ゴロネ読書退屈日記

ゴロネ。読書ブログを目指している雑記ブログ。2人の息子とじゃれ合うことが趣味。

新年の挨拶と『なぜ世界は存在しないのか』の話

 

新年明けましておめでとうございます。今年もゴロネ読書退屈日記をよろしくお願いします。

 

年末年始なにをしていたかとうと、ほとんど寝てました。夢の中でも寝ました。あとは、食べたり、カーテン替えたり、食べたり、詣でたり、飲んだり、食べたりしてました。当然太りました。あ、本も1冊読みました。

 

今年も本の感想や、日々の出来事や思いをブログにだらだらと綴っていくつもりです。

 

 

 

2019年、最初に読んだ1冊は、『なぜ世界は存在しないのか』である。

 

なぜ世界は存在しないのか (講談社選書メチエ)

なぜ世界は存在しないのか (講談社選書メチエ)

 

 

著者は、1980年生まれのドイツ哲学者の新星、マルクス・ガブリエル。

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かっこいい。

 

『なぜ世界は存在しないのか』……そそられるタイトルである。「『なぜ』? なに言ってるんだ。ここにちゃんとあるじゃん、世界は」と普通の読者であれば思うであろう。じゃあ、あなた方が考える「世界」って何? とガブリエルはどんどん突っ込んでくる。

 

ガブリエルは、「世界」とは「すべての意味の場の意味の場。それ以外のいっさいの意味の場がそのなかに現象してくる意味の場」と定義している。「意味の場」とは、対象が現象する仕方のことである。誤読を恐れず簡単に言ってしまうと、「世界」とは、現れ方も含めた何もかも全てが現れる場のことである。

 

そのような定義の「世界」が存在するためには様々な矛盾(この矛盾とは何かということは本書を読んでください)があり、ゆえに「世界は存在しない」とガブリエルは断言する。

 

え?待って。じゃあ、今、目の前にあるコップは? 僕自身のこの身体は? 僕が妻帯者で息子がいるという事実は? 「2019年は今より5キロ痩せる」という新年の目標は? 初夢に出てきた人面犬は? その人面犬に何か不吉なものを読み取った自身の理解の在り方は? すべて存在しないの???

 

ガブリエルは物や事実などはすべて、それぞれの意味の場に存在すると言っている。彼は「存在すること」とはつまり、「何らかの意味の場に現象すること」という等式を設定している。

 

そのようなそれぞれの「意味の場」があるだけであり、それぞれの「意味の場」すべてを包摂する場(=世界)は存在しないと本書は強調するのである。

 

 

 

ガブリエルが本書で主張するのは、「新しい実在論」である。「新しい実在論」はこれまでの形而上学構築主義といった認識論と存在論を刷新する考え方である。「新しい実在論」は、「わたしたちは物および事実それ自体を認識することができる」ということと「物および事実それ自体は唯一の対象領域(→意味の場)にだけ属するわけではない」ということのテーゼからなる主張である。

 

前者のテーゼも面白いが、特に後者のそれに僕は面白さを感じた。物や事実などの存在は、無限の意味の場に現れることができる。ガブリエルが無限の意味について語る以下の言葉が特に印象に残った。

 

わたしたちはーー少なくとも、この文章を書いている今このときは認めざるえないけとですがーー誰もがいずれは死ぬほかありません。それに不幸が数多く起こっていること、必要のない理不尽な苦しみがあることにも、疑いの余地はないでしょう。しかし、わたしたちは以下の点もわかっているはずです。すなわち、どんな物ごとでも、わたしたちにたいして現象しているのとは異なっていることがありうる、ということです。それは、存在するいっさいのものが、無限に数多くの意味の場のなかに同時に現象しうるからにほかなりません。わたしたちが知覚しているとおりの在り方しかしていないものなど存在しない。むしろ無限に数多くの在り方でしか、何ものも存在しない。これは、ずいぶんと励みになる考えではないでしょうか。

 

わたしたちが認識する物事は、どれも一面の意味に過ぎない。しかし、意味は尽きることはなく、見方によって多様な意味に出会える可能性がある。想像力(創造力)を使って捉え方を変えることによって、物や事実の新しい認識が発見できると考えると、確かに大きな自由を感じるし、生きることが楽しく思えてくる。

 

僕の知識や読解力ではまだまだ理解できてないところはあるだろうけど、腑に落ちたところは妙に興奮したし、ガブリエルの熱いメッセージには勇気づけられた。今後もガブリエルの活躍を追っていきたい。

 

 

 

 

それでは皆さん、よい今年を!

 

ゴロネ (@gorone89) | Twitter

部活動はつらいよの話

このブログで自分の仕事については書かないつもりだったのだけれど、下の記事を読んで、これは由々しき事態で他人事ではないという危機感を持ったので、自分自身の思いを書くことにした。あまりまとまりのない記事になると思いますが、ご容赦ください。

www3.nhk.or.jp

僕は公立の中学校の教員である。まあ仕事はそれなりに忙しい。忙しさゆえに心を病み、休職してしまった先生を何人か目の当たりにしている。僕の場合は、生徒の成長に関わるのが好きなのと、なんでも「まあなんとかなるべ」と楽観的に捉えてしまう性格(これが時として大きな弱点にもなる)なので、いままで教員の仕事をかなり楽しんでやってこれたし、「辞めたい」などと思ったことは一度もない。学級経営も教材研究も事務仕事も他の先生方とチームになって助け合いながら課題を乗り越えることも強いやりがいを感じている。それでも、仕事の膨大な量にどっと疲れてしまうこともあるにはある。

できればこれは無くしてほしいという業務を1つあげるとすれば、それはやっぱり部活動である。部活動を大きな負担と僕が感じている主な理由は以下の3つである。

①部活動の指導に情熱が湧かない

②体力的・精神的に疲れ果ててしまう

③自分の家族との時間が大きく奪われる

 

