『すばらしい新世界』とカレー味のうんことうんこ味のカレーの話
思いがけず、28歳となった。
先日、夕方にランニングしているときに、28歳になったらブログを始めようと思い立った。
いろんなことを忘れたくないと思った。なんだか何を忘れてしまったのかを忘れてしまったほどに、これまでの様々なことを忘れてしまった気がする。特にこの5年ほどーフリーターから、正規雇用となり、結婚して、息子ハルタが生まれたーは、かなり時の流れが早かった感覚があり、大まかなあらすじは把握しているのだが、細かなシーンの内容の記憶が甚だしく欠落していた。
こうやって走っているときに頭に浮かんだとりとめのないことや、これから感じたり考えたことを、みんな忘れてしまうかもしれないのはなんだか寂しい。ブログを備忘録として利用している人は多い。自分もそういう21世紀的なやり方で、日記をつけてみようという考えに至ったのであった。
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なかなか1日休みが取れず、たまに1日休みがあると家族3人で買い物に行く。この前の休日は、自宅から車で30分くらいのところに最近できたショッピングモールに行った。ショッピングモールは、自分たちと同じような家族連れで賑わっていた。夕飯のカレーの具材を買い、ドーナツを買い、生後5カ月のハルタの服を買った。幸福な休日。
買い物の最後に本屋に入った。妻と無言でわかれ、本棚を眺める(ハルタは僕が抱いてる)。SF小説が並ぶハヤカワ文庫の前で止まった。
SFって割と好きだなあ。映画だと、『メトロポリス』とか『宇宙人東京に現る』とか『2001年宇宙の旅』とか『未来惑星ザルドス』とか『ブレードランナー』とか『バックトゥザフューチャー』とか『エイリアン』とか『未来世紀ブラジル』とか『インターステラー』とかね。
少年の頃は、VHSの『スターウォーズ』に狂った。祖母宅の前にある墓場で、捨ててある卒都婆をライトセーバー代わりにし、兄弟でジェダイごっこに励んだのである。新作が楽しみだ。
『E.T.』なんかも好きで、思ったことや感じたことを、E.T.風にしゃべるという遊びをしていた。
「E.T.……ウンコシタイ、E.T.……ガマンデキナイ……」
小説だと『華氏451』、『ソラリス』、『第四間氷期』『火星の人』、『虐殺器官』など好き。
僕は『すばらしい新世界』(オルダス・ハクスリー)を手に取り、レジに向かった。装丁に惹かれたのだ。
すべてを破壊した“九年戦争”の終結後、暴力を排除し、共生・個性・安定をスローガンとする清潔で文明的な世界が形成された。人間は受精卵の段階から選別され、5つの階級に分けられて徹底的に管理・区別されていた。あらゆる問題は消え、幸福が実現されたこの美しい世界で、孤独をかこっていた青年バーナードは、休暇で出かけた保護区で野人ジョンに出会う。
帰宅するとすぐに、お出かけの疲れか、ハルタは寝てしまった。眠っているハルタの耳元で、「パパ、パパ、パパ……」 と僕は囁いた。2カ月くらい前からこれを続けている。ハルタはまだ「あー」とか「うー」とか喃語しか話せない。「ママ」より先に「パパ」と言わしめたい。
『すばらしい新世界』の社会では、大量生産・大量消費が是とされている。人間は出生したあと、睡眠学習で自らの階級(アルファ、ベータ、ガンマ、デルタ、イプシロンに分けられる)と環境に全く疑問を持つことなく幸福に暮らす。……睡眠学習って効果あるのかしらん。
インディアンが昔ながらの生活を続けている野人保護区からひょんなことから出られなくなり、年老いてしまった元文明人・リンダは言う。
ほら、この服を見て。この汚らしいウールは、アセテートとはまるで違う。いつまでも長持ちするし、もし破れたら、繕うの。でも、あたしはベータよ。受精室で働いていた。繕いものなんて、だれにも教わらなかった。あたしの仕事じゃなかった。そもそも、繕うなんて、いけないことだって言われてたし。穴が空いたらさっさと捨てて、新しいものを買いなさい。ほら、“繕うより捨てよう”って。でしよ? 繕うのは反社会的な行為。でも、ここでは正反対。狂人のあいだで暮らしてるようなもんね。やることなすこといかれてる
僕たちにこの文明社会の人々を笑うことはできない。
テーブルで妻と向かい合ってカレーを食べた。「いい休日だったね」と僕。……お金を使ったことからしか、充実した時間を過ごしたという実感が得られない人間に自分はなっていないだろうか。
妻がカレーを作ってくれたので、皿洗いは僕がやることにした。皿のカレーのべとつきを見て、つい僕は「うんこじゃん」と言ってしまった。
すると、隣にいた妻が「うんこはてめーだろ」ときつい一言。少し涙目になった。
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一週間に一記事のペースで更新しようという計画です。