ゴロネ読書退屈日記

ゴロネ(平成元年生まれ)。読書ブログを目指している雑記ブログ。2人の息子とじゃれ合うことが趣味。

王はメロスの鏡像であるという話ー『走れメロス』再々読のすすめ

 

中学生と『走れメロス』を学ぶ季節がやってきた。2,3年に一度のペースで、このお仕事がやってくる。

 

僕はこの時期、自身のやる気を高ぶらせるため、太宰治の小説を手に取るようにしている。今年は、『お伽草子』を読んだ。

 

お伽草紙・新釈諸国噺 (岩波文庫)

お伽草紙・新釈諸国噺 (岩波文庫)

 

 

ムカシ ムカシノオ話ヨ

 

さらに、カラオケに一人で行き、『走れメロス』の朗読の練習をした(家でやると家族に迷惑だからね)。これは燃える。短文の連続、語句の反復、漢語の活用、助詞の省略などにより、リズム感と引き締まった響きがある。朗読が非常に心地よい。

 

今まで幾度も読んだ小説であるが、メロスが身体の疲労による諦めから復活し、親友セリヌンティウスの待つ刑場に疾走する場面では胸が熱くなり、ついマイクを強く握りしめ、声を張り上げ朗読してしまった。

 

「メロスは……!今は…!ほとんど全裸体であった……!!」

 

 

今年は生徒に、メロスとディオニス王のプロフィールを作らせてみた。プロフィールには、職業、人間関係、性格とその性格が分かるエピソードなどを記す。

 

プロフィールを並べると分かりやすいが、メロスと王のキャラクターは対照的である。メロスは「他人を信じる」男であり、友人や妹や村人たちとの温かく強い絆があるのに対し、王は「他人を疑う」男であり、孤独である。王は自分の親類を皆殺しにしてしまった。乱心していたわけではない。「疑うのが、正当な心構えだ」と固く信じ、殺してしまうのだ。

 

僕はなんとなしに「王ってメロスが見る鏡に映る像のようだね」と言ったが、自分で口にした「メロスと王は鏡の関係」という考えを、自分で気に入ってしまった。鏡に映った像は、左右反転する。しかし、見かけは反転しても、本質、魂といったものまでも反転してしまうだろうか?

 

生徒の一人が「王は『平和を望んでいる』と言っているから、本当は悪い人ではない」と発言した。そうだ、メロスと王は「平和を望んでいる」という本質のところでは共通している。ただ、平和を実現するための手段が反転しているのである。

 

メロスは人を最後まで信じ切ることで、周囲との信頼関係を築き、自身のコミュニティの平和を保っている。王は、逆説的ではあるが、平和を望んでいるがゆえに、人を疑っているのである。

 

王には、私欲を持った人間に大きく裏切られたトラウマがあるのだろう。王は「人間は、もともと私欲のかたまり」と決めつけ、周囲のすべての人間に疑いの目を向ける。疑いの目を向けて人に接すれば、その人間が疑わしく思えてくるのは当然だろう。

 

私欲を持つ疑わしい人間は、平和を乱す人間である。だから、王である私が平和を乱す彼らを処す必要があるという論理で王は動いているのである。

 

 

 

しかし、いくら平和を望んでいるといっても、その「疑う」という手段は間違っていると言わざるを得ない。

 

裏切られるかもしれないという怖さがあっても、まずは自分から「信じる」ということに勇気を持って踏み出さないと、人との関係は作れず、その孤独は深まるばかり。もちろん平和の実現は遠のく。

 

スター・ウォーズ』の用語を借りるのであれば、王はダークサイドに墜ちてしまったのだと言える。メロスも刑場へ向かう途中、身体の疲労から、裏切りを肯定し、ダークサイドに墜ちそうになる。『走れメロス』は、メロスのライトサイドと王のダークサイドのせめぎ合いの物語である。

 

ご存知の通り、このせめぎ合いにメロスは最終的に勝利し、王はメロス(ライトサイド)側の人間になる。人間の信実の存在を証明したメロスを目の当たりにした王は、人を信じることができるようになるのである。以前、自身の記事でも書いたように、その変化は、二人と二人の価値観を象徴する「色」からもはっきりしている。

 

gorone89.hatenablog.com

 

メロスは王の一部であり、王はメロスの一部である。メロスは王のような、王はメロスのような価値観を持つ可能性を秘めていた。

 

