ゴロネ読書退屈日記

ゴロネ。読書ブログを目指している雑記ブログ。2人の息子とじゃれ合うことが趣味。

『13歳からのアート思考』を読んでー「アート思考」で「自分だけの答え」を見つけよう!

 

 

近頃体調が優れず、自宅の部屋に引き持っていた(ただの風邪でした、多分)。その間、何冊か本を読んだが、その中で最も強く紹介したいのは、今年の2月にダイヤモンド社から出版された『13歳からのアート思考』である。

 

「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考

「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考

  • 作者:末永 幸歩
  • 発売日: 2020/02/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

あーーーーー、これはたまらなく面白かった!!! 面白過ぎて、読んでいる間は具合の悪さが吹っ飛んだし、半日で一気に読み終えてしまった。しょうがなく巣ごもり状態が続き、読書でもしようかなと思っている人は、是非これを読んでください!!!(べた褒め)

 

本書を読み終えたとき、きっと「アート思考」の一端が身についている……はず!

 

 

 

本書の筆者である末永幸歩さんは、東京学芸大学で個人研究員として美術教育の研究に励む一方、中学・高校の美術教師として教壇に立っているそうだ。筆者によると、小学校で「図工」は生徒の人気科目であるが、中学校の「美術」になるとその人気は途端に急落してしまうらしい。

 

僕自身はというと、中学時代、美術科は大好きな教科であった。美術の時間に描いた水彩の風景画が、市の公民館に展示されたときは本当に嬉しかったなあ。しがしながら、中学生になると作品に評価がつく。楽しさを感じていた一方、納得できない評定がついたり、教師の評価の基準が不明瞭であったりすることに戸惑いや憤りを感じたりもしていた。

 

本書では、学び方がよく分からない、将来なんの役に立つのかよく分からないと言われてしまう美術の魅力とその価値を存分に教えてくれる。筆者曰く、タイトルでもある「アート思考」とは、「『自分だけの視点』で物事を見て、『自分なりの答え』をつくりだすための作法」である。

 

「自分なりの答え」をつくる「アート思考」は、これからの「VUCAワールド(あらゆる変化の幅も速さも方向もバラバラで、世界の見通しがきかなくなった世界)」、そして「人生100年時代」を生き抜く上で欠かすことのできない武器になる。一人ひとりが、ある意味でのアーティストであることが求められるのだ。

 

ビジネスだろうと学問だろうと人生だろうと、こうして「自分のものの見方」を持てる人こそが、結果を出したり、幸せを手にしたりしているのではないでしょうか? じっと動かない一枚の絵画を前にしてすら「自分なりの答え」をつくれない人が、激動する複雑な現実世界のなかで、果たしてなにかを生み出したりできるでしょうか?

 

興味や好奇心や疑問といった「興味のタネ」を自分のなかに見つけ、「探求の根」をじっくりと伸ばし、あるときに独自の「表現の花」を咲かせる人こそ、正真正銘のアーティストである筆者は言うのである。

 

 

 

本書は「6つのクラス(=授業)」に分かれていて、それぞれのクラスではピカソなど20世紀の作品を年代順に1点ずつ扱い、各クラスの「問い」について考えを巡らせることで、「アート思考」が磨かれるという構成になっている。それぞれのクラスでは段階的に、アートを鑑賞する際の手立てが紹介される。その手立ての1つである「アウトプット鑑賞」は、「考える」前にある「観る」の大切さを教えてくれる。

 

「アウトプット鑑賞」とは、「作品を見て、気がついたことを声に出したり、紙に書き出したりして『アウトプット』す」る鑑賞方法である。「アート思考」の入り口となる手法でもある。

 

本書の「アウトプット鑑賞」の実践例では、見えるものを見えたままに口に出して鑑賞しているが、これは非常に大事な行為で、文学読解や映画鑑賞にも有効だと思えた。「『観る』がなければ『考える』もない」と本書の帯にコメントがある。まさしくその通りで、映画批評家の大家、蓮實重彦は「映画に何が映っていたか?」という問いにとにかくこだわっている。

 

見えているものを情報として素直に受け入れる行為は、真の鑑賞に欠かせない。受動的に「見る」ことから脱し、能動的に「観る」ことに挑戦したときに初めて、自身の「アート思考」は発展していくのである。

 

 

 

本書の各クラスで紹介されるアートは、「アートの常識」を壊してきたそれだ。CLASS4で紹介されるのは、マルセル・デュシャンの『泉』である。

 

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この作品を目にしたことがある人は少なくないだろう。2004年にイギリスで行われた専門家500人による投票では「(アート界に)最も影響を与えた20世紀のアート作品」の第1位に選ばれたそうだ。

 

僕は中学時代に、この『泉』を美術の資料集で初めて見たとき、「ただの便器じゃん! 汚なっ! なぜこれがアート? 」とツッコミを入れたことを覚えている。しかし、鑑賞者にこの自然のツッコミを入れさせることこそ、デュシャンの狙いなのである。

 

本書の筆者も『泉』を鑑賞したときに、

 

◻︎アートは美を追求するべきか?

◻︎作品は作者自身の手でつくられるべきか?

◻︎すぐれた作品をつくるにはすぐれた技術が必要か?

◻︎すぐれた作品には手間暇がかけられているべきか?

◻︎アート作品は「視覚」で味わえるものであるべきか?

 

といった問いが「頭」の中に浮かんできたそうだ。デュシャン以前のアートは、「視覚で愛でることができる表現」に落とし込まれるべきだという前提があった。その前提をデュシャンは打ち破ったと筆者は言う。

 

デュシャンは《泉》によって、それまで誰も疑うことがなかった「アート作品=目で見て美しいもの」というあまりにも根本的な常識を打ち破り、アートを「思考」の領域に移したのです。

 

デュシャンは、アートを「視覚」の領域から「思考」の領域へと移行させたのである。彼の行ったこそ「アート思考」であり、「自分なりの答え」を出す創造的行為である。

 

本書はデュシャンの他にも5人のアーティストが紹介されているが、これまでの「アートの常識」を打ち破り、新しい価値を創造していく彼らとそのアートに、美術の奥深さ、「アート思考」の重要さを感じずにはいられなかった。

 

 

 

そういえば先日、うちの長男は3歳の誕生日を迎えた。人生100年時代……、100歳まで生きたら、息子は22世紀を生きることになる。繰り返すが、変化が常態になる時代に「アート思考」は必須であろう。

 

末永幸歩さんは、「なにも具体的な表現活動を行なっていなくても」、「『自分の好奇心』や『内発的な関心』からスタートして価値創出をしている人」は、「真のアーティスト」であると言っている。

 

未来を生きる子どもの「興味のタネ」を否定せず、「探求の根」が伸びるよう、そして「真のアーティスト」に近づけるよう支えてあげられる大人でありたいと『13歳からのアート思考』を読んで強く思った。