ゴロネ読書退屈日記

ゴロネ。読書ブログを目指している雑記ブログ。2人の息子とじゃれ合うことが趣味。

体が溶け出す8月がやってきた話

 

いつの間にか30回目の8月がやってきた。僕はそれに気づき、慌てて朝からプールに飛び込んだ。水の中は気持ちがいい。

 

プールに入ると、学生の頃を思い出す。大学生の夏休みがあまりに長く、退屈であったので、毎日午前中は近所のプールに通っていた。へたくそなクロールと平泳ぎを繰り返し、飽きると、流れるFMヨコハマを聴きながらプールサイドでファンタを飲んだ。

 

あの頃は止まっているんじゃないかと思うほど時の流れがのろのろとしていたが、この頃はどういうわけかとてつもなく早く進む。今年の夏も少し目を離したらすぐにどこかへ行ってしまいそうなので、夏をなるべく体感すべく、プールの底に潜水し、必死に足をばたつかせた。

 

ここ数ヶ月でため込んだ精神的な疲労が体の外に流れ出ていくことをイメージして泳いだ。空っぽになりたい。体のほうも強い日差しでどろどろと溶け出しそうであった。

 

 

 

バターのようになってしまった心身は、この猛暑で同じくどろどろになった他の心身を追い求めた。最終的に、群体は混ざり合って一緒くたになり、一つの普遍的な単体生命体に進化するのであった……。

 

そこまでイメージしたところで吐き気がしてきた。これじゃ『エヴァンゲリオン』の人類補完計画である。

 

近代的自我は孤独という深刻な病をもたらしたが、だからといって、個と個の壁を取り払ってみんなで一緒になりましょうという思想にはやっぱり嫌悪感がある。自分という個性への執着はなかなか捨てがたいよなあ。

 

プールからあがり、昼食にセブンイレブンで買っておいた焼きそばパンを食べた。

 

 

 

個性なんてものに価値はないとおっしゃるのは養老孟司先生。帰宅し、クーラーの効いた部屋でごろ寝しながら、先生の『無思想の発見』をぱらぱらと読んだ。

 

無思想の発見 (ちくま新書)

無思想の発見 (ちくま新書)

  • 作者:養老 孟司
  • 発売日: 2005/12/06
  • メディア: 新書
 

 

「意識に個性はあるか」という問いに対して、そんなものはないと先生は言う。意識内容……心に個性があったら、互いに了解ができない。「個性的な心」とは「他人には理解できない心」なので、現代人の「心にこそ個性がある」という考えは徹底的な間違いである。

 

よく使われる日本語で表現するなら、ほとんどの人は「我がまま」つまり「個性的である自分のまま」だから、普遍的な思想に到達しない。その個性とは、偶然である外的条件、家族、地域、友人、周囲の自然環境などに左右されて生じたものである。そうした条件は、人によって当然異なる。そこで通用する自分を自分だと信じているから、個性的で独創的になってしまう。世界中どこに行っても通用し、百年経っても通用する、そんなことを、考えることができないのである。

 

個性なんてその程度のものでしかない。ただの偶然の外的条件でしか通用しないものである。それは分かっているんだけど……。

 

読みながら寝落ちした。

 

 

 

健康診断に行ったが、体重が昨年に比べて6キロ落ちていた。

 

大好きだったお米を、朝昼は我慢して、夕飯時だけ摂る食生活に変更したことが功を奏したようですね。