①部活動の指導に情熱が湧かない

僕は元々、授業、つまり教科指導がしたくて教員を目指した。授業は趣味の延長であると考えていているので、教材研究はまったく苦ではなく、目の前の生徒のためにより授業が上手くなりたいという向上心もある。

が、部活動になると、授業のときに持っていたようなやる気がどういうわけか途端に消失する。指導に情熱が湧かないのである。もちろん部活動の指導は教員の業務(教育課程外で、賃金は雀の涙ほどだけど)の1つであるし、部活動の顧問を務めることの覚悟をもって教員になった。幸い、自分は高校生のときまでやっていたスポーツの顧問になった(専門外の部活を持たれた先生は本当に大変です)。しかし、自分がプレイすることと、人に教えることは全くの別物である。努力はしてきたつもりだが、どうしてもそのスポーツの技術を「教えたい!」という気持ちにならないのである。

部活動への情熱は乏しいが、勘違いしてほしくないのは、自分の部活動に所属している生徒のことは大切に思っているということである。そのことが部活動の顧問を務める(低いながらも)モチベーションを保つ唯一の要因となっている。部活動を頑張りたいという生徒のためには出切り限りのことをしてあげたいとは思っている。けれども、自分の気持ちにも「ここまではやりたくない」という限度がある。部活動の指導にやる気がない自分ではなく、もっと部活動に情熱を傾けられる先生が顧問になっていたら、生徒も幸せだったんだろうなあ。

 

②体力的・精神的に疲れ果ててしまう

 

僕の場合、平日は大体、朝の7時から夜の8時くらいまで働く(実質昼休みはない)。それで休日が部活動に消えてしまうと体が休まる暇がなく、ぐったりしてしまう。休日の部活動で部活動で疲れ果てて、もっとも疎かにはしてはいけない平日の勤務が体が怠くて集中できないこともたびたびある。

一時期、県内でも強豪のチームを持ったことがあったが、あのときの保護者は熱心で、「もっと練習させてください」という要望も強かったので、休日にはバンバン練習試合を組んでいた。年末なんて大晦日まで練習をした。新人戦大会の肝心な試合で負けてしまい、指導力不足を保護者に責められたこともあった。あれはへこんだなあ。結局、そのチームは、地域の外部指導者と協力して指導し、夏の最後の大会で保護者も納得の好成績を収めることができた。もし初戦で負けていたらと思うとぞっとする。

部活動の指導を熱心に行っている先生が「月曜がいちばん体力的にキツくて、金曜にやっと元気になる」というあまり笑えない冗談を言っていた。部活の休みが多すぎても批判されるが、部活をやりすぎても批判されることがある。例えば、先生の中には「ああいう風に部活ばかりやっている同僚がいると、私たちが保護者から『あの先生はあんなに熱心に部活を見てくれるのに!』と言われ、部活を休みにできなくなる」とか言う人もいる(それを言いたくなる気持ちは大いに分かる)。

 

③ 自分の家族との時間が大きく奪われる

 

独身のときはまだ良かったが、結婚して、息子ができてから、部活動に時間を奪われることが本当に苦痛である。家族と休日を過ごす時間がないのは辛い。幼い息子の成長は早く、今の瞬間の成長は、当たり前であるが、今の瞬間でしか見られない。息子にもっと関わり、信頼関係を作りたい。生徒のことも大事だが、やっぱり自分の子も大事である。

部活未亡人」という言葉もあるが、育休中の妻も、できれば僕に休日を休んでもらって、育児や家事を分担してもらい、羽を伸ばしたいと思っているだろう。

 

 

部活動でしかできない教育もあるし、実際自分も中高生のときに部活動から多くのことを学んだ。しかし、やっぱり部活動は教員にとって負担が大きすぎる。部活動による多忙で心を病んでしまっている先生も多くいる。それでも、職場で「部活動をもっと減らしましょう!」と声を大にして言うことはできない。なぜなら、部活動の指導にやりがいを感じている先生も少なくないからである。部活動の顧問になりたくて教師になった人もいる。そういう先生は昨今の部活動縮小の動きを嘆いてたりしている。しかし、部活動指導に熱心な先生を批判することはできない。事実上、部活動指導は教員の仕事であり、部活動の顧問を目指して部活動の顧問になり、熱心に指導をすることは何ら問題はない。むしろ僕はそういう先生を尊敬している。

ただ、繰り返すが、僕を含め、部活動指導を負担に感じている教員は多く、部活動のために体力的・精神的余裕を失っている。部活動さえなくなれば、より一層教材研究などの研鑽に時間が割け、教育の質も上がるはずである。

この状況を変えるには、教員の働き方の大胆な改革が必要である。部活動の指導や引率の時間への賃金を上げる政策など愚の骨頂だ。お金が欲しいのではなく、休める時間が欲しいのである。

部活動における大胆な改革とは、教員の業務から部活動を切り離すことである。部活動が担っていた役割は、地域のクラブチームや教室に全部任せる。それしか教員の負担を減らす方法はないし、それを進めていくべきである。

部活動やそれ以外の業務の働き方改革が進み、心の病で休職してしまう先生たちが一人でも減ることを願うばかりである。

グロンギ語で2018年を振り返る

近頃、『仮面ライダークウガ』を見返していて、自分はやっぱり未確認生命体であると確信したので、グロンギ語でこの一年を振り返ります。

 

 

1月

ジャドドルグボグ、「パパ」ドギゲスジョグビバデデゾンドグビグセギバダダ。バンバギロ「パパ」デデギパゲダバガ。ズシゴゼギョグギャン「ハレノヒ」グギバブバダダゲギゼ、ズシゴゼゾビセババダダゴンバンボパゾンドグビバパギゴグザダダ。


2月

「シズオカ」ビバゾブゼショボグゾギダ。ザジレデボバゾブグシギビンゼボショボグゼダボギバダダ。ババシングジョギン「ソダネー」グレヂャヂャザジャダダ。ギョブダゼロギゲゼロズドド「ソダネー!」「ソダネー!」ドセンボギデダ。


3月

ルグボグパパンガギビバダダ。ダンジョグヂビ「ディズニーランド」ビギダダ。「ミッキー」ドギャギンゾドダダ。


4月

ジロドンザバヂダギバギビギダダ。ザバヂグドデロビセギザダダグ、ルグボパゴヂゲデダ。ジャダギンゴビブガゴギギバダダ。「ユーチューブ」ンゾンギャガギュグゲビガセラギダベ。ボパギ、ボパギ。


5月

ヅランジババビバゲダダ。ジロドンゴラヅシビジヅンロルグボロザギボグズン!!「アメフト」ジベングガダダボロボンヅビザ!!ゾンドグビガセパジュスゲバギ!!!グモモヅランボバザバリビロゴベバギ!!!!ゲビゴボ!!!!!

