自尊感情を育てる必要はあるのか……?の話
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2019年の新書の中でいちばんの話題作であろう『ケーキの切れない非行少年たち』を読んだ。
児童精神科医である著者は、多くの非行少年たちと出会う中で、「反省以前の子ども」が沢山いるという事実に気づく。少年院には、認知力が弱く、「ケーキを等分に切る」ことすら出来ない非行少年が大勢いたが、問題の根深さは普通の学校でも同じなのだ。人口の十数%いるとされる「境界知能」の人々に焦点を当て、困っている彼らを学校・社会生活で困らないように導く超実践的なメソッドを公開する。
僕の職場でも早くから話題になっていた本である。読み終えた同僚が貸してくれた。今まで見過ごされてきた事実に目を向けるきっかけにもなったし、教育関係者として、自身の考え方を見直すことができた。
本書の詳細な内容の紹介については、各メディアで話題になっているし、すでに沢山のレビューがあるので、この記事では控える。しかしながら、自身の中でモヤモヤしていたものがいっぺんに晴れた気がする、第六章「褒める教育だけでは問題は解決しない」については少しだけ取り上げたいと思う。
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『ケーキの切れない非行少年たち』の著者は小・中学校に定期的に行って、学校コンサルテーションを行なっている。「そこでは学校で先生方に困っている子どものケース事例を出してもらい、みんなでどうするかを考えていく」そうだ。
そこで出てくる支援案で定番なのが、「子どものいい所を見つけてあげて褒める」です。問題行動ばかり起こしている子は、どうしても悪い面にばかりに目が向きがちなので、いい面を見つけてあげて褒めてあげる、小さなことでも褒める、または役割を与え、できたら褒める、といったものです。とにかく"褒める"の嵐です。私は聞いていていつも「またか」と思ってしまいます。(中略)
"褒める""話を聞いてあげる"は、その場を繕うのにはいいのですが、長い目で見た場合、根本的解決策ではないので逆に子どもの問題を先送りにしているだけになってしまいます。
ここには思わず、うんうんと頷きながら読んだ。「褒める」教育だけでは、特に本書が取り上げている認知力の低い子どもにとっての問題の根本的な解決にはならないし、褒められないと何もできない、挑戦しようとしない人間にもなりかねない。
著者は、困っている子どもたちに対して使われる「この子は自尊感情が低い」という紋切り型フレーズにも批判的である。まず、「色んな問題行動を起こしている子どもは、それまでに親や先生から叱られ続けていますので、自尊感情が高いはずがない」し、さらには、自尊感情は「無理に上げる必要もなく、低いままでもいい」と著者は言う。
自己にたいする愛は、自身のことだけを問題にするから、自分のほんとうの必要がみたされれば満足する。自尊心は、自分をほかのものとくらべてみるから、満足することはけっしてないし、満足するはずもない。なごやかな、愛情にみちた情愛は自分にたいする愛から生まれ、憎しみにみちた、いらだちやすい情念は、自尊心から生まれるのだ。
子どもの自尊感情をどう育てるか そばセット (SOBA-SET) で自尊感情を測る
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対して、基本的自尊感情とは何か? 先生は以下のように説明する。
基本的自尊感情は、成功と優越とは無関係の感情です。いわば、あるがままの自分自身を受け入れ、自分をかけがえのない存在として、丸ごとそのままに認める感情です。よいところも悪いところも、長所も欠点も併せ持った自分を、大切な存在として尊重する感情が、基本的自尊感情です。そして、この感情こそが、自尊感情の基礎を支える大切な感情なのです。
『ケーキの切れない非行少年たち』で、「無理に上げる必要もなく、低いままでもいい」といったのはここでいう社会的自尊感情のことで、「ありのままの現実の自分を受け入れていく強さ」というのが基本的自尊感情のことだろう。(そして、基本的自尊感情は、ルソーのいう「自己愛」にあたるのだと思う。)
教育者は、子供の自尊感情を高めたければ、この基本的自尊感情を育まなくてはならない。近藤先生は講演で、社会的自尊感情ばかりが高くて、基本的自尊感情が低い子供がいちばん危険だとおっしゃっていた(下の図でいうとSbタイプ)。彼らは失敗したり、挫折したとき立ち直ることが難しく、ときには危険な行動に走りかねないのだそうだ。
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では、基本的自尊感情はどのように底上げすればよいのだろうか。
