ゴロネ読書退屈日記

ゴロネ。読書ブログを目指している雑記ブログ。2人の息子とじゃれ合うことが趣味。

海外映画につけられたひどい邦題に対する批判に対する批判

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海外映画につけられたひどい邦題をまとめたネット記事を目にすることがあるけど、そこにはよく「最近の邦題つけてる奴って本当にセンスがない」というコメントがついている。僕はそのコメントに違和感を抱く。海外映画の邦題をつける配給会社は、どうやったら観客が高いチケット代を払ってその映画を見てくれるかと、現代の観客の嗜好を踏まえて戦略的に邦題をつけている。センスうんぬんといったコメントは少々ずれている。

さて、僕が好きな邦題は、1967年製作の『俺たちに明日はない』(原題:Bonnie and Clyde/ボニーとクライド)や、1969年製作の『明日に向って撃て!』(原題:Butch Cassidy and the Sundance Kid/ブッチ・キャシディザ・サンダンス・キッド)など様々あるが、特に好きなのは、1960年製作、ビリー・ワイルダー監督の名作、『アパートの鍵貸します』(原題:The Apartment)である。「鍵貸します」の言葉が、タイトルにどこか官能的な香りを与えている。

タイトルだけでは内容にわかりにくさがあるかもしれないが、原題を超え、受け手の心を揺さぶる、いわゆるセンスのある上に挙げたような邦題を「文学的邦題」、『幸せの~』『最高の~』など万人が喜びそうな言葉を修飾語として使うなど、映画の内容が容易に想像できるようなわかりやすい邦題を「ポエム的邦題」と自分勝手に呼んでみるとする。「ひどい邦題」と馬鹿にされる「ポエム的邦題」は、制作費をかけた大作ではなく、TSUTAYAのDVDジャンルで言うところの、「ドラマ」「恋愛」に分類される作品に多い気がする。知名度の高い俳優や監督が関わる作品や、膨大な制作費のかけた大作と勝負するには、まずタイトルを工夫しなくてはならない。シネコンの増加で鑑賞する映画を選択する幅が広がったり、自宅で映像コンテンツが格安や無料で見ることができたりする映像興行の現状では、作品を「まず見てもらう」こと自体が難儀なのである。膨大な映像作品の中からどれでも視聴できるという環境と、映画館で映画を見るには高い料金を支払わなくてはならないという事情が相まって、観客は映画鑑賞の選択に保守的にならざるを得ない。選択に失敗し(つまり、つまらない映画を見て)、お金と時間を無駄にしたくないという思いになる。そんな安心感を求める観客の傾向を念頭に置いて、配給会社は戦略的に「ポエム的邦題」をつけているのである(多分)。「ハマる人」だけにハマるような文学的邦題をつけては、鑑賞のハードルを上げてしまいかねない。

観客も当たりか外れかわからない「文学的邦題」の作品より、内容がある程度予想できる「ポエム的邦題」を選択するだろう。そうすると、漫画原作の日本映画が増える論理と同じで、「文学的邦題」の映画が淘汰され、より一層「ポエム邦題」が幅をきかせることになる。つまり「ひどい邦題」の増加の責任の一端は観客にもあるのである。観客が保守化する気持ちはとても分かる。しかし、観客が「文学的邦題」の映画へのチャレンジを避け、「センスのない」選択ばかりしていると、今後さらに「ひどい邦題」の増加を推し進めることになると思うのです。