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6月

「サッカー」パパパスゾバムムボベギョギョグドドバレンドビギンギュヅギラギダベ。「サッカー」ゼンゼンビョグリバギベゾ。ゴセジョバ、「テニス」パルヂュグビバダダ。ジャママシグゴギベ、「ナダル」パ。「ナダル」デデブヂビザグドビロヂギギ。ナダルナダルナダル


7月

ボンボソバサルグボングンヂガギギグンヂビバデデビダ。ギソ、バダヂ、ビゴギグゾゾジョギ。ヂゾグンボグビュグバゴリジャゲンジョグザダダ。グゴブガヅギバヅザダダバガ。


8月

「ヤマネカイチョウ」、グロンギ

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9月

ゴダガヂャンヂビバゾブゼギダダ。ゴダガヂャンパバリグギソブバデデギダ。ゴダガヂャンパ「オオサカナオミ」ンズァン。ジュグギョグゴレゼドグ。ドデデロバンゾグギダ。

 

10月

ドビバブルグボグ「アンパンマン」ビザラデデダギゼンザダダ。「アンパンマン」ンゴロヂャジャディィヅギゼィィバゾダブガンバデデガゲダ。ログギゲジュググ「アンパンマン」ザサベゼグ。


11月

ドギセビドジボレサセダシ、ブスランダギジャグマンブギダシ、ジゲゴシギママギギダシ、ガギガブバヅビザダダ!ギゴドロゼンゼンゴパサバギギ!

ギゴドゾゴゲ ギゴドビゴパセスバ

ドギグボドダグガスベゾ、ズドドギゴドビゴパセデダ。

 

12月

クウガ」ゾガギギョバサリバゲギデギス。ガガジャママシ「クウガ」ルバヅブパ!クウガ!!クウガ!ゴセサンババラゾリンバボソギジャガデデ!!!ギヅバゼデデゲゴセググロンギンズブギュグギデジャスバサバ!!!ラデデソジョ、クウガ!!!


ゴセゼザリバガン、ジョギゴドギゾ!

父親になって2回目のクリスマスの話

クリスマスイブイブ(12月23日)

 

ロックマンX』がクリアできない。

 

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3DSのヴァーチャルコンソールでダンウンロードした。子どものときに欲しかったがなかなか買ってもらえなかったスーパーファミコンのソフト(当時は1本7〜8千円した。たまに1万円を超えるソフトもあった)を、今や携帯ゲーム機で格安でプレイすることができる。いい時代になったなあ。

 

僕はゲームが結構好きなのであるが、実はゲームのセンスとゲームに取り組む根気が圧倒的に欠落している。任天堂ハードを中心にいくつものゲームに挑戦してきたが、全クリできたゲームは片手で数えるほどしかない。

 

ロックマンシリーズは特に難易度が高い。小学生のときに親にねだって、人気作『ロックマン7』を買ってもらったが、ひとりのボスも倒すことができず、購入3日くらいで飽きてしまった(ごめんなさい)。

 

しかし、大人になった今であれば、クリアできるであろう(謎の自信)。僕は小学生当時『ロックマン7』と並んで欲しかった『ロックマンX』をダウンロードし、現在果敢にプレイをしている。もちろん全クリが目標。

 

『X』は初プレイ。普通のボスには手こずりながらも、YouTubeに投稿されている攻略動画を参考にし(!)、1日1殺のペースで倒していき、12月23日時点でなんとか全員を倒すことができた。残すはラスボス、「ジグマ」である。

 

しかし、「ジグマ」のコースに入り、一歩も進むことができなくなった。いくつものリフトをジャンプで登っていく箇所があるのだが、不器用な僕は、ここがうまく攻略できない。一度でもジャンプのタイミングを間違えると、奈落の底へヒューンである。

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正直諦めかけた。僕は一旦気持ちを落ち着かせるために、アイロンビーズで「エックス」を作った。

 

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逃げちゃダメだ。年内にはクリアしたい。少なくとも平成が終わるまでには……!

 

 

クリスマスイブ(12月24日)

 

日曜日なのに朝から仕事だった。深夜に「文化系トークラジオlife」を聴いていたため眠い。コメダ珈琲で朝食を摂りながら、読書をした。最近読んでいるのは『はじめてのアメリ音楽史』。

 

はじめてのアメリカ音楽史 (ちくま新書)

はじめてのアメリカ音楽史 (ちくま新書)

 

 

アメリカ音楽の父」であるスティーブン・フォスターの章を読んだ。フォスターはミンストレル・ショー(黒人に対する軽蔑と揶揄を売りものにした大衆芸能)に楽曲を提供したり、歌曲において人種差別的表現あったりして、長い間、偉大な音楽家とはみなされていなかったそうだ。しかし著者の田中哲彦はジェームス・M・バーダマンとの対談の中で、「後世の人たちから『人種差別主義者』といわれることもあるフォスターですが、音楽作品のなかで黒人奴隷に人間的感情を与えた最初の白人という見方もできます。」とフォスターを評価している。

 

中学生のとき、フォスターの『主人は冷たい土の中に』を音楽の時間に歌ったなあ。

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仕事を終え、帰り途中、ケンタッキー・フライドチキンに寄り、予約していたクリスマスパックを受け取った。ケンタッキーの前には行列。鶏にとってはクリスマスなんてたまったものではないだろう。海外では七面鳥が食べられているのに……!

