ゴロネ読書退屈日記

ゴロネ(89年生まれ)一児の父。読書ブログを目指している雑記ブログです。息子ハルタとじゃれ合うことにはまっています。

大杉漣と『ソナチネ』と『蠅の王』の話

 

大杉漣が亡くなったことを知ったとき、まず頭の中に思い浮かんだのは、北野武監督の映画『ソナチネ』(1993年)で、赤いアロハシャツを着た大杉漣が砂浜の落とし穴に落ちるシーンであった。

 

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僕は何年かぶりに『ソナチネ』のDVDを再生した。

 

 

 

ビートたけし演じる村川組組長の村川は、やくざ業に嫌気が差している。

 

村川は、親分組織である北島組に命じられ、組員を連れて沖縄へと抗争の手助けに行く。沖縄に着いた村川組は早速、敵組織の襲撃を受け、何人かの組員を失う。

 

村川は、大杉漣演じる片桐など数人の子分を連れ、沖縄の片田舎にある隠れ家に避難をする。暇を持て余した彼らは、浜辺で相撲をとったり、飛ばしたフリスビーを拳銃で狙い打ちをしたりと、日々遊んで過ごすのである。

 

青い空、青い海、白い砂浜で子供のように遊びを繰り返す大人たち……文章にすると微笑ましい光景が浮かぶのであるが、映画を見ると、この場面から、なぜか死の匂いを感じずにはいられない。北野武監督独特の繰り返しのリズムによる演出は、たまに見ている側の不安を強烈に掻き立てる。

 

落とし穴は、砂浜での遊びの一つである。村川は自分で掘った落とし穴に片桐などの子分を落とし、無邪気に喜ぶ。

 

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僕は『ソナチネ』の「落とし穴」を、「人間の残酷性がもたらす死」の象徴として受け取ってしまう。子分たちは、映画の後半、落とし穴に落ちるかのように唐突に命を奪われていく。

 

村川は、他者からの暴力による死からは決して逃れられないだろうということを悟っている風であり、拳銃による自決を夢想したりする。

 

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この映画で特に印象に残るのは、村川と、村川たちの遊び仲間として加わった女(国舞亜矢)との会話である。

 

「平気で人撃っちゃうの、すごいよね。平気で人殺しちゃうってことは平気で死ねるってことだよね。強いのね。私、強い人大好きなの」
「強かったら拳銃なんか持ってないよ」
「でも平気で撃っちゃうじゃん」
「怖いから撃っちゃうんだよ」
「でも死ぬの怖くないでしょ?」
「あんまり死ぬの怖がるとな、死にたくなっちゃうんだよ」

 

人が本来持つ獣性と、それにどのように向き合うかについて考えさせられる映画である。

 

 

4

 

「人の持つ獣性」というと、小説であると、『蠅の王』を連想する。

 

蠅の王 (新潮文庫)

蠅の王 (新潮文庫)

 

 

未来における大戦のさなか、イギリスから疎開する少年たちの乗っていた飛行機が攻撃をうけ、南太平洋の孤島に不時着した。大人のいない世界で、彼らは隊長を選び、平和な秩序だった生活を送るが、しだいに、心に巣食う獣性にめざめ、激しい内部対立から殺伐で陰惨な闘争へとの駆りたてられてゆく……。

 

大人のいない孤島に生きる少年たちは、正体不明の獣に怯え、不安から衝突する。ただひとり、「獣というのは、ぼくたちのことにすぎないかもしれない」と気づいたサイモンとう少年は、人間の内なる暗黒の象徴である蠅の王と対決する。

 

そして、蠅の王はサイモンに言う。

 

わたしはおまえたちの一部なんだよ。おまえたちのずっと奥のほうにいるんだよ?

 

自身の獣性に目をそらさず、向き合うことで、初めて人は人間性を獲得できるんじゃないかなと思ってみたり。

 

5

 

オチが思いつかず、なんだかすごくまとまりのない記事になりました(いつもだけど)。失敗。

 

大杉漣さんのご冥福をお祈りいたします。