『吾輩は猫である』とマイホームの夢の話
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猫がちょっと苦手だ。別に猫に何か危害を加えられたといった思い出はないのだけれども、ただ苦手なのである。
特に猫のあの目に苦手意識がある。猫を前にすると、人の心を見透かされているような心持ちになり、妙に落ち着かない。
『吾輩は猫である』の名もなき猫のように、猫にいろいろと観察されたり、言動をいちいち批評されてたとしたらたまったものではない。
人間の定義を言うと、ほかに何もない。ただ入らざることを捏造して自ら苦しんでいる者だと言えば、それで充分だ。
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僕と妻、10ヶ月の息子ハルタの3人で、静岡に一泊二日の小旅行をした。
初日の朝、軽く朝食を済まし、荷ごしらえをし、車で出発した。最初の目的地まで、3時間ほど走る。車を運転していると、だんだんとお腹がすいてきた。
「お腹すいた。どんぐり食べたい」と僕。
「リスかっ。……おにぎり握ってきたよ」と妻
おにぎりを受け取り、食べた。うまし。梅干しおにぎり大好き。
そういえば、家族3人で車に乗って旅行するのは初めてだ。なかなか楽しい。
最初の目的地は、妻の友人夫婦の新築のお宅である。
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妻の友人宅には、猫がいた。
人懐っこい猫で、僕にも体をすり寄せてきた。「うっ……」あまり気にしないようにした。
ハルタを猫の前に出してみた。ハルタはこれまで人見知りをほとんどしなかったし、犬などに出会ってもケラケラと笑って、結構図太い。さて、猫はどうかしらん。
「うわあああああ!!」
めっちゃ泣いた。
妻の友人宅をあとにするまで、ハルタはずっと猫におびえ、ぐずぐずし、妻にしがみついていたのだった。
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お家を見学させていただいたが、妻の友人夫婦の思いやこだわりの詰まった素敵なお家であった。
僕ら家族は、現在3人で賃貸マンション暮らし。家を建てることになったら、将来のことを考え、大変だろうけど、こだわりを持ってみたい。
定職に就き、結婚し、子供を授かり、マイカーを購入した。妻とちゃんと話し合ったわけではないが、次はマイホームだなと自然にぼんやりと考えていた。案外、僕って持ち家信仰者だったのね。
理想の家というのもないわけでもなく、僕としては、壁の少ない、開放感のあるお家に住みたいなあと今のところなんとなく思っているのである。
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上の記事に、『吾輩は猫である』の珍野苦紗弥邸の間取り図が載っていた。
壁が少なく、障子やふすまで畳の部屋を仕切る、純和風住宅である。ちょっとこういう昔風な家にも憧れがあったりする。
とりあえず、どんなに狭くてもいいから、苦沙弥先生宅のように自分の書斎が欲しいという夢もある。
一家団欒のときが過ごせる開放感のある家に住みたいという願望もあるけど、一日に1,2時間くらい、閉鎖された静かな書斎で、ひとり読書に耽りたいという相反する欲望もあるのです。
『スーパーマリオ』のアニメ映画化もいいけど、『スーパーマリオくん』のアニメ化を強く望む話
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小学校の低学年から中学年頃(平成8~11年あたり)にかけて、僕は『月刊コロコロコミック』の熱心な愛読者であった。親にせがんで毎月欠かさず買ってもらい、隅から隅まで読み込んでいた。
『爆走兄弟レッツ&ゴー』(こしたてつひろ)、『学級王ヤマザキ』(樫本学ヴ)、『星のカービィ デデデでプププな物語』(ひかわ博一)、『ウホウホドンキーくん』(須藤ゆみこ)、『爆球連発!!スーパービーダマン』(今賀俊)、『超速スピナー』(橋口隆志)、『ゴーゴー!ゴジラッ!!マツイくん』(河合じゅん)、『ビックリマン2000』(犬木英治)、『うちゅう人 田中太郎』(ながとしやすなり)などの作品に夢中になったが、特に思い入れが強いのが、
初めて買ってもらったコミックスも『スーパーマリオくん』であった。沢田ユキオ先生にファンレターを送ったこともあります。
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ゲーム『スーパーマリオ』がアニメ映画化する(※1)というニュースを読んだ。
