ゴロネ読書退屈日記

ゴロネ。読書ブログを目指している雑記ブログ。2人の息子とじゃれ合うことが趣味。

部活動はつらいよの話

このブログで自分の仕事については書かないつもりだったのだけれど、下の記事を読んで、これは由々しき事態で他人事ではないという危機感を持ったので、自分自身の思いを書くことにした。あまりまとまりのない記事になると思いますが、ご容赦ください。

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僕は公立の中学校の教員である。まあ仕事はそれなりに忙しい。忙しさゆえに心を病み、休職してしまった先生を何人か目の当たりにしている。僕の場合は、生徒の成長に関わるのが好きなのと、なんでも「まあなんとかなるべ」と楽観的に捉えてしまう性格(これが時として大きな弱点にもなる)なので、いままで教員の仕事をかなり楽しんでやってこれたし、「辞めたい」などと思ったことは一度もない。学級経営も教材研究も事務仕事も他の先生方とチームになって助け合いながら課題を乗り越えることも強いやりがいを感じている。それでも、仕事の膨大な量にどっと疲れてしまうこともあるにはある。

できればこれは無くしてほしいという業務を1つあげるとすれば、それはやっぱり部活動である。部活動を大きな負担と僕が感じている主な理由は以下の3つである。

①部活動の指導に情熱が湧かない

②体力的・精神的に疲れ果ててしまう

③自分の家族との時間が大きく奪われる

 

①部活動の指導に情熱が湧かない

僕は元々、授業、つまり教科指導がしたくて教員を目指した。授業は趣味の延長であると考えていているので、教材研究はまったく苦ではなく、目の前の生徒のためにより授業が上手くなりたいという向上心もある。

が、部活動になると、授業のときに持っていたようなやる気がどういうわけか途端に消失する。指導に情熱が湧かないのである。もちろん部活動の指導は教員の業務(教育課程外で、賃金は雀の涙ほどだけど)の1つであるし、部活動の顧問を務めることの覚悟をもって教員になった。幸い、自分は高校生のときまでやっていたスポーツの顧問になった(専門外の部活を持たれた先生は本当に大変です)。しかし、自分がプレイすることと、人に教えることは全くの別物である。努力はしてきたつもりだが、どうしてもそのスポーツの技術を「教えたい!」という気持ちにならないのである。

部活動への情熱は乏しいが、勘違いしてほしくないのは、自分の部活動に所属している生徒のことは大切に思っているということである。そのことが部活動の顧問を務める(低いながらも)モチベーションを保つ唯一の要因となっている。部活動を頑張りたいという生徒のためには出切り限りのことをしてあげたいとは思っている。けれども、自分の気持ちにも「ここまではやりたくない」という限度がある。部活動の指導にやる気がない自分ではなく、もっと部活動に情熱を傾けられる先生が顧問になっていたら、生徒も幸せだったんだろうなあ。

 

②体力的・精神的に疲れ果ててしまう

 

僕の場合、平日は大体、朝の7時から夜の8時くらいまで働く(実質昼休みはない)。それで休日が部活動に消えてしまうと体が休まる暇がなく、ぐったりしてしまう。休日の部活動で部活動で疲れ果てて、もっとも疎かにはしてはいけない平日の勤務が体が怠くて集中できないこともたびたびある。

一時期、県内でも強豪のチームを持ったことがあったが、あのときの保護者は熱心で、「もっと練習させてください」という要望も強かったので、休日にはバンバン練習試合を組んでいた。年末なんて大晦日まで練習をした。新人戦大会の肝心な試合で負けてしまい、指導力不足を保護者に責められたこともあった。あれはへこんだなあ。結局、そのチームは、地域の外部指導者と協力して指導し、夏の最後の大会で保護者も納得の好成績を収めることができた。もし初戦で負けていたらと思うとぞっとする。

部活動の指導を熱心に行っている先生が「月曜がいちばん体力的にキツくて、金曜にやっと元気になる」というあまり笑えない冗談を言っていた。部活の休みが多すぎても批判されるが、部活をやりすぎても批判されることがある。例えば、先生の中には「ああいう風に部活ばかりやっている同僚がいると、私たちが保護者から『あの先生はあんなに熱心に部活を見てくれるのに!』と言われ、部活を休みにできなくなる」とか言う人もいる(それを言いたくなる気持ちは大いに分かる)。

 

③ 自分の家族との時間が大きく奪われる

 

独身のときはまだ良かったが、結婚して、息子ができてから、部活動に時間を奪われることが本当に苦痛である。家族と休日を過ごす時間がないのは辛い。幼い息子の成長は早く、今の瞬間の成長は、当たり前であるが、今の瞬間でしか見られない。息子にもっと関わり、信頼関係を作りたい。生徒のことも大事だが、やっぱり自分の子も大事である。

部活未亡人」という言葉もあるが、育休中の妻も、できれば僕に休日を休んでもらって、育児や家事を分担してもらい、羽を伸ばしたいと思っているだろう。

 

 

部活動でしかできない教育もあるし、実際自分も中高生のときに部活動から多くのことを学んだ。しかし、やっぱり部活動は教員にとって負担が大きすぎる。部活動による多忙で心を病んでしまっている先生も多くいる。それでも、職場で「部活動をもっと減らしましょう!」と声を大にして言うことはできない。なぜなら、部活動の指導にやりがいを感じている先生も少なくないからである。部活動の顧問になりたくて教師になった人もいる。そういう先生は昨今の部活動縮小の動きを嘆いてたりしている。しかし、部活動指導に熱心な先生を批判することはできない。事実上、部活動指導は教員の仕事であり、部活動の顧問を目指して部活動の顧問になり、熱心に指導をすることは何ら問題はない。むしろ僕はそういう先生を尊敬している。

ただ、繰り返すが、僕を含め、部活動指導を負担に感じている教員は多く、部活動のために体力的・精神的余裕を失っている。部活動さえなくなれば、より一層教材研究などの研鑽に時間が割け、教育の質も上がるはずである。

この状況を変えるには、教員の働き方の大胆な改革が必要である。部活動の指導や引率の時間への賃金を上げる政策など愚の骨頂だ。お金が欲しいのではなく、休める時間が欲しいのである。

部活動における大胆な改革とは、教員の業務から部活動を切り離すことである。部活動が担っていた役割は、地域のクラブチームや教室に全部任せる。それしか教員の負担を減らす方法はないし、それを進めていくべきである。

部活動やそれ以外の業務の働き方改革が進み、心の病で休職してしまう先生たちが一人でも減ることを願うばかりである。