ゴロネ読書退屈日記

ゴロネ。読書ブログを目指している雑記ブログ。2人の息子とじゃれ合うことが趣味。

平成スーパー戦隊シリーズOP曲私的ベストテン

スーパー戦隊シリーズ最新作、『快盗戦隊ルパンレンジャーVS警察戦隊パトレンジャー』 が面白い。

f:id:gorone89:20180312180001j:plain

タイトルからわかるように、今作では戦隊同士が戦うのである(長いタイトルですね)。戦隊同士が戦う「VS」シリーズは、オリジナルビデオや劇場版でこれまでもあったけど、テレビシリーズで「VS」要素を前面に押し出すのは今作が初めて。

 

「君はどっちのヒーローを応援する?」といったキャッチコピーを使い、ファンの子供たちの間にも「VS」の構造を持ち込ませようとしているところも面白い(僕は「ルパンレンジャー」を応援しています)。いずれは悪の組織に対して共闘するようになるのだろうけど、彼らがどのように争い、どのように力を合わせていくのか、今後の展開が楽しみである。

 

オープニングテーマ「ルパンレンジャーVSパトレンジャー」も、「VS」を意識したデュエット曲になっていて興味深い。

男性ボーカル(吉田達彦)が「ルパンレンジャー、ダイヤルをまわせ」を歌い、女性ボーカル(吉田仁美)が「Chase You Up! パトレンジャー」を歌い、それがかけ合いとして「合体」し、ひとつの曲になっているのである。

 

 

そういえば、平成のスーパー戦隊は今作で最後かあ(厳密に言うと、次のスーパー戦隊の最初の2ヶ月くらいは平成だけど) 。

 

高速戦隊ターボレンジャー』(平成元〜2年)から今作まで数えると30作品。どれも個性的な作品ばかりである(僕は平成元年生まれで、リアルタイムで見ているのは、『鳥人戦隊ジェットマン』(平成3〜4年)から)。

 

平成の思い出を振り返る自己満足企画の一つとして、「平成スーパー戦隊シリーズOP曲私的ベストテン」という記事を書くことを思い立った。

 

 

平成スーパー戦隊シリーズOP曲私的ベストテン

 

第10位

「シークレットカクレンジャー」(トゥー・チー・チュン)/『忍者戦隊カクレンジャー』(平成6~7年)

 

忍者戦隊カクレンジャー コンプリートソングコレクション

忍者戦隊カクレンジャー コンプリートソングコレクション

 

 「あれは、なんなんじゃ、ニンジャ、ニンジャ~♪」。「ハリケンジャー」より「ニンニンジャー」より、やっぱり「カクレンジャー」です。

 

 

第9位

海賊戦隊ゴーカイジャー」(松原剛志)/『海賊戦隊ゴーカイジャー』(平成23~24年)

海賊戦隊ゴーカイジャー主題歌

海賊戦隊ゴーカイジャー主題歌

 

ゴーカイジャーは、ゴーカイジャー以前の全ての戦隊に変身できる。毎回何の戦隊に変身するか楽しみにしていたのを思い出します。 

 

第8位

魔法戦隊マジレンジャー」(岩崎貴文)/『魔法戦隊マジレンジャー』(平成17~18年)

 「勇気という名の魔法を持ってる」というポジティブフレーズが好きです。

 

 

第7位

ガオレンジャー吼えろ!!」(山形ユキオ)/『百獣戦隊ガオレンジャー』(平成13〜14年)

百獣戦隊ガオレンジャー ソングコレクション

百獣戦隊ガオレンジャー ソングコレクション

 

 カラオケで歌うと、「ガオーッ!」の雄叫びで声が枯れます。

 

 

第6位

「JIKU〜未来戦隊タイムレンジャー」(佐々木久美)/『未来戦隊タイムレンジャー』(平成12〜13年)

(ANIMEX1200-176)未来戦隊タイムレンジャー 音楽集1

(ANIMEX1200-176)未来戦隊タイムレンジャー 音楽集1

 