『スーパーマリオ オデッセイ』の鮮やかで滑らかなCGアニメーションを見たり、ゲーム世界でのマリオのスター性を考えたりすると、すでにマリオは、「デジタル時代のミッキー」と呼べる存在になったと言えるのかもしれないと思う。だから、任天堂とアメリカの映画会社が協力して「マリオ」をアニメ映画化することはすごく自然なことに思えるし、マリオゲームファンの自分としてもとても嬉しい。
ただ、実は僕はゲームのマリオより、漫画『スーパーマリオくん』のマリオへの愛のほうが強い。
ゲーム『スーパーマリオ』の映画化もいいけど、アニメ化された『スーパーマリオくん』を見てみたいと昔からずっと思い続けているのである。一回限りで、15分くらいのアニメーションで構わないからさ。
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『スーパーマリオくん』は、『コロコロコミック』で平成2年から現在まで連載が続くギャグ漫画。『月刊コロコロコミック』では、最も連載期間の長い作品である。(2017年2月現在、コミックスは52巻まで刊行)
マリオ、ルイージ、ヨッシー、クッパなど様々な(アホな)キャラクターが、体を張ったギャグや、下ネタや、ダジャレを次々と展開する。(まれに泣ける話もある)
そのわかりやすいストーリーと、テンポのよいギャグに僕は夢中になった。
よく覚えている話は、初期の「スーパーマリオワールド編」(だったと思う)で、笑い上戸の敵に、「すべってころんで大分県!」「三振打者 オラウータン!」「うめぼし食べて スッパーマリオ!」といったダジャレをマリオが繰り出し、笑いが止まらなくなった敵を倒すという話である。
少年のころの僕は、『スーパーマリオくん』に影響を受け、友達にダジャレを連発していた(まじでうざかったと思う)。僕の少年時代の言語能力は、『スーパーマリオくん』によって培われたといっても過言ではない。
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以下の沢田ユキオ先生への最近のインタビュー記事を読んで、『スーパーマリオくん』への熱い思いがよみがえってきた。
『スーパーマリオくん』が読みたくなり、昨年発売された『スーパーマリオくん 傑作選』を買って読んだ。中期から最近にかけての話が多いけど、なんだかノリが懐かしくて涙が出そうになった。
スーパーマリオくん 傑作選 (てんとう虫コミックススペシャル)
- 作者: 沢田ユキオ,任天堂
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2017/09/29
- メディア: コミック
- この商品を含むブログを見る
『傑作選』には、『コロコロアニキ』に掲載された衝撃回、『スーパーマリオッさん』が収録されている。沢田ユキオ先生がマリオと自分を重ね、長くギャグ漫画を連載することの苦悩と喜びを吐露する。『スーパーマリオくん』ファン必見のお話です。
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先のインタビュー記事で、沢田ユキオ先生は「『マリオくん』は小学2~3年生をターゲットに絞っていて、マンガを読み始めた子供たちの入門マンガ的な役割もある」とおっしゃっている。
僕も初めて読んだ漫画は『スーパーマリオくん』でした。息子がもう少し大きくなったら、親子二代で楽しみたいと思っている漫画です。
※1 1986年に『スーパーマリオブラザーズ ピーチ姫救出大作戦!』というタイトルで松竹系で、一度アニメ映画化されていますね。1993年にはハリウッドの実写映画として『スーパーマリオ 魔界帝国の女神』が製作、公開されました。クッパを演じるデニス・ホッパーが魅力的。
『いのちの食べかた』についてたまに考える話
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最近、妻は料理がマイブームなようで(この前まで編み物がマイブームだった)、昨夜は鶏のから揚げを作ってくれた。僕はから揚げが大好物である。朝昼晩、から揚げを食べて、加えてデザートがから揚げでも問題なしです。
そういえば、妻は大学時代に生物学を専攻していて、よく鶏を絞めて、解剖したそうな。解剖して、観察、実験に使った鶏肉は、研究室の仲間と美味しくいただいたと言っていた。
僕の大学時代といえば、文系の学部に所属していて、図書室で飽きるまで読書をしたり、授業をさぼって映画館に行ったりしていた。僕と妻の大学生活はだいぶ違いますね。僕が頭の中で様々なくだらない妄想をしているとき、妻は「いのち」に触れていた。
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「食べるため、いのちを奪う」という実際の経験が乏しい僕は、鶏肉や牛肉や豚肉を口に運ぶとき、このお肉が口に運ばれるまでに、鶏や牛や豚がどのような過程を辿ったのかと意識することはまずない。
この肉がかつてどのような姿であったのか、どのように「いのち」を失ったのか、どのように加工されたのか。このようなことを食事の度に考えていたら、今の食生活はまともに維持することはできない。
でも、たまにはそういうことについて、ちゃんと考えてみるのも大事なことかなとも思ったりしている。
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一昨年読んだ『サピエンス全史』にこんなことが書かれていたのが印象に残っている。
動植物さえもが機械化された。ホモ・サピエンスが人間市場主義の宗教によって神のよう地位に祭り上げられたのと同じころ、家畜も痛みや苦しみを感じる生き物と見なされることがなくなり、代わりに機械として扱われるに至った。今日こうした動物たちは、工場のような施設で大量生産されることが多い。その身体は産業の必要性に応じて形作られる。彼らは巨大製造ラインの歯車として一生を送り、その生存期間の長さと質は、企業の損益によって決まる。業界は、動物たちを生かしておき、そこそこ健康で良い栄養状態に保つ配慮をするときでさえ、彼らの社会的な欲求や心理的欲求には本来関心を持たない(ただし、それが生産に直接影響するときは話が別だ)。
(中略)
ブタは哺乳動物のたちのうちでも非常に知能が高く、好奇心が強く、それを凌ぐのは大型猿人類ぐらいのものだろう。だが、工場式養豚場では母ブタはあまりに狭い仕切りに入れられるので、文字通り、向きを変えることすらできない(歩いたり餌を漁り回ったりできないことは言うまでもない)。母ブタたちは出産後の四週間、朝から晩までこのような仕切りの中に閉じ込めたままにされる。子供たちは連れ去られて太らされ、母ブタは次の子供たちを妊娠させられる。
(下巻P172、173)
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自分の本棚から、大学生のときに読んだ『いのちの食べかた』を引っ張り出して読み直した。著者は、映画『A』などを監督したドキュメンタリー作家、森達也。
魚は切り身で泳いじゃいないって、テレビで見て知ってるよ。釣り上げられて、冷凍されて、市場に届いて・・・・・・。じゃあ、毎日食べてる大好きな「お肉」は、どんなふうに食卓に届くの? 誰も教えてくれない、食べものといのちの、たいせつな関係。
(Amazon内容紹介)
この本には、牛や豚が「と場」に運ばれ、どのように屠殺(とさつ)され、解体されるのかが平易な文章で詳細に書かれている。
自分自身の食生活を省みることができたり、「と場」で働く方々への敬意や、食物に感謝の気持ちがわいてきたりする素晴らしい本です。
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「いのちを食べる」ってことに関する本を読んだりすると、すぐ僕は牛とか豚とか鶏ってかわいそうだなとか思ってしまう。しかし、その「いのち」を消費しているのは、紛れもない僕自身なんだよね。
『牛や豚たちはきっとこう思っている。「僕たちは食べてもらえて幸せだ」と。』
……そんなごまかしやきれいごとを、僕はこの本に書くつもりはない。殺される彼らはやはり哀れだ。殺されて嬉しい「いのち」などありえない。幸福なはずがない。
僕が書きたいことは、彼らを殺しているのは、君であり、僕であり、僕たちすべてなのだということだ。
(『いのちの食べかた』P62)
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10ヶ月になった息子ハルタは、近頃様々な食べ物をパクパクと食べるようになった。
この前は、妻に「やってみ」と言われ、牛の細かいひき肉が入っているマーボー豆腐を、小さなスプーンを使ってハルタに食べさせた。
「いのちを食べること」について、親として息子に、何を何から教えるべきであろうか。
とりあえず、「いただきます」と「ごちそうさま」をちゃんと言える子に育てたいと思います。
『宮本武蔵』を読み終わった話と一乗寺下り松の決闘の話
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「我以外皆我師」は、作家・吉川英治の名言である。
ひそかに僕はこの言葉を座右の銘にしている。自分以外の人、もの、ことはすべて自分の先生であり、謙虚さを忘れることなく、周囲から貪欲に学ぼうとする気持ちを抱きながら生きています。たまに。
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ゲーム『信長の野望』などのイラストを手掛ける長野剛がカバー画を描いた新装版の文庫の第1巻が発売したときに、読み始めた。新装版の1巻の発売は、2013年の2月なので、全巻読み終えるのに丸々5年かかった。
もともと遅読なのに加え、他の本に興味が移ると読むのを中断し、また気が向くとチビチビ読み進めるのを繰り返していたら、こんなに時間がかかってしまった。だから、久しぶりに続きを読むと、それまでの話を思い出すのがかなり大変なのであった。
まあ、映像化作品をいくつか見ているので、物語の大体の筋は知っているのだけど。
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『宮本武蔵』の中で僕が好きな話は、一乗寺下り松で待ち構える吉岡一門総勢70余名に武蔵が一人で立ち向かう話である。小説もここは燃えるが、最も心震えるのは、映画『宮本武蔵 一乗寺の決斗』(1964年製作)での、VS吉岡一門の描かれ方である。
監督は、『飢餓海峡』の内田吐夢。宮本武蔵を演じるのは、萬屋錦之介である。(上のポスターでも分かるように、萬屋武蔵の形相はすさまじい)
カラー映画なのであるが、この戦いの場面だけ白黒になり、緊迫感が演出されている。
戦いの直前、武蔵は「殺さなければ、殺される」とつぶやき、覚悟を決め、待ち構える吉岡一門の背後の坂を駆け下る。武蔵は敵陣の中に入り、駆け、跳ね、二刀流で敵をバサリバサリと次々斬り倒していく。このときの殺陣の迫力は芸術的。
しかし、次第に武蔵は体力を失っていき、表情にも恐怖の色が浮かび始める。そして武蔵は、追ってくる敵に対して「来るなーっ!!」と叫び、刀を振り回し、敵に背を向け必死に逃げるのであった。
この「来るなーっ!!」というセリフや怯えの表情は小説にはない。ちょっとおかしみがあるが、妙にリアリティーがあり、手に汗握る。日本映画史に残る名場面である。
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吉川英治の『宮本武蔵』を原作にした、井上雄彦の漫画『バガボンド』での吉岡一門との戦いの描かれ方もたまらなくよい。
『バガボンド』の武蔵は、小説や映画の武蔵のように、吉岡一門70人との戦いに力んで挑んでおらず、「どこにも心を留め」ず、「誰にも心を留め」ず、「流れのままにーー」の境地で、吉岡一門の剣士たちを次々と斬り倒していく。
佐々木小次郎の人物造形をはじめ、井上雄彦の『宮本武蔵』物語の解釈、再創造にはいつも驚かされるし、心躍る。連載の再開が楽しみです。
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『宮本武蔵』を読み終えたので、次は吉川英治の『新・平家物語』(全16巻)を読もう。いつ読み終えることができるかわからないけど。
『海月姫』の話と江の島水族館に行った話
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ベルトコンベアの前に立っていた。僕はベルトコンベアの上を流れてくるモノを、四つの段ボールのうちのどれかに適切に分類しなくてはならない。この「適切に」というのが難儀であった。
左から一つ目の段ボールには「花」、二つ目には「鳥」、三つ目には「風」、四つ目には「月」と書いてあり、このそれぞれの言葉のイメージに合わせ、ベルトコンベアの上のモノを仕分ける。
しかし、ベルトコンベアによって運ばれてくるモノは共通性や一貫性がなく、しかも形があったり、形がなかったりし、作業をする僕の手は何度も止まった。たとえば、クリップ、パンダ、マフラー、海水浴、冬眠、コーラの入った哺乳瓶、ギャグが滑った直後の空気、墾田永年私財法などが流れてきた。
僕は思考するのをやめた。思考は苦痛を伴うし、時間がかかる。この作業をなるべく楽に、なるべく時間をかけずに終わらせたい。僕は自身の感覚の流れに身を任せ、ベルトコンベアによって運ばれてくるモノを無思考で仕分けていった。
鳥花花鳥月風花風風鳥風月月月風鳥鳥花花風鳥月風花風月風鳥風月月花月風鳥月鳥花風花鳥月風花風風鳥風風月月月月風鳥鳥花鳥花風鳥月風花風月風鳥風風月月花月風鳥鳥……。
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仕事の疲労で上記のような妄想をするようになった頃、やっと休みがやってきた!