なんとかライトサイドに踏みとどまったメロスと、ダークサイドからライトサイドへと飛び移った王。変化の振れ幅は王のほうが大きい。このことから、『走れメロス』の主人公は、王であるとも言うことができるだろう。

 

 

 

太宰治の小説は、ダークサイドの世界が前面に出た作品が多い。その中で、信実や愛や正義の美しさを謳った『走れメロス』はやっぱり異質だよなと思う。

 

 一人の少女が、緋のマントをメロスにささげた。メロスは、まごついた。よき友は、気をきかせて教えてやった。

「メロス、きみは、真っ裸じゃないか。早くそのマントを着るがいい。このかわいい娘さんは、メロスの裸体を、皆に見られるのが、たまらなく悔しいのだ。」

 勇者は、ひどく赤面した。

 

物語の最後に赤面するメロスに、「こんなん書いちゃった。てへぺろ」と照れ隠しをする太宰治の姿が重なる。

 

 

走れメロス/くもの糸 (10歳までに読みたい日本名作)

走れメロス/くもの糸 (10歳までに読みたい日本名作)

 

 

 

天の橋立に行ってきました……の写真

日本三景の一つ、天の橋立に行ってきました。この記事は、その記録です。写真ばかりの記事になるかと思いますが、このブログは自身の備忘録でもありますので、悪しからず。

 

2年ぶりに京都駅に来ました。コロナウイルスの影響か、中国人観光客が少ない気がします。新幹線乗り場から31番ホーム(京都駅でかい!)まで歩き、特急はしだてに乗車。

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2時間半ほど掛け、京都府日本海に向けて縦断。終点の天の橋立に着きました。天の橋立のホームには、丹後鉄道あおまつ号が停まっていました。なんとなく可愛らしさのある電車です(帰りに乗車)。

 

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天の橋立駅の近くで昼食。ぶり丼です。旨くないはずがありません。

 

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腹ごしらえが済むと天の橋立へ。着いた途端に雨がパラパラと降ってきました。

 

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天の橋立を歩いていると、与謝野寛・晶子夫妻の歌碑がありました。与謝野夫妻は幾度も天の橋立を吟行したそうです。

 

小雪はれ みどりとあけの虹ながる 与謝の細江の 朝のさざ波   寛

 

人おして 回旋橋のひらく時 くろ雲動く 天の橋立   晶子

 

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雨が土砂降りになってきたので、引き返し、智恩寺へ。御神籤を引いたら、大吉でした。やったね。

 

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大吉の効果か、雨が止みました。天の橋立を上から眺めたいので、モノレールに乗って、天橋立ビューランドに登りました。うむ、絶景かな。

 

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丹後国風土記逸文」に、イザナミノミコトが天に通うためにハシゴを作ったんだけど、イザナミノミコトがぐうぐうと寝ている間にそれが倒れ伏したという記事があり、これが「天の橋立」の名の起こりなんだと。宮城の松島、広島の宮島、そしてこの天の橋立を日本三景と最初に数えたのは、林羅山の息子、林春斎なんだそうな。

 

天橋立ビューランドには、股覗き台というのがあり、ここから股のぞきすると、龍が天に昇って行くように見えるんだって。

 

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見えますか?

 

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帰りに天の橋立駅の前で、歌碑を見つけました。天の橋立と言ったら、やはり小式部内侍のこの歌。

 

大江山いく野の道の遠ければまだふみもみず天の橋立

 

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池澤直樹さん編集の日本文学全集にある『百人一首』では、詩人の小池昌代さんがこの歌をこう訳しています。

 

大江山の向こう

生野を越えて

さらに    行く道は

はるかに遠いところです

母の住む    天の橋立へは

足を踏みいれたこと    ないし

文だって    受け取ってません

 

 

 

 

お土産の一つとして、カールを買いました。大好きだけど、関東に売ってないんだもん。


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宮島は行ったことがあるので、これで日本三景の内、二つに行ったことになります。残す松島もいつか行ってみたいです。





文化系トークラジオLifeのイベントに行った日曜日の話

 

朝は遅めに起きた。

 

昨夜のお酒が残っていて、少々胃がもたれていた。自分にしてはよく飲み、よくしゃべった夜だった。

 

妻は僕が起床したことを確認すると、近所のファミレスに勉強に出かけた。中学校の理科の教員である妻は、育児休暇をまもなく終え、4月から職場に復帰する。それに備え、妻はこの頃、ファミレスでせっせと教材研究に励んでいるのだ。がんばれ。

 