 歌詞が難しすぎて、子供には歌えません。

 

 

第5位

鳥人戦隊ジェットマン」(影山ヒロノブ)/『鳥人戦隊ジェットマン』(平成3〜4年)

鳥人戦隊ジェットマン

鳥人戦隊ジェットマン

 

 物語の暗さと、OPの明るさのギャップが激しいです。

 

 

第4位

「爆走戦隊カーレンジャー」(高山成孝)/『爆走戦隊カーレンジャー』(平成8〜9年)

(ANIMEX1200-172)激走戦隊カーレンジャー 音楽集

(ANIMEX1200-172)激走戦隊カーレンジャー 音楽集

 

 「車」をモチーフにしている戦隊らしく、疾走感のある曲です。

 

 

第3位

電磁戦隊メガレンジャー」(風雅なおと)/『電磁戦隊メガレンジャー』(平成9〜10年)

電磁戦隊メガレンジャー MUSIC COLLECTION

電磁戦隊メガレンジャー MUSIC COLLECTION

 

 「退屈とはおさらばさ」という歌詞がいい。あれから20年。今でも「退屈」からは逃れられそうにありません。

 

 

 第2位

恐竜戦隊ジュウレンジャー」(佐藤健太)/『恐竜戦隊ジュウレンジャー』(平成4〜5年)

「恐竜戦隊ジュウレンジャー」コンプリート・ソングコレクション 戦隊16

「恐竜戦隊ジュウレンジャー」コンプリート・ソングコレクション 戦隊16

 

前奏が1分ほどあり、早く歌に入れよって聴くたびに思います。

 

第1位

五星戦隊ダイレンジャー」(NEW JACK 拓郎)/『五星戦隊ダイレンジャー』(平成5〜6年)

「五星戦隊ダイレンジャー」コンプリート・ソングコレクション

「五星戦隊ダイレンジャー」コンプリート・ソングコレクション

 

 「転身だぁ〜!!」から始まる熱い歌に、心の奥底にあるヒーロー魂が燃え上がります。

 

 

やっぱり自分が幼い頃に熱心に見ていた戦隊のOPばかりがランクインしてしまいました。

『西郷どん』と『翔ぶが如く』にドハマり中

 

2018年の大河ドラマ『西郷どん』が面白い。

f:id:gorone89:20180307194557j:plain

 

毎年大河ドラマは、途中で飽きて、見ることをやめてしまうことが多いのだけれど、『西郷どん』は最後まで楽しんで見られる気がしている。そのすがすがしさのあるノリに魅了され、次の回が毎週気になってしょうがない。(林真理子の原作は未読)

 

幼き日の西郷隆盛(小吉)が島津斉彬に出会ったり、西郷家が大久保家の隣だったりなどなど、史実にこだわらない細かな演出の一つひとつがドラマに深みを与えている。

 

第9回では、西郷どん(鈴木亮平)は、島津斉彬渡辺謙)のお供として江戸へやってくる。徳川家定又吉直樹)、徳川斉昭伊武雅刀)、一橋慶喜松田翔太)、井伊直弼佐野史郎)などクセの強そうな新しい人物たちが次々と登場し、彼らが今後どのように物語にからんでくるのか楽しみである。

 

 

 

職場には『西郷どん』を見ている人がおらず、語れる相手がいなくて寂しい。

 

僕は、歴史や大河ドラマに興味が一ミリもない妻に、一緒に『西郷どん』見てくれることを期待して、息子が寝静まった後、『西郷どん』の魅力を一生懸命に話した。

 

僕の熱い語りが終わると、妻は言った。

 

「……明日、ゴミ出し忘れないでね」

 

チェスト!!

