PCR検査を受けた話
ここ一週間ほど体調を崩していた。朝から昼にかけて比較的体調がいいのだが、夕方になると37度前半の微熱が出て、倦怠感と頭痛、そして咳が止まらなくなる。
4月8日は、前日までと違い、朝から倦怠感があった。体温を測ると、37.0度。数日前から在宅勤務に切り替えていたので、市販の風邪薬を飲んで眠ってみたが、倦怠感と頭痛は逆にひどくなり、夜には体温も38度台まで上がった。嗅覚、味覚障害などはないものの、もしかすると、新型コロナウイルスに感染したんじゃね?とやっと疑い始めた。妻も「絶対検査してもらった方がいいよ!」と言う。新型コロナウイルスの感染者や海外渡航者と接触した覚えはない。とにかく夜遅かったので、翌日に病院に連絡することにした。
4月9日、朝に体温を測ると36.5度。平熱に下がっていた。近所の総合病院に電話し、病状を説明すると、案の定「まずは保健所に連絡して」と言われた。ネットで調べ、H保健所に電話し、病状を話すと、親身になって話を聞いてくれた。「PCR検査をして陽性の判定が出たとしても、ゴロネさんのような軽症だと結局自宅療養になってしまうんですよね」と保健所の方。だから、PCR検査しても意味ないよってことか……。「ただ、幼い2人の子供がいるので、彼らに何かあったらと思うと心配で」と言ってみた。「……では、検査を望むということでいいですね? ゴロネさんのお住まいはどちらですか?」「I市です」「えっ……、ここまでお話し聞いたのにすみません。先にお住まいをお聞きすればよかった。I市はH保健所でなく、D保健所なんです」……え〜、今までのやりとりは何だったんだ。まあ、I市はH保健所の管轄だと勘違いした自分が悪いんだけど。
気を取り直し、H保健所に聞いたD保健所の電話番号に連絡した。D保健所の対応はH保健所に比べるとかなり冷たかった。僕のような電話を迷惑がってる様子である。「新型コロナウイルスに感染した人や海外渡航者と接触してないなら、それはコロナではないです。普通に病院で診察を受けてください」ときっぱり言われた。……それはおかしくないか? これほどリンクが追えない感染者の増加が話題になっているのに……。PCR検査はなかなか受けさせてくれないという噂は本当だったんだなあ。
近所の総合病院に電話し、D保健所に言われた旨を伝ると、「では、いらして下さい」と言われた。病院には自家用車で行った。病院の正面入り口で体温を計り(このとき36.9度)、看護師さんにこれまでの症状をいろいろ質問された。最後に「車内で診察するので、車で待機していてください」と言われ、駐車場の車に戻った。40分くらい待ったと思う。僕は病院の方を眺めながら、Audibleでカフカの『城』を聴いた。主人公のKはいつまで経っても、城に辿り着くことはできない……。
病院から電話が来た。救急外来の方に車を回してくれと言われ、そちらに車で向かった。普通に診察を受けて、風邪薬の処方箋をもらって帰ることを予想していたが違った。救急外来の入り口の前にテントがあり、その前に防護服を着用した2人のお医者さんがいた。車を停めて窓を開けると、片方のお医者さんに「車に乗っていただいたまま、PCR検査をします」と言われ、車のドア越しに、長い棒を鼻の中に5秒間突っ込まれた。これは韓国でやってるドライブスルー方式じゃないか。PCR検査はインフルエンザの検査より、さらにキツかった気がする。痛くて咳込み、涙が出た。PCR検査の画像がネットにあったので、ここに貼っておく。
そのまんま、これ(↑)をやった。「検査の結果は明日か明後日に保健所から連絡があります。それまで自宅から一歩も外に出ないでください」とお医者さんに言われた。帰宅したが、自身の身の置き場に困った。独身で一人暮らしならまだよかったが、妻と2人の息子と一緒に住んでいるのだ。僕が陽性であったら、家族を感染の危険に晒していることになる。実家に一人で行こうかとちらりと思ったが、もうすぐ60歳になる両親に感染させる方がリスクが高いし、まだ両親とも現役で働いてるので彼らの職場に迷惑をかけてしまうかもしれない。もう手遅れだとは思うが、自身を自宅の一部屋に隔離し、家族の誰とも会わないようにした。
検査の結果が出るまで落ち着かなかった。自分がどうこうより、周りの人に感染を広げてしまったのではないかと思うと恐ろしかった。体調を崩した初期の頃は、職場の人と接触してしまったし、子供の送り迎えのために保育園の中にも入った。なにより、自分の息子たちの命に関わるようなことが起きてしまったら……。
陽性だったとしたら、自分はどこでウイルスをもらってきたのだろう。通勤は電車でなく車だし、人混みも避けるようにしてるし、この頃外食もしていない。3月の三連休の最終日に長男と公園に遊びに行ったのがマズかったかなと考えた。あのとき公園にはたくさんの人が来ていた。……いろんな考えと後悔が頭の中を駆け巡った。
4月10日、18時頃、保健所から電話がかかってきた。検査の結果は……
陰性でした。
ただし、「検査の結果には間違いがあることもあるので、しばらくは大人しくしていてください」と言われた。確かに、自分でも調べていたけど、PCR検査の感度はそれほど高くなく、偽陰性が出ることも少なからずあるそうだ。陰性の結果に少しホッとしたが、しばらくは家に自分を閉じ込めておこうと決意した。熱はないものの、まだ咳は出るし。
自分の知人の中には、PCR検査を受けたよという人がまだいない。PCR検査はなかなか受けられないと聞いていたので、今回病院で突然受けることになって驚いた。検査の時に、その病院でのPCR検査を受けられる基準が書いてある紙をもらったが、基準は以下である。
①37.3度以上の熱がある
② ①以外に2週間以内に発熱があり、最後に熱が出て10日を超えていない
③ ②以外で2週間以内に1時間以上2メートル以内で一緒に会話している人が新型コロナウイルス感染症もしくは疑いであった(海外旅行、集会、飲み会、法事、結婚式、入学式、卒業式、オリエンテーション等含む)
④1週間以内に嗅覚、味覚障害が出現し、現在も続いている
……僕の場合、②の基準に該当していたんだと思う。PCR検査が受けられるかどうかは、病状や、地域の病院や保健所によって変わってくるのだろう。自分は運良く(?)、すんなり検査を受けることができた。
検査の結果を待つ間、正直、生きた心地がしなかった。周囲の人が皆感染していればそれほど怖くなかっただろうけど、自分が感染が広がる初期に感染者と判定され、感染源と見られることが怖くてたまらなかった。毎日のように流れてくる感染者へのバッシクングのニュースを目にしていたので、自分の家族も職場や保育園で差別されるのではないかと考えてしまい、変な汗をかいた。やっぱり、感染された方を責めのは絶対ダメである。
あと、後悔しないためにも「stay home」がとにかく大事だと今回のことで痛感させられた。PCR検査もかなり痛いです。嵐が過ぎ去るまで、皆さん、なるべく家にいましょう。
4月からの学校再開に向け準備をする教員夫婦の話
慌てふためく人類を余所目に見ながら、当然のごとく春はやってきた。
妻は4月から育休中が明けて仕事に復帰する。彼女は中学校の理科の教員である。「授業で使う教材を採集したい」というので、家族で近所の公園にお出かけした。
桜が咲き始めている。
公園の池に近づき、身をかがめて水を採取しようとする妻に「落ちないでね」と言ったