トイレで『ソクラテスの弁明』
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朝6時、トイレに閉じ込められた。
最近、うちのトイレの内側のドアノブが壊れ、外れている。
こんな感じ。
トイレから出るときはトイレ内に置いてあるドアノブをドアにはめ、ガチャリと回すと出られる。この朝、用を足したあと、トイレ内にあるはずのドアノブを持とうとしたが、探せど探せどドアノブがなかった。あれがないとトイレから出られない。
まず冷静さを保とうと思った。ドアノブをはめる場所を指でガチャガチャやってみたが、当然ドアは開かない。ドアノブはトイレの外にあるのだ。スマホも持ってきていないので助けの電話はできない。……閉じ込められた。
この場合、トイレのドアを開けるには、外から開けてもらうしかない。ドアをドンドンと叩き、「お〜い、開けて〜」と妻を呼んだ。早朝からなんと情けない図であろうか。いい大人になって。
妻はまだ寝室で息子と一緒に寝ている。起きてくるのは7時頃。寝室からトイレまで少し距離がある。ドンドンと「お〜い」を五分くらい繰り返すが、妻はやってくる気配はない。
ドアを体当たりで突き破ろうか。しかし、ドアが壊れてしまったら、後で直すのも面倒である。
しょうがない。妻が起きてくるまで気長にトイレで待つか。僕は「やれやれ」と言って、便座に座った。(かっこ悪)
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こういうとき、トイレに本を置いていてよかったと思う(トイレに閉じ込められることなどめったにないが)。妻が起きてくるまで時間をつぶせる。
僕は最近購入した、角川選書の『ソクラテスの弁明』を手に取った。
今まで、分からないながらも何人かの西洋哲学者の著作をこつこつと読んできたが、ソクラテスの本を読んだのはこれが初めてである。ソクラテスの思想を学ぼうと思い立ったのは、今年の9月に出た新書『試験に出る哲学』(斎藤哲也)を読んだときである。
試験に出る哲学―「センター試験」で西洋思想に入門する (NHK出版新書 563)
- 作者: 斎藤哲也
- 出版社/メーカー: NHK出版
- 発売日: 2018/09/11
- メディア: 新書
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『試験に出る哲学』には、古代の哲学者ソクラテスをはじめ、西洋哲学史に名を刻む哲学者の思想がわかりやすく、コンパクトにまとめられている。この本の第一章のタイトルは「哲学は『無知の知』から始まった」である。この「無知の知」、つまり「知らないことを知らないと自覚すること」こそがソクラテスの思想の核だ。
先に「ソクラテスの本」と書いたが、ソクラテス自身は一冊も本を残していない。ソクラテスを描いたテキストは、主に弟子のプラトンによってまとめられている。
ソクラテスは、国家(アテナイ)の認める神々を認めず別の新しい神霊の類を導入する罪、そして、若者を堕落させた罪によって裁判にかけられ、死刑となる。どのような経緯でソクラテスは死刑になったのか、ソクラテスは裁判で何を語ったのかをプラトンがまとめたのが、『ソクラテスの弁明』である。
ソクラテスは、以前「ソクラテスよりも知恵のあるものは誰もいない」という神託を伝えられたことを、その裁判の途中で語る。彼は「一体、神は何をいおうとしているのか。一体、何の謎をかけているのか。私は大にも小にも知者ではないことを自覚しているからだ。」と神託に戸惑ったと続ける。彼は神託の謎を解くため、多くの人に知者と思われている人を訪ね、対話をし、あることに気づいたと話す。
私はその人よりも知恵がある。なぜなら、私たちのどちらも善美の事柄は何も知らない。だが、この人は知らないのに知っていると思っているが、私は事実たしかに知らないのだから知らないと思っている。だから、このちょっとしたことで、つまり知らないことは知らないと思っているという点で、私の方が知恵があるようだ。
「知らないことは知らない」と自覚できる者こそが本当の知者なのである。
自分自身が「知らないことは知らない」と簡単に認められないようになったのは、一体いつからであろうかと僕は思った。仕事や勉強によって、ある特定の分野に詳しくなっただけで、変な自信を持ってしまい、他人に無知と思われるのが嫌で、全く知らないことに対してまるで知っているかのような素振りを見せてしまうことは少なくない。
しかしながら、ソクラテスの思想からわかるように、自分の無知を認めることから出発し、他者や自身との問答を繰り返してでしか、本当の知は形成し得ないのである。
