中原中也の詩に泣いた話
1
新型コロナウイルスの影響で、仕事が恐ろしく暇になってしまった。商売上がったりである。
退屈なので、読書がビックリするほど進む。……あ、ブックリするほど進む。『中原中也詩集』を読んだ。詩なのでしっかり声に出して読んだ。
愛するものが死んだ時には、
自殺しなきゃあなりません。
愛するものが死んだ時には、自殺しなきゃあなりません。
ではみなさん、
喜び過ぎず悲しみ過ぎず、
テンポ正しく、握手をしましょう。
ではみなさん、喜び過ぎず悲しみ過ぎず、テンポ正しく、握手をしましょう。
2
次男が産まれて、1年が経った。
子供の成長は早い。産まれたばかりの頃はなーんもできなかったのに、今では部屋中を歩き回り、ものを口に入れ、投げ、癇癪を起こしたり、ゲラゲラと笑ったりする。エネルギッシュで、3歳になる長男とも一日中じゃれ合っている。
この前の日曜日に、家族で公園に行き、次男に靴を履かせ、歩かせてみた。初めて踏む大地。数歩歩いて、どてっと尻餅をついてしまった。
昨年、次男が産まれる直前は大変だった。僕がインフルエンザになり、それを長男と妊婦の妻にうつしてしまったのであった。
家族に苦しい思いをさせてしまったことを本当に反省している。ごめんなさい。
長男にインフルエンザをうつしてしまったときは、子供のインフルエンザ脳症の記事をネットで読み漁ってしまい、鬱っぽくなったなあ。流行している感染症に対してあまりに無防備であったアホな自分を呪った。家族のためにも、自身がちゃんと健康に気を遣わなきゃならんと誓ったのであった。
次男も無事産まれ、大きな病気もなく、今のようにすくすくと育ってくれて、とてもありがたく思っている。父親になってもうすぐ3年になるが、僕が今いちばん恐れているものは、自分の子どもを失うことである。たまに子どもを失う夢を見ることもある。子どもを失うことは、自分の命を失うことよりも怖い。
文学の中での、子どもの死にも、非常に敏感になった。
3
中原中也は、愛息子である文也を2歳で失い、しばらく精神の安定を欠く状態に陥る。
中也が妻と文也を連れて万国博覧会に行った思い出を、文也を追悼する詩にしたのが「夏の夜の博覧会はかなしからずや」。最初の2連だけ引用する。
夏の夜の、博覧会は、哀しからずや
雨ちよと降りて、やがてもあがりぬ
夏の夜の、博覧会は、哀しからずや
女房買物をなす間、かなしからずや
象の前に僕と坊やとはゐぬ、
二人蹲んでゐぬ、かなしからずや、やがて女房きぬ
三人博覧会を出でぬ、かなしからずや
不忍池の前に立ちぬ、坊や眺めてありぬ
僕はこれを読んで、自然と坊やと自分の息子を重ねてしまい、ぼろぼろと泣いてしまった。つらい、つらすぎるよ。
最近読んだ『恥ずかしながら、詩歌が好きです』という新書では、著者の長山靖夫氏が、中原中也の傑作の一つとして、この「夏の夜の博覧会はかなしからずや」を挙げている。長山氏は中也の詩について、「美しさや繊細さだけでなく、どろどろとした愛執や、幼い子どもを失った絶望感が生々しく刻まれており、そうした精神写実の強度の上に、抒情が建立されています。」と言っている。
本来楽しかったであろう息子とのひとときの思い出に、それとはギャップのある、「かなしからずや」という直截的な言葉が添えられることで、中也の胸が張り裂けそうになるほどの深い悲哀がじんじんと伝わってくる。詩を読んで、こんなにも涙を流したのは初めてのことであった。父親になる以前では、こういう詩に心を動かされることはあっても、涙を流すまでには至らなかったであろう。
中也は、文也の葬儀で息子の遺体を抱いて離さなかったそうな。中也は、文也が亡くなった翌年、息子の後を追うように30歳で夭折した。
4
たとえフィクションの中であっても「生」に敬意を払い、「死」を丁寧に扱ってほしいと近頃自分勝手に思うようになった。「死」の描写を止めてくれと言っているわけではない。
物語の展開をつくる契機のためだけに「死」が扱われて欲しくないのだ。「死」はただの記号に貶められてはならないんじゃないなかな。