僕と2歳のハルタは、朝食に昨夜の残りのキーマカレーを食べた。カレーは二日酔いにやさしい。朝食を終えると、もうすぐ1歳になるレイにミルクをやったり、風呂掃除をしたり、洗濯物を干したりした。

 

僕たち夫婦は、二人が家にそろうとき、こうやって交代で、片方が育児・家事をして、片方がファミレスに勉強や読書をしに行くことがよくある。という話を、職場の年配の同僚に話したら、「お母さんは、子供が小さい内は、自分のことは後回しにして、子供となるべく一緒にいてあげたほうがいい」と言われた。ふむ、そういうものかしら。僕らは育児について初心者で、不勉強なので、そういう育児論には疎い。

 

ネットで動画を視聴しながら、食器を洗っていると、レイの叫ぶような泣き声が聞こえ、慌てて駆け付けた。うつ伏せになって泣くレイは、唇から少し出血していた。最近やっと歩けるようになったレイは、転倒の際に、口を切ってしまったのだろう。かわいそう。泡がついたままの手で、抱いてやった。

 

 

 

午後になり、帰宅した妻とバトンタッチ。僕は新宿に出かけた。

 

新宿に向かう電車で、ニーチェの『ツァラトゥストラはこう言った』の下巻を読んだ。

 

ツァラトゥストラはこう言った 下 (岩波文庫 青639-3)

ツァラトゥストラはこう言った 下 (岩波文庫 青639-3)

 

 

「おお、ツァラトゥストラよ、あなたは知恵の石だ!あなたはあなた自身を高く投げた

― しかし投げられた石はすべて - 落ちる!」

 

あ~、ムズカシイ~。いろんな解説書と併読しているが、話の全てが何かのメタファーで、言いたいことを遠回しに言うので、読むのが段々とつらたんになってくる。読む内、電車の揺れが心地よくなってきて、眼が重くなり、寝てしまった。

 

新宿に来た目的は、僕が愛聴するラジオ『文化系トークラジオLife』のトークイベントへの参加である。トークイベントへの参加は初めて。同じ愛聴者の友人Yと一緒に参加した。会場は紀伊国屋書店

 

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ライターの速水健朗さん、宮崎智之さん、書評家の倉本さおりさん、編集者の斎藤哲也さん、社会学者の塚越健司さんなど、ラジオで声だけ聴いていた人たちが実際に目の前にいたのでドキドキした。トークのテーマは、「文化系大新年会2020-2019年のオススメ本これだ!」であった。どの方も本の紹介を魅力的になさるので、紹介されたすべての本を読みたくなってしまった。

 

トークの流れで、塚越健司さんが「イクメンはリベラルだと思われがちだが、実はイクメンには保守派のほうが多いという調査結果がある」とおっしゃていたのが印象に残った。なぜリベラルのほうが多そうなのに、逆の結果が出るのだろうか。その理由として、保守派の男性はいつでも女性の優位に立ちたいという傾向がある、だから、彼らは「育児や家事でも女性に負けたくない」という考えのもとイクメンに励むのではないかという説があるのだそうだ。なるほど、僕が育児や家事をするのも、無意識下でそういうマッチョイムズが働いてるのかもしれないわん。

 

トークイベントが終了すると、その場で紹介された本の即売会が行われた。僕も含め参加者のみなさんは、すごい勢いで本を手に取っていた。なんとなく催眠商法と似ているような気がしないでもなかったが、あまりそれは気にしないようにした。

 

 

 

会場からでると、Yと立ち飲み屋で焼き鳥を食べながら飲んだ。

 

Yは高校時代からの友人で、30歳になった今でも仲良くしてもらっている。趣味嗜好が重なるところが多いので、話していて楽しい。トークイベントでの話題の延長で、社会の道徳観や価値観がこの頃どんどんと変化していることなどについて話した。

 

結局、人生の価値づけは各個人でしていき、それをお互いに尊重し合える心を持つ強い人間になっていくしかないんじゃないかなと思った(「価値観の違いを認めない」という価値観も尊重するのか?といった問題もあるが)。社会一般に正しいとされる道徳観や価値観、常識といったものは昨今あまりに移ろいやすく、それに頼ってばかりはいられない。

 

神は死んだ。たくさん死んだ。これからもバタバタと死んでいくだろう。

 

 

 

即売会で購入したのは以下の写真の4冊。左から、ジェントルマン中村『ようこそ!アマゾネス☆ポケット編集部へ』(倉本さおりさん選)、梶谷懐・高口康太『幸福な監視国家・中国』(塚越健司さん選)、綿野恵太『「差別はいけない」とみんないうけれど』(斎藤哲也さん選)、松本卓也『創造と狂気の歴史 プラトンからドゥルーズまで』(塚越健司さん選)。