 

 

 

『西郷どん』に熱中している勢いで、司馬遼太郎の『翔ぶが如く』を読み始めた。

 

新装版 翔ぶが如く (1) (文春文庫)

新装版 翔ぶが如く (1) (文春文庫)

 

明治維新とともに出発した新しい政府は、内外に深刻な問題を抱え絶えず分裂の危機を孕んでいた。明治六年、長い間くすぶり続けていた不満が爆発した。西郷隆盛が主唱した「征韓論」は、国の存亡を賭けた抗争にまで沸騰してゆく。征韓論から、西南戦争の結末まで新生日本を根底からゆさぶった、激動の時代を描く長篇小説全十冊。 

 

司馬遼太郎の長編はほとんど読んだけど、この西郷隆盛の人生の後半戦を描く『翔ぶが如く』は未読であった。司馬史観に対する批判的な文章を目にすることもあるけど、やっぱり司馬遼太郎の小説は圧倒的に面白い。

 

物語は、パリ行きのフランスの列車の中で、薩摩藩士の川路利良が大便を我慢しているところから始まる。川路は、フランスの警察制度をどのように、出来上がったばかりの明治政府に輸入するかを懸命に考えることによって、便意をまぎらわせようとするが、ついに我慢の極みがやってくる。

 

彼は他の客に気づかれないように、床に新聞紙を敷き、

 

大いに発した。叫びをあげたいほどの解放感であった。

 

川路はそれを日本の新聞紙に包み、列車の窓から投げ捨てるのである。しかし、なんとその包みは保線夫に命中し、新聞紙の日本文字から犯人は日本人であることが判明する。そして、その「日本人うんこ投げ捨て事件」はフランスの新聞によって報じられてしまうのである。

 

……最高の始まり方です。

 

 

 

翔ぶが如く』の西郷の人間性の描かれ方もこれまたいい。

 

小説の中で、川路は西郷を「桜島のようだ」と形容している。威圧の中に無限の優しさがあり、たまにでくのぼうに見えるが、爆発を起こす危険性もはらんでいる。人は自然と西郷隆盛を崇拝する気持ちになってしまう。

 

こういう人って現代でもたまにいるよなあ。この人にどこまでもついて行きたいとか、この人の一挙一動を真似したいって気持ちにさせられる人。(宮台真司がよく言う「感染させる力」のある人)

 

これまで僕は『竜馬がゆく』の坂本竜馬が断然好きだったのだけれど、今は西郷隆盛にすっかり魅了されています。

 

 

 

『西郷どん』の話に戻るが、この大河ドラマはこれから先もっともっと面白くなっていくことを確信している。

 

まだ西郷は若く、島津斉彬など周囲のすごい人々に圧倒されるばかりで、戸惑いの表情も多い。これから、どんどんとその才能を開花させ、周囲に影響を及ぼし、時代を転換させ、民衆のヒーローになっていく様(そして、明治政府の敵となる様)が楽しみである。

 

桜島のように、心身共に大きい男になれるのであろうか? テレビの前で「西郷どん」の成長を一生懸命応援したいと思います。

大杉漣と『ソナチネ』と『蠅の王』の話

 

大杉漣が亡くなったことを知ったとき、まず頭の中に思い浮かんだのは、北野武監督の映画『ソナチネ』(1993年)で、赤いアロハシャツを着た大杉漣が砂浜の落とし穴に落ちるシーンであった。

 

f:id:gorone89:20180302230037j:plain

 

僕は何年かぶりに『ソナチネ』のDVDを再生した。

 

 

 

ビートたけし演じる村川組組長の村川は、やくざ業に嫌気が差している。

 

村川は、親分組織である北島組に命じられ、組員を連れて沖縄へと抗争の手助けに行く。沖縄に着いた村川組は早速、敵組織の襲撃を受け、何人かの組員を失う。

 

村川は、大杉漣演じる片桐など数人の子分を連れ、沖縄の片田舎にある隠れ家に避難をする。暇を持て余した彼らは、浜辺で相撲をとったり、飛ばしたフリスビーを拳銃で狙い打ちをしたりと、日々遊んで過ごすのである。

 

青い空、青い海、白い砂浜で子供のように遊びを繰り返す大人たち……文章にすると微笑ましい光景が浮かぶのであるが、映画を見ると、この場面から、なぜか死の匂いを感じずにはいられない。北野武監督独特の繰り返しのリズムによる演出は、たまに見ている側の不安を強烈に掻き立てる。

