居酒屋で3歳息子とサシ飲みした休日の話
1
以前ならば仕事柄、土日祝日関係なく働いていたが、密状態を避ける状況下になったことでちゃんと休日が休日として休めるようになった。不要不急の外出は避けなければならないものの、やっぱり嬉しい。
休みなのであるからいつまでも朝寝坊しても許されるのであるが、どんなに夜更かししても習慣で早朝に目覚めてしまう(おじいちゃん)。子供たちがまだ眠っている静かな朝の時間は基本的に読書をしている。近頃読んでいるのは、司馬遼太郎の『国盗り物語』。
あまりに有名な小説なので作品の解説はいらないだろう。今年の大河ドラマ『麒麟がくる』の視聴をきっかけに読み始めた。
『麒麟がくる』、少しずつ面白くなってきたところなのに放送回が削減されてしまうことになってしまったのは残念である。沢尻エリカの件といい、なんてツキのない作品だろう。
打ち切りの週刊漫画のように最終回は、「敵は本能寺にあり!」という明智光秀のセリフと共に「来年の大河ドラマにもご期待ください」とテロップが流れて尻切れトンボに終了するのも悪くないかもしれない。
さて、『国盗り物語』を読んで、すっかり斎藤道三(庄九郎)に惚れてしまった。まあ物語的な脚色があるのは分かっているけど、その合理主義の考え方と豪胆さはカッコいい。
「蝮」の異名を持つ道三。単に攻めに攻めまくる男ではない。
気運とはおそろしい。庄九郎の信ずるところでは、「気運が来るまでのあいだ、気長く待ち、あらゆる下準備をととのえてゆく者が智者である」といい、「その気運がくるや、それをつかんでひと息に駆けあがる者を英雄」という。
待つ場面と攻めどころを弁えているのが英雄である。英雄は気運(しお)を的確につかむ。
……物語に没入しかけたところで、大抵子供達が起きて、朝ごはんを要求してくる。まあしょうがない。次の読書タイムは子供達のお昼寝のときまでお預けである。
2
先日の土曜日の話。
お昼寝から起きた3歳息子のハルタと駅前の商店街に出かけた。休日だというのに人出はまばらである。僕が住む神奈川県はまだ休業要請が解除されていない。飲食店などはつらいだろう。
現代は「リスク社会」とも呼ばれる。グローバル化の拡がりと社会構造の複雑化などによって、多くの突発的なリスクにさらされやすくなっている。感染症の世界規模の急激な広がりや、それが社会に与える複雑なダメージはリスクの1つだと言えるだろう。リスク社会では、リスクにその都度柔軟に対応していく力が求められる。
駅前の商店街の飲食店は「テイクアウト大作戦」というのを協力して行なっていた。夕飯のおかずをテイクアウトしようと思いつき、ハルタと一軒の居酒屋に入った。
店内はやはりガラガラ。注文したテイクアウトの「厚木シロコロホルモン焼き鳥」などが出来上がるのを待つ間、図らずもソフトドリンクで3歳児とサシ飲みすることになった。
こんな先行きの見えない時代に生まれた子供たちも大変だなあとオレンジジュースを無邪気に飲む息子を見て思った。しかし、親のしてやれることなぞあまりに少なく、結局は自分で未来を切り開いてもらうしかない。
荘子は「窮するもまた楽しみ、通ずるもまた楽しむ。楽しむところは窮通に非るなり。」と言った。どんな状況でも楽しめる心をなんとか育んであげたいとは思う。
3
自宅で夕飯を食べた後、息子たちとDVDで『クレヨンしんちゃん アクション仮面vsハイグレ魔王』(1993年公開)を見た。『クレヨンしんちゃん』の劇場版第1作。興行収入は22.2億円もあったそうだ。
僕も幼いとき、今の息子たちのように『クレヨンしんちゃん』を熱心に見ていたわけだけど、劇場版のストーリーには結構恐ろしさを感じていた思い出がある。前半場面の家族や友達とののほほんとした穏やかな日常が、突然壊されたり混乱に陥ったりする展開がこわかった。
今『クレヨンしんちゃん』を見て思うのは、しんちゃんは本当に強いということである。どんな状況でも全く動じず、我が道を行き、それを楽しんでさえいる。そして気運を無意識のうちに見つけ、状況を好転させる。
「親が子供に見せたくないテレビ番組」ワースト1位になったこともある『クレヨンしんちゃん』であるけど、現代人に求められているのは野原しんのすけのメンタリティだよなあとか思ったりしたのであった。