 

家に帰ると、妻の妹さんが遊びに来ていた。1歳の息子・ハルタは妹さんと実家のジジババからもらったクリスマス・プレゼントに遊び疲れたのか寝ていた。

 

ジジババからもらっのは、踊るアンパンマン人形。

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妹さんからは、ふるえるアンパンマンボール。

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サンタの帽子を被り、スパークリングワインを飲みながら、大人3人でゲームキューブの『マリオパーティ6』をプレイした。やはり僕はビリだった。CPにも負けた。

 

 

クリスマス(12月25日)

 

久々の休日。午前中、妻は妊婦の定期検診を受けに近くの病院に行った。現在、妊娠31週目。第二子は妻のお腹の中で順調に育っている。

 

妻が病院に行っている間、洗濯と掃除をした。ハルタアンパンマン人形と一緒に腰を振って踊っていた。

 

午後はハルタのクリスマスプレゼントを買いにトイザらスへ行った。アンパンマンのおもちゃが並んでいる棚の前でハルタは大はしゃぎ。結局、アンパンマンのブロックを買ってあげた。もううちはアンパンマンのおもちゃだらけ。兄貴は得だね、なんでも新しいものが買ってもらえて。

 

ブロックラボ はじめてのブロックワゴン(アンパンマン)

ブロックラボ はじめてのブロックワゴン(アンパンマン)

 

 

夜は年賀状を書きながら、映画『この世界の片隅に』のDVDを見た。

 

この世界の片隅に [DVD]
 

 

最後の30分は映画から目が離せなくなり、ボロボロ泣いた。やっぱり戦争だけはいけません。本当に。

 

 

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次のクリスマスは本格的なサンタの格好をしてみようと思い立った。

2018年に読んだ心に残る30冊の本

2018年も隙間時間を見つけて、読書ライフを楽しめたかなと思います(相変わらず遅読だけど)。今年お世話になった本の中から、30冊を紹介します。

 

 

 

 『悪霊』(ドストエフスキー

悪霊〈上〉 (岩波文庫)

悪霊〈上〉 (岩波文庫)

 

登場人物がそれぞれ魅力的。様々な登場人物の中で僕が最も魅力的に感じたのが、ピョートル・ステパノヴィチ・ヴェルホーヴェンスキーである。彼は、この物語の(おそらく)主人公であるスタヴローギンという人物を語る、狂言回しの役も担っている。

このピョートルは面白いほどよくしゃべる! ぺちゃくちゃぺちゃくちゃ。彼のこの雪崩のような言葉が、様々な出来事を大げさにし、事件へと発展させているのではないかと思えるほどだ。実際に彼の存在が、他の登場人物たちに不幸をもたらし、小説にドラマ性を与えているのである。読んでるこちらも彼に影響され、感情の起伏が激しくなります。

 

 『羅生門・鼻・芋粥・偸盗』(芥川竜之介

羅生門・鼻・芋粥・偸盗 (岩波文庫)

羅生門・鼻・芋粥・偸盗 (岩波文庫)

 

芥川龍之介の短編集。特に僕が好きなのは『芋粥』。この短編の面白さは、なぜ主人公の五位は、夢であった大量の芋粥を目前にして、食欲を失ってしまったのかを考えることである。

夢はそれを追う過程に意味があるのであり、自分にとって本当に大事な夢であれば、その夢への障害が大きければ大きいほど、その夢に夢中になる。その夢が何の苦労もなく、思いがけず叶ってしまったとしたら……。五位は「芋粥に飽かむ」という夢があったからこそ、それが心の支えとなって、惨めな生活にも耐えられたのである。夢であった大量の芋粥を目前にした彼をはたから見た他者は「幸福」であるように思うだろうが、この瞬間、彼は大切にしてきた夢を突然、ほとんど暴力的に奪われ、「不幸な」人間へと転落してしまったのである。

 

 『蓼食う虫』(谷崎潤一郎

蓼喰う虫 (新潮文庫)

蓼喰う虫 (新潮文庫)

 

 「小田原事件」をベースに書いた小説と言われている。夫婦になった途端、男は妻に欲情しなくなってしまう。二人は不和になり、お互い愛人を持つ。夫婦とはいったい何のか。谷崎潤一郎によるこういう男女の心の機微の描写は本当に天才的です。

 

宮本武蔵』(吉川英治

宮本武蔵(一) (新潮文庫)宮本武蔵(一) (新潮文庫)

 

やっと今年全巻読み終えた。VS吉岡一門が燃える。佐々木小次郎との巌流島での戦いは、引っ張った割にはあっけない決着な気がする。『バガボンド』は、この巌流島の戦いをどのように料理してくれるのか楽しみです。

 

 菜の花の沖』(司馬遼太郎

菜の花の沖 全6巻 完結セット(文春文庫)

菜の花の沖 全6巻 完結セット(文春文庫)

 

 江戸時代に活躍した商人・高田屋嘉兵衛の生涯。僕は高田屋嘉兵衛から「不器用」な男という印象を受けた。この器用さというのは、世間を渡っていく上での器用さだ。嘉兵衛は自分の目的に突き進んでいくが、あまり“工夫”というものが見られない。彼が人を惹きつけるときは、その肉体の動きによって惹きつける。彼の船頭としての技術、能力に魅せられ、人々は集まってくるである。

嘉兵衛は現実主義であり、私利私欲のためには動かないところである。自由な商いを目指す彼にとって、この時代の封建社会は息苦しかったであろう。何をするにも、階級というものを意識しなければならない。個人の能力だけでは変えることのできないことが、あまりに多すぎる。だからこそ嘉兵衛は、日本人がまだ把握していなく、階級のしがらみが少ない、蝦夷地という未開の地に魅力を感じたのかもしれない。誰も航海したことのない海、誰も足を踏み入れたことのない土地に行くというのは、相当な強心臓の持ち主でなければなせることではないだろう。嘉兵衛の果てしない冒険心には強い憧れを抱いてしまう。

