ゴロネ読書退屈日記

ゴロネ。読書ブログを目指している雑記ブログ。2人の息子とじゃれ合うことが趣味。

『段落論』を読んでー奥深き「段落」の世界

 

本屋の新書コーナーで『段落論』(光文社新書)を見つけ、手に取った。書名の元ネタは、坂口安吾の『堕落論』か……。一旦、本書を棚に戻し、他の棚の前もうろついたが、『段落論』というタイトルがどうも頭から離れない。

 

 

新書はタイトルのつけ方がうまい。結局、新書の棚に戻り、本書を購入してしまった。

 

本書の筆者である石黒圭先生の『文章は接続詞で決まる』(同じく光文社新書)を僕は持っているが、今でも読み返すことのあるお気に入りの新書である。接続詞の機能と意義がわかりやすくまとめられている。

 

今作『段落論』には、ただただ「段落」に関する話題のみが一冊の本にまとめられている。なかなかこういう本はなかったであろう。本書の目次は以下。

 

はじめに

第一部…段落の原理

第一章:箱としての段落
・段落とは何か
・段落は箱である
・段落を箱と考えると

第二章:まとまりとしての段落
・話題による段落分け
・段落の内部構造
・中心文の統括力
・パラグラフ・ライティングの限界

第三章:切れ目としての段落
・一段落つく
・文間の距離
・動的な過程としての段落
・段落の開始部の文の特徴
・段落の開始部の接続詞
・段落の終了部の文の特徴

第四章:つながりとしての段落
・段落分けのない文章とある文章
跳躍伝導を可能にする段落
・アウトラインの把握を助ける

第五章:フォルダとしての段落
・引き出しとしての段落
・階層フォルダとしての段落
・フォルダのしくみ
・「流れ」と「構え」の出会いの場

第二部…段落の種類

第六章:形式段落と意味段落
・形式段落と意味段落の区別の是非
・「段」設定の意義

第七章:絶対段落と相対段落
・「段落連合」と「文塊」
・「書くための段落」と「読むための段落」
・「構造段落」と「展開段落」

第八章:伝統的段落と先進的段落
・「黒地に白」と「白地に黒」
・段落の外部的制約
・段落の内部的制約
・囲み枠の段落

第三部…段落とコミュニケーション

第九章:読むための段落
・文談を意識する
・段落に区切る
・段落と接続詞

第十章:書くための段落
・段落を作る
・段落をつなぐ
小見出しを活用する

第十一章:聞くための段落
話し言葉の段落の目印
話し言葉の段落の階層性

第十二章:話すための段落
・思考の橋渡しとしての段落
・上手なプレゼンテーションの方法
・教室の対話の段落
・伝言の対話の段落

第十三章:段落の未来
・変容する段落
・リンクと段落
・文字の段落から画像の段落へ

おわりに

 

この目次に目を通しただけでも「段落」の奥深さが分かる。「聞くための段落」、「話すための段落」というのもあるのか……。

 

本書の帯には「段落を上手に使いこなせば、コミュニケーションの質があがる」とある。確かに本書を順に読みすすめていくと、「段落」は人と人との関係をスムーズにつなげるのにかなり有効なツールであることを実感することができる。

 

また、「段落」の概念や特性を十分に活用しながら本書が構成されているので、メタ的に「段落」が学習できるというのも本書の大きな特徴である。

 

 

段落の構造ー「構え」と「流れ

 

筆者は「段落」を、情報を整理し、伝達するための「箱」にたとえる。

 

文章を書くことは、書き手の頭のなかにある情報を、文章をつうじて読み手の頭のなかに移動させる、いわば情報の引っ越しです。文章の場合、情報という小物は文に入っています。引っ越しのときと同じように、文一つひとつをばらばらに伝えてしまうと、情報の整理もつきませんし、そもそも情報伝達の効率が下がってしまいます。引っ越しの小物を段ボール箱に入れて積みこむように、文もまた段落という箱に入れて読み手の頭に積み込む必要があるわけです。段落がしっかりした構成でわかりやすく文章の内容を伝えられる理由が、ここにあります。

 