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ソクラテスの、金銭や地位や評判を気にすることなく、「徳とは何であるか」「善とは何であるか」という本質にこだわり続ける姿勢にも心打たれた。ソクラテス好きかも。
哲学はすぐに何かの役に立つものでもないし、もしかすると一生役立たないものかもしれない(少なくとも哲学で、トイレから脱出することはできない)。しかし、哲学には役立つ役立たないを超えた魅力がある。哲学を学ぶことによって世界の見え方がちょっと変わる興奮は何にも代えがたい。
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妻によってトイレから救出されたのは、トイレに閉じ込められてから20分が経過した頃であった。案外早く出られた。やっぱりシャバの空気はうまい。
妻があきれ顔をしていたので、僕は必死に弁明を行った。
『アマデウス』、ウイスキー、ピアノの思い出
11月3日
夜、『アマデウス』のDVDを見た。
凍てつくウィーンの街で自殺を図り精神病院に運ばれた老人。
彼は自らをアントニオ・サリエリと呼び、皇帝ヨゼフ二世に仕えた宮廷音楽家であると語る。
やがて彼の人生のすべてを変えてしまった一人の天才の生涯をとつとつと語り始める・・・。
若くして世を去った天才音楽家ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの謎の生涯を、サリエリとの対決を通して描いた話題作。
制作は1984年。
学生の頃見たときは自由奔放で才気あふれるモーツァルトに惹かれたが、今回の鑑賞ではモーツァルトとは対極の人間であるサリエリに惹かれた。サリエリは、まるで嫌がらせかのような運命を背負わせた神を、逆に嘲笑してやろうと必死に戦う。
サリエリは自身を「凡庸」と言っているが、天才の音楽を理解する能力において非凡である。天才であるモーツァルトに対する激しい嫉妬がありながらも、モーツァルトの作る美しい音楽への深い愛情を持っている。
サリエリはその強い憧憬や嫉妬がモーツァルトの人生に早々と終止符を打たせてしまった事実に、老いてなお苦しみ続けているのである。彼の思いがモーツァルトの死の直接的な原因ではないにしろ、モーツァルトを取り巻く「凡庸な」人々の思いが死の遠因になったことは間違いないであろう。
僕たち凡庸な人間の天才に対する愛憎渦巻くまなざしが、天才を消耗し、ときには命までを奪ってしまうということはよくあることなのかもしれない。
10月26日
高校以来の友人であるヒゲ(あだ名)とガンダム(あだ名)と飲みに行った。
いつも行っているところとは違う飲み屋を開拓しようという話になった。老舗感のある居酒屋に勇んで入り、座敷で魚料理とともに日本酒を飲んだ。女将さんが言うには、最初に飲んだ日本酒は、地元のS大とそこの生徒が一緒に開発したものであるそうだ。旨い。
3人はそれぞれ近況を話した。ヒゲは子供が生まれたばかりで、奥さんが実家に帰ってしまい暇をしている話、ガンダムは2月に予定している結婚式の準備に苦労している話、僕は第二子の名前に悩んでいる話や父がうつ病になった話などをした。あとは仕事の話。ヒゲは整体、ガンダムはIT関連の仕事をしている。
22時を廻り、2軒目は3年ほど前に3人でよく行っていたショットバーに行った。客は誰もいなかった。カウンターに座る。
70歳に届いているように見える老マスターが一人でこのバーを切り盛りしている。マスターの背後には、海外のウイスキーがたくさん並んでいる。店には古い映画のポスターが至る所に飾ってあって、僕の目の前にはアラン・ドロンの写真があった。
このマスター、よくしゃべる。ウイスキーを女性にたとえた話をマスターがし、その話にヒゲとガンダムが乗っかり大盛り上がり。僕は先の日本酒と、何杯かのウイスキーが効いてきて眠たくなってきた。
40歳手前に見える酔っ払ったお兄さん(おじさん?)が店に入ってきて、僕の隣に座った。バーボンを飲みながら、マスターと僕の友人のおしゃれとも下品ともとれる会話を笑顔で聞いていた。
そして、お兄さんは突然「君たちS大生? S大の上司が何人か会社にいるけどみんな頭がおかしい」と話しかけてきた。ヒゲはめんどくさそうに「そうです、S大生です」と言って、マスターとの会話に戻った。僕たちはもう7年も前に大学を卒業してるし、誰もS大出身ではない。
そのお兄さんは、「最近、若い人の中には恋愛に興味がないって人が増えてるそうだけど、君はどう?」と僕に聞いてきた。僕は「まあいろいろと楽しいことはありますけど、恋愛に勝る楽しいことはありませんね」と適当に返事をした。
「なるほど、君はそう思うのね」と彼。僕はピーナッツをほおばったが、頭の中のモヤはさらに濃くなっていく。
