ゴロネ読書退屈日記

ゴロネ。読書ブログを目指している雑記ブログ。2人の息子とじゃれ合うことが趣味。

『スターウォーズ スカイウォーカーの夜明け』の話ー「スカイウォーカー」の名を受け継ぐ必然について

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スターウォーズ スカイウォーカーの夜明け』を映画館で見た。

 

スターウォーズ』新シリーズの、エピソード7『フォースの覚醒』、エピソード8『最後のジェダイ』があまりに期待外れな出来だったので、それほど期待せずに、シリーズ最終作である今作、エピソード9『スカイウォーカーの夜明け』に臨んだ。……この映画は!予想を遥かに上回る!

 

……退屈な映画であった!!

 

僕は今作の退屈さに哀しいやら悔しいやらで鑑賞中に涙をポロポロとこぼし、手に持つキャラメルポップコーンは塩味へと変わってしまった。退屈に感じたのは自分だけかなと不安になり、僕と同じくスターウォーズファンである弟に「今作を見てどう思った?」とLINEすると、10秒後に一言「うんこ」と返信が来た。今作の様々なレビューを読んでみても、やはり作品に対する批判が噴出している。

 

……しかし、僕はそれでも『スターウォーズ』シリーズが好きだ!どんなに出来の悪い子であっても、守ってあげたいし、愛してあげたい。そこで僕は作品の内容を細部まで思い出すことに努め、今作の良かった点を洗い出し、自身のブログの記事になんとか落とし込んでみようと決意するに至った。

 

2(ここからはネタバレを含みます

 

今作の良かった点の1つは、民衆の力でファースト・オーダーとシスを打倒した点である。

 

そもそも恐怖によって支配されている組織が、信頼によって連帯する組織に敵うはずがない。ファシズムの隆盛が決して長続きしないことは、我々の歴史が証明している。

 

威厳と余裕を兼ね備えた老翁になったランドは「前の戦争は絆の力で勝利した」と快活な笑顔で語る。まさしく「絆の力」こそ「民衆の力」である。民衆は相手が信頼の置ける相手だと分かれば、ポーやフィンや、そしてハン・ソロなど無法者、素性の知れない者でもたやすく連帯する。

 

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連帯した民衆は正義と悪、光と闇をバランスよく携えている存在である。彼らはシスをも打倒する力を潜在させている。いや、シスは民衆の力でしか抑え込むことはできない。

 

ジェダイでは決してシスを倒すことはできないのである。逆も然り。光のジェダイと闇のシス、お互いはお互いがいるからこそ存在する理由がある。『最後のジェダイ』の記事でも指摘したが、 光は闇がなくては、闇は光がなくては存在できないのである。

 

gorone89.hatenablog.com

 

 

フォースを習得しようとする者は、光のフォースを「選択すること」、闇のフォースを「身を委ねる」ことで得られると僕は考える。

 

光のフォースに関するワードは以下のようなワードではないか。

理想、自立、非日常、ハレ、時間、線、物語、能動

 

そして、闇のフォースに関するワードは以下。

現実、依存、日常、ケ、空間、円、風景、受動

 

上のワードから分かるように、人の生はどちらかに振りすぎてはならない。フォースを扱う者は、バランスバランスと言いながらも、このことに無自覚すぎるのだ。

 

ジェダイの最大の弱点は、高貴な理想ゆえの悪や心の弱さを持つ者への徹底的な不寛容である。これでは敵を増やすばかりである。民衆の方がまだ、寛容さと柔軟性を持ち合わせている。

 

ジェダイはシスを打ち倒すことばかりを考ていて、決して彼らを救おうとはしない。このジェダイの姿勢では、フォースの世界にバランスをもたらすことは不可能なのである。したがって今作で、ジェダイではなく、民衆の力で今回の戦争に勝利したことに、僕は非常な満足感を得たのであった。

 

 

 

いや、旧三部作でルーク・スカイウォーカージェダイでありながら、シスを壊滅させ、宇宙を救ったではないかと思われるかもしれないが、ルークは真のジェダイではない。

 

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これも『最後のジェダイ』の記事で指摘したように、彼はジェダイとしては未熟者、半端者である。最後までダークサイドを心身から追い出すことはできなかった。

 