 

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本ばかりに散財する僕に、妻はあきれ顔。いや、これでも購入冊数を抑えたほうなんだよと言おうとしたが、やめた。

 

本を買っただけで満足してしまいがちな僕。時間がかかってもいいので、最後までちゃんと読み遂げたいと思います。 

 

『ロボ・サピエンス前史』の話-ホモとロボのあいだ


 

しびれる漫画を読んだ。タイトルからもうしびれる。その名も『ロボ・サピエンス前史』。

 

ロボ・サピエンス前史(上) (ワイドKC)

ロボ・サピエンス前史(上) (ワイドKC)

 
ロボ・サピエンス前史(下) (ワイドKC)

ロボ・サピエンス前史(下) (ワイドKC)

 

 

ロボットの探索を職とするサルベージ屋、だれの所有物でもない「自由ロボット(フリードロイド)」、半永久的な耐用年数を持つ「時間航行士(タイムノート)」……。さまざまな視点で描かれるヒトとロボットの未来世界。時の流れの中で、いつしか彼らの運命は1つの大きな終着点に向かって動き出していく……。世界の行く末を壮大に夢想した、ロマンティック・ヒューチャー。

 

ヒトとロボットの未来像がオムニバス形式で想像力豊かに描かれている。物語も魅力的だが、なによりまず惹かれるのはその絵である。

 

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シンプルで、スタイリッシュで、クール。物語に登場するロボットのように感情が廃されたかのような絵なのに、どういうわけか心が揺さぶられ、ロマンすら感じてしまう不思議な絵なのである。

 

 

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どこか手塚治虫のSF作品を彷彿とさせる漫画である。手塚治虫がまだ生きていて、現在のテクノロジーの発展の仕方とそこから予想される未来の可能性を理解していたとしたら、あるいはこんな物語を描いていたかもしれない。

 

突飛に思える未来像かもしれないが、僕は『ロボ・サピエンス前史』のような未来がやってくるような気がしてならない。きっと人工知能が社会の手綱を引く時代は、かつてのSFで描かれた、ロボットの反乱のような大きな事件があってやってくるのではなく、この漫画に描かれたようにジワリジワリと人工知能がヒトの生活に入り込み、いつの間にかやってくるのである。

 

様々なロボットが物語に登場するが、僕が印象に残ったのは、放射能の管理を25万年という長期間任される恩田カロ子。かわいらしい見た目。

 

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長期間と書いたが、それはヒトの感覚であって、ロボットは苦痛と感じない。彼らに感情はなく、理性を駆使し、生きている。感情はないんだけど……、命令に素直に従い、任務を遂行する人型のロボットを目の前にすると、僕ら読者は心動かさずにいられない。感情のない対象に、愛情を向けることは間違っていることだろうか?

 

任務終了後に、自分を作った博士の言葉を思い出す。博士は「幸せになりなさい」と言った。カロ子はその「任務」も果たそうと動き出す。

 

人口知能を持った人型ロボットは本物のヒトではないかもしれないが、全くヒトとは違うものとは言い難い。これほどまでに人工知能が発展したとき、人類はそれらとどのように向き合うべきだろうか。敵対し、排斥するか、それとも愛情と寛容を持って迎え入れるだろうか。もしかすると、それを決めかねているうちに、この漫画で描かれたように、人類のほうが人工知能に見限られてしまうかもしれない。

 

 

 

まあ、ヒトの感情、または意識といったものも、結局は遺伝子やホルモン、ニューロンに支配されたアルゴリズムの結果に過ぎない。歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリは『ホモ・デウス』の中で、ヒトの感情や意識は、「単なる脳内データ処理の結果にすぎない」と言っている。そうだとすると、ヒトと人工知能は本質的には違いがないのではないか。

 

gorone89.hatenablog.com

 

『ロボ・サピエンス前史』のロボット達が恐ろしいものではなく、愛らしいものと好意的に感じられるのは、彼らのことを、ヒトがアップデートし続けた先にある未来像だと捉えてしまうからではないか。

 

ヒトと人工知能はデータ処理をしながら行動するという同じところはあるものの、人工知能は基本的にヒトがするような失敗や勘違いや忘却をしない。そしてもちろん身体の衰弱もない。ヒトは自分達の不完全さを非効率的なものとして嫌い、なんとか克服しようとこれまで努めてきたし、昨今ではインターネットのデータフローと一体になろうと欲望しているほどだ。人工知能は、ヒトが自分もそうありたいと願う、理想の存在なのだ。