 

落とし穴は、砂浜での遊びの一つである。村川は自分で掘った落とし穴に片桐などの子分を落とし、無邪気に喜ぶ。

 

f:id:gorone89:20180302225508j:plain

 

僕は『ソナチネ』の「落とし穴」を、「人間の残酷性がもたらす死」の象徴として受け取ってしまう。子分たちは、映画の後半、落とし穴に落ちるかのように唐突に命を奪われていく。

 

村川は、他者からの暴力による死からは決して逃れられないだろうということを悟っている風であり、拳銃による自決を夢想したりする。

 

f:id:gorone89:20180302230111j:plain

 

 

 

この映画で特に印象に残るのは、村川と、村川たちの遊び仲間として加わった女(国舞亜矢)との会話である。

 

「平気で人撃っちゃうの、すごいよね。平気で人殺しちゃうってことは平気で死ねるってことだよね。強いのね。私、強い人大好きなの」
「強かったら拳銃なんか持ってないよ」
「でも平気で撃っちゃうじゃん」
「怖いから撃っちゃうんだよ」
「でも死ぬの怖くないでしょ?」
「あんまり死ぬの怖がるとな、死にたくなっちゃうんだよ」

 

人が本来持つ獣性と、それにどのように向き合うかについて考えさせられる映画である。

 

 

4

 

「人の持つ獣性」というと、小説であると、『蠅の王』を連想する。

 

蠅の王 (新潮文庫)

蠅の王 (新潮文庫)

 

 

未来における大戦のさなか、イギリスから疎開する少年たちの乗っていた飛行機が攻撃をうけ、南太平洋の孤島に不時着した。大人のいない世界で、彼らは隊長を選び、平和な秩序だった生活を送るが、しだいに、心に巣食う獣性にめざめ、激しい内部対立から殺伐で陰惨な闘争へとの駆りたてられてゆく……。

 

大人のいない孤島に生きる少年たちは、正体不明の獣に怯え、不安から衝突する。ただひとり、「獣というのは、ぼくたちのことにすぎないかもしれない」と気づいたサイモンとう少年は、人間の内なる暗黒の象徴である蠅の王と対決する。

 

そして、蠅の王はサイモンに言う。

 

わたしはおまえたちの一部なんだよ。おまえたちのずっと奥のほうにいるんだよ?

 

自身の獣性に目をそらさず、向き合うことで、初めて人は人間性を獲得できるんじゃないかなと思ってみたり。

 

5

 

オチが思いつかず、なんだかすごくまとまりのない記事になりました(いつもだけど)。失敗。

 

大杉漣さんのご冥福をお祈りいたします。

御殿場アウトレットとチョコレートと『世界からバナナがなくなるまえに』の話

 

妻と生後10ヶ月のハルタと、休日に静岡県にある御殿場プレミアム・アウトレットに行ってきた。

 

f:id:gorone89:20180224093232j:plain

 

車でアウトレットの近くまで行くと、場外駐車場へ案内された。場外駐車場からは無料のシャトルバスが出ていて、それに乗ってアウトレットへと向かう。

 

そのバスの車内は、お客さんでぎゅぎゅう詰めであった。僕は畳んだベビーカーを持っていたので、ほかのお客さんにとってはさぞ迷惑であったことだろう。ごめんなさい。

 

……という話を、御殿場アウトレットによく行く先輩に話したら、「案内されても、場外駐車場に行かなければいいんだよ」と言われた。案内を無視して、そのままアウトレットの敷地に向かっていくと、すんなりと場内の駐車場に停められるそうな。本当かしらん。

 

 

 

アウトレットでは、服を見るのもそこそこに、ポケモンショップに向かった。

 

妻は、ハルタピカチュウのブランケットを買ってあげていた。

 

f:id:gorone89:20180224062736j:plain

 

かわいらしい。

 