僕は妻に「江の島水族館に行こう!」と言った。先日、ドラマ『海月姫』の初回に江の島水族館が出てきたのを見て、行きたくなったのだ。
ほとんどテレビドラマは見ない僕だけど、『海月姫』の初回をふと目にして、結構面白いと思った。原作の漫画も気になって、序盤に目を通したが、非常に僕好み。
史上初(?)の「本格オタク女子漫画」! クラゲ大好きの女の子・倉下月海(くらした・つきみ)が暮らすアパートは男子禁制・オタク女子オンリーの天水館(あまみずかん)。ある日、月海が溺愛するクラゲ・クララのピンチを救ってくれたおしゃれ女子を部屋に泊めたら……!? オタク女子軍団「尼(あま)~ず」も人気爆発中♪
ドラマ版は、無理にリアルに寄せようとせず、多くの漫画的表現を自然に取り入れ、コミカルでテンポの良いつくりになっているのが好印象。三次元の方が二次元に歩み寄っている昨今で、「リアリティがない」などと批判をするのは野暮なことです。
クラゲオタクで腐女子の月海ちゃんは、「恋愛」というあまりに三次元なミッションにどのように今後立ち向かっていくのだろうか。注目です。
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生後10か月の息子のハルタは、不思議そうに水槽の中の魚を眺めていて、ときどき微笑んだりしていた。
いや~、来た甲斐があったわ、江の島水族館。久々に家族サービスが出来た。妻も、独身のときは熱帯魚を飼育していたほどの魚好きなので、喜んでいた。
『海月姫』の撮影で使われていたクラゲコーナーは混雑していた。クラゲの水槽の前に立ち、家族3人でクラゲたちをじっと眺めた。クラゲってこんなに美しかったのか。なんだかとても癒される。
「クラゲって自分で飼育するの大変なんだよね」と妻。「温度とかいろんなことに気を使わなきゃいけないし、ポンプを使って、海と同じように水の流れをつくってやらなきゃならないし」
クラゲたちは緩い流れに身を任せ、水の中を漂っていた。ゆらゆら、ふらふら、ゆらゆら、ふわふわ……。
僕たちがクラゲを見つめているのか? それとも、クラゲが僕たちを見つめているのか?
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水族館から帰ってくると、ハルタに水族館で買ったお魚の靴下を履かせたり、ハルタの長くなった前髪を切ってぱっつんにしたり、妻と宅飲みしたりした。よい休日でした。
キャラを演じることの寒さと他者とつながることの温かさの話ー『ファイアパンチ』を読んで
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「面白い」という話を耳にしたので、読んでみた『ファイアパンチ』。ドハマりして、一気読みしちゃった。
『氷の魔女』によって世界は雪と飢餓と狂気に覆われ、凍えた民は炎を求めた──。再生能力の祝福を持つ少年アグニと妹のルナ、身寄りのない兄妹を待ち受ける非情な運命とは…!? 衝戟のダークファンタジー、開幕!!
「面白い」と形容していいのかちょっとわからないが……とにかくすごい!!
だって、物語のほとんどの場面で主人公が全裸なのである。しかも、全身燃えている。(ギャグ漫画ではないです、たぶん)
とにかく読んだことない人は、これ読んでください! 近頃ずっと僕はこの漫画について考えている。この漫画について話したいことが山ほどあるのです。『ファイアパンチ』を語り合うフレンドが欲しいんです!!(切実)
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『ファイアパンチ』は、ウェブコミック配信サイト『少年ジャンプ+』で連載されていて、今年に完結したばかりの漫画作品である。
作品の内容からすると、少年ストーリー漫画に分類するしかないのであるが、少年ストーリー漫画のセオリーとことごとく相反する展開なのである。(そういう意味では、やっぱりギャグ漫画であるとも言える)
どういったところが普通の少年ストーリー漫画と違うのかというと様々あるのだが、この記事では、この漫画のテーマの一つであろう「キャラを演じること」について絞って書くとする。
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当たり前かもしれないが、普通、少年漫画のキャラは一貫した一つのキャラクター性を持っている。
それぞれのキャラが、それぞれのキャラクター性に基づいて、言動を行う。そしてその言動がさらに、そのキャラのキャラクター性を強固なものとする。
キャラクター性に基づかない言動が行われた場合は、「キャラがぶれている」と批判されたりする。例えば、ルフィが「仲間のピンチとかまじどうでもいい。死ぬの怖いし、やっぱり自分が一番」とか言い出したら、ファンは激おこプンプン丸だろう。
物語中で、キャラのキャラクター性が変更されることはほぼない(特に主人公は)。
