ゴロネ読書退屈日記

ゴロネ。読書ブログを目指している雑記ブログ。2人の息子とじゃれ合うことが趣味。

2019年上半期に読んだ、心に残る10冊の本

今週のお題「2019年上半期」

 

今年の上半期は、インフルエンザになったり、次男が生れたり、牛乳パックで椅子を作成したり、元号が変わって気持ちを新たにしたり、家族でピクニックに行ったり、財布をなくしたりと様々なことがあったが、おおむね充実した毎日だった。仕事も忙しく、読書の時間がなかなか確保できなかったが、数分でも必ず毎日読書をするようにしていた。

 

2019年上半期に読んだ本の中から、心に残った本を10冊紹介します。

 

 

『舞踏会・蜜柑』(芥川龍之介

舞踏会・蜜柑 (角川文庫)舞踏会・蜜柑 (角川文庫)

 

2月にインフルエンザになったとき、出勤停止となり、妊婦の妻と幼い長男に菌をうつさないために5日間自室に引きこもっていた(結局家族全員にうつしてしまった)。引きこもっているとき、どういうわけか芥川が読みたくなり、何冊か文庫本を読んだ。『舞踏会・蜜柑』はその内の一冊。

『舞踏会』は、三島由紀夫が「青春の只中に自然に洩れる死の溜息のよう」と評したそうだ。三島の評は意味がいまいちつかみかねるが、この小説の輝きとそのはかなさは酔いを覚えるような感覚であり、若く美しい令嬢とフランスの海軍将校の優美な交流の情景がありありと浮かんでくる。

この本の中でもっとも僕が好きな一編は『魔術』。平凡な男である「私」が、インド人の魔術の大家マティラム・ミスラに「欲を捨てる」ことを条件に魔術を教わる……というお話。力と欲望という切っても切れない強い結びつきについて考えさせられる。

Youtubeで『魔術』のアニメを見つけた。1978年から1979年に放送されていたテレビアニメ「まんがこどの文庫」シリーズのひとつである。絵のタッチが不気味で物語にマッチしているし、10分ほどに短くまとまっているので非常にいい。

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『野火』(大岡昇平

野火(のび) (新潮文庫)野火(のび) (新潮文庫)

 

頭をガツンと鈍器で殴られたような強い衝撃を受けた。舞台は太平洋戦争のフィリピン戦線。わずか数本の芋を渡されて本隊を追放された田村一等兵が主人公。

戦場で極度の飢えに陥った田村は、狂う。彼は自分を含めた人間の身勝手で愚かな振る舞いに強い憤りを感じる。そして思考は飛躍する。彼は自身を神の代行者、つまり「天使」であると自覚するのである。そして、その倒錯した使命感から、人肉を食する獣に堕ちてしまった同胞を殺害してしまう。

自身の選択で獣に堕ちるくらいなら、狂ったほうがましであると思う。強い欲望から人間として決して許されない行為に足を踏み入れそうになったとき、自身を抑制する部分が自身の中から立ち現われてくれるであろうか。僕には自信がない。……戦争が怖くて怖くて堪らない。

 

 

『螺旋の手術室』(知念実希人

螺旋の手術室 (新潮文庫)螺旋の手術室 (新潮文庫)

 

医療ミステリ好きの先輩が職場にいて、その人に「これを読もう」と勧められたので、借りた。フィクションの世界では病院でよく殺人事件が起きるけど、それは医療と生死がとても近いところにあるからかしらん。 

『螺旋の手術』のストーリーテーリングの巧みさには舌を巻いた。主人公のまっすぐさや、彼を取り巻く家族の心の機微が非常にリアルに感じられたのである。同時に、一つひとつ手がかりが明らかになりながらも、より謎が深まっていく展開には、非常にドキドキさせられた。とにかく先の展開が知りたくてたまらなくなり、時間も忘れ、ページを繰った。眠けも吹き飛ばす面白さ。

 

 

『POWER』(ナオミ・オルダーマン)

パワーパワー

 

物語は、数人の特別な少女たちが突然変異で特別なパワーを持ち始めるところから始まる。その「パワー」とは……電撃である。

女性の鎖骨部分にスケインという新たな臓器が発達し、そこから発電して、相手を感電させることができる。このパワーを扱える女性はどんどんと増え、男性優位社会に反逆を起こす。男女の力関係が逆転し始めるのである。

女性による革命が起こり、時代が移り変わる中で、男性は性的に陵辱されたり、次々と殺されたりする。生物の肉体は電気信号で動いている。スケインを持った女性は、男性が性交を拒否しても、電撃で強制的に勃起させ、レイプすることができる。とある地域では、男性は性奴隷として扱われている。その地域を支配する女性からは男性を間引きする案が出るようになる。男性は「抵抗」などできるはずもないだろう。抵抗すれば、電撃によって激痛を与えられたり、焼き殺されたりするのだから。