 

ロボット達をヒトの発達した姿と捉え、『ロボ・サピエンス前史』に登場する博士のようにロボットを自分達の子供のように思うことができれば、『ロボ・サピエンス前史』に描かれたのような未来がやってくるのも、それほど悪いことではないんじゃないかなあ。

 

『つみきのいえ』の話など

 
短編アニメ映画の『つみきのいえ』を見る機会があった。2008年度劇場公開作品。

 

つみきのいえ (pieces of love Vol.1) [DVD]

つみきのいえ (pieces of love Vol.1) [DVD]

  • 出版社/メーカー: 東宝
  • 発売日: 2008/10/24
  • メディア: DVD
 

 

第81回アカデミー賞短編アニメ賞や、アヌシー国際アニメーションフェスティバルのグランプリなど数々の賞を受賞した当時の話題作であるが、今まで見たことがなかった。見ながら、つい目頭が熱くなってしまった。最近涙もろい。
 
映画の舞台は、海に沈みゆく街にある、まるで「積み木」のように重なった家。海面がどんどんと上がってくるので、住人は上へ上へと家を「建て増やし」続けてきたのだ。そんな家に一人で住んでいるおじいさんは、上への引っ越しの時に、誤って大切なパイプを海に沈んだ下の階に落としてしまう。潜水服を着て、それを取りに行くおじいさん。下の階に潜る毎に、おじいさんの心中には家族との思い出がよみがえってくる……。
 
 
 
老いたときに自然と思い出す記憶は、『つみきのいえ』のおじいさんが思い出すようなそれであってほしい。
 
人生の幸福を振り返ったとき、ペーパーテストで満点を取ったこと、宝くじで1万円あったこと、会社で昇進したこと、難易度の高いRPGを何十時間もかけてクリアしたことなど、他者との濃密なつながりとは関係ない、ごく個人的なささやかな成功体験しか思い出せなかったら、自分の人生ってなんて寂しいものだったんだろうと、僕であったら絶望するだろう。大切な人の共有した時間を思い出したい。些細な思い出であっても、それが大切な人との温かい思い出であれば、それを胸に抱いているだけで、自分の人生は満足できるものだったと思えるんじゃないかなあ。
 
つみきのいえ』に出てくる積み木の家は、すぐにわかるように、人生の比喩である。今を生きている部屋(空間)、大切な人との思い出が詰まった部屋(空間)に支えられている。
 
人生の節目節目にその空間の密度を上げること、つまり、他者に貢献したり、他者と体験や感情を共有したりして、関係性を深めることは、人生の課題であると思う。その課題に取り組まなければ、今の自身を支える土台はすかすかになり、自身の人生に価値を見出すことができなくなってしまう。
 
おじいさんが一人で、しかも家がどんんどんと海に沈んでいく一見悲観的な状況でも自暴自棄にならず、強く前向きに生きていられるのは、家族との数えきれないほどの大切な思い出が土台となり、これまでの人生をちゃんと肯定できてるからだと思う。
 
 
 
このままだと記事が短いので、昨夜見た映画も紹介。見たのは、『男はつらいよ ぼくの伯父さん』。週末に現在公開中のシリーズ最新作『お帰り寅さん』を見に行く予定なので、その準備として、子供が寝静まったあとに見た。
 

 

一応シリーズは一通り見ていて、この第42作も見たことあるのだが、相変わらず見ていて笑ったり泣いたりしちゃったな。このころは、寅さんの甥の満男が主役の位置にシフトしてきていて、寅さんは満男を支えるアドバイサー役となっている。

 

浪人生なのに勉強に身が入らず、しかも反抗的な満男に母・さくら、父・博は手を焼いているが、結局風来坊の伯父さんである寅さんがこの状況を救うことになる。伯父さんと甥っ子といった、こういう斜めの関係は、子供をよりよく育てるために大事な関係だということはよく知られている。この映画で満男は大きく成長する。

 

今作の寅さんの満男に語りかけるセリフは最高である。

 

俺はな、学問つうもんがないから上手いことはいえねえけども、博が俺にこう言ってくれたぞ。

自分を醜いと知った人間は決してもう、醜くねえって……

 

