消えない煩悩の話
お題「#おうち時間」
1
この数か月、気分はもう専業主夫であった。
妻は基本出勤、僕は基本在宅勤務である。保育園の「なるべく登園自粛をお願いしたい」という方針を生真面目に守り、自然、自宅にいる僕が息子2人の面倒を見ることになった。育児休暇を取得したいと思っていた頃があったが、図らずも数ヶ月の育児休暇みたいなものを得ることとなった。
朝、妻を見送る。朝食を作り、洗濯をし、掃除をする。家事が一段落ついたら、一歳息子を抱っこヒモでおぶり、三歳息子の手をつなぎ買い物に行く。近頃は地域貢献も兼ね、近くの商店街の飲食店で昼食をテイクアウトすることを続けていた。
下はテイクアウトで購入したステーキ丼。一日六食限定の弁当であった。当然うまい。
2
息子2人がテレビに夢中になっている間やお昼寝をしたりしている間に読書をしたり勉強をしたりちょこちょこと仕事をしたりしている。
最近、読む本にはブックカバーをしている。
妻が作ってくれた。息子のマスクを作るため彼女はなんと3万のミシンを購入し、そこから裁縫に目覚め、勢いで僕のブックカバーまで作ってくれたのである。ありがとう。
ここ数週間読書に並行して、人気の「えんぴつで」シリーズの一つ、『えんぴつで般若心経』に美文字を目指して取り組んでいる。
摩訶般若波羅密多心経観自在菩薩。行深般若波羅密多時。照見五薀皆空。度一切苦厄。舎利子。色不異空。空不異色。色即是空。空即是色。……
仏教がなぜかマイブームであり、音読しながら毎日少しずつなぞり書きしている。なんとなくこれをすることで「煩悩」が消え去り、「悟り」の境地とかいったものに近づくことができる……かと思ったが、むしろなぞり書きをしているときほど様々なことを考えてしまい「煩悩」が際限なく膨らむのであった。以下は『えんぴつで般若心経』にある、「般若心経」の解説。
この般若心経で、一貫して示される教えが、「空」という考え方です。私たちを取り巻くこの世界の、あらゆる現象や物質、人間の価値観、思考といったものごとに実体はなく、相互に変化しながら常に変化している。だから、何事にもこだわり、とらわれることには意味がない。むしろ、そうしたこだわりを捨て去ることで、本当の安らぎが得られると教えています。
こだわりを捨て去ると言ってもねえ……そんなに簡単なことではない。たびたび心の平安は煩悩によって乱れ、迷ってしまう。鎌倉時代に曹洞宗を開いた道元は『正法眼蔵』の中で、迷いについてこのように語っている。
ただ生死すなはち涅槃とこころえて、生死としていとふべきもなく、涅槃としてねがふべきもなし。
「生死」とは迷いのこと、「涅槃(ねはん)」とは悟りのことである。迷いはそのまま悟りであると捉える。迷いの中に悟りがあれば迷わないし、悟りを求めてあくせくしなければ迷わない。つまり、迷いを悟りとはかけ離れたものとして忌避するのではなく、迷う自分を「迷ってもいいんだ」と受け入れることで、自ずから悟りはやってくると言っているのである。
とりあえず、道元様のお言葉に従って、煩悩だらけで迷う自分を受け入れてみよう。
3
今、僕の煩悩の大半を占めるのが食欲である。自粛生活で順調に体重が増えていて食事の量を減らさなくてはならないのだが、食欲はますます増大している。下の写真は外出自粛要請解除の後、さっそく家族と行ったラーメン屋で食べた「角煮ラーメン」。
腹八分目にするか腹一杯食べるか……。迷う自分を素直に受け入れ、大盛で注文し、ライスとともにペロリ。
煩悩が消え去り、悟りの境地がやってくる日は一体いつになるのであろうか……。