「自分の恋愛はとてもシリアスでロマンティックに感じるのに、他人の恋愛はばかばかしく見えるのはなんでかな?」と彼。「さあ」と僕。
“人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見ると喜劇だ”とチャップリン。
彼は一杯のバーボンを飲み終えると帰った。僕はカウンターに突っ伏して寝た。起きると24時を廻っていた。僕は「明日はバスケの審判が2試合あるから」と友人に言い、お金置いてバーを出て、ふらつきながら歩いて家に帰った。
翌朝気づいたが、ヒゲからLINEがあった。「父親をうちの整体に連れてこい。体がリラックスすると気持ちが変わる人が多いから」といった内容である。ヒゲはバーから帰ると、家でひどく吐き、日が昇るまで風呂の中で寝てたそうだ。
10月21日
この日、近所で祭りをやっていた。
夕飯後、身重の妻から頼まれて、祭りにクレープを買いに行った。途中、実家にいる弟から電話があった。
「父親が抗うつ剤がきれてパニック状態になり、救急車を呼んだ。今救急隊が家にいる」とのこと。最近父の具合がよくなかったが、救急車を呼ぶ事態になったのは初めてである。僕は「病院に運ばれるか運ばれないかが決まったらまた連絡ちょうだい」と言った。
クレープ屋は閉店間際であった。クレープは一枚しか焼いてくれないと言う。けち。僕は妻に頼まれたチョコバナナを注文した。僕はバナナが大の苦手である。
弟から「父はだいぶ落ち着いて、自宅で様子を見ることになった。救急隊は帰った」と連絡が入った。僕は駆け足で自宅に戻り、妻にクレープを渡して、車で実家に向かった。
実家の玄関の前でチャイムを鳴らす。後ろを振り向くと、左向かいの家の窓が少し開いており、その隙間からその家のおばあさんが僕の方を見ていた。さっきまで救急車が来ていたので、何事かと様子をうかがっているのだろう。
家に入ると、父は仰向けに寝転んで休んでいた。父は僕に「もう一度あの状態が来たら死ぬ」と言った。そして、「死んだら母さんを頼む」と繰り返し言った。
「まだ死なないよ」と僕はあしらう。弟は話題を変えようとした。どういう流れか忘れたが、話題は父の若い頃のことになった。
母は「お父さんは20代の頃、ピアノ教室に通っていた」と言った。初耳である。父親がギターを弾く姿は子供の頃から見てきたが、ピアノを弾くところは見たことがない。
「なぜピアノ?」と弟が聞くと、「アマデウス」と父。映画の『アマデウス』で楽しそうにピアノを弾くモーツァルトに影響を受け、ピアノを始めたそうだ。
『アマデウス』の内容を知らない弟が映画の内容を聞くと、父はあらすじを詳細に語った。公開当時何度も繰り返し映画館で見たらしい。
僕は学生の頃ソフトで鑑賞したが、内容はうろ覚えであった。父の語りで映像が頭の中に蘇ってきた。そういえば、こんなに長くしゃべる父を久しぶりに見た気がする。
語りが映画のクライマックスに及んだ頃、連絡を受け父の様子を心配した叔父夫婦が家にやってきた。母は僕に「心配かけてごめんね。明日仕事でしょ、もう帰りな」と言った。
アンパンマンとの蜜月時代
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地元で催されたアンパンマンショーにお出かけした。
アンパンマン、すごい人気である。小さい子供を連れた家族がたっくさんいた。僕は1歳の息子・ハルタを肩車。
可愛らしい女の子による鑑賞上のマナーのアナウンスの後、いよいよアンパンマンが登場した。他の子供たち同様、頭上でハルタは大興奮。アンパンマンを指差し、「パッパッ!」と連呼した(ハルタはアンパンマンのことを「パパ」と呼んでいる。そして僕のことはいまだに「パパ」と呼べない)。
ショーの後はアンパンマンファミリーによる握手会である。あっという間に握手会の前に行列ができた。なるほどアンパンマンは日本の子供界のトップアイドルであった。
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子供ができて子供用品店によく行くようになって気づいたが、子供のキャラクター用品市場はアンパンマンが独占している。ミッキー、ハローキティ、ミッフィーなどは彼には遠く及ばない。
おもちゃはもちろん、様々な子供用品に彼の丸いお顔がある。幼児と暮らすということは、すなわちアンパンマンと密なお付き合いをしていくということであった。
自然、自宅にはアンパンマンの子供用品が増えていく。僕はそれほどアンパンマンに思い入れはない。家にキャラクター商品を増やすのであれば、ポケモングッズを増やしたい(ポケモン大好き)。
自分が幼い頃はこんなにもアンパンマンに囲まれていたっけ?