『子どもの自尊感情をどう育てるか』には、「『共有体験』に尽きる」とある。共有体験とは単なる体験だけではない。先生は、一つ一つの体験を和紙に例えている。その和紙を張り合わせるのりの役割をするのが、楽しい、うれしい、苦しい、つらいといった感情の共有なのである。体験と感情の共有が、基本的自尊感情を高める。
共有体験の基本は、「2人が並んで同じものを見つめる」ことです。
つまり、「共視」である。先生は、見つめあうことが「恋」、共視が「愛」だともおっしゃっていた。そういえば、夏目漱石は「I love you.」を「月がきれいですね」と訳したらしいが(このエピソードが実在した証拠はないらしいですね)、一緒に同じ対象を見たり体験したりする中で、その相手と喜びや楽しみ、ときには苦しみを分かち合う、それこそが「愛する」という行為だと言っているのではないか。
頭で考え、理解することも大事だが、共有体験により自然ににじみ出る「愛」も大事にしなくてはならない。その「愛」が、ありのままの自分を受け入れる強さを持った人間に成長させてくる。これはこの前読んだ、西田幾多郎の『善の研究』とも通じるところがある。
社会的自尊感情ではなく、子どもの基本的自尊感情を育みたければ、子どもに共有体験を味わわせる仕掛けを地道に作っていくしかないようだ。ふうむ、勉強になりますね。
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僕自身の子どもともできるだ共有体験を増やしたい!とうことで、休日はなるべく子どもと遊んでます。お父さんになってもうすぐ3年ですが、頑張ってます。
先日の日曜日は2歳の息子とトランポリン施設に行ってきました。存分に遊ぶつもりでしたが、息子は何回かジャンプしただけなのに、「こわい、こわい」と言って、すぐに座り込んで動かなくしまったので、とぼとぼと帰りました。
この共有体験はちょっと早かったかな。
『居るのはつらいよ』を読んでーデイケアと学校の共通点の話など
居るのはつらいよ: ケアとセラピーについての覚書 (シリーズ ケアをひらく)
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「ただ居るだけ」と「それでいいのか?」をめぐる
感動のスペクタクル学術書!
京大出の心理学ハカセは悪戦苦闘の職探しの末、ようやく沖縄の精神科デイケア施設に職を得た。
しかし、「セラピーをするんだ!」と勇躍飛び込んだそこは、あらゆる価値が反転するふしぎの国だった――。
ケアとセラピーの価値について究極まで考え抜かれた本書は、同時に、人生の一時期を共に生きたメンバーさんやスタッフたちとの熱き友情物語でもあります。
一言でいえば、涙あり笑いあり出血(!)ありの、大感動スペクタクル学術書!
腑に落ちるところがあったのとともに深く共感したのは、僕が教師という仕事をしているからであろう。学校で生徒と向き合うとき、臨床と同じように、頭を悩ませながら、ケアとセラピーをケースバイケースで使い分けている。
これに加え、教師はデイケアと同じように「居ること」のつらさを日々味わっているように思う。
僕らは二つの時間を生きている、一つは線的時間で、それは僕らに物語をもたらす。もう一つは円環的時間で、それは僕らに日常をもたらす。
ケアする人がケアされない。そのとき、ブラックなものがあふれ出す。それは僕だけの問題ではない。介護施設もそうだし、児童養護施設もそうだし、学校の先生も、あるいは心理士そのものがそうかもしれない。日本中のケアする施設とケアする人に同じことが起きている。(中略)ケアする場所はアサイラムの種子を抱えている。ケアされる人の「いる」は脅かされやすく、同時にそこでケアする人の「いる」も軽視されやすい。
アサイラムにあっては「いる」が強制される。刑務所はその典型だ。そこから出ていくことが許されない。そのために、高い塀が築かれ、冷たい牢が当てがわれ、脱走につながる不穏な動きをすぐに察知できるように、隅々まで監視と管理が行きわたる。そうやって、自由が奪われる。「いる」が徹底されると、「いる」はつらくなるのだ。
「知」と「愛」のバランスの話ー『善の研究』を読んで
兄弟とは不思議なものだな。親子ほど密でなく、男と女ほど絡み合いもしないが、弟がもしも腕を切られたとしたら、俺の腕がもがれたように痛む。
知と愛とは普通には全然相異なった精神作用であると考えられて居る。しかし余はこの二つの精神作用は決して別種の者ではなく、本来同一の精神作用であると考える。しからば如何なる精神作用であるが、一言にて云えば主客合一の作用である。我が物に一致する作用である。
また我々が他人の喜憂に対して、全く自他の区別がなく、他人の感ずる所を直ちに自己に感じ、共に笑い共に泣く、この時我は他人を愛しまたこれを知りつつあるのである。
純粋というのは、普通に経験といって居る者もその実は何らかの思想を交えて居るから、毫も思慮分別を加えない、真に経験其儘の状態をいうのである。例えば、色を見、音を聞く刹那、未だこれが外物の作用であるとか、我がこれを感じて居るとかいうような考えのないのみならず、この色、この音は何であるという判断すら加わらない前をいうのである。
