ゴロネ読書退屈日記

ゴロネ。読書ブログを目指している雑記ブログ。2人の息子とじゃれ合うことが趣味。

トイレで『ソクラテスの弁明』

 

朝6時、トイレに閉じ込められた。

 

最近、うちのトイレの内側のドアノブが壊れ、外れている。

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こんな感じ。

 

トイレから出るときはトイレ内に置いてあるドアノブをドアにはめ、ガチャリと回すと出られる。この朝、用を足したあと、トイレ内にあるはずのドアノブを持とうとしたが、探せど探せどドアノブがなかった。あれがないとトイレから出られない。

 

まず冷静さを保とうと思った。ドアノブをはめる場所を指でガチャガチャやってみたが、当然ドアは開かない。ドアノブはトイレの外にあるのだ。スマホも持ってきていないので助けの電話はできない。……閉じ込められた。

 

この場合、トイレのドアを開けるには、外から開けてもらうしかない。ドアをドンドンと叩き、「お〜い、開けて〜」と妻を呼んだ。早朝からなんと情けない図であろうか。いい大人になって。

 

妻はまだ寝室で息子と一緒に寝ている。起きてくるのは7時頃。寝室からトイレまで少し距離がある。ドンドンと「お〜い」を五分くらい繰り返すが、妻はやってくる気配はない。

 

ドアを体当たりで突き破ろうか。しかし、ドアが壊れてしまったら、後で直すのも面倒である。

 

しょうがない。妻が起きてくるまで気長にトイレで待つか。僕は「やれやれ」と言って、便座に座った。(かっこ悪)

 

 

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こういうとき、トイレに本を置いていてよかったと思う(トイレに閉じ込められることなどめったにないが)。妻が起きてくるまで時間をつぶせる。

 

僕は最近購入した、角川選書の『ソクラテスの弁明』を手に取った。

 

シリーズ世界の思想 プラトン ソクラテスの弁明 (角川選書)

シリーズ世界の思想 プラトン ソクラテスの弁明 (角川選書)

 

 

今まで、分からないながらも何人かの西洋哲学者の著作をこつこつと読んできたが、ソクラテスの本を読んだのはこれが初めてである。ソクラテスの思想を学ぼうと思い立ったのは、今年の9月に出た新書『試験に出る哲学』(斎藤哲也)を読んだときである。

 

 

『試験に出る哲学』には、古代の哲学者ソクラテスをはじめ、西洋哲学史に名を刻む哲学者の思想がわかりやすく、コンパクトにまとめられている。この本の第一章のタイトルは「哲学は『無知の知』から始まった」である。この「無知の知」、つまり「知らないことを知らないと自覚すること」こそがソクラテスの思想の核だ。

 

先に「ソクラテスの本」と書いたが、ソクラテス自身は一冊も本を残していない。ソクラテスを描いたテキストは、主に弟子のプラトンによってまとめられている。

 

ソクラテスは、国家(アテナイ)の認める神々を認めず別の新しい神霊の類を導入する罪、そして、若者を堕落させた罪によって裁判にかけられ、死刑となる。どのような経緯でソクラテスは死刑になったのか、ソクラテスは裁判で何を語ったのかをプラトンがまとめたのが、『ソクラテスの弁明』である。

 

ソクラテスは、以前「ソクラテスよりも知恵のあるものは誰もいない」という神託を伝えられたことを、その裁判の途中で語る。彼は「一体、神は何をいおうとしているのか。一体、何の謎をかけているのか。私は大にも小にも知者ではないことを自覚しているからだ。」と神託に戸惑ったと続ける。彼は神託の謎を解くため、多くの人に知者と思われている人を訪ね、対話をし、あることに気づいたと話す。

 

私はその人よりも知恵がある。なぜなら、私たちのどちらも善美の事柄は何も知らない。だが、この人は知らないのに知っていると思っているが、私は事実たしかに知らないのだから知らないと思っている。だから、このちょっとしたことで、つまり知らないことは知らないと思っているという点で、私の方が知恵があるようだ。

 

「知らないことは知らない」と自覚できる者こそが本当の知者なのである。

 

自分自身が「知らないことは知らない」と簡単に認められないようになったのは、一体いつからであろうかと僕は思った。仕事や勉強によって、ある特定の分野に詳しくなっただけで、変な自信を持ってしまい、他人に無知と思われるのが嫌で、全く知らないことに対してまるで知っているかのような素振りを見せてしまうことは少なくない。

 

しかしながら、ソクラテスの思想からわかるように、自分の無知を認めることから出発し、他者や自身との問答を繰り返してでしか、本当の知は形成し得ないのである。

 

 

 

ソクラテスの、金銭や地位や評判を気にすることなく、「徳とは何であるか」「善とは何であるか」という本質にこだわり続ける姿勢にも心打たれた。ソクラテス好きかも。

 

哲学はすぐに何かの役に立つものでもないし、もしかすると一生役立たないものかもしれない(少なくとも哲学で、トイレから脱出することはできない)。しかし、哲学には役立つ役立たないを超えた魅力がある。哲学を学ぶことによって世界の見え方がちょっと変わる興奮は何にも代えがたい。

 

 

 

妻によってトイレから救出されたのは、トイレに閉じ込められてから20分が経過した頃であった。案外早く出られた。やっぱりシャバの空気はうまい。

 

妻があきれ顔をしていたので、僕は必死に弁明を行った。