しかし、『ファイアパンチ』の主人公であるアグニは、物語中のキャラクター性がどんどん変更されるのである。彼は復讐者になったり、ヒーローになったり、神になったり、悪魔になったり、疑似家族の大黒柱になったりする。(名前すら変わる)
しかも、アグニはそういったキャラを「演じている」ということをメタ認知しているのである。(アグニを主人公に映画を撮りたいと言ってカメラを回し続ける登場人物がが、メタ認知のきっかけとなる)
彼がキャラクター性をある時点まで一貫させている唯一のことは、本来の自分とは何者なのかということがわからず、思い悩み続けているという点である。
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人とのつながりを深めることが容易でなくなってしまった現代では(なぜ容易でなくなったんでしょうね)、多くの人々が場面に合わせて自分のキャラを演じ分けているのではないだろうか。
少なくとも僕はそうだ。所属するグループごとにキャラを演じ分けている(このブログでもキャラを演じています笑)。だって、その場の空気に合わせたキャラ通りに生きるのって他者との軋轢も少なくなるし、かなり楽だもん。人にこういうキャラだと理解させたり、逆にあの人はああいうキャラだと決めつけたりすることを日常的に行っている。
しかし、常にキャラを演じて生きているってのは、ふとした瞬間、とても寂しくなったりするし、しんどくなったりする。ガチしょんぼり沈殿丸。
『ファイアパンチ』のアグニは、何かになりたくて、それぞれのキャラを演技を努力してみるが、本当の自分は何者なのかわからなくなり思い悩み、衝動的な行動に走ったり、死を望んだりする。
しかし、アグニは大きな思い違いをしている。「本当の自分」なんてものは、一人で探しても決して見つかることはないのである。
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自分が「何者か」ということを決定するのは、他者や他者との関係性である。
自分が自分であるという自信を持つためには、結局、他者と深いつながりを持たなくてはならないのである。そして、キャラを演じているだけでは、他者と密度の高い関係性を構築することは難しいんすよ。つらいっすね。
他者とのつながりを深めるためには、身体性を伴ったコミュニケーションが必要になるんじゃないかなと僕は考えたりする。
アグニは、物語を通してほとんど精神的に不安定であるが、七巻あたりで比較的に落ち着き取り戻す。それは、アグニがもともと他人だった人々と、家族のように一つの家で暮らしているときである。
彼はその家の中で、妹と容姿が似ている記憶をなくした女性に、自分の死んだ妹を投影し、自分のことを「兄さん」と呼ばせたりしている(かなりやばい)。他にも、悪魔になったアグニに大切な人を殺された人々と、アグニは自分の素性を隠しながら一緒に暮らし、なんやかんやで彼らと絆を深めていく。
衣食住を共にすることは、立派な身体性を伴ったコミュニケーションである。
アグニはその疑似家族の中で、一緒に食事をしたり、家事に参加したり、食材を獲ってきたり、新しい命の誕生を祝福したり、肌をふれ合わせたりしている。
一緒に暮らす人々に嘘をついていることに罪悪感を抱いてはいるが、つながりに支えられた彼は、自分は「何者か」なんてことについて、もうほとんど思い悩んではいないのである。
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他者との深いつながり出来上がると、自分の生は自分だけのものではなくなる。同時に、つながりのできた他者の生にも責任を持つことになる。そのとき、やっと自分は自分であることを自覚し、自分は「何者か」なんてことについて考えなくなるのである。
人との関係性が深まることはわずらわしいことも多いけれど、寂しさやむなしさに苦しまされることよりマシじゃないかな。
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結局は、自身のキャラ化の苦痛から解放されるには、人から愛される努力を尽くさなくてはならない。
人から愛される方法はたった一つしかない。
それは、人を愛することである。
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『ファイアパンチ』の話から少し逸れたが、作者の意図がどうであれ、キャラ化すことでしか他者とコミュニケーションすることが困難になってしまった現代社会に生きていると、この漫画からいろんなメッセージを読み取ろうとしてしまう。
とにかく僕は、氷の世界で人々に崇められたり畏怖されたりする、全裸で燃えた主人公アグニの存在が、身体性の伴ったコミュニケーションによって他者とのつながりを深めることに対する現代社会の希望と絶望を体現しているとしか思えないのです。
ぜひ『ファイアパンチ』を読んでみてください!