 

 『ヘッセ詩集』(ヘルマン・ヘッセ

ヘッセ詩集 (新潮文庫)

ヘッセ詩集 (新潮文庫)

 

 『車輪の下』、『少年の日の思い出』のヘルマン・ヘッセの詩集。彼の豊かな感受性に触れることで、もっと心を広げて周囲のものをじっくり見つめてみようという気持ちになる。『青い蝶』という詩が自分のお気に入り。

 

『蠅の王』(ウィリアム・ゴールディング) 

蠅の王 (新潮文庫)

蠅の王 (新潮文庫)

 

 「未来における大戦のさなか、イギリスから疎開する少年たちの乗っていた飛行機が攻撃をうけ、南太平洋の孤島に不時着した。大人のいない世界で、彼らは隊長を選び、平和な秩序だった生活を送るが、しだいに、心に巣食う獣性にめざめ、激しい内部対立から殺伐で陰惨な闘争へとの駆りたてられてゆく……。」というあらすじの非常に恐ろしい小説。闘争が極限へと達するクライマックスは手に汗握った。

大人のいない孤島に生きる少年たちは、正体不明の獣に怯え、不安から衝突する。ただひとり、「獣というのは、ぼくたちのことにすぎないかもしれない」と気づいたサイモンという少年は、人間の内なる暗黒の象徴である蠅の王と対決する。自身の獣性に目をそらさず、向き合うことで、初めて人は人間性を獲得できるんじゃないかなと思ったりしました。

 

 『エロチック街道』(筒井康隆

エロチック街道 (新潮文庫)

エロチック街道 (新潮文庫)

 

筒井康隆の短編集。お気に入りは『昔はよかったなあ』。

頭が変になるので、一気読みは注意。

 

 『存在の耐えられない軽さ』(ミラン・クンデラ

存在の耐えられない軽さ (集英社文庫)

存在の耐えられない軽さ (集英社文庫)

 

チェコ出身の作家、ミラン・クンデラの代表作。強く印象に残ったのは、サビナとテレザの女性2人が互いの裸をカメラで取り合うシーン。喜劇的でありながら耽美的で、息を飲んだ。

帯には「20世紀恋愛小説の最高傑作」とある。どうしてもすれ違ってしまう男女の愛の向け方の難しさについて考えさせられます。

 

  大日本サムライガール』(至道流星) 

 

大日本サムライガール1 (星海社文庫)

大日本サムライガール1 (星海社文庫)

 

拡声器を片手に街頭で叫ぶ謎の演説美少女・神楽日鞠(かぐらひまり)。彼女の 最終目的は日本政治の頂点に独裁者として君臨し、この国を根底から変えることである。その目的達成の手段として、さまざまな人々の協力を得ながら、美貌を武器にアイドルとして活動していく。 

キワモノかと思いきや、キャラが立ち、物語の構成も緻密な本格的なエンターテイメント作品に仕上がっている。右翼とアイドルという意外な組み合わせが、読者を魅了する面白さを十二分に発揮している。

ヒロインである神楽日鞠がすごく魅力的で、彼女のアイドルとしてずれた言動にクスクスと笑ったり、(僕は右思考ではないけど)彼女の国のことを心の底から思う真摯な姿勢に感動させられたりしたのでした。

 

『グローバライズ』(木下古栗)

グローバライズグローバライズ

 

読者によって好き嫌いが真っ二つに割れるであろう木下ワールド。僕は時に木下ワールドが恋しくなったり、憎たらしくなったりする。読むと、体調によって、極上な時間を過ごした気分になるときと、時間をかなり無駄にした気分になるときがある。

短編集である本書の中には、同じ意味不明な下ネタで終わる2つの短編などがあります。

 

 『BUTTER』(柚木麻子)

BUTTER

BUTTER

 

この小説内での殺人事件の容疑者・梶井真奈子は、2007年から2009年にかけて発生した首都圏連続不審死事件の犯人である木嶋佳苗をモデルにしている。自分の欲望に忠実な梶井が、序盤でバター醤油ご飯について語る場面があるのだが、僕はこの描写によって、この小説に一気に引き込まれた。とにかくお腹が空く小説である。 

物語のテーマは、この社会での女性の生きづらさと、どうすれば女性が不自由さから解放され、真の自由さを得られるのかということではないか。「女性は○○であるべき」という男性側のものさしで女性の価値を決めるこの男性社会と、そのものさしを過剰に意識して不自由に生きる女性を批判しているように思えた。男性の自分としては、この小説を読んで強烈に反省の気持ちが沸き起こったのでした。

 

 『平成くん、さようなら』(古市憲寿

平成くん、さようなら

平成くん、さようなら

 

今売れっ子の社会学者、古市憲寿の書いた初の小説である。本当は作者と作品は切り離して読みたいのだけれど、個性の強い作者と、中心人物のである平成くんの人間性が重なって、作者の顔が頭の中にちらついた(彼のメディア露出が多いため、しょうがないのであるが)。それが原因で、読んでいて、作者のほのかなナルシシズムを勝手に感じずにはいられなかった。

ただ、その点を除けば、平成末期にふさわしい(?)、心打たれる切ないラブストーリーである。無機質なざらつきがありながらも、その奥に温かみがあり、身近な愛しい人に自然と優しくなれるような気持ちになる深みのある小説だった。平成の風俗、情景を果敢に描写しているのも面白いです。

 

 ソクラテスの弁明』(プラトン、岸見一郎)

シリーズ世界の思想 プラトン ソクラテスの弁明 (角川選書)

シリーズ世界の思想 プラトン ソクラテスの弁明 (角川選書)

 

 

