ゴロネ読書退屈日記

ゴロネ(89年生まれ)一児の父。好きなものは読書、映画鑑賞、息子ハルタとじゃれ合うこと。

「タテに伸びる」物語への関心と『若い読者のためのサブカルチャー論講義録』の話

 

4月は山のように仕事があり、処理に忙しく、なかなかブログ遊びに行き着かない。

 

しかし、ストレスが溜まっているわけでもなく、仕事に熱中することに程よい充実感のある今日この頃である。

 

今はお客さんの「成長」を応援する仕事を主にしていて(アバウトですね)、この前お客さんに「いつもニヤニヤしていて楽しそうですね」と言われた。いや、ニコニコしているつもりなんだけど。

 

 

 

先月のとある日の夜、珍しいところから電話があった。

 

大学生の頃にアルバイトをしていた個人経営の学習塾の塾長からである。この塾は、大学生のアルバイトを雇い、個別指導で中学生に勉強を教える小さな塾で、自分も中学生のとき、ここに塾生として通っていた。

 

塾長はもう70歳くらいになるだろう。高校受験のときに、数学のセンスが圧倒的に欠落している僕に、つきっきりで(しかも無償で)数学をみっちり指導してくれた恩師である。

 

高校を合格して塾をやめたが、大学を合格したとき、恩師である塾長に合格の報告に行き、そのままの流れでこの塾の講師になったのである。

 

5年間勤め、講師をやめてから、塾長とは一度も連絡を取り合っていなかったが、突然の電話である。

 

「Aさんが来てるよ」と塾長。「君に会いたいって」

 

時間もあるし、車で行けばさほどの距離ではないので、懐かしの塾に遊びに行くことにした。

 

 

 

塾は相変わらず狭く、ボロボロで、壁には僕が中学生のときに書いた落書きが残ったままだった。生徒はまだいて、静かに勉強をしている。奥の部屋に塾長とAさんが待っていた。

 

Aさんは、中学校3年間、僕が文系科目を教えていた女の子で、よく笑う元気な子であった。その子が今や21歳になっていた。

 

「勉強なんて教えてくれなかったよね」とAさん。

 

「教えたでしょ、ちゃんと」と僕。

 

「なんかイラストを裏紙に描いて、ニヤニヤしながら『うまいでしょ?』とか言ってそれを見せてきた思い出しかない」

 

「……」

 

Aさんは、この4月から看護師になるそうだ。そういえば、中学生のころから看護師になりたいと言っていた。立派な仕事です。

 

21時半頃となり、生徒はみんな帰ってしまった。驚いたことに大学生講師の女の子2人(BさんとCさん)も、僕が大学生のときの教え子であった。

 

塾長がチーズケーキを出してくれ、生徒のいない小さな塾は、塾出身者のプチ同窓会の会場となった。

 

「給料安いでしょ?」と僕は塾長が近くにいるのにも構わず、BさんとCさんに聞いた。

 

「情で続けてるんです。やめられなくて」とBさんはCさんの顔を見て答えた。

 

その後は、今何をしているのかを互いに報告し合ったり、思い出話に花を咲かせたりした。

 

「いやはや、久しぶりに女子大生と話したわ」と僕は言った。

 

「いやらしい言い方ですね」とCさん。

 

「いやらしい言い方ですね」と僕。

 

彼女たちが大人になったことに大きな驚きがあったと同時に、喜びがあった。

 

そして、3次元はやっぱり2次元とは明確に違うなと妙なことを思った。3次元はなぜこんなにも3次元的なのであろうか?

 

 

 

『若い読者のためのサブカルチャー論講義録』を読んだ。

 

若い読者のためのサブカルチャー論講義録

若い読者のためのサブカルチャー論講義録

 

 

この本は、評論家の宇野常寛による、ここ40年間ほどのマンガやアニメやゲームといった「オタク的なもの」を取り上げたサブカルチャー論の大学での講義録をまとめたものである。

 

今はそれほどでもないが、僕は中学生のとき、マンガやアニメやゲームが大好きであったので、これを読んでいてワクワクした。自分の世代は、この本の第十六回の講義にある「セカイ系から日常系へ」の世代であると思う(「セカイ系」というと、高校生のとき、授業中に友人が『最終兵器彼女』の最終巻を読んで涙を流していた姿が思い出される)。

 

この回では、『涼宮ハルヒの憂鬱』、『らき☆すた』、『あずまんが大王』、『けいおん!』、映画では『ウォーターボーイズ』や『リンダ リンダ リンダ』を例として挙げ、この頃の物語が「目的のない青春の日常の美しさ」を強調して描かれていたと語られている。

 

これらの作品の気分は、中高生の頃の自分の気分そのまんまであったと思う。これらの作品にハマっていた中高生の頃の僕は目標や目的がなく、だから自分自身の成長にもほとんど関心がなかった。一緒にいて居心地の良い仲間たちとニヤニヤとこのまま過ごしてればいいやと思ってたし、この日常に終わりはやってこないと思っていた。

 

 

5

 

中高生の頃、週刊漫画誌はコンビニで立ち読みをしていて、中でも「週刊少年ジャンプ」の『ONE PIECE』にハマっていた。毎週月曜日の友人との話題は、まず「今週の『ONE PIECE』読んだ?」から始まった。

 

『若い読者のためのサブカルチャー論講義録』では、ジャンプ黄金時代を支えた『幽☆遊☆白☆書』、『ドラゴンボール』、『SLUM DUNK』をトーナメント方式で物語がどんどん「縦に伸びる物語」として、それらの物語と比較し、『ONE PIECE』をこのように語っている。

 

ONE PIECE』は、主人公ルフィがどんどん強くなっていくというよりも、どちらかというと仲間が増えていくということのほうを主題に据えています。要するに個人が成長することよりも、仲間が増えて絆が深まることによって物語が展開していくことになります。尾田栄一郎はこうやって「横に広げる」ことで『ドラゴンボール』や『SLUM DUNK』が嵌った罠を回避しようとしていて、そのやり方は比較的、成功していると思います。

 

そういえば、『こちら葛飾区亀有公園前派出所』を全巻収集したのも高校生の頃であった。主人公の両津勘吉は、見た目はおっさんだが、中身は悪ガキのままで、200巻を重ねても、ほとんど成長しない。

 

振り返ってみると、この頃の僕は「成長しない」物語ばかりを好んでいて、それは目標や成長を拒否する自分の心理からやってきていたのではないかなと推察される。

 

 

 

しかし、当たり前だが、3次元では成長を拒否することはできない。終わることのないと思っていた少年期、青年期はとうに過ぎてしまった。

 

ただ、別に寂しさがあるわけではない。むしろ、近頃、人が「成長する」ということにかなり喜びを覚える。

 

相変わらず自分の成長には無感動なのだけれど、例えば、大学時代の教え子や、自分の子供の成長を見たりすると、強烈な感動がやってくる。

 

「縦に伸びる物語」も悪くないと思ったり、仕事や家庭で人の成長に貢献しているという感覚に居心地の良さを感じている(これが大人になるということかしらん)。

 

3次元は、カットなどの編集ができず、はたから見ているとその動きは非常に遅く感じる。しかし、未来に向けて確実に変化を続けていて、過去を振り返ってその変化に注目するのは面白い。

 

それなりにフィクションの物語に浸かり、楽しんできたけど、最近、個人的に思っていることは、この「現実」という物語に勝る面白さを持ち合わせた物語は存在しないということなのです。