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アニメは繰り返し見ていたんだと思う。それが証拠に、ハルタのおもちゃに描かれているアンパンマンのキャラクターの名前を結構言える。
チーズ!
カバオくん!
ホラーマン!
誰やこいつ?
調べてみると、名は「コキンちゃん」というらしい。ドキンちゃんの妹分で、10年前くらいに登場したキャラクターだそうだ。なかなかかわいい。
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なんのために生まれて
なにをして生きるのか?
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アンパンマンが大好きなハルタであるが、アンパンマンのアニメを初めて見たのはつい先日である。夫婦ともにアンパンマンがいつ放送しているのか知らなかったのである。
調べてみると、金曜日に放送していることがわかった。放送の日時にテレビのチャネンルを合わせると、「アンパンマンのマーチ」が流れた。
おもちゃで遊んでいたハルタはすぐにテレビの方に振り向いた。初めて見る動画のアンパンマンに大喜びして、テレビに駆け寄っていくのかと予想したが違った。
逆に後ずさりした。あまりに動画のアンパンマンが衝撃だったらしく、ハルタは放送が終わるまでの30分間、テレビから3メートルくらい離れたところから無表情で直立不動のまま『それいけ!アンパンマン』を鑑賞していたのであった。
疲れたときは漫画を読もうの話など
1 退勤のため息の話
20時近くになり、そろそろ仕事を切り上げようと帰り支度を進め、自分のデスクの引き出しを開けると、そこにはグラビアアイドルのクリアファイルがあった。「ヤングジャンプ」かなんかの付録である。
どうせいつも通りT先輩のイタズラであろう。「やれやれ」という村上春樹的嘆息のフレーズが頭の中に自然と浮かんだ。
僕は先輩に直接文句を言いに行こうとしたが面倒になり、荷物を背負いガムテープとクリアファイルを持って外に出た。そして、駐車場に停めてあるT先輩のスポーツカーのフロントガラスにクリアファイルをガムテープでしっかりと貼り付け、そのまま帰った。
僕は帰りの車の中で休日の買い物の計画を立てた。ここのところ出費がかさむ上に妻の育休手当がなくなり、生活費が心許なくなってきた。
『クレヨンしんちゃん』の野原ひろしのすごさよ。春日部に一軒家を持ち、専業主婦の妻と子供2人を養う経済力。まじリスペクト。
生きるのってシンドイなあ。別に今の生活に満足してないわけじゃないけど、子供の頃は将来こんな生活をしてるだなんて想像もしていなかった。
2 漫画家になりたかった少年時代の話
10代の頃、将来漫画家になりたいという夢を持っていた。
小学生低学年の頃は「月刊コロコロコミック」に熱中し、『スーパーマリオくん』を真似た漫画を自由帳に描いていた。そして小学生の終わり頃空前の『遊戯王』ブームが到来し、それをきっかけに『週刊少年ジャンプ』の愛読者になった。いつしか自分も「ジャンプ」で漫画を連載したいと思うようになり、オリジナルの漫画を描くようになったのである。
中学生のとき漫画の描き方を調べ、電車に乗って画材屋まで行きGペンなど漫画を描く道具を買い揃えた。それを使ってコツコツと絵の練習をし、高校で部活(バスケ部)を引退した17歳の夏、「よし!今までの集大成の漫画を描き、『ジャンプ』の新人漫画賞に投稿しよう!」と決意した。
1ヶ月寝る間を惜しんで描き続け、ついに45ページのストーリー漫画が完成した。僕は完成した漫画を、できるだけ客観視し冷静に読み直した。そこであることに気づく。
……なんて絵が下手なんだ。
いや、薄々気づいてはいたんだけど、このとき初めて自分の画力の低さと正面から向き合い、それを認めた。その漫画は一応投稿したが、当然賞にはかすりもしなかった。僕はおとなしく受験勉強に気持ちを切り替えようと思った。
が、諦めきれない。投稿した作品が受賞しなかったのは、絵がヘタクソだったせいだ。ストーリーは絶対に面白い(と当時は思い込んでいた。無根拠な自信に満ち溢れていたのです)。