ソクラテスの「無知の知」の思想に強く惹かれた。「知らないことは知らない」と自覚できる者こそが本当の知者なのである。自分自身が「知らないことは知らない」と簡単に認められないようになったのは、一体いつからであろうか。仕事や勉強によって、ある特定の分野に詳しくなっただけで、変な自信を持ってしまい、他人に無知と思われるのが嫌で、全く知らないことに対してまるで知っているかのような素振りを見せてしまうことは少なくない。

しかしながら、ソクラテスの思想からわかるように、自分の無知を認めることから出発し、他者や自身との問答を繰り返してでしか、本当の知は形成し得ないのである。

 

 『風姿花伝』(世阿弥) 

風姿花伝 (岩波文庫)

風姿花伝 (岩波文庫)

 

 『風姿花伝』は、世阿弥が父である観阿弥から受け継いだ能の奥義を、子孫に伝えるために書いたものである。この書の中で世阿弥は、若い頃の初心、人生の時々の初心、老後の初心を忘れてはならないと言っている。

若い頃の初心とは、具体的には24〜25歳のころである。この時期こそ、改めて自分の未熟さに気づき、周りの先輩や師匠に質問したりして自分を磨き上げていかなければ、「まことの花」にならないと世阿弥は言っている。世阿弥が言うように「初心」を忘れることなく、自身を日々更新する努力をする生き方をしたい。

 

「構造と力ー記号論を超えて」 (浅田彰

構造と力―記号論を超えて

構造と力―記号論を超えて

 

 「構造主義」の入門書を何冊か読んでいたので2割くらい理解できた(8割よく分からない)。浅田の論の面白さは、近代資本制の「差異=運動」がもたらす、「過剰」という名のエネルギーを大きく肯定していることであると思う。あらゆる方向へ運動することを要請する彼の詩的な文章に心は動かされ、勇気づけられた。スピーディにスマートに動き続けることが構造主義クラインの壺)から脱し、ポスト構造主義の生き方に続くと浅田は信じているのである(多分)。

 

社会学』 (長谷川公一、浜日出夫、藤村正之、町村敬志) 

社会学 (New Liberal Arts Selection)

社会学 (New Liberal Arts Selection)

 

にわかに「社会学」 を勉強したい気持ちになり、入門書として良さそうな本書を買った。丁寧な解説でとても分かりやすい。各テーマごとに、参考文献が紹介されていて、読書の幅が広がります。分厚いので、読みきるのにかなり時間がかかりました。

 

『暇と退屈の倫理学』(國分功一郎

 

 昨年読んだ『中動態の世界 意志と責任の考古学』にドはまりし、同じ著者が書いた本書にも手を伸ばした。「何かをしなくてはならない」という強迫観念に駆られる、あの暇と退屈の正体がよく分かります。

 

『社会を変えるには』(小熊英二

社会を変えるには (講談社現代新書)

社会を変えるには (講談社現代新書)

社会学者、小熊英二による分厚い新書。出版当時は、反原発運動が盛り上がっていた。結局、社会を変えたいのであれば、動きを起こし、「対話」を繰り返していくしかないということを本書で知った。「誰かがどうにかしてくれるだろう」と期待しているだけでは、自分自身も周囲の大切な人も苦しい状況へと追い込まれていくことになるのです。
 

『人口知能と経済の未来 2030年雇用大崩壊』(井上智洋)

今後AIを搭載した機械が人々の雇用を順調に奪っていくと、今から30年後の2045年には、全人口の1割ほどしか労働しない社会になっているかもしれないそうだ。僕みたいな役立たずは真っ先にAIに仕事を奪われるであろう。

9割の人が職を失ってしまうそんな時代を救う現実的な制度として、筆者がおすすめしているのが、「ベーシックインカム(収入の水準に拠らずに全ての人に無条件に、最低限の生活費を一律に給付する制度)」である。労働意欲のない僕は、「ベーシックインカム」が導入される時代を今か今かと待ち望んでいます。

 

 『勉強の哲学 来たるべきバカのために』(千葉雅也)

勉強の哲学 来たるべきバカのために勉強の哲学 来たるべきバカのために

 

この本には、「勉強とは、これまでの自分の自己破壊である。」と書いてある。勉強とは、「新たな環境のノリに入る」ことらしい。「アイロニー」と「ユーモア」という言葉を使い、勉強へ取り組む姿勢のあり方が分かりやすく説明されていて、夢中で読み進めた。

勉強の具体的な実践の方策として、勉強用のノートづくりを維持することが推奨されている。「勉強用のノートとは、生活の別のタイムラインそのものであり、自分の新たな可能性を考えるための特別な場所なのだ」と著者。

 

  『世界からバナナがなくなるまえに:食料危機に立ち向かう科学者たち』(ロブ・ダン)

世界からバナナがなくなるまえに: 食糧危機に立ち向かう科学者たち世界からバナナがなくなるまえに: 食糧危機に立ち向かう科学者たち

 

この本には、病原体による現代の食糧危機と、それに立ち向かう科学者たちの戦いが熱を持って書かれている。タイトルにあるバナナだけでなく、私たちが頼る数少ない作物は、すべて危機にさらされている。……僕が大好きなチョコレートの原料である、カカオも例外ではない。この食料危機の危険性を一気に高めたのが、大規模なアグリビジネス(農業関連産業)の台頭である。

アグリビジネスは、生産の極端な効率化を図るために、広域な農場に単一栽培(モノカルチャー)を行っている。短期的な効率化には最上の手段ではあるが、広大な農場に遺伝子的に同一の作物しかないというのは長期的に見て非常に危険である。遺伝子的に同一ということは、同じ害虫や病原体に弱いということである。一つの作物が弱点である害虫や病原体に攻撃されると、その農園の作物が全滅する道にそのままつながるのである。

故意でなくとも、自然に害虫や病原体が農場に拡散する可能性は常にある。本書ではそういった食糧危機に対する科学者の地道な戦いと、私たちに何ができるかということが書かれていて、最初から最後まで知的好奇心を大いに刺激されました。