初めて「パパ」と言った息子の話とベーシックインカムの時代よ、早く来いの話
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息子のハルタ(生後9ヶ月)が変な癖を覚えた。
痰のからんだおじさんのように、のどを震わせ「カッ!カッ!」と声(というか音)を出すのにハマっているのである。
こちらがふざけて「カッカッ」と言うと、すかさず「カッ!カッ!」と返すようにもなった。こちらの姿が見えていなくても、「カッカッ」と言うと、「カッ!カッ!」と返すのである。こやつはなんだ。
しかし、そんな姿も愛くるしい。最近では仕事中も息子のことが気になって仕方がない。
会社で仕事を終えてスマホを見ると、妻からLINE。
「ハルタが初めて『パパ』って言ったよ!」
なっ、なに~!僕は全速力で帰宅した。生まれて間もないのときから、ハルタの近くで「パパ」と繰り返しつぶやいてきた甲斐があった!
妻がハルタに「パパが帰ってきたよ。パパって言ってごらん。パパ」と言った。
ハルタは一度口を開き、そして上唇と下唇を重ね、破裂音を出した。
「パッ……パ」
パパって言ったあ!!僕は涙目になった。
パパをパパと認識してパパと言ったわけではなさそうだが、息子の口からパパという音が出たことだけでもう感無量であった。
もう一度聞きたい。「もう一度、パパって言ってごらん。パパ」と僕は言った。
ハルタは口を開いた。
「カッ!カッ!」
「ちがうだろ〜!!」
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年末年始のお休みはかなりの時間をハルタとの触れ合いに割いた。
仕事が始まり、ハルタとの時間が大幅に減ってしまい、寂しくて会社に行くのが辛いのである。
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年始に『人工知能と経済の未来』を読んだ。
この本によると、今後AIを搭載した機械が人々の雇用を順調に奪っていくと、今から30年後の2045年には、全人口の1割ほどしか労働しない社会になっているかもしれないそうだ。
僕みたいな役立たずは真っ先にAIに仕事を奪われるであろう。仕事がなくなることで自分や自分の家族との時間が増えるのはいいけど、収入がなくなってしまい、飢えて死んでしまうよ。
9割の人が職を失ってしまうそんな時代を救う現実的な制度として、筆者がおすすめしているのが、「ベーシックインカム」である。
私は、純粋機械化経済において、労働者の所得を保証するために最もふさわしい制度は、「ベーシックインカム」だと思っています。「ベーシックインカム」(Basic income,BI)は、収入の水準に拠らずに全ての人に無条件に、最低限の生活費を一律に給付する制度を意味します。また、世帯ではなく個人を単位として給付されるという特徴を持ちます。BIを「子ども手当+大人手当」つまり「みんな手当」と考えれば分かりやすいでしょう。
労働なしに収入が得られるなんて!早くベーシックインカムが導入される時代がやってこないかなあ。
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そして、2045年ーー。
僕は55歳になり、ハルタは27歳になっていた。
お正月ということで、実家にハルタが嫁と生まれたばかりの息子を連れて新年の挨拶にやってきた。
「うおっ、親父!どうしたんだ、その腕は!」とハルタはリビングに入ってくるなり、僕の右腕を凝視して言った。
「いや~、おととしに仕事をやめてからあまりに暇で、『ロックマンVR』を全シリーズクリアしたんだけど、これめちゃくちゃ面白いわ。臨場感がたまらん。もうヴァーチャルの世界じゃ我慢できなくなって、退職金つぎこんで腕をロックバスターにしちゃった」と僕は自慢げに言った。
ハルタは呆れ顔である。「近頃サイボーグ化が流行ってるけど、一部とはいえ、体を機械にするのには抵抗があるなあ」
「お前だって体中にピアスを開けてるじゃないか。それと変わらないよ。いずれは全身サイボーク化して、300歳まで生きたいなあ。……ところで孫は元気?」
「最近やっとハイハイを覚えて、いろんなサイトを這いずり回って学習してるよ」
ハルタがiPhone23を取り出し、操作を始めると、赤ん坊のホログラムがコタツの上に現れた。そのホログラムの孫は、もの珍しそうに部屋の中をきょろきょろと見回している。
「生身の孫もつくってくれないかなあ」と僕。
ハルタはむっとした表情を見せる。「この子は正真正銘うちの子だぜ。おれと嫁さんの遺伝子情報をちゃんとインプットしたんだから。生身の子に比べて、温かみは少ないけど、病気や事故のリスクも低いし、なにより養育費がかなり抑えられる」
孫が僕のほうを向いた。そして僕の目をじーっと見つめ、声を出した。
「ジジ!」
「あー!ジジって言ったあ!かわいいなあ、おまえ」
☆
いやはや、未来には夢がありますね。