ゴロネ読書退屈日記

ゴロネ。読書ブログを目指している雑記ブログ。2人の息子とじゃれ合うことが趣味。

大胆さと繊細さが絶妙にマッチしたSFお仕事小説『タイタン』の話

 

 

就職してからこれまで、怠け者の僕は仕事の過酷さに苦しんできた。

 

生きるためとはいえ、なんでこんなに仕事ばかりしなきゃならんのだ。仕事などどこかに放り捨てて、一生ぐうたらして過ごしたい!と毎日のように思っていた。

 

……ところ、このコロナ禍で自身の仕事が一時停止し、ぐうたらできる時間が一気に増えた。望んでいた時間を得て最初は幸福な気分であったが、この生活が数ヶ月続き、どうも近頃生活に「ハリ」が感じられないようになり苦しんでいる。

 

あんなに嫌だった仕事に恋しささえ抱くようになっているのである。……働きたい。働いて社会の、誰かの役に立ち、自己有用感を得たい。

 

時には苦しみを、時には喜びを人に与えるこの「仕事」とは一体何なのか……? この問いを抱く現代人は少なくないだろう。

 

SF小説という形で読み手の想像力を大いに刺激しながら、この哲学的とも言える深遠な問いに共に挑んでくれるのが、鬼才・野﨑まどが描く『タイタン』である。

 

 

 

タイタン

タイタン

 

 

物語の舞台は、社会の平和が保たれた未来の世界。人類は「仕事」から解放され自由を謳歌している。この平和と自由は何もかも至高のAIである「タイタン」による恩恵である。

 

   『タイタン』

   人間の代わりに仕事を行うもの。

   人間の暮らしをサポートするもの。

   それらを自律的に行うもの。

   産業機械、建築機械、輸送機械、掃除機械、センサー、ネットワークで繋がるもの、総合処理AI、それら個々の呼称であると同時に、それら全ての総称。

 

この世界では、人間がかつて行なっていた「仕事」をタイタンがほとんど全て代替している。家を建てることも、物を運ぶことも、何かを調べることも、掃除をすることも、マッチング率の高いパートナーを探してくれることだって、タイタンは効率よく行なってくれる。読み手によっては「なんて素晴らしい世界なんだろう!」と、この小説に理想の世界像を見出すことだろう。

 

主人公の内匠成果(ないしょうせいか)は心理学を「趣味」にしている。心理学に関する講演会を「趣味」で行なったりもする。

 

そんな彼女の元に突然「仕事」が舞い降りる。世界でほんの一握りしかいない「就労者」のナイロンが、心理学に通じた内匠にしかできない「仕事」を彼女に依頼するのである。彼女に託された「仕事」とは、突如として機能不全に陥ったタイタンのカウセリングであった……。

 

ここまでが序章にあたる「就労」のあらすじ。最高のつかみである。この時点で僕はこの小説は絶対に面白いと確信し、安心して読み進めることができた。

 

期待は裏切らず、しかし予想は大胆に裏切りながら、抜群の面白さを保ちつつ物語は展開していく。

 

 

 

十二あるタイタンの中で機能不全に陥ったのは、第二知能拠点、通称「コイオス」である。機能不全の理由は一切不明。タイタン管理者のナイレン、エンジニアの雷(レイ)、AI研究者のベックマン博士のサポートを受けながら、内匠は心理学の知識を生かして、人格化されたコイオスとの対話を試みる。


「心」という非常に繊細なものをテーマに扱いながらも、話の展開は大胆でスケールが大きい。コイオスの心を救えなければ、タイタンに支えられている世界の機能は停止してしまう。「仕事」の経験を持たない内匠と、「仕事」をすることに一切の疑問を持ってこなかったコイオスは「仕事とは何か?」という問いを中心にしながら、心の交流を重ねていく。


とある理由で、内匠とコイオスは第二知能拠点があった北海道からシリコン・ヴァレーまでを旅することとなる。全世界の人間の生活を支えるAIの意識の深層を探る営みと、大陸間の移動を並行させるダイナミズム……。読んでいてわくわくが止まらない。


さらに、クライマックスにおける、高度なAIでしか成り立たないタイタン同士のコミュニケーションの場面といったら! 想像の斜め上を行き、度肝を抜かれずにはいられなかった。

 

 

 

カウセリングが物語の中核にあるのだから当たり前なのかもしれないが、物語の底流にずっと「優しさ」があったことに個人的にはとても好感が持てた。

 

AIにコントロールされた社会という世界観だと、古典的SFの世界に慣れている人であれば、ついAI対人間という展開を予想しがちである。しかしながら、この物語に登場するAIは人間に対して徹頭徹尾優しく、決して敵対などしない。僕はこの小説の内匠の以下にある語りの部分に線を引いた。

 

昔見た古典のSF映画を思い出す。機械に管理された世界がアンチ・ユートピアとして描かれていた。そして私達は今そんな世界に生きている。映画と違うのは、機械が心の底から人間の幸福を願っているということ。そして私達もまた管理してもらう幸福を選択してきたていうこと。

 

現代の先進国では、自分たちの安全や快適さや利益のために、自ら進んで個人情報をビックデータに提供する光景は珍しくない。管理してもらう幸福を選択しているのだ。古典的なディストピア社会より、この『タイタン』の世界のような未来像の方がリアリティがあるかもしれない。

 

コイオスと内匠の温かな心の交流も、(少々セカイ系チックではあるが)丁寧に描かれていて良い。最初はコミュニケーションに失敗しながらも、内匠の努力によってコイオスは少しずつ心を開き、「大人」になっていく。

 

それと同時に「仕事とは何か?」という問いに対しても答えを曖昧にすることなく、コイオスと内匠の段階的な対話の内容をヒントにしながら、しっかりと単純明快な答えに着陸させている。思わず「お見事!」と唸ってしまったのであった。

 

 

 

今日から本格的に僕の「仕事」も始まった。

 

コイオスと内匠の「仕事」を巡る心の旅に付き合った影響だと思うが、今のところ「仕事」に対するやる気はマンマンである。