学問は畢竟lifeの為なり、lifeが第一の事なり、lifeなき学問は無用なり。急いで書物をよむべからず。
西田幾多郎 『善の研究』 2019年10月 (NHK100分de名著)
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オーディオブックの衝撃
『人生論ノート』の「孤独について」の章を読んで考えたこと
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孤独は山にはなく、街にある。一人の人間にあるのではなく、大勢の人間の「間」にあるのである。孤独は「間」にあるものとして空間の如きものである。「真空の恐怖」ーそれは物質のものでなくて人間のものである。
あ〜そこは亀有〜♪ あ〜きっと亀有〜♪ の写真
浅草観光の帰りの車で、僕は運転しながら、浅草には両津勘吉の実家の佃煮屋があるんだという話をきっかけとして、妻に『こちら葛飾区亀有公園前』の魅力を熱く語った。妻は小学2年生まで亀有に実際暮らしていたのだそうだが、『こち亀』のことを知ってはいても、さほど興味はない。僕は「『こち亀』を読まないなんて勿体ない! 読んで! あの回のあの場面がめちゃくちゃ笑えて……」と帰り道の2時間ほどをほぼ一方的に憑かれたように喋りまくった。僕の「こち亀」への熱意に押し負けたのか、妻は第1巻から渋々読み始めた(全200巻読み終えるのにどのくらいかかるでしょうか)。
妻が幼少期に過ごした場所であり、「こち亀」の聖地である亀有を、今度の週末に家族で散策しようという話になり、実際に行ってきました。そのときに撮った「こち亀」キャラクターの像の写真を貼り貼りします。
亀有の和菓子店の老舗、「伊勢屋」で両さんどら焼きを買いました。
食事は食堂「ときわ」でいただきました。美味しかった。
『こち亀』に特にハマっていたのは高校生の頃。部室に『こち亀』が置いてあり、部活前にゲラゲラ笑いながら読んでいたのを覚えている。自分でも、お小遣いを節約して、全巻収集したのが良い思い出。一度、『こち亀』の作者である秋本治先生を秋葉原でお見かけして、感動と緊張でフリーズしてしまったことがあるなあ。
「特に面白い回は?」と聞かれると、面白い回は数え切れないほどあるので困るのだが、あえて一つあげるとすれば、両津勘吉の粗暴さがよく出ている第77巻の「本日より『食いだおれ』店勤務に処す!の巻」。
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両津勘吉は葛飾署の隣に出来た食堂に、署の命令で勤務することになる。署に出前を届けに行った両津は、バイト姿をバカにしてきた署員に回し蹴りを食らわし気絶させる、横柄な態度を取った署員にラーメンをかける、出前をフリスビーのように投げるなど、もうめちゃくちゃである。さらに、取調室にカツ丼を届けに行った両津……。
取り調べを受けている男は、「こんなまずそうなカツ丼が食えるか!」とカツ丼をひっくり返す。それにキレた両津は、刑事に向かって「君はまだ新人だね! 調べ方がいかんな! それじゃあ」「君は言葉が多すぎる 私が手本を見せよう」と言って……
バギィ、ドガッ
1回だけでなく、立ち上がらせて、2回男を殴りつけるのである。震え上がる男。『その男、凶暴につき』の吾妻刑事ばりの危険人物っぷりである。この後も、出前の両さんは署内で数々の悪事を働きます。
『こち亀』の連載が終了してから、ジャンプも買わなくなっちゃったなあ。……みなさんが好きな『こち亀』のお話はどの回でしょうか?
キャンプなど友達と遊んだ話
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「ハルちゃんさあ。今から『アンパンマン』我慢ゲームしよ。『アンパンマン』って言ったら、罰ゲームでくすぐるからね」
ハルタはそれを聞いて五秒ほど黙ったあと、「……アンパンマン」と呟き、ヒゲにくすぐられていた。
2時間ほどして妻が帰ってきたので、「外行くべ」とヒゲを誘い、二人で近所のショットバーに入店した。そこは僕らの行きつけのバーであり、僕ら以外の客がいることはほぼない。
マスターは話好きで、映画好き。この日はスティーブ・マックイーンのかっこよさ、渋さについてマスターは熱く語っていた。サム・ペキンパーの『ゲッタウェイ』での彼が最高だそうだ。僕はフランクリン・J・シャフナーの『パピヨン』での彼もいいですよねと言ったが、酷評された。
ヒゲの終電が近づいてきたので、僕たちは店を出た。別れ際、ヒゲが休日のキャンプのために、スモークベーコンを仕込んでいると言った。酔っ払っていた僕は足をふらつかせながら、家に帰った。
スモーク・ベーコン……偉人っぽい名である🥓
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