『スター・ウォーズ 最後のジェダイ』の話―愛すべき未熟なジェダイ、ルークについて
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『スター・ウォーズ 最後のジェダイ』を公開初日(12月15日)に、レイトショーの回で見てきた。
僕はエピソードⅠ~Ⅲの世代で、小学4年生のときにエピソードⅠを映画館で見たとき以来、新作は劇場で見てきたが、公開初日に見に行ったのは今作が初めてであった。(Ⅳ~Ⅵはソフトで見ました)
映画館に向かうと、映画館の前で、C-3POなどのマスクをつけた若者達が騒いでいた。僕は「ちっ、調子に乗りやがって」と思い、彼らの方に近づいていき、一緒に写真を撮ってもらっちゃった。
『スター・ウォーズ』の公開初日ってこういうお祭り感があるのか。いいなあ。
2(ここからネタバレを含みます)
さて、『最後のジェダイ』の感想であるが、面白かったか、つまらなかったかと言われると、……つまらなかった(笑)
確かに、伝統を受け継ぎつつも、今までに見たこともない新しい『スター・ウォーズ』を作ってやろうというという気概は感じられた。(それは、『スター・ウォーズ』のシンボルでもあるライトセーバーをルークが投げ捨てる場面に象徴されている)
レビューを見ると、その挑戦したポイントについての突っ込みどころの多さへの批判が目につくが、『スター・ウォーズ』は旧シリーズから突っ込みどころがかなりあるので、それについては僕はそれほど気にしていない。ただ、話のテンポが悪く、メリハリがないように思え、鑑賞時間がやたら長く感じられた(一週間の仕事の疲労の蓄積や、隣の席で上映中スマホをいじり続ける客が気になっていたことに原因があるのかもしれないけど)
しかし、ルーク・スカイウォーカーの師匠としての成長物語だけに注目してみると、興味深いお話だったのかなと今になって思えてきた。
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今作の、年老いたルークの描かれ方については素晴らしかったと思う。
『最後のジェダイ』のルークは、ジェダイ・マスターとして弟子の育成に失敗したことを悔やみ、孤島に引きこもっている。
僕は安心した。繊細で、自分の感情に流されてしまう、あの頃のルークのままだ。ヨーダやオビワンのような、完璧なジェダイ・マスターとして描かれていたら失望していたことだろう。
そもそも、ルークはジェダイとしては未熟者であり、ジェダイ・マスターの器ではない。エピソードⅠ~Ⅲ時代のジェダイのように、正統なジェダイとしての訓練を幼少期に受けているわけでもなく、ヨーダによる修行も、仲間を助けに行くという理由で(ヨーダとオビワンの制止にも関わらず)、途中放棄する。
ルークは、たまたまジェダイの息子であり、たまたまフォースの潜在能力が高かっただけであり、ジェダイの伝統を正確に受け継いでいるわけではない。
しかしながら、そのジェダイとして半端さや異質さがあったからこそ、これまでのジェダイでは成し得なかった、宇宙の平和を実現してしまう存在へとルークはなれたのである。
そのことにルークは年を重ねても気づいていない。宇宙の危機を救った自分は、ヨーダやオビワンのような完璧なジェダイ・マスターになれると勘違いをし、失敗をする。自己を客観視できない未熟さは当時のままだ。
年老いたルークに、昔と変わった点があるとすれば、かつて自分の父を飲み込んだダークサイドへの恐怖の増幅である。
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ダークサイドと向き合い、その存在を認め、上手に付き合っていくことで、『スター・ウォーズ』の世界はフォースの真のバランスを保った世界となる(と僕は考えている)。
ダークサイドに決しておぼれてはならないが、ダークサイドは誰の心の中にもあることを真のジェダイはまず認めなくてはならない。光は闇がなくては存在せず、闇は光がなくては存在しない。どちらか一方だけが存在することなどあり得ないのである。
老いたルークはダークサイドを過剰に恐れ、その恐怖が弟子のベンに影響し、カイロ・レンを生み出してしまったのである。その事実がさらに、ダークサイドに対するルークの恐怖を増幅させ、彼は島に引きこもってしまう。……ヨーダが「怒り、恐怖、敵意。それがダークサイドだ」と言っていたのを忘れちゃったのかよ!
フォースのダークサイドを恐れるルークは、ジェダイの素質を持つレイをまともに教え導くことはできず、彼女は、かつてルークが父であるダース・ベイダーをダークサイドから救いに行ったときと同様、ダークサイドに墜ちたカイロ・レンを救いに行ってしまう。
そして、なすすべなく絶望するルークの元へ、師である霊体のヨーダが現れる。
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今作で最も良かった場面は、やはりヨーダが登場する場面である。
ヨーダは、ライトセーバーを振りまわしていた頃の姿ではなく、隠居し、ルークを教えた頃のそのままの姿で登場し、ルークに「会いたかったぞ、若きスカイウォーカー」と声をかける。泣けるで。
そうだ、ルークはヨーダに比べ若すぎる! それは年齢的にだけではなく(ヨーダは900歳)、ジェダイとして、人としての精神的な部分について若すぎるのである。
ヨーダは今作でも、ルークに向け、そして私たちに向け、最高の名言を残してくれる。
「失敗こそ最高の師なのだ」
ルークはかつてのジェダイ・マスターのように、理想とする完璧なマスターであらねばならないと思っていたのだろう。しかし、マスターだからといって、自分の弱みや失敗を隠すのではなく、弟子にそれをさらけ出しちゃってもいいんじゃないのとヨーダは言うのである。その弱みや失敗を共有し、そこから学びを得ることで、師匠と弟子はともに成長していく。
ヨーダの言葉に、ルークは覚悟を決めるのである。
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散々ルークのことをこき下ろしたが、僕はルークを愛している。
ルークは短気で頑固で向こう見ずで繊細ですぐ弱音を吐くが、その不完全さからにじみ出る彼の人間らしさを『スター・ウォーズ』のファンは愛している。そして、もう一つ愛すべき点は、彼が仲間を守るときの勇敢さである。
物語のラスト、ルークはレイの正義感とヨーダの言葉に突き動かされ、仲間のもとへと駆けつける。
最後のルークの技については、批判もあるかもしれないが、ルークはあそこでヨーダをも凌ぐであろうフォースの力を発揮することで、自分の人間性を示していた。
僕は、フォースが本当の力を発揮するのは、ライトサイドのフォースの使い手(真のジェダイ)のように宇宙全体の平和のために使われるときでも、ダークサイドのフォースの使い手のように自分自身の憎しみのために使われるときでもないと考えている。
フォースは、自分の愛すべき仲間を守るという覚悟で使われるときに、最も強い力を発揮させるのである。
それを発揮できる唯一無二の存在が、ジェダイの未熟者であるルーク・スカイウォーカーなのだ。
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ここまで書いたら、『最後のジェダイ』はやっぱり面白かったんじゃないかと思えてきました。もう一回見に行こうっと。
追記。エピソード9『スカイウォーカーの夜明け』の感想↓