そこで、自分より遥かに画力の高い弟に頼み込んで、自分の漫画をリライトしてもらった。そのリライトしてもらった漫画を投稿したところ、賞の最終候補まで残った(賞金は5万円)。
「ジャンプ」の編集者さんから電話がきて、実際に兄弟2人で集英社に足を運んで漫画のアドバイスをもらったりした。しかし大学生になった僕は読書や映画鑑賞に傾倒するようになり、急速に漫画を描くことへの興味を失った。そして、漫画を描いていたことは、ただの青春時代の思い出の一つと化したのであった。
3 疲れたときは漫画を読もうの話
10代の頃よりは熱心に読まなくなったが、今でも漫画を読む。寝る前の読書は日課にしているが、仕事で疲れていると、びっちり活字の並んだ本だと内容が頭に入ってこないことがある。
そういうときは漫画を読む。どんなに疲れていても、漫画であれば楽しめる。
この前読んだのは、岡崎京子の『リバース・エッジ』。
おもしろい……! 恥ずかしながら岡崎京子の漫画をこれまで読んだことがなかった。
『リバース・エッジ』のような青春時代を送ったわけではないけど、あの頃の焦燥感や虚無感はわかるような。とにかく承認欲求に駆られていた。
消費という記号こそが自分という人間を主張する唯一の手段であり、この物語の少年少女たちは性愛さえも記号の一部として捉えているように思われる。
しかしながら、消費だけではいつまでたっても生の実感は得られないし、しっかりとしたアイデンティティを確立することはできない。だからこそ、記号と戯れることしか知らない不安定な彼らは、生々しい「死体」に惹かれたのではないだろうか……。
4 ここんとこ金髪にしたいという気持ちが高まっている話
ここんとこ金髪にしたいという気持ちが高まっている。
カールたべたい
カールたべたいカールたべたいカールたべたいカールたべたいカールたべたいカールたべたいカールたべたいカールたべたいカールたべたいカールたべたいカールたべたいカールたべたいカールたべたいカールたべたいカールたべたいカールたべたいカールたべたいカールたべたいカールたべたいカールたべたいカールたべたいカールたべたいカールたべたいカールたべたいカールたべたいカールたいていカールたべたいカールたべたいカールたべたいカールたべたいカールたべたいカールたべたいカールたべたいカールたべたいカールたべたいカールたべたいカールたべたいカールたべたいカールたべたいカールたべたいカールたべたいカールたべたいカールたべたいカールたべたいカールたべたいカールたべたい
血の涙を流した「竹取の翁」と、病気と向き合い始めた父の話
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『竹取物語』の勉強を進める中、資料として高畑勲監督の『かぐや姫の物語』を見返した。2013年の日本映画の中では個人的ベストである。
映画の冒頭、『竹取物語』の序文がしっとりとした声で流れ、映画の中にすっと気持ちが入っていく。
今は昔、竹取の翁といふものありけり。
野山にまじりて竹を取りつつ、よろづのことに使ひけり。
名をば、さぬきの造となむいひける。
『かぐや姫の物語』を映画館に見に行ったのは、大学を卒業してフリーターをやっているときだった。そのとき、翁に対して「ほんと俗で、ろくでもない奴だな」という印象を抱いた。彼はかぐや姫の気持ちを想像することができず、少しでも位の高い貴族と縁を結ぶことが家の幸せであり、姫の思い幸せであると信じ込んでいる。
しかし、今回見返してみて翁に対する印象が変わった。翁の言動の端々に、かぐや姫に対する愛情が感じられた。本物の父娘ではないが、その愛の強さは本物に親子のそれと何ら変わりはない。
よちよち歩きをし始めたかぐや姫を、翁が自分のほうへ歩かせようと「ひーめっ!」と大きな声で呼ぶシーンが序盤にある。 呼び続ける翁は、姫を愛おしく思うあまり泣き出してしまい、姫の方へ駆け出す。
初めてこのシーンを見たときは崩れた翁の表情が可笑しく笑ってしまったが、今回は目頭が熱くなった。姫に駆け寄った翁は彼女を抱き上げ、頰ずりをする。なんか気持ちめっちゃわかる。