 

 『パパは脳科学者 子どもを育てる脳科学』(池谷裕二

パパは脳研究者 子どもを育てる脳科学パパは脳研究者 子どもを育てる脳科学

 

この本では、脳科学者である著者が、娘さんの4歳までの成長を、脳の機能の原理から分析して、成長の一か月ごとに章立てして記録している。自分の息子(現在1歳2ヶ月)の成長と合わせて読み進めていて、とても勉強になります。この娘さんと比べると、自分の息子の成長はかなり遅れており、不安になる笑

  

『1990年代論』(大澤聡 編)

1990年代論 (河出ブックス)

1990年代論 (河出ブックス)

 

様々な論者が多角的に90年代を論じている。「社会問題編」では、現在の様々な社会問題が90年代に端を発していることが分かる。「文化状況編」では、様々な90年代のコンテンツが軽妙に論じられていてワクワクした。90年代は幼年期であった自分。もう10年早く生まれて、全身でこれらのコンテンツの受容を楽しみたかった。

 

 

『不安な個人、立ちすくむ国家』(経産省若手プロジェクト)   

不安な個人、立ちすくむ国家不安な個人、立ちすくむ国家

 

 

昨年5月に経産省の若手プロジェクトが発表したレポートを書籍化したものである。このレポートでは、変化する社会状況や、その中で増幅される個人の不安を指摘と、変わりつつある価値観に基づいた新しい政策の方向性の提示がまとめられている。日本社会のひずみが浮き彫りにされていて、日本の未来について悲観的にならざるを得ない。 

書籍版には、経産省若手プロジェクトと養老孟司の対談が収録されている。養老孟司が、高齢者が「死にたくない!」とわめく様子を見て、若者に向けて「早く大人になってしまい、やりたいことを後回し後回しにしていくと、人生を生きそびれてしまいますよ」と言っているのが印象的。

 

 『新・日本の階級社会』(橋本健二

新・日本の階級社会 (講談社現代新書)新・日本の階級社会 (講談社現代新書)

 

現代の日本社会が「階級社会」に変貌してしまった現実を、様々な社会調査データを基にして暴いていくといった内容である。階級格差は加速しており、特に非正規労働者から成る階級以下の階級(アンダークラス)の貧困が甚だしい。しかも、階級は世襲として固定化しやすく、親の階級以上の階級に転じることは難しくなっている(逆に「階級転落」の可能性は高い)。

この本では、格差拡大が社会全体にもたらす弊害が具体的に述べられて、読後、現代社会に対する危機感をちょっぴり持ったのでした。

 

 『若い読者のためのサブカルチャー論講義録』(宇野常寛) 

若い読者のためのサブカルチャー論講義録

若い読者のためのサブカルチャー論講義録

 

この本は、評論家の宇野常寛による、マンガやアニメやゲームといった「オタク的なもの」を取り上げたサブカルチャー論の大学での講義録をまとめたものである。ここ40年ほどのオタク思想を広く(浅く)学べます。

 

 『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』(ユヴァル・ノア・ハラリ)

 

ホモ・デウス 上: テクノロジーとサピエンスの未来

ホモ・デウス 上: テクノロジーとサピエンスの未来

 

『サピエンス全史』の続編。人間至上主義に取って代わる、データ至上主義について語られる下巻の最後の章に、僕は最も強い知的興奮を感じた。現在、人間至上主義からデータ至上主義への移行は確実に進んでいる。データ教の信者は、テクノロジーの発展で実現する「すべてのモノのインターネット」と一体化したがり、「データフローと切り離されたら人生の意味そのものを失う恐れがある」と考えている。

実はこんな風にブログを書く行為も、ハラリの歴史観に立てば、自分がデータ至上主義者であることの証明なのである。

 

 『試験に出る哲学ー「センター試験」で西洋思想に入門する』(斎藤哲也

まず、倫理のセンター試験の問題ってこんな面白い(変な?)問題が出ているんだという驚きがあった。本書ではその問題にからめて西洋哲学のポイントがとてもわかりやすく紹介されている。用語を解説したイラストも可愛らしくてとてもいい。西洋哲学についてさらに学びを深めたいときには、巻末のブックガイドを参考にできるので、とてもありがたいです。

 

 アメリカ』(橋爪大三郎大澤真幸

アメリカ(河出新書)アメリカ(河出新書)

 

社会学者の橋爪大三郎大澤真幸アメリカという国をわかりやすく語ってくれる。同じ二人の対談本である、講談社新書の『ふしぎなキリスト教』、『げんきな日本論』が大好きなので、本書も迷わず購入した。

トランプ大統領になぜ根強い支持層があるのか疑問な点だったが、トランプとキリスト教福音派の関係を知ってすっきり。アメリカでのプラグマティズムの影響の話など、『試験に出る哲学』で予習していたこともあってすとんと腑に落ちた。

 

 ☆

 

年末年始もコタツに入ってぬくぬくと本を読みたいです。

 

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一歳の息子の熱性けいれんに慌てた話

 

金曜日の午前中、「ハルタの熱が下がらない。病院に連れていきたいから、早めに帰ってきて」と妻から連絡があった。その前日の夜から一歳の息子は38度以上の熱を出していた。

 

僕は職場を定時に出た。積みあがった仕事は土日に処理すればいい。僕はもう自分の人生の主人公の座からとっくに降りた。息子より優先するものは何もない。

 

かかりつけの病院に息子を連れて行くと、普通の発熱と診断され、お薬をもらった。家に帰ると息子はつらいのかすぐに寝ころんだ。「はあはあ」と息遣いが荒く、深く眠れないようで、たまに泣いたりして、苦しそうであった。

 

そのうち、息子のほうから少し大きめの「ちゅぱちゅぱ」という音が聞こえてきた。息子は眠るときは指をしゃぶるので、いつもその音はかすかに聞こえている。しかし、いつもの睡眠中と違って、そのときの「ちゅぱちゅぱ」の音はやけに大きかった。

 

様子を見ると、口から大量の唾液が出ていた。そして息子の体が変な動きを始めた。……けいれんしている!