自身のことを「根無し草」と例える寅さんだが、しっかり根を張っている。葛飾にあのような温かい帰れる場所、大切な人の思い出が詰まっている場所があるからこそ、寅さんは自由気ままに旅を続けられるのだ。

 

僕の弟は 『男はつらいよ』の熱狂的なファン。『お帰り寅さん』の公開前、弟に「『お帰り寅さん』楽しみだな」とLINEにメッセージを送ったら、「全然興味ない」という返事とともに、以下の弟宅にあるトイレの扉の画像が送られてきた。

 

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『お帰り寅さん』は予告編と以下のあらすじだけで泣けちゃったなあ。

 

諏訪満男は小説家になった。中学3年生の娘と二人で暮らしている。最近作は好評だが、次回作の執筆ははかどらない。最近、夢の中に初恋の人・イズミが現れるなど悩みは尽きない。そんな折、満男は妻の七回忌の法要で柴又の実家を訪れる。柴又の帝釈天の参道にあった「くるまや」はカフェに生まれ変わっていた。法事のあと、母・さくら、父・博たちと昔話に花が咲く。そして寅さんたちとの楽しかった日々を思い出す…。

 

 『お帰り寅さん』、見に行くのが楽しみである。

 

 

 

つみきのいえ』や『男はつらいよ ぼくの伯父さん』を見ているときも考えていたのですが、周囲の人とちゃんと向き合って、関係を深めていくことって本当に大事なことだよなあ。近頃そればっかり考えてる。僕はかなりの面倒くさがりなので、人付き合いは昔から避けがちなのですが……。

 

教育関係者としては、今どきの子供はコミュニケーションが上手にとれないと嘆くのではなく、コミュニケーション能力は、教え、習得させるものであると発想を転換して、「人とつながりたい」「つながって楽しい」と自然に思える場を意識的に設計していかなくてはならないと考えています。

『宮沢賢治童話全集』を聴いている

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昨年11月から利用している、オーディオブックのプラットフォームである「Audible」にゾッコンである。

 

gorone89.hatenablog.com

 

オーディオブックなぞすぐに飽きるかと思っていて、お試しに始めたのであるが、まんまとハマってしまった。僕の車通勤生活と非常にマッチしている。特に頭が空っぽの状態になっている朝に聴くのがいい。内容が頭の中に水が流れ込むように入ってくる。

 

紙の本の場合、書かれている文字を認識する。➡︎認識した文字を音声に変換する。➡︎内容を理解する。っていう段階を自然踏んでると思うのだが、オーディオブックの場合最初の文字を認識する段階をすっ飛ばすから、効率よく内容が頭に入ってくるのだ(読書に効率を求めるのどうかと思うが)。漢語が頭の中で漢字に変換できないことがある、考え事が多いとき集中力が続かないことがある、Audibleの書籍のラインナップがまだ少ないなど問題は多々あるものの、かなり気に入っているので、しばらくは聴き続けるだろう。

 

今聴いているのは、『宮沢賢治童話全集』である。

 

 

 
銀河鉄道の夜』、『セロ弾きのゴーシュ』、『やまなし』、『風の又三郎』、『どんぐりと山猫』、『ツェねずみ』、『なめとこ山の熊』、『注文の多い料理店』、『イーハトーボ農学校の春』、『毒もみのすきな署長さん』などなど、宮沢賢治の童話が全部入ってる。再生時間は全部合わせて34時間14分!
 
賢治の童話を聴こうと思い立ったのは、先日、NHKの『ブラタモリ』の「花巻」に行った回を見たため。岩手県花巻市は賢治の故郷である。番組では「花巻はなぜ宮沢賢治を生んだ?」というテーマで、賢治と花巻の関わりを探っていた。
 
花巻に流れる北上川の川岸には、多様な石が集まるという話が面白かった。石好きであった賢治はこの川岸によく石集めをしに来ていて、石っ子賢さんと呼ばれていたそうな。石好きは作品にも反映されていて、たとえば『銀河鉄道の夜』にはこんな素敵な一節がある。
 
河原の礫は、みんなすきとほって、たしかに水晶や黄玉や、またくしゃくしゃの皺曲をあらはしたのや、また稜から霧のやうな青白い光を出す鋼玉やらでした。

 

北上川の川岸には、海底からやってきた石と火山岩を同時に見つけることができる。東の北上山地から海底由来の石が、西の奥羽山脈から火山岩が運ばれてきて、北上川に合流するそうだ。北上山地は五億年ほど前には赤道付近にあって、現在の位置に徐々に移動してきた。で、その西側はぽっかり海になっていて、その海に火山活動で隆起してきたのが奥羽山脈なんだと。地質学好きのタモリさんが、「奥羽山脈は若造だ」と言ってたのが笑えた。
 