男性である自分にとっては、本書を読んで大きな恐怖感を抱かずにはいられなかった。しかし、この恐怖はまさしく現実の社会で女性が抱いているそれであるのだ。

 

 

『なぜ世界は存在しないのか』(マルクス・ガブリエル)

なぜ世界は存在しないのか (講談社選書メチエ)なぜ世界は存在しないのか (講談社選書メチエ)

 

ガブリエルが本書で主張するのは、「新しい実在論」である。「新しい実在論」はこれまでの形而上学構築主義といった認識論と存在論を刷新する考え方である。「新しい実在論」は、「わたしたちは物および事実それ自体を認識することができる」ということと「物および事実それ自体は唯一の対象領域(→意味の場)にだけ属するわけではない」ということのテーゼからなる主張である。

前者のテーゼも面白いが、特に後者のそれに僕は面白さを感じた。物や事実などの存在は、無限の意味の場に現れることができる。ガブリエルは、わたしたちが認識する物事は、どれも一面の意味に過ぎない、しかし、意味は尽きることはなく、見方によって多様な意味に出会える可能性があると言う。想像力(創造力)を使って捉え方を変えることによって、物や事実の新しい認識が発見できると考えると、大きな自由を感じるし、生きることが楽しく思えてくる。

 

 

『アナログの逆襲:「ポストデジタル経済」へ、ビジネスや発想はこう変わる』(デイビット・サックス)

アナログの逆襲: 「ポストデジタル経済」へ、ビジネスや発想はこう変わるアナログの逆襲: 「ポストデジタル経済」へ、ビジネスや発想はこう変わる

 

本書では、デジタル技術が日進月歩の勢いで発展している現代で、アナログなモノや発想が、世界で再評価されている要因を徹底した取材に基づき読み解いている。レコード、紙、フイルム、ボードゲーム……アナログ好きであり、アナログの力を信じる僕は、本書の目次を読んだだけでもワクワクせずにはいられなかった。

第2章「 紙の逆襲」では、僕もファンであるブランドノート「モレスキン」の成功と、フィジカルな「モノ」の代表である紙の強みについて書かれている。「ママ・モレスキン」と呼ばれるモレスキン社の中心人物であるマリア・セブレゴンディは感覚に重点に置くメソッドについて次のように語る。「過去三〇年間で、デジタルの夢は現実になった。でも、それが素晴らしいことだけじゃないと私たちは気がついた。人間には、フィジカルなモノと経験が不可欠なの」

近頃、読んだ本のタイトルや内容が思い出せないことが多い。音楽の場合もそうだ。音楽を聴いても、一度覚えたはずのタイトルやアーティスト名がなかなか出てこないのである。

もしかしたら、記憶に残らないのは、その作品との出会いに「物語」がないからではないかと僕は疑っている(単純に脳が老化してるだけなのかもしれないが)。働くようになってから店舗に探しに行くのが面倒で、気になった商品はすぐAmazonでポチっとしてしまう。で、数日で家に届く。今すぐ読みたい本は電子書籍で読めるし、大体の音楽はyoutubeで聴ける。

作品と出会うまでに間が空かないし、出会うのも容易になってしまったのである。つまり出会いまでの物語が発生しない。それゆえ、その作品に対する思い入れがそれほど生まれず、記憶に残りづらいのではないかと僕は推測しているのである。

本書を読んで、何かを買うときはなるべく実店舗に足を運ぼうという決意をした(実店舗での偶然的な出会いにも期待している)。そして、本当に大切にしたいものは、デジタルではなく、アナログで所有しようと思ったのであった。

 

 

『使える!「国語」の考え方』(橋本陽介)

使える!「国語」の考え方 (ちくま新書)使える!「国語」の考え方 (ちくま新書)

 

第一章「現代文の授業から何を学んだのか」では、多くの人が学校の国語に対する抱くモヤモヤが上手に整理されている。国語の授業への不満の一つとして挙げられるのは、教師による小説文の「解釈の押し付けがいやだ」というものである。筆者は続く章で、このような不満が起きる要因として、教師の指導法は別として、教科書に載る小説文が「解釈のブレが起きにくい」作品ばかりあるということを一因として挙げている。

第三章「教科書にのる名作にツッコミを入れる」では、高校国語の定番、芥川龍之介の『羅生門』を例として挙げ、「主題が明瞭すぎないか」と疑問を投げかけている。登場人物の心理がはっきり描かれすぎていたり、「老婆」がテーマを説明し過ぎたりしている。解釈のブレが少ない作品では、どうしても読み手の自由な読みの幅が狭まってしまうのである。

