ゴロネ読書退屈日記

ゴロネ。読書ブログを目指している雑記ブログ。2人の息子とじゃれ合うことが趣味。

戦後74年目の夏、映画『東京裁判 4Kデジタルリマスター版』を見て

 

ドキュメンタリー映画東京裁判 4Kデジタルリマスター版』が現在映画館で公開中なので、見に行った。

 

f:id:gorone89:20190815163734j:plain

 

監督は小林正樹。『人間の條件』六部作(59~61年)、『切腹』(62年)、『怪談』(65)などの小林監督作品は見たことがあったが、この『東京裁判』は初鑑賞である。『4Kデジタルリマスター版』は、1984年に公開された『東京裁判』をデジタル処理で映像・音響ともにブラッシュアップしたものである。

 

上映時間は、4時間37分! 上映時間の長さに不安もあったが、そんな不安を吹き飛ばすほどの濃い映画で、最初から最後まで映画にくぎづけになった(おしりは痛くなりました)。これは映画館で見るべき映画である。

 

映画は、1945年8月に降伏した日本の戦後の運命を決定づけた極東国際軍事裁判、いわゆる東京裁判の全貌を描く。

 

 

 

東京裁判』を見て、改めて、映像というメディアの強力さがわかった。かつて日本で戦争があったということは学校でも習ったし、戦争を体験した人の話を聞いたりして、もちろん事実であることは認識しているのであるが、それは遠い昔のことで、自分とは無関係なことだという意識がどこかにあった。

 

しかし、『東京裁判』を見ることで、一気に戦争があった「あの時代」と僕が生きる「今」が直結した感覚になった。東條英機など写真でしか見たことがなかった東京裁判に関わる人の、表情、肉声、息遣い、動作によって、彼らが私たちと変わらない生身の人間として立ち現われてくる。

 

f:id:gorone89:20190815163807j:plain

東條英機

 

映画で流れる資料は東京裁判のものだけではない。東京裁判の進行の各段階に合わせて、日清戦争日露戦争張作霖爆殺事件、満州事変、盧溝橋事件、日中戦争真珠湾攻撃、太平洋戦争などの写真や映像資料が流れ、日本とそれをとりまく世界の戦争の全体像が見渡せるようになっている。

 

映画は、1945年7月26日、連合国のアメリカ・イギリス・中国が、第二次世界大戦終結させるべく、日本への降伏要求である「ポツダム宣言」を発表するところから始まる。日本がこれを「黙殺」しているうちに、8月6日に広島、9日に長崎に原子爆弾が落とされてしまう。ついに日本はポツダム宣言を受諾し、全面降伏の旨を天皇自身の声で国民に公表する。玉音放送である。

 

玉音放送は映画の中で、明瞭な音声で、そして字幕つきですべて流される。「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び」の部分しか知らなかった僕にはこれだけでも映画を見に来た価値があったと思った。玉音放送は、太平洋戦争の激しく悲惨な戦闘の映像とともに流れ、もの悲しくなり、戦争で散っていた多くの命について考えずにはいられなかった。

 

 

 

1946年5月3日、連合国軍最高司令官マッカーサー元帥が「戦争犯罪人の処罰」を目的に主導にした、東京裁判が東京・市ヶ谷で開始される。

 

被告は東條英機以下28名。開始の直前で、ポツダム宣言に調印した重光葵梅津美治郎が入れられ、阿部信行と真崎甚三郎が外される。被告の数を30名にすればいいところを、わざわざ28名にしたのは、被告席が28しかないのが理由だという。……そんなのアリ? 杜撰すぎるだろ! 被告の選定をはじめ、裁判の杜撰さは、たとえば、満州事変を企図しながらも、被告のメンバーに入っていない石原莞爾の「自分が裁かれないのはおかしい」という発言などでも強調される。

 

起訴状の朗読が行われた第一日目は、被告の一人で超国家主義者の大川周明が目の前に座る東條英機の頭を手のひらで「ぺチン」と叩くのがハイライト。振り返り、苦笑いする東條。初日から異様さを醸し出している裁判である。

 

裁判の初めの段階での、被告の弁護人であるジョージ・A・ファーナスとベン・ブルース・ブレイクニーの発言には驚かされたし、正直感動さえ覚えた。彼らは連合国側であるアメリカ人である。しかし、彼らは法倫理にしたがって、まずファーナスが「公平な裁判を行うならば、戦争に関係ない中立国の代表によって行われるべきである。勝者による敗者の裁判は決して公平ではない」と発言。さらにブレイクニーが「キット提督の死が真珠湾攻撃による殺人罪になるなら、我々は広島に原爆を投下した者の名を挙げることができる」、「原爆を投下した者がいる、この投下を計画し、その実行を命じ、それを黙認した者がいる。その人たちが裁いている」と発言し、裁判の存立根拠を問うのである。これらの発言は裁判の速記録では省かれているらしい。映画でしか知りえない事実である。

f:id:gorone89:20190815164326j:plain

ベン・ブルース・ブレイクニー

 

その後の裁判でも、検事、判事、証人、弁護人、被告から、興味深く、また驚嘆する発言が次々と飛び出し、戦争の全体像と戦争が生み出す人間の狂気の姿が見えてくる。天皇の戦争責任を追及しようとするオーストラリア人のウエッブ裁判長と、天皇の免責を企図するマッカーサーの命を受けたキーナン検事の攻防も見物である。

 

 

 

ドキュメンタリー映画と言えど、どうしても製作者の主観が入らざるを得ないが、この『東京裁判』では、できるだけ客観的に、中立的にあろうとする製作者の真摯な姿勢がうかがえる。

 

たとえば、「パル判決書」という膨大な意見書の紹介場面である。東京裁判の判事の一人で、インド人のラダ・ビノード・パルは、この意見書の中で、この東京裁判そのものの違法性と非合理性を指摘し、被告の全員無罪を主張する。この事実の紹介だけでは、絞首刑になった東條英機の「日本の戦争は侵略戦争ではなかった」という主張に観客は傾いてしまいそうだが、その意見書の中には「だからといって、被告たちとおよび日本国の行動を正当化する必要はない」と記されいたときちんと紹介する。

 

f:id:gorone89:20190815164550j:plain

ラダ・ビノード・パル

 

映画はこの中立性をできるだけ保ちながら、事実だけを写し、語り、「東京裁判」を中心とした戦争の全体像を描こうとする。これを見て、あの時代から続く、日本や世界のはらむ問題をどのように捉え、考え、意見を持つかは観客にゆだねられているのである。

 

僕は『東京裁判』を見ておいて、本当に良かったと思った。事実を知らなければ語れないことが多すぎる。現在の世界情勢、日本の国内政治、国際関係の状況、不安、軋轢、乱れ、矛盾はすべてあの東京裁判につながっている。東京裁判を知ることなしに、今を理解することはほぼ不可能だ。『東京裁判』を見て、僕たちはあの戦争とその犠牲の上に立っていることを自覚し、平和を努力で自分のため、そして自分の大事な人のために獲得していかなければならないという意識を持つことができた。

 

明治、大正、昭和、平成、そして令和を大きな物語としてつなぐ『東京裁判 4Kデジタルリマスター版』を映画館で見れるのは今だけである。必見です!!