さらに、僕と妻は持参した3DSを取り出し、ポケモンショップ限定の色違いのグラードンカイオーガをそれぞれ受け取った。

 

f:id:gorone89:20180224062947j:plain

 

ハルタのうんちみたいな色のグラードンだね」と僕は妻に言おうとしたが、やめておいた。

 

 

 

ポケモンショップでの買い物を済ませると、ゴディバに寄り、チョコレートを食べた。本当にゴディバのチョコは美味しいです。幸せな気分になれる。

 

僕は大の甘党である。特にチョコが好きで、昔から暇があるとチョコチョコ食べていた(チョコだけに)。運動の合間にも、エネルギー源になると信じて、チョコを食べていたときもあった(今は自身の健康に配慮して、以前より量は減らしています)。

 

しかし、そんな美味しいチョコが、近い将来に簡単には口にできなくなるという危機にさらされているということを、『世界からバナナがなくなるまえに』を読んで知った。

 

 

 

世界からバナナがなくなるまえに: 食糧危機に立ち向かう科学者たち

世界からバナナがなくなるまえに: 食糧危機に立ち向かう科学者たち

 

 

バナナは、僕が唯一苦手な食べ物である。ファミレスなどでパフェを注文するときは、店員さんに必ず「このパフェってバナナ入っていますか?」と確認する。

 

本屋で『世界からバナナがなくなるまえに』というタイトルを目にしたとき、自分とってはバナナが世界からなくなるのって好都合だなと思った(自分勝手なやつですね)。自分の苦手な食べ物の消滅するストーリーが知りたいという興味がわき、購入した。

 

軽い気持ちで読み始めたのであるが、その濃い内容に圧倒された。

 

この本には、病原体による現代の食糧危機と、それに立ち向かう科学者たちの戦いが熱を持って書かれている。バナナだけでなく、私たちが頼る数少ない作物は、すべて危機にさらされている。……チョコレートの原料である、カカオも例外ではない(がーん)。

 

この食料危機の危険性を一気に高めたのが、大規模なアグリビジネス(農業関連産業)の台頭である。

 

アグリビジネスは、生産の極端な効率化を図るために、広域な農場に単一栽培(モノカルチャー)を行っている。短期的な効率化には最上の手段ではあるが、広大な農場に遺伝子的に同一の作物しかないというのは長期的に見て非常に危険である。

 

遺伝子的に同一ということは、同じ害虫や病原体に弱いということである。一つの作物が弱点である害虫や病原体に攻撃されると、その農園の作物が全滅する道にそのままつながるのである。

 

 

5

 

チョコレートの原料であるカカオの危機の話は、第6章『チョコレートテロ』、第7章『チョコレート生態系のメルトダウン』に書かれている。『チョコレートテロ』の話は本当に衝撃的であった。

 

ブラジルはかつて世界二位のチョコレート生産国であった。しかし、農業テロリストによって故意にもたらされた病原体により、急激に、そして徹底的にブラジルのカカオ帝国は崩壊し、今ではブラジルはチョコレートの純輸入国になってしまったというのだ。

 

 アグリビジネスに対する農業テロを防ぐことは非常に難しいらしい。

 

   悪意ある個人、テロリスト組織、敵対する政府などによって、カカオのように簡単に破壊され得る作物が、他にどれくらいあるのだろうか?  作物は、広大な畑に栽培されるのに対し、害虫や病原体は一箇所もしくは数箇所に放てば済む。だから、作物は標的になりやすい。害虫や病原体の「兵器化」は、それほどむずかしいことではない。(中略)さらに都合が悪いことに、農業に対するテロ行為は、すぐに見つかりにくい。見つかっても犯人の特定は非常にむずかしい。害虫や病原体がどこから来たのかを確実に突き止めることさえ困難だ。

 

現在、世界で消費されているチョコレートのほとんどは、西アフリカで栽培されているカカオが原料である。もしそのカカオが農業テロの標的となってしまったら……?

