『奥の細道』とセミ論争と「しずかさ」の話
秋になり、空気が澄んだからだろうか、朝に自宅から見える山々がとても美しく感じられる。
昔は自然を美しいと感じることなんて一切なかったのになあ。少しは大人になって、心のひだが増えたのかしら。
仕事に行く前に美しい山々の景色を見ると、気持ちが落ち着き、「今日も頑張ってみよう」という気分になる。
☆
『奥の細道』に出てきた「立石寺」に興味を持ち、画像をググってみたけど、景色がとっても素敵。今の自分の状況を考えると、しばらくは行けないけど、一度でいいから足を運んで、「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」を詠んだ芭蕉の心境に思いを馳せてみたい。
芭蕉 おくのほそ道―付・曾良旅日記、奥細道菅菰抄 (岩波文庫)
- 作者: 松尾芭蕉,萩原恭男
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1979/01/01
- メディア: 文庫
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日いまだ暮れず。ふもとの坊に宿借りおきて、山上の堂に登る。岩に巌を重ねて山とし、松柏年旧り、土石老いて苔なめらかに、岩上の院々扉を閉ぢて、物の音聞こえず。岸をめぐり岩を這ひて、仏閣を拝し、佳景寂寞として心澄みゆくのみおぼゆ。
閑かさや岩にしみ入る蝉の声
この俳句の「蝉」を巡って、大正時代に「セミ論争」なるものがあったというのは有名なお話。
歌人の斎藤茂吉は、「この俳句には、強い鳴き声のアブラゼミがふさわしい」といった主張をした。
その斎藤茂吉の主張に対して、夏目漱石の弟子、小宮豊隆が「この俳句にふさわしいのはニイニイゼミの鳴き声である。しかも、芭蕉が立石寺に行った七月上旬はまだアブラゼミは鳴かない」といった反論をしたことを発端に、両者の間で一大論争に発展した。
この論争について、当時の人々は思ったことだろう。
「クソどうでもいい」と。
結局、軍配はニイニイゼミに上がったそうだ。
ニイニイゼミってどんな鳴き声だっけと思い、ネットで調べて聞いてみたけど、「ジー、ジー……」という抑揚のない、か細い感じの鳴き声が、想像する情景に確かにマッチしている気がした。(ちなみに、生物好きの妻は、ニイニイゼミの抜け殻がセミの抜け殻の中でいちばんかわいいと言っていた)
しかし、この俳句の「蝉」がニイニイゼミであることが事実であったとしても、これをアブラゼミだったりミンミンゼミだったりヒグラシだったりと想像するのは読み手の自由だと僕は思う。名句は様々な情景を想起させてくれる。
ところで、この句を初めて読んだ中学生のときは、なんで「蝉」が鳴いてるのに「閑か」なんだよと思った。セミは大抵やかましく、たとえどんなか細い鳴き声のセミであっても、「閑か」ではないだろうと。
「閑か」なのは、芭蕉の「心」であると気づいたのは最近のことです。
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「しずかさ」と「しずけさ」の違いって何だろうと思い、『日本語 語感の辞典』を引いたら、違いが載っていた。
「しずかさ」は「人声も物音もほとんど聞こえない意で、会話にも文章にも使われる和語。『静けさ』に比べ、物の動きが感じられない雰囲気がある」。
「しずけさ」は「『静かさ』に近い意味で、改まった会話や文章に用いられる、やや古風な感じの和語。客観的な感じの『静かさ』より美化した感じが強く、せせらぎの音や虫の声のような耳に心地よい自然の音響は聞こえてもよいような雰囲気がある」。
ふーん。日本語って奥深いですね。