ゴロネ読書退屈日記

ゴロネ。読書ブログを目指している雑記ブログ。2人の息子とじゃれ合うことが趣味。

「大人」の理想像の話

今週のお題「二十歳」

 

 

正月休みが終わり、仕事が始まった。

 

辛いっちゃ辛いんだけど、まだ耐えられる負荷であり、とても楽しく仕事ができている。自己有用感っていうのかな……誰かの役にちゃんと立っているという感覚がある。まあ、毎年、年初めはこうなんだけど、かなり自由を感じていて、自分さえ望めば、意識さえ少し変えれば、なんだって実現できるのだという根拠のない自信に満ち溢れている(いつまで続くかわからないけど)。

 

そういえば、今日で自身の成人式からちょうど10年経った。だが、まだ「大人」になったという自覚がない。30歳からは職場でも家庭でも生き方の意識を少し変えたい。他者へ貢献することを生きがいとする「大人な自分」になりたいのだ。

 

これまでの自分の生き方はとにかく自分本位であったと思う。なんというか、他者と自分との優劣ばかりに注目し、自身の優越感や自尊感情のために他者と関わっていた気がする。「競争」に一喜一憂していた。

 

しかし、そういう生き方は、結局むなしさしか残らない。社会に出て人格的に優れた人たちと度々関わったり、読書を重ねたりする中で、「自分のため」だけに生きることに疑問を持つようになったのだ(おそいよ)。

 

他者に貢献することを喜びとしたい。感謝などの見返りがなくても、僕がアガペー(無償の愛)を捧げられる相手は、今のところ息子たちだけである(あとたまに妻)。そのアガペーの範囲を少しずつ広げたいのだ。

 

といっても、それは自身が本当にやりたいこと、望むことを諦めたり、犠牲にしたりすることとは違う。他者に貢献することを生きがいにすることと、自分の思い通りに生きることを同時に成し遂げてみたい。そんな生き方をする人が、僕の理想とする「大人」の姿だ。

 

 

 

年始から始まった、アドラー心理学の熱はまだ冷めていない。きっと僕は自己啓発セミナーとかにころりと騙されてしまう人間だと思う。

 

gorone89.hatenablog.com

 

アドラーは、「人生に一般的な意味はない」と言い、「人生の意味はあなた自身が与えるものだ」と説く。人は他者に意味を与えられた人生を生きるべきではないのだ。

 

アドラーはその著書『人生の意味の心理学』の中で、自分で意味を与えた人生の中でよりよく生きたい、自分を今よりもっとを良い人生にしたいという思いを、「優越性の追求」という言葉で表現している。彼は「優越性の追求」に、人を理想的な人たらしめるものとして、かなり重要な価値を置いている。

 

しかし、同時にアドラーは、共同体感覚を持つことや、他者と協力し、他者に貢献することの大切さを著書の中で、しつこいほど熱心に語っている。「優越性の追求」と「他者への貢献」の大切さを同時に説くことは矛盾ではないだろうか。

 

……否。アドラーは矛盾としてとらえていない。優越性を追求する中では、数々の課題に直面することだろう。その課題を乗り越える方法は、他者との協力、他者への貢献しか有り得ないと彼は言うのである。加えて、たとえ「自分のため」に行動していても、そこに共同体感覚が伴っていさえすれば、大きな過ちには陥ることはないとも言っている。

 

 

 

『人生の意味の心理学』に続けて読んだのは、なぜか福沢諭吉の『学問のすゝめ』。数年前「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり。」から始まる初編を読んだだけで閉じて本棚にしまっていたものを、再び引っ張りだした。

 

学問のすゝめ (岩波文庫)

学問のすゝめ (岩波文庫)

 

 

アドラー福沢諭吉は、言葉は違えど、同じことを言っているように思えた。『学問のすゝめ』では、「自分の思い通りに生きること」を「一身独立」、「他者との協力、他者への貢献」が「人間交際」という言葉で表している。

 

西洋の先進諸国を見てまわった福沢は、明治初期の政府による専制抑圧の政治、そして人民の卑屈不信の気風に憤慨していた。そのため、国を真に独立させるためには、個人が「今より学問に志し、気力をたしかにして先ず一身の独立を謀」らなくてはならいと、『学問のすゝめ』の中で語っている。

 

「一身独立」とは、精神的な自立のことである。自分の頭で考え、行動し、自分自身の人生に自分で意味を与えなくてはならない。

 

しかしながら、ここで誤解してはならないのは、「独立」とは「孤立」ではないということである。福沢は同時に「人間交際」の大切さを説く。「人間交際」とは、現在では「社会」と訳される「society」の、福沢による訳語である。

 

凡そ世に学問といい工業といい政治といい法律というも、皆人間交際のためにするものにて、人間の交際あらざれば何れも不要のものたるべし。

 

つまり、学問も工業も政治も法律も何もかも、世のため人のためにやっているのだ、その意識が重要なのだと言っているのである。「一身独立」と「人間交際」は、矛盾しない形で実践されなくてはならないだろう。

 

Eテレの『100分de名著』で『学問のすゝめ』が取り上げられていたとき、解説の齋藤孝先生は『学問のすゝめ』の中で説かれる「独立」は「個と公共心が密接につながっている独立」であり、「独立した個人が社会の中でつながって、チームの一員として役割を担っていく」ことが理想なのだとおっしゃていた。勉強になります。

 

アドラー福沢諭吉に、理想的な「大人」になるためのヒントをもらえた今日この頃でした。

 

 

教員である妻は、今日は教え子たちの成人式に顔を出すために外出している。

 

さて、息子たちを喜ばせるために、夕飯の準備に取りかかるかな。