ゴロネ読書退屈日記

ゴロネ。読書ブログを目指している雑記ブログ。2人の息子とじゃれ合うことが趣味。

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』、たまらなく好き。

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ロマンティックな映画でもあったなあ。クエンティン・タランティーノの、あの頃のハリウッド、そしてシャロン・テートへの深い愛を感じずにはいられなかった。

 

マーゴット・ロビー演じるシャロンが、自分の出演している映画を映画館にふらりと見に行くシーンは最高だった。シャロンは観客と一緒になって映画を観て、観客たちの反応を楽しむ。彼女の若々しい素足は、無邪気に前方の席に投げ出されいる(足の裏側を正面から撮るタランティーノ! 彼のこれまでの作品を観れば分かるが、彼は狂気が感じられるほどの足フェチなのだ)。

 

そんな天真爛漫なシャロンを見る僕たちは、思わずニコリとしてしまい、幸せな気持ちになってしまう。僕たちは、彼女のこの後の悲劇を知っている。彼女の生は短い。だからこそシャロンの幸福は、より一層、輝いて見える。儚さは、美しい。

 

タランティーノシャロンについて、ずいぶんリサーチをしたと『ユリイカ』の9月号のインタビューにあった。

 

いろいろ書かれたものを読んだし、彼女の妹に会ってたくさんのことを話してもらった。実際、どんな証言の中でも「彼女は天使みたいだった」とみんなが語っているんだよ。俺は映画の中のシャロンっていうキャラクターにすごくハッピーを感じてる。

 

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「彼女は天使みたいだった」ー。映画に描かれたシャロンも本当に天使のようだったよね。タランティーノは、取材を重ねる内にシャロンを自分の映画の中だけでも救いたいという思いを強くしたんじゃないかな。

 

 

 

映画には、今ではマイナーになってしまった多くの固有名詞が登場した。シャロン・テートロマン・ポランスキー、『ローズマリーの赤ちゃん』、マンソン・ファミリー、ブルース・リースティーブ・マックイーン、『大脱走』、マカロニ・ウエスタン、デニス・ホッパー……。そして映画はその固有名詞を大いに活用していた。

 

固有名詞が多いことで、鑑賞に知識が要求されることは、現代では何ら作品を批判する理由にならない。観客は鑑賞前後に手に持っているスマホで検索をすれば済む話だ。例えば、「シャロン・テート」を検索すると次のように出てくる。

 

シャロン・マリー・テート(Sharon Marie Tate、1943年1月24日 - 1969年8月9日)は、アメリカ合衆国の女優。テキサス州ダラス出身。妊娠中に狂信的なカルト信者らに刺され、26歳で母子ともに亡くなった。(Wikipediaより) 

 

ネット時代では、固有名詞は作品の消費者を限定させるものではなくなり、逆に消費者の検索欲を刺激し、作品を楽しむためのハードルを下げた。ソーシャル・メディアがプラットフォームのなった現代の状況をタランティーノは完璧に理解していて、それを上手に物語に織り込んだ。観客それぞれが固有名詞にアクセスすることで、一層この映画が面白くなり、ラストには最高のカタルシスを得ることができる。

 

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』は、これまでの作品でパロディーを重ね、洗練させてきた、タランティーノ映画の最高峰と言えるだろう。

 

 

 

人は他人に見られたくないという欲望と見られたいという欲望を同時に持ち合わせている。だからこそ、ネット時代ではこんなにも多くの人達が素の自分を覆い隠しながらキャラを演じ分け、せっせとブログを書いたり、SNSに投稿したりしている。その見られたくない欲望と見られたい欲望を肥大化させ、呪縛されているのが俳優という職業ではないか。

 

若いシャロンはまだ見られることの喜びしか知らないが、レオナルド・デカプリオ演じる落ち目の俳優、リック・ダルトンは、その眼差しに苦しんでいる。彼は精神不安定で、よく泣く。主役から悪役に転じてしまった情けない自分を見られること、そして、将来的には自分は誰の関心も得られなくなってしまうのではないかという不安に押しつぶされそうになっている。その不安がさらにアルコールへの依存を加速させる。

 

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デカプリオって本当、いい俳優になったよなあ。彼の表情の豊かさ、一挙手一投足のうまさには溜息が出るほどだった。セリフを忘れてしまった自分に激昂するシーンはたまらなかったよね。あのシーン、DVD買ったら、絶対繰り返し再生すると思う。

 

リックと西部劇に共演する少女の登場は、絶妙である。脚本がいい。あの少女が登場するとしないとでは、リックの物語の深みがまったく違うものとなっただろう。彼女の存在が彼を絶望させ、奮起させるきっかけとなる。

 

最初は「イタ公の映画なんてクソだ!」 と泣きながら言っていたリックだが、プライドを捨て、マカロニ・ウエスタンに出演することを決めたのも、彼女の存在が遠因であったとも読み取れるだろう。

 

 

 

そして、ブラット・ピットの格好良さには、誰もが痺れたんじゃないかなあ。ブラット・ピット演じるクリフ・ブースの格好良さは、リックと違い、他者の眼差しをまったく気にせず、素の自分のまま自由に生きているところにあると思う(俳優の影の存在であるスタントマンという彼の職業と、彼の生き方は非常にマッチしている)。ネット時代となり、総表現者社会になったとも言える現代で、他者の眼差しを気にしすぎて疲れ果てている僕らは、彼に魅力を感じずにはいられない。

 

ブラット・ピットは何をしても様になっていた(55歳とは思えない!)。ヒッピーの女性たちの視線と悪態に晒されながらも、その前を悠々と歩いていくときの格好よさといったら! 『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』のレビューに、「物語がない」というコメントが何件かあったが、どこを見てたんだと言いたくなる。あのクリフの歩き様だけでも、濃厚で、多くのことが物語られていたじゃないか。

 

リックの心を慰め、(図らずも)シャロンを救うのは、他者の眼差しの呪縛とは無関係のところにいる唯一の人物であるクリフでしかあり得なかったのである。

 

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まあ、総合して何が言いたかったのかと言いますと、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』は最高の映画だったということです。この記事で触れたこと以外でも、楽しめるポイントが数多くありました。僕の近くの席で、シャロンのマネをして、前の空席の上に裸足を乗せている女の人がいましたが、それが気にならなくなるほど、夢中になって観ることができました。