この5年間での感受性の変化は、やっぱり自分に子供ができたことが大きい。「子供ができても、以前と自分は何も変わらない」とかっこつけて言いたいところであるが、子供ができる以前と以後で自分という人間はかなり変わってしまった。
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父は初期のうつ病と診断され、仕事を1ヶ月休むこととなった。
「だけど、抗うつ剤を飲むことを父さんは拒否している」と母は電話口で言った。父は「そんなもの飲んでも治る保証はない」なぞと言っているらしい。
その連絡を受けた僕は、仕事を早めに切り上げ実家に直行した。実家に着くとすぐに父と母と弟をテーブルに座らせた。
両親ともに表情は暗い。父はこの前会ったときより更にやつれて見える。
僕はわかりやく順序立てて父に話すことを努めたが、もしかすると感情が高ぶっていたので支離滅裂な話になっていたかもしれない。要約すると、「薬を飲まなければ一層悪化するかもしれない。お医者さんと母さんの言うことをよく聞いてほしい。家族みんなが父さんに元気になってほしいと思ってる」と伝えた。
僕が話終えると、お前の言ってることはよく分かったというようなことを父は言い、「悪いな」と口にして涙を流した。そして、僕の手を握った。衝撃を受けた。あの父が……。
母もその光景に動揺したらしく、涙をボロボロと流した。その状況に、子供の頃のように自分も泣き出したい気持ちになった。しかし、僕がそこで泣いたら、そのまま家族が悲劇に転げ落ちていくような強い予感がし、感情に流されずに踏みとどまった。自分がしゃんとしなきゃならない。
時計は21時をまわっていた。僕は「ハルタを風呂に入れなきゃいけないから」と言い、もう一度父に薬を飲むことを念押しし実家を後にした。
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帰宅すると、一歳の息子ハルタはもう寝ていた。妻は編み物をしていた。
ハルタの安らかな寝顔を見ると、様々な疲れがなくなっていくような心持ちになる。どんなことがあってもこの子を手放したくはない。
かぐや姫が月に帰ることを知り、嘆き悲しむ翁と嫗に同情せずにはいられない。
8月15日の夜、天人がかぐや姫を迎えにやってくる。心乱れ泣き伏す翁と嫗にかぐや姫は心を痛め、手紙を書き置いた。
過ぎ別れぬること、返す返す本意なくこそおぼえはべれ。脱ぎ置く衣を形見と見たまへ。
月のいでたらむ夜は、見おこせたまへ。見捨てたてまつりてまかる、空よりも落ちぬべき心地する。
かぐや姫はついに天へと昇ってしまい、翁と嫗は血の涙を流して悲しみ、病床に伏せってしまう。
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秋が深まり、だんだんと肌寒くなってきた。
秋の夜長に『ホモ・デウス』
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なんか最近眠れない。
深夜、NHKEテレの『ニッポンのジレンマ』という番組をぼんやり眺めていると、イスラエル人歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリのインタビュー映像が流れた。あ、『サピエンス全史』と『ホモ・デウス』の筆者だ。
「新しいテクノロジーが、新しい社会のあり方を決定するわけではない。そのテクノロジーを人がどのように利用するかによって社会のあり方は変わる。人がテクノロジーの奴隷になるような未来はあってはならない」みたいなことを彼は言ってた。
僕は本棚から、読み終えたばかりの『ホモ・デウス』を引っ張り出した。パラパラとめくり、自分が赤線を引いたところを拾って読み直し、人類の近い未来に対して9割の不安と1割の希望を抱いた頃、やっと眠気がやってきた。
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『ホモ・デウス』、最高に面白い。読んだ人を絶対に後悔させない極上の読書体験を提供してくれる。