筆者は国語の授業での小説文の読み方の一つとして、「物語論」という読み方を提示している。物語論は、その小説がどのようにできあがっているかという構造を分析する読みの技術である。こういった技術を授業の中で学んでいけば、多様な物語を読み味わうことのできる汎用的な力にきっとつながっていくのではないだろうか。

こういった筆者による小説文の授業の考え方に加え、「論理的」とは何かだとか、理解しやすい文章のセオリーだとか、情報の整理の仕方だとか、リテラシーの身に着け方だとかが分かりやすく整理されて書かれていて、非常に勉強になったのであった。

 

 

社会学史』(大澤真幸

社会学史 (講談社現代新書)社会学史 (講談社現代新書)

 

大学時代に社会学部に在籍していた僕は「社会学史」の授業を履修していたが、あの頃は映画と女の子のことで頭がいっぱいであったので、勉強ことなどほぼ記憶にない。しかしながら、今更ながら社会学を体系的に学びたいという気持ちがにわかに盛り上がっており、ファンである大澤真幸先生のこの最新刊を手にした。自分にとっては丁度いい難しさであり、社会学史の事実を並べるだけでなく、そこに著者独自の解釈を交えていて、知的好奇心を刺激される。

この『社会学史』には、デュルケームジンメルヴェーバーパーソンズルーマンフーコーなど様々な社会学者が登場する。本書ではフロイト社会学者のひとりに加えている。突飛な論に思える、「エディプス・コンプレックス」や「去勢コンプレックス」を、社会秩序の可能性について問う社会学にとって、非常に重要な仮説であると位置づけているのが面白い。屈折しているように見えるフロイトの人間観がいかに道徳や規範が生まれてくるメカニズムと深く結びついているかの明快な解説が読みどころ。

「人間世界に対する冷静な観察者でありながら、同時に人を愛することがいかにして可能か」という筆者の言葉に心打たれた。本書を読み進めると、こういった著者の社会学に対する真摯な態度と愛がひしひしと伝わってくる。社会学に興味を持つ取っ掛かりの手引きとして、本書は非常にオススメだと思う。

 

 

 社会学用語図鑑ー人物と用語でたどる社会学の全体像』(田中正人、香月孝史)

社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像

社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像

 

 本書は同じプレジデント社の『哲学用語図鑑』と『続・哲学用語図鑑』の続編である。

 かわいらしい図解で、社会学に関わる人物と用語を体系的にわかりやすく解説している。上の『社会学史』とセットで読んだので理解が、社会学に再入門できた。これを読んだのをきっかけに現在、社会学者の大家マックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』と格闘中。

 

 

『未来を生きるスキル』(鈴木謙介

未来を生きるスキル (角川新書)未来を生きるスキル (角川新書)

 

筆者の鈴木謙介は、僕のお気に入りのラジオ番組「文化系トークラジオLife」(TBSラジオ)のメインパーソナリティである。番組内では「チャーリー」と呼ばれている。ラジオでの軽妙な語り口は親しみやすく、先日(6月23日放送)の「ポスト『熱狂』の組織論」での語りも面白かった。

『未来を生きるスキル』は語り下ろしということもあり、非常にわかりやすく、ラジオでのチャーリーの語りを聞くように、すらすらと読めてしまう。チャーリーの素敵なところは、どんなに現代の社会状況が絶望的に見えようとも、調査やデータを踏まえて、愛を持った考察で、未来に希望を見出そうとする姿勢があるところである。『未来を生きるスキル』でも、そんな希望の話が様々語られている。

本書では、未来を生きる上での求められる重要な力として、「協働」という言葉を挙げている。(そういえば、現在の学習指導要領でも「協働」は大事なキーワードだ)

「協働」する組織として僕がすぐに思いついたのは、映画『シン・ゴジラ』での「巨大不明生物特設災害対策本部」である。ああいう緊急事態ではないと、絶対にチームになることなどだいだろう価値観がバラバラな人たちが、自分たちの能力を持ち寄って課題の解決に向かっていく姿は非常に面白いし、そういう組織にいる人は充実感を持っているように思える。チームスポーツを学生時代やっていた自分はそんな「協働」できる組織に非常に憧れがあるし、社会生活の中で「協働」のスキルの大切さを感じている。

本書では、この「協働」というキーワードを中心に、仕事のこと、お金のこと、教育のこと、コミュニティのことなどについて、社会学的な見地から希望が語られている。これからの未来をよりよく生きる上でのヒントがたくさん詰まっていて、とても勉強になる一冊であった。

 

 

 

2019年下半期も、読書生活をエンジョイしたいです!