ゴロネ読書退屈日記

ゴロネ。読書ブログを目指している雑記ブログ。2人の息子とじゃれ合うことが趣味。

『レモン哀歌』の話ーなぜ光太郎は智恵子の写真の前にレモンを置くのか?

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1911年(明治44年)12月、詩人でもあり彫刻家でもある高村光太郎と、洋画家の長沼智恵子は、光太郎のアトリエで運命的な出会いを果たした。2人はすぐに恋に落ちた。

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智恵子と光太郎
以前の光太郎の詩は、社会に対する怒り、迷い、苦悩に満ちたものであったが、智恵子と出会ってからは、彼は穏やかな理想主義と人間らしさに包まれるようになった。光太郎は「私はこの世で智恵子にめぐり合った為、彼女の純愛によって、清浄にされ、以前の退廃生活から救い出されることができた」と語っている。
 
智恵子も光太郎との出会いによって絵画の創作を増進させたが、彼女の父が亡くなり、生家が破産、一家が離散してしまう。帰る場所を失ったショックとそれによる芸術的な行き詰まりから、智恵子の精神は引き裂かれた。睡眠薬で服毒自殺を図り、未遂に終わるも、その後の病状は悪化していく。
 
そんな智恵子と結婚した光太郎は、智恵子の回復を願って、千葉の九十九里浜へ住居を移したが、改善は見られなかった。幼子のようになってしまった智恵子の様子を光太郎は次のような詩に読んでいる。
 
人っ子ひとりいない九十九里浜の砂浜の
砂に向かって智恵子は遊ぶ
無数の友達が智恵子の名を呼ぶ
ちい、ちい、ちい、ちい、ちい――
砂に小さな足あとつけて
千鳥が智恵子の寄つて来る。
口の中でいつでも何か言つている智恵子が両手をあげてよびかえす。
ちい、ちい、ちいーー
両手の貝を千鳥がねだる。
智恵子はそれをぱらぱら投げる。
群れ立つ千鳥が智恵子をよぶ。
ちい、ちい、ちい、ちい、ちいーー
人間商売さらりとやめて
もう天然の向こうへ行ってしまった智恵子の
うしろ姿がぽつんと見える。
二丁も離れた防風林の夕日の中で
松の花粉を浴びながら私はいつまでも立ち尽くす

 

智恵子からの愛情が光太郎に与えた影響は限りなく大きかった。智恵子との出会いがなければ、彼の心は救われることはなく、退廃生活は死ぬまで続いていたかもしれない。幼子のように千鳥と遊ぶ智恵子を見て、「いつまでも立ち尽く」している光太郎の胸中にはどんな思いが到来していたのであろうか?

 
7年にわたる闘病の末、智恵子は肺結核に冒され、52歳でこの世を去った。
 
 

 

智恵子抄 (新潮文庫)

智恵子抄 (新潮文庫)

  • 作者:高村 光太郎
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2003/11
  • メディア: 文庫
 

 

 
光太郎は智恵子の死について、「私の精神は一にかかって彼女の存在にあったので、智恵子の死による精神的打撃は実に烈しく、一時は自己の芸術的制作さえその目標を失ったような空虚感にとりつかれた」と語っている。彼は亡き智恵子を、その愛を詩集としてまとめ、『智恵子抄』という題で刊行した。その詩集の中で特に有名な詩が、智恵子の命の瀬戸際を語る『レモン哀歌』である。
 
そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
かなしく白くあかるい死の床で
わたしの手からとつた一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと嚙んだ
トパァズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱつとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉に嵐はあるが
かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
昔山巓でしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機関はそれなり止まつた
写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう
 
 
余談であるが、米津玄師は、代表曲『Lemon』の作詞に、梶井基次郎の『檸檬』と高村光太郎の『レモン哀歌』の影響があったかもしれないと語っている。『Lemon』と『レモン哀歌』の共通点は、「象徴としてのレモン」と「大切な人の死」である。

 

Lemon

Lemon

 

 

智恵子を亡くした光太郎は、彼女の遺影の前に、すずしく光るレモンを置くようになる。なぜ、光太郎は智恵子の写真の前にレモンを置くのであろうか?

 

 

命の瀬戸際にあった智恵子は、死の床でレモンを求めた。

 

レモンの汁は智恵子の意識を正常にし、彼女はかすかに笑ったり、光太郎の手を握ったりした。智恵子から以前のような健康さ、そして愛情を感じ、光太郎は嬉しかったであろう。病んでしまった智恵子を前に、光太郎は不安や悲しみ、寂しさにずっと打ちひしがれていたのだから。

 

レモンは一瞬ではあるが、2人の心を再び繋いだ。このときレモンは、苦味もあるが、爽やかな幸福に満ちた、出会いからこれまでの2人の愛のやりとりの象徴となった。

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レモンをはじめ、「きれいな歯」、「トパァズいろの香気」、「青く澄んだ眼」、「桜」など明るく爽やかな色彩の描写にも光太郎の思いが込められているように思える。彼は智恵子の臨終のときを、単なる暗く辛い思い出として片付けたくはなかったのではないか。詩を通して、智恵子への感謝と、智恵子との幸福な思い出を抱えながら前向きに生きていこうとする光太郎自身の姿勢を表現しようとしているようにも読み取れる。

 

レモンは心身を病んでいた智恵子を正気に戻す役割を果たし、そのおかげで死の直前に光太郎と智恵子は愛情を交わすことができた。光太郎は智恵子の死をただ嘆くのではなく、その日のことを忘れないように、また、智恵子の愛を死後も感じるために今日もレモンを写真の前に捧げるのである。