 

そのうち、白目をむき、顔が真っ青になった。かなり焦った。背中をさすって、名前を呼んだが、反応はない。

 

「これ、熱性けいれんだよ」と妻も慌てた様子で言った。「なんだそれ?」こんなの初めてである。

 

1分くらい経つが、息子のけいれんはとまらない。「救急車呼ぶ?」と妻。「……うん、呼ぼう」救急車を呼ぶべき事態か判断がつかなかったが、呼ばずに後悔するより、呼んで反省するほうがマシである。

 

さらに1分ほど名前を呼びかけると、やっとけいれんが止まった。そして、息子は大声で泣き始めた。「あ、生き返った」

 

そして救急隊の方がやってきて、救急車で運ばれる間、息子は大声で泣き続けた。熱に浮かされ、「バイチーン!!バイチーン!!」と叫んでいた。

 

「バイチーン」とは、息子が大好きなバイキンマンのことである。息子にとって、自分を窮地から救ってくれるヒーローは、アンパンマンではなく、どういうわけかバイキンマンなのであった。

 

 

 

病院でもハルタは力の限り泣き続けた。しばらくの間のけいれんを防ぐ座薬をお医者さんに入れてもらい、その副作用で眠気がやってきたようで、泣き声はやみ、深い寝息を立て始めた。安らかな寝顔である。

 

熱性けいれんは幼児期に起こりやすいらしく、日本人の10人に1人が幼児期に高熱を出したときにこのけいれんを起こすそうだ。けいれんの発作自体が生命にかかわることは、まずないということを知った。

 

「よく熱性けいれんだって知ってたね」と僕は妻に言った。

 

「いや、熱性けいれんの特徴を詳しく知ってるわけではないよ。言葉だけ知ってた。けいれんについては大学のときに研究してたから。てんかんの遺伝子を持ったネズミを繁殖させて、それに興奮剤みたいの打って、てんかん起こさせて、そのけいれんを観察してた」 

 

「ひどいことするね」しかしながら、そのような研究によって医療の進歩は支えられているのである。

 

座薬を入れて、効果が効き始める2時間が経ったので、お医者さんにお礼を言い、息子を抱えて自宅に帰った。

 

あれから数日経ったが、熱は引き、息子はすっかり元気を取り戻した。日曜日の夜は、『西郷どん』のOP曲を聴いて、おしりを振りながらニコニコして踊っていた。

 

 

 

―ええ、そうですね、情けない話ですが、息子がけいれんしているときはかなり動揺しました。あのような症状を見たのは初めてだったので。後々ネットで熱性けいれんのことを調べてみると、救急車を呼ぶほどの状況ではなったかもしれないと思いました。救急車の無駄な出動が問題になってますし。

ただ、あのときは本当に焦りに焦って、息子が息苦しそうにしている様子に見えたので、「もしかしてこのまま死んじゃうかも」ということが頭によぎり、怖くなったのです。けいれんが収まり、命にかかわるものではないと知ったときは、妻には内緒ですが、ほっとして泣きそうでした。子供のなりやすい病気についてちゃんと知っとこうと思う、よい機会になりました。

妻と「みくに龍翔館」に行った話


 

福井県坂井市三国町にある妻の実家に来て2日目。

 

三国の歴史や文化のお勉強がしたくなり、義母らに息子を預け、妻と二人で地元の博物館、「みくに龍翔館」を訪れた。三国駅から歩いて10分くらいのところにある。

 

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この異彩なデザインの建物が「みくに龍翔館」。明治時代に三国を訪れたオランダ人土木技師、G.Aエッセルがデザインした龍翔小学校の外観を充実に再現して建てられたそうだ。妻は中高生のころ、校外学習で何度もここを訪れたと言っていた。

 

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建物に入るとすぐに、江戸時代、日本海の交易に活躍した北前船(実際の5分の1サイズ)が展示されていた。三国湊はこの北前船による交易により、かつて大きく繁栄した。

 

江戸時代、北前船を造るには、約1000両という莫大な資金が必要だったそうだ。しかしながら、その造船資金はたった1年の交易で取り戻せたらしい。もうかりますね。

 

 

 

3階から三国の町が展望できた。ちょっとわかりにくいが、奥の川は九頭竜川

 

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三国祭りの山車も展示されていた。明治時代の山車を復元したものなんだって。でかい。

 

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「三国と近代文学」のコーナーもあった。詩人三好達治は一時期、この三国に居を構えていたそうだ。知らなかったなあ。

 

 

 

三好達治詩集 (新潮文庫)

三好達治詩集 (新潮文庫)

 

 

太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪降りつむ。

次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪降りつむ。

 

 

 

「みくに龍翔館」から出ると、三国の町をぶらぶらと妻と歩いた。そういえば、妻とこういう風に二人きりになるのはかなり久しぶりである。いつもは息子が一緒にいるからね。

 

手をつないで歩きながら、三国で過ごした妻の青春時代の話を聞いた。初めて聞いた話が多く、けっこう面白い。と思ったのと同時に、妻のことをまだまだよく知らなかったんだなと気づいた。

 

付き合って1年もせずに結婚し、現在結婚3年目。まあお互いまだ知らないことがあって当然か。

 

育った土地、環境もかなり違う僕らの人生は、あるとき思いがけず関係を持ち、互いの人生を共有するようになった。この縁が出来上がるに至るには、いくつもの偶然の積み重ねが必要である。その偶然が一つでも欠けていたとしたら、僕らはいつまでも見知らぬ二人のまま……であった。

 

 

 

二人でアイスを食べながら、三国駅で帰りのバスを待った。やってきた、えちぜん鉄道をぱしゃり。

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今回の妻の実家への帰省もかなり満喫したのでした。

 

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