前作、『サピエンス全史』では、認知革命、農業革命、科学革命を人類の歴史の重大な転機と位置づけ、サピエンスがどのようにして世界を征服したかについて語られていた。ハラリの独特で鋭く新鮮な歴史観と語り口に、自身の先入観や固定観念を揺さぶられずにはいられなかった。
前作で人類の「過去」を語ったハラリは、今作『ホモ・デウス』で人類の「未来」を語る。「ホモ・デウス」とは、飢饉と疫病、戦争をほぼ克服した人類が次に目指す姿である。私たちが今後の歴史で目標とするのは、不死と幸福、神性の獲得である。
飢饉と疾病と暴力による死を減らすことができたので、今度は老化と死そのものさえ克服することに狙いを定めるだろう。人々を絶望的な苦境から救い出せたので、今度ははっきり幸せにすることを目標とするだろう。そして、人類を残忍な生存競争の次元より上まで引き上げることができたので、今度は人間をアップグレードし、ホモ・サピエンスをホモ・デウス〔訳注 「デウス」は「神」の意〕に変えることを目指すだろう。
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誇張ではなく、目次を読んだだけで、血が熱くなる感覚になり、内容の期待感にゾクゾクとする本書である。
人類の未来についてひたすら語られるのかと思いきや、サピエンスはどのような能力を持っているのかについて、ページをたっぷりと使って、『サピエンス全史』よりさらに深く語られる。なかなか予測を立てることの難しい人類の未来を語る上での土台作りを、丁寧に、そして周到に行う。
その土台作りで語られるのは、例えば、人類と他の動物との相違点である。どうして人類が世界を征服し、他の動物にはそれができなかったのか。
それは人類が単に知能が高かったからではないとハラリは言う。人類が世界を征服できた要因は、私たちが「虚構」を物語り、それを利用して多くの人間を結びつけ、大勢で柔軟に協力する能力を身につけたことにある。
同時に、人類と他の動物とが全く変わらない点もある。それは、前者も後者も、遺伝子やホルモン、ニューロンに支配された、ただのアルゴリズムに過ぎないという点である。
近現代の人間至上革命の中で最も尊重された、「私」の意識や意志さえも人類のこしらえた「虚構」であり、それらの意識や意志は、単なる脳内のデータ処理の結果であると本書は強調する。
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人類をアップデート(あるいは破滅)へと導く「データ史上主義」とは何かということについては、本書を読んでほしい。人間至上主義に取って代わる、このデータ至上主義について語られる最後の章に、僕は最も強い知的興奮を感じた。
現在、人間至上主義からデータ至上主義への移行は確実に進んでいる。
人間至上主義によれば、経験は私たちの中で起こっていて、私たちは起こることすべての意味を自分の中に見つけなければならず、それによって森羅万象に意味を持たせなければならないことになる。一方。データ至上主義は、経験は共有されなければ無価値で、私たちは自分の中に意味を見出す必要はない、いや、じつは見出せないと信じている。
データ教の信者は、テクノロジーの発展で実現する「すべてのモノのインターネット」と一体化したがり、「データフローと切り離されたら人生の意味そのものを失う恐れがある」と考えている。
自分しか読まない日記を書くのはこれまでの世代の人間至上主義者にとっては普通のことだったが、多くの現代の若者にはまるで意味がないことのように思える。他の人が誰も読めないようなものを書いて、何になるというのか? 新しいスローガンはこう訴える。「何かを経験したら、記録しよう。何かを記録したら、アップロードしよう。何かをアップロードしたら、シェアしよう」
実はこんな風にブログを書く行為も、ハラリの歴史観に立てば、自分がデータ至上主義者であることの証明なのである。
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テクノロジーとサピエンスの未来について広い視野を与えてくれる本書『ホモ・デウス』は2018年必読の書である。
秋の夜長のお供にもおすすめです。