段落内の内容は、パラグラフ・ライティングの型に基づくと、小主張文ー支持文ー小結論文で構成される。小主張文はその段落で言いたいことを端的にまとめた文、支持文は小主張文の内容を支え、段落の具体的な内容を詳しく語る文、小結論文は段落全体の内容をまとめる文である。

 

しかしながら、あくまでパラグラフ・ライティングは英語圏の文章の型であると本書はいう。段落に注目して文章を要約しようするときなどに気づくが、日本語の文章は、小主張文や小結論文のような段落の内容を端的にまとめた中心文が見つかりにくかったり、あるいは段落内に中心文の候補が複数見つかったりするのである。

 

この日本語の段落の特徴が、改行一字下げで表される形式段落と別に、内容上のまとまりを示す意味段落という概念を生むこととなる。その意味段落を巡って、その存在意義を認めない研究者と積極的に認める研究者の間で論争があったそうだ。そんなことで論争しなくても……。

 

筆者は、日本語の文章にパラグラフ・ライティングが受け入れられていない原因の一つとして、国語教育が、アウトラインをしっかりと立て、それにしたがって文章を書くトップダウン式の活動=「構え」よりも、その場の文脈に合わせて即興的に考えながら文を継ぎ足していくボトムアップ式の活動=「流れ」に力を注いできたからではないかと考えている。

 

 

段落から見えてくる日本語の特徴

 

そういえば、小中学校の教科書で扱う説明的な文章は教科書のための書下ろしが多い。その文章は段落と段落の関係が明確で、段落の内容も整理されていて、あまりに「教育的」である。

 

しかし、世にある文章はそれほど整った構造をしているわけではない。読み手は、形式段落にとらわれすぎず、意味のまとまりを読み取り、文章の構成をつかんでいかなくてはならない。

 

本書は、英語教育に由来する小主題文ー支持文ー小結論文のような固定的な構造を持つ「パラグラフ」を「絶対段落」、国語教育で定着している可変的な段落を「相対段落」と呼ぶ。絶対段落は「構え」の意識が強く、相対段落は「流れ」の意識が強い。前者が論理的で、後者が非論理的であるという短絡的な発想は避けるのが賢明であると筆者は強調する。日本語には日本語の論理がある。

 

「相対段落」は、書き手(話し手)の言いたいことがまとまりの最後にくることが多い。逆に言うと、まとまりを終わりまで読み進めないと言いたいことはわからないということである。

 

僕が思うに、この特徴は文レベルにも共通している。英語などの文は主語の直後に述語が置かれる演繹的な構造であるが、日本語は述語が文末にやってくる帰納的な構造である。なにをするのか、どのような状態なのかは文末までわからない。また、日本語が段落のはじめにトピック・センテンス(小主題文)がない場合が多いというのも、文の主語がない、あるいは主語が曖昧という特徴が関係しているように思えてならない。

 

日本型組織は責任の所在が曖昧になりがちになってしまうというのは、こういった「最後まで言いたいことがわからない」、「主語の存在感が薄い」といった言葉の構造も影響を与えているのではないかなと『段落論』を読んで勝手に推測してみたりした。

 

 

段落の変化、そして未来

 

本書の第三部では、読むための段落、書くための段落、聞くための段落、話すための段落について詳しく説明したあと、段落の未来が語られる。段落は現在進行中で変化している。

 

筆者は「文章を閲覧する媒体が、従来の紙から、パソコンの画面やタッチパット、スマホなどの電子媒体に変わることで、段落の姿は大きく変わってき」ていると言う。このブログの記事もそうだが、電子媒体では一字下げのない一行空けで段落が表されるようになった。電子媒体なので空白がもったいないものではなくなったことや、スライドに合わせた「見やすさ」や「読みやすさ」が重視された結果である。また、段落の変化がインターネット時代の人間の思考に影響を与えているという筆者の考察も非常に勉強になった。

 

 

「段落」の奥深さ知れると同時に、「段落」の実践的な活用法を学べる良書である。おすすめです。

 

 

※今回の記事は『段落論』で得た学びをなるべく構成に生かして書いてみました。