲間とはたまに集まり、酒を飲む。彼らは大人になり、毎日を生きるのに必死なようで、その表情からは疲れがうかがえる。

 

思い出話の中にKは登場するにはするが、皆、段々と彼に関する記憶が曖昧になっている。

 

 

5○

 

ハルタが僕が作ったハンバーグを喜んで食べていて、ほっとした。はりきって作っても、嫌がって全く料理を口にしないこともある。

 

美味しそうに食べる様子を見て、自分も嬉しい気分になり、またこれからも頑張って料理しようという心持ちになった。

 

ハンバーグを口にしたハルタは笑顔になり、首を傾けた。こういう今しかない幸せな瞬間をいつまでも覚えていたい。これまで、忘れてはいけない大事なことを様々忘れてきてしまった気がする。

 

この子も、新しく生まれてくる命も、たくさん食べ、かけがえのない思い出を重ねながら、ただただ健やかに生きてもらいたいです。