『宮沢賢治童話全集』を聴いている
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昨年11月から利用している、オーディオブックのプラットフォームである「Audible」にゾッコンである。
オーディオブックなぞすぐに飽きるかと思っていて、お試しに始めたのであるが、まんまとハマってしまった。僕の車通勤生活と非常にマッチしている。特に頭が空っぽの状態になっている朝に聴くのがいい。内容が頭の中に水が流れ込むように入ってくる。
紙の本の場合、書かれている文字を認識する。➡︎認識した文字を音声に変換する。➡︎内容を理解する。っていう段階を自然踏んでると思うのだが、オーディオブックの場合最初の文字を認識する段階をすっ飛ばすから、効率よく内容が頭に入ってくるのだ(読書に効率を求めるのどうかと思うが)。漢語が頭の中で漢字に変換できないことがある、考え事が多いとき集中力が続かないことがある、Audibleの書籍のラインナップがまだ少ないなど問題は多々あるものの、かなり気に入っているので、しばらくは聴き続けるだろう。
今聴いているのは、『宮沢賢治童話全集』である。
河原の礫は、みんなすきとほって、たしかに水晶や黄玉や、またくしゃくしゃの皺曲をあらはしたのや、また稜から霧のやうな青白い光を出す鋼玉やらでした。
いつまでも自分たちが食べる側ではなく、食べられる側だと気づかない主人公の2人の男に当時の僕は「早く気づけよ」と苛立っていた気がする。が、大人になって再び物語世界に入ると、僕は彼らに同情せずにはいられなかった。
「まさかこんなことが起こるはずないだろう」という固定観念や思い込みが邪魔をして、非常な状況にとっさに対応できない。こういうことはよくある。僕は歳を重ねるほど状況の変化に対応する柔軟性を失っている気がする。そして、いつのまにか捕食される人間になっているのだ。
賢治の童話の中でおそらく最も有名であろう『銀河鉄道の夜』は中学校の朝読の時間に読んだ。家の本棚にある少ない本から適当にこれを選んで、学校に持って行っていた。
正直あの頃は、読んでいてとても退屈に感じた。そもそも読書自体が嫌いだったので、朝読の時間は苦痛でしかなかった。『銀河鉄道の夜』は遅々として進まず、僕は朝読の時間、机に落書きをしたり、登校中に酎ハイを飲んだ友人の赤くなった顔を眺めたりしていた。
で、今になって『銀河鉄道の夜』を読むと(実際には聴いた)、ひどく感動してしまった。上の川岸の石についての一節もそうだが、描写や文体がいちいち美しい。カムパネルラの死を前にした、優しいジョパンニの心中を想像すると、胸が締めつけられような思いにもなったのであった。
子供の頃と比べ、こういうのに感動できるようになったのは、単純に読解力が向上したのと、他者へ共感する心が自分の中でも一応育まれたってことかしらん。
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宮沢賢治の天才的で独創性あふれる多彩な童話は、大人になった今だからこそ読むべきものかもしれません。子供の頃には得られなかった良い教訓も、物語から得られるはずです。