 

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僕は大学時代に一度花巻に行ったことがある。冬休みに、暇なのでとりあえず北に行こうと思い立ち、一人で青春18切符を使って鈍行で北上し、旅の初日に泊まることにしたのが花巻だった。初日の夜遅く、花巻駅に着いた。12月中旬で、雪が降り積もっていて、とにかく寒かった。
 
駅の外の喫煙所で煙草を吸いながら、これからどうしようかと考えていると、そこにやってきた女の子に声をかけられた。何の話をしたかは覚えていない。しばらくすると、車に乗った彼女の友達が彼女を迎えに来た。取り残された僕はどういうわけか猛烈に孤独を感じた。
 
その後、寒さに凍えながら、泊まるところを探し、なんとかビジネスホテルを見つけた。そこに泊まり、花巻の観光もせず、翌朝すぐに電車に乗り青森に向かってしまった。今思うと、あのとき花巻の宮沢賢治記念館にちゃんと寄っておけばよかったなあ。いつかまた行ってみたい。
 
 
 
自身が初めて読んだ宮沢賢治の作品は、『注文の多い料理店』。小学校の国語の教科書に載っていた。

 

注文の多い料理店 (新潮文庫)

注文の多い料理店 (新潮文庫)

  • 作者:宮沢 賢治
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1990/05/29
  • メディア: 文庫
 

 

いつまでも自分たちが食べる側ではなく、食べられる側だと気づかない主人公の2人の男に当時の僕は「早く気づけよ」と苛立っていた気がする。が、大人になって再び物語世界に入ると、僕は彼らに同情せずにはいられなかった。

 

「まさかこんなことが起こるはずないだろう」という固定観念や思い込みが邪魔をして、非常な状況にとっさに対応できない。こういうことはよくある。僕は歳を重ねるほど状況の変化に対応する柔軟性を失っている気がする。そして、いつのまにか捕食される人間になっているのだ。

 

銀河鉄道の夜 (角川文庫)

銀河鉄道の夜 (角川文庫)

 

 

賢治の童話の中でおそらく最も有名であろう『銀河鉄道の夜』は中学校の朝読の時間に読んだ。家の本棚にある少ない本から適当にこれを選んで、学校に持って行っていた。

 

正直あの頃は、読んでいてとても退屈に感じた。そもそも読書自体が嫌いだったので、朝読の時間は苦痛でしかなかった。『銀河鉄道の夜』は遅々として進まず、僕は朝読の時間、机に落書きをしたり、登校中に酎ハイを飲んだ友人の赤くなった顔を眺めたりしていた。

 

で、今になって『銀河鉄道の夜』を読むと(実際には聴いた)、ひどく感動してしまった。上の川岸の石についての一節もそうだが、描写や文体がいちいち美しい。カムパネルラの死を前にした、優しいジョパンニの心中を想像すると、胸が締めつけられような思いにもなったのであった。

 

子供の頃と比べ、こういうのに感動できるようになったのは、単純に読解力が向上したのと、他者へ共感する心が自分の中でも一応育まれたってことかしらん。

 

 

 

宮沢賢治の天才的で独創性あふれる多彩な童話は、大人になった今だからこそ読むべきものかもしれません。子供の頃には得られなかった良い教訓も、物語から得られるはずです。

「大人」の理想像の話

今週のお題「二十歳」

 

 

正月休みが終わり、仕事が始まった。

 

辛いっちゃ辛いんだけど、まだ耐えられる負荷であり、とても楽しく仕事ができている。自己有用感っていうのかな……誰かの役にちゃんと立っているという感覚がある。まあ、毎年、年初めはこうなんだけど、かなり自由を感じていて、自分さえ望めば、意識さえ少し変えれば、なんだって実現できるのだという根拠のない自信に満ち溢れている(いつまで続くかわからないけど)。

 

そういえば、今日で自身の成人式からちょうど10年経った。だが、まだ「大人」になったという自覚がない。30歳からは職場でも家庭でも生き方の意識を少し変えたい。他者へ貢献することを生きがいとする「大人な自分」になりたいのだ。

 

これまでの自分の生き方はとにかく自分本位であったと思う。なんというか、他者と自分との優劣ばかりに注目し、自身の優越感や自尊感情のために他者と関わっていた気がする。「競争」に一喜一憂していた。

 