ところが、彼はダークサイドに飲み込まれることもなかった。なぜなら、彼には友人や師との固い絆があったからである。絆によって光と闇のフォースをコントロールする力を与えられた彼は、父であるダース・ベイダーのライトサイドを引き出し、宇宙を救い、フォースにバランスをもたらしたのである。ジェダイの未熟者ゆえの偉業である。

 

今シリーズの主人公、レイ・パルパティーンも、ルークと同様ジェダイの未熟者ゆえに、フォースにバランスをもたらした。今作でレイは、シスの皇帝パルパティーンの孫だと明かされる。前作まで普通の人間だと思わされていたので、レイのフォースの強さの理由は結局血かよ!と憤った人もいるかもしれない。

 

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しかし、ルークと同じように、レイもあくまで我々民衆側の人間である。ジェダイでもないがシスでもない。光と闇の側面を兼ね備えた、普通の人間として描かれていた。

 

その根拠に、レイが闇に堕ちてしまったカイロ・レンに何度も救いの手を差し伸べたことがあげられる。ジェダイはダークサイドに溺れてしまった人間に多分こんなことはしない。パルパティーンと血のつながりがあることが、逆に血なんて関係ないという強調にもなっていた。

 

スターウォーズ』の世界を救うには、ダークサイドの力を無理に追い出すのではなく、絆の力でそれをコントロールすることが必要である。レイにはそれをすることができた。

 

物語の終盤、皇帝パルパティーンは自分を、孫であるレイを煽って殺させようとする。怒りと憎しみをもって自分を殺せば、パルパティーンの名と力を受け継いだレイは、次の皇帝に自然に君臨するという謎理論である。レイは皇帝のその計らいを拒絶する。

 

ところが、その後なんやかんやあって、結局レイは、ルークとレイアの二本のライトセイバーパルパティーンを殺すのである。「結局殺すんかい!!」という観客たちの総ツッコミが劇場で聞こえた気がした(僕も突っ込んだ)。僕はカイロ・レンことベン・ソロが自己の命を犠牲に皇帝を倒すのかと予想していたが、裏切られた。

 

しかし、よくよく考え、僕は今、この展開を肯定するに至った。なぜなら、レイは最終的に皇帝を怒りや憎しみによって殺したわけではない。レイは仲間のため、そして、ダークサイドの面が強くなってきたフォースの世界にバランスをもたらす目的のため、皇帝を滅ぼしたのだ。そう考えれば納得できる。納得できるでしょ?

 

 

 

ラストのタトゥーインの場面は素晴らしかったと思う。

 

ちぐはぐだった今シリーズを無理矢理にまとめるための取ってつけたようなシーンだと思われるかもしれないが、この場面があったことで、今シリーズな辛うじて救われた。宇宙を救ったレイは、旧スカイウォーカー宅の前で、ルークとレイアのライトセイバーを埋める。そこで通りかかった老女に名を聞かれ、「レイ・スカイウォーカー」と答えるのであった。

 

「スカイウォーカー」はいつでもフォースにバランスを与えてきた。ダース・ベイダーことアナキン・スカイウォーカーは、息子のルークと一緒にシスを滅ぼし、宇宙に平安をもたらした(見方を変えれば、若きアナキンが『シスの復讐』でジェダイの子供達を皆殺しにしたのは、ジェダイが台頭し、ライトサイドの強すぎているフォースの世界にバランスをもたらすためかもしれない)。フォースの世界にバランスをもたらしたのがたまたま「スカイウォーカー」だったのではなく、「スカイウォーカー」という名がフォースにバランスを与える宿命を担っているのである。そう考えると、レイがスカイウォーカーを名乗るのは必然である。

 

スターウォーズ」は一貫して、宇宙を救う者の物語、すなわち「スカイウォーカーの物語」なのだということが、今作ではっきりと明示された。レイが自分の役割を自覚し、スカイウォーカーを名乗ったとき、『ジェダイの帰還』でアナキンからルークにバトンが手渡されたように、ルークからレイへとバトンは手渡された。

 

映画は新たなる伝説が始まる予感を残し、幕を閉じた。日は沈むが、必ずまた昇ってくる。血が途絶えてしまっても、スカイウォーカーの物語は今後も連綿と続くことを示唆する、まさしく『スカイウォーカーの夜明け』の名にふさわしい映画であった。

 

 

どうだったであろうか? なんとか『スカイウォーカーの夜明け』を肯定してみた。

 

え?レイとベンが「対のフォース」を持っているっていう設定はどういうことかって?

 

……あれだけはわからん。