 

 ☆

 

故意でなくとも、自然に害虫や病原体が農場に拡散する可能性は常にある。本書ではそういった食糧危機に対する科学者の地道な戦いと、私たちに何ができるかということが書かれていて、最初から最後まで知的好奇心を大いに刺激されました。

 

 

6

  

f:id:gorone89:20180224093308j:plain

 

現在、春限定でゴディバで発売されている「ショコリキサーホワイトチョコレートさくら」が非常に美味しそうです。

『千と千尋の神隠し』の千尋の両親は豚の姿にならずとも、もともと豚だったのではないかという話

1

 

www.shibakao.net

 

さて、上の記事は、CookDo「中華が、家族を熱くする。」回鍋肉CMを批判するものである。

 

ブログ主さんは、大皿に並べられた回鍋肉を前にした子どもたちが、兄の「いただきますしてから!」と言う言葉を、「省略~!」と言って無視し、回鍋肉にがっつく姿にお怒りになっていらっしゃいます。食への冒涜だろうと。

 

内容に全面的に同意しつつ、僕がこの記事を読んでぱっと連想したのは、『千と千尋の神隠し』の序盤で、千尋の両親が料理をむさぼり食うシーンである。

 

 

 

f:id:gorone89:20180217135615j:plain

 

トンネルを抜けた先にある不思議な町にやってきた千尋千尋の両親。父親はおいしそうな匂いをかぎつけ、様々な料理がてんこ盛りになった皿が並べられている料理店を見つける。

 

千尋の両親は、店主の不在にお構いなしに、「いただきます」も言わず、いきなり料理に食らいつく。いくらお腹が減っていたとしても、下品過ぎる。しかもその料理はかなり得体の知れないものである。悲しき哉、飽食の時代。

 

千尋は本能からか、気味悪がって料理店に入ろうともしない。

 

宮崎駿監督作品において、豚は人間の果てのない欲望のメタファーである。

 

この後、両親が豚になってしまうのは必然と言えるだろう。

 

 

 

千尋は最初、お世話になる人(リン)に挨拶もできず、お世話になった人(釜じい)に感謝の言葉も言えない少女である。

 

しかし、これまでの人生のアイデンティティーである「名前」を湯ばあばに奪われ、「千」として働き始めてから、様々な危機に直面することで、環境に素早く適応し、潜在していた「生きる力」を著しい勢いで伸ばしていく。

 

これは子どもだけが持ちうる柔軟性である。さらに、少女である千尋は、金に関心を全く示さないなど、まだ無垢さを残している。

 

神隠しに遭うことなく、汚れてしまった大人の代表である、あの両親のもとで育っていたとしたら、眠っている千尋の「生きる力」は眠ったままであり、無垢さもすぐに消滅していたことだろう。

 

物語の終盤、湯ばあばは、豚の集団の前に立ち、どの豚がお前の両親か当ててみなと千尋に難題を出す。

 

数々の危機を乗り越え、感覚が研ぎ澄まされた千尋は「この中に、お父さんもお母さんはいない」と毅然と答える。

 

ずっと前に読んだどこかの評論に、このセリフは、「もうお父さんもお母さんも私には必要ない。私は一人で生きていける」という意味で読み取ることができると書いてあって、なるほどと思ったことを覚えている。

 

 

 

「親からの脱却」は、『千と千尋の神隠し』のテーマの一つであると言って間違いはないだろう。

 

環境に対する感謝や、謙虚さを忘れ、果てのない欲望にまみれた人間になることを避けるには、子どもの内からなんとかしなければならない。もう大人になってしまっては内面の変革は不可能なのである。

 

f:id:gorone89:20180217184012j:plain

 

先ほども述べたように、千尋の両親が豚となってしまったのは必然である。千尋の両親は内面に忠実な姿形になったという、ただ単にそれだけの話なのである。

 

 

 

かくいう僕も、豚の一人です。今夜はしゃぶしゃぶの食べ放題に行ってきます。

『吾輩は猫である』とマイホームの夢の話

 

猫がちょっと苦手だ。別に猫に何か危害を加えられたといった思い出はないのだけれども、ただ苦手なのである。

 

特に猫のあの目に苦手意識がある。猫を前にすると、人の心を見透かされているような心持ちになり、妙に落ち着かない。

 

吾輩は猫である』の名もなき猫のように、猫にいろいろと観察されたり、言動をいちいち批評されてたとしたらたまったものではない。

 

吾輩は猫である (新潮文庫)

吾輩は猫である (新潮文庫)

 

 

人間の定義を言うと、ほかに何もない。ただ入らざることを捏造して自ら苦しんでいる者だと言えば、それで充分だ。

 

 

 

僕と妻、10ヶ月の息子ハルタの3人で、静岡に一泊二日の小旅行をした。

 

初日の朝、軽く朝食を済まし、荷ごしらえをし、車で出発した。最初の目的地まで、3時間ほど走る。車を運転していると、だんだんとお腹がすいてきた。

 

「お腹すいた。どんぐり食べたい」と僕。

 

「リスかっ。……おにぎり握ってきたよ」と妻

 

おにぎりを受け取り、食べた。うまし。梅干しおにぎり大好き。

 

そういえば、家族3人で車に乗って旅行するのは初めてだ。なかなか楽しい。

 

最初の目的地は、妻の友人夫婦の新築のお宅である。

 

 

 

妻の友人宅には、猫がいた。

 

人懐っこい猫で、僕にも体をすり寄せてきた。「うっ……」あまり気にしないようにした。

 

ハルタを猫の前に出してみた。ハルタはこれまで人見知りをほとんどしなかったし、犬などに出会ってもケラケラと笑って、結構図太い。さて、猫はどうかしらん。

 

「うわあああああ!!」

 

めっちゃ泣いた。

 

妻の友人宅をあとにするまで、ハルタはずっと猫におびえ、ぐずぐずし、妻にしがみついていたのだった。

 

 

 

お家を見学させていただいたが、妻の友人夫婦の思いやこだわりの詰まった素敵なお家であった。

 

僕ら家族は、現在3人で賃貸マンション暮らし。家を建てることになったら、将来のことを考え、大変だろうけど、こだわりを持ってみたい。

 

定職に就き、結婚し、子供を授かり、マイカーを購入した。妻とちゃんと話し合ったわけではないが、次はマイホームだなと自然にぼんやりと考えていた。案外、僕って持ち家信仰者だったのね。

 

理想の家というのもないわけでもなく、僕としては、壁の少ない、開放感のあるお家に住みたいなあと今のところなんとなく思っているのである。

 

 

 

allabout.co.jp

 

上の記事に、『吾輩は猫である』の珍野苦紗弥邸の間取り図が載っていた。

 

f:id:gorone89:20180212120605j:plain

 

壁が少なく、障子やふすまで畳の部屋を仕切る、純和風住宅である。ちょっとこういう昔風な家にも憧れがあったりする。

 

とりあえず、どんなに狭くてもいいから、苦沙弥先生宅のように自分の書斎が欲しいという夢もある。

 

一家団欒のときが過ごせる開放感のある家に住みたいという願望もあるけど、一日に1,2時間くらい、閉鎖された静かな書斎で、ひとり読書に耽りたいという相反する欲望もあるのです。

『スーパーマリオ』のアニメ映画化もいいけど、『スーパーマリオくん』のアニメ化を強く望む話

 

小学校の低学年から中学年頃(平成8~11年あたり)にかけて、僕は『月刊コロコロコミック』の熱心な愛読者であった。親にせがんで毎月欠かさず買ってもらい、隅から隅まで読み込んでいた。

 

爆走兄弟レッツ&ゴー』(こしたてつひろ)、『学級王ヤマザキ』(樫本学ヴ)、『星のカービィ デデデでプププな物語』(ひかわ博一)、『ウホウホドンキーくん』(須藤ゆみこ)、『爆球連発!!スーパービーダマン』(今賀俊)、『超速スピナー』(橋口隆志)、『ゴーゴー!ゴジラッ!!マツイくん』(河合じゅん)、『ビックリマン2000』(犬木英治)、『うちゅう人 田中太郎』(ながとしやすなり)などの作品に夢中になったが、特に思い入れが強いのが、

 

沢田ユキオ先生の、『スーパーマリオくん』である。

 

スーパーマリオくん (1) (コロコロドラゴンコミックス)

スーパーマリオくん (1) (コロコロドラゴンコミックス)

 

 

初めて買ってもらったコミックスも『スーパーマリオくん』であった。沢田ユキオ先生にファンレターを送ったこともあります。

 

 

 

ゲーム『スーパーマリオ』がアニメ映画化する(※1)というニュースを読んだ。

 

japanese.engadget.com

 

スーパーマリオ オデッセイ』の鮮やかで滑らかなCGアニメーションを見たり、ゲーム世界でのマリオのスター性を考えたりすると、すでにマリオは、「デジタル時代のミッキー」と呼べる存在になったと言えるのかもしれないと思う。だから、任天堂とアメリカの映画会社が協力して「マリオ」をアニメ映画化することはすごく自然なことに思えるし、マリオゲームファンの自分としてもとても嬉しい。

 

ただ、実は僕はゲームのマリオより、漫画『スーパーマリオくん』のマリオへの愛のほうが強い。

 

ゲーム『スーパーマリオ』の映画化もいいけど、アニメ化された『スーパーマリオくん』を見てみたいと昔からずっと思い続けているのである。一回限りで、15分くらいのアニメーションで構わないからさ。

 

 

 

スーパーマリオくん』は、『コロコロコミック』で平成2年から現在まで連載が続くギャグ漫画。『月刊コロコロコミック』では、最も連載期間の長い作品である。(2017年2月現在、コミックスは52巻まで刊行)

 

マリオ、ルイージヨッシークッパなど様々な(アホな)キャラクターが、体を張ったギャグや、下ネタや、ダジャレを次々と展開する。(まれに泣ける話もある)

 

そのわかりやすいストーリーと、テンポのよいギャグに僕は夢中になった。

 

よく覚えている話は、初期の「スーパーマリオワールド編」(だったと思う)で、笑い上戸の敵に、「すべってころんで大分県!」「三振打者 オラウータン!」「うめぼし食べて スッパーマリオ!」といったダジャレをマリオが繰り出し、笑いが止まらなくなった敵を倒すという話である。

 

少年のころの僕は、『スーパーマリオくん』に影響を受け、友達にダジャレを連発していた(まじでうざかったと思う)。僕の少年時代の言語能力は、『スーパーマリオくん』によって培われたといっても過言ではない。

 

 

 

以下の沢田ユキオ先生への最近のインタビュー記事を読んで、『スーパーマリオくん』への熱い思いがよみがえってきた。

 

www.famitsu.com

 

スーパーマリオくん』が読みたくなり、昨年発売された『スーパーマリオくん 傑作選』を買って読んだ。中期から最近にかけての話が多いけど、なんだかノリが懐かしくて涙が出そうになった。

 

 

『傑作選』には、『コロコロアニキ』に掲載された衝撃回、『スーパーマリオッさん』が収録されている。沢田ユキオ先生がマリオと自分を重ね、長くギャグ漫画を連載することの苦悩と喜びを吐露する。『スーパーマリオくん』ファン必見のお話です。

 

 

 

先のインタビュー記事で、沢田ユキオ先生は「『マリオくん』は小学2~3年生をターゲットに絞っていて、マンガを読み始めた子供たちの入門マンガ的な役割もある」とおっしゃっている。

 

僕も初めて読んだ漫画は『スーパーマリオくん』でした。息子がもう少し大きくなったら、親子二代で楽しみたいと思っている漫画です。

 

 

※1 1986年に『スーパーマリオブラザーズ ピーチ姫救出大作戦!』というタイトルで松竹系で、一度アニメ映画化されていますね。1993年にはハリウッドの実写映画として『スーパーマリオ 魔界帝国の女神』が製作、公開されました。クッパを演じるデニス・ホッパーが魅力的。