しかし、そういう生き方は、結局むなしさしか残らない。社会に出て人格的に優れた人たちと度々関わったり、読書を重ねたりする中で、「自分のため」だけに生きることに疑問を持つようになったのだ(おそいよ)。

 

他者に貢献することを喜びとしたい。感謝などの見返りがなくても、僕がアガペー(無償の愛)を捧げられる相手は、今のところ息子たちだけである(あとたまに妻)。そのアガペーの範囲を少しずつ広げたいのだ。

 

といっても、それは自身が本当にやりたいこと、望むことを諦めたり、犠牲にしたりすることとは違う。他者に貢献することを生きがいにすることと、自分の思い通りに生きることを同時に成し遂げてみたい。そんな生き方をする人が、僕の理想とする「大人」の姿だ。

 

 

 

年始から始まった、アドラー心理学の熱はまだ冷めていない。きっと僕は自己啓発セミナーとかにころりと騙されてしまう人間だと思う。

 

gorone89.hatenablog.com

 

アドラーは、「人生に一般的な意味はない」と言い、「人生の意味はあなた自身が与えるものだ」と説く。人は他者に意味を与えられた人生を生きるべきではないのだ。

 

アドラーはその著書『人生の意味の心理学』の中で、自分で意味を与えた人生の中でよりよく生きたい、自分を今よりもっとを良い人生にしたいという思いを、「優越性の追求」という言葉で表現している。彼は「優越性の追求」に、人を理想的な人たらしめるものとして、かなり重要な価値を置いている。

 

しかし、同時にアドラーは、共同体感覚を持つことや、他者と協力し、他者に貢献することの大切さを著書の中で、しつこいほど熱心に語っている。「優越性の追求」と「他者への貢献」の大切さを同時に説くことは矛盾ではないだろうか。

 

……否。アドラーは矛盾としてとらえていない。優越性を追求する中では、数々の課題に直面することだろう。その課題を乗り越える方法は、他者との協力、他者への貢献しか有り得ないと彼は言うのである。加えて、たとえ「自分のため」に行動していても、そこに共同体感覚が伴っていさえすれば、大きな過ちには陥ることはないとも言っている。

 

 

 

『人生の意味の心理学』に続けて読んだのは、なぜか福沢諭吉の『学問のすゝめ』。数年前「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり。」から始まる初編を読んだだけで閉じて本棚にしまっていたものを、再び引っ張りだした。

 

学問のすゝめ (岩波文庫)

学問のすゝめ (岩波文庫)

 

 

アドラー福沢諭吉は、言葉は違えど、同じことを言っているように思えた。『学問のすゝめ』では、「自分の思い通りに生きること」を「一身独立」、「他者との協力、他者への貢献」が「人間交際」という言葉で表している。

 

西洋の先進諸国を見てまわった福沢は、明治初期の政府による専制抑圧の政治、そして人民の卑屈不信の気風に憤慨していた。そのため、国を真に独立させるためには、個人が「今より学問に志し、気力をたしかにして先ず一身の独立を謀」らなくてはならいと、『学問のすゝめ』の中で語っている。

 

「一身独立」とは、精神的な自立のことである。自分の頭で考え、行動し、自分自身の人生に自分で意味を与えなくてはならない。

 

しかしながら、ここで誤解してはならないのは、「独立」とは「孤立」ではないということである。福沢は同時に「人間交際」の大切さを説く。「人間交際」とは、現在では「社会」と訳される「society」の、福沢による訳語である。

 

凡そ世に学問といい工業といい政治といい法律というも、皆人間交際のためにするものにて、人間の交際あらざれば何れも不要のものたるべし。

 

つまり、学問も工業も政治も法律も何もかも、世のため人のためにやっているのだ、その意識が重要なのだと言っているのである。「一身独立」と「人間交際」は、矛盾しない形で実践されなくてはならないだろう。

 

Eテレの『100分de名著』で『学問のすゝめ』が取り上げられていたとき、解説の齋藤孝先生は『学問のすゝめ』の中で説かれる「独立」は「個と公共心が密接につながっている独立」であり、「独立した個人が社会の中でつながって、チームの一員として役割を担っていく」ことが理想なのだとおっしゃていた。勉強になります。

 

アドラー福沢諭吉に、理想的な「大人」になるためのヒントをもらえた今日この頃でした。

 

 

教員である妻は、今日は教え子たちの成人式に顔を出すために外出している。

 

さて、息子たちを喜ばせるために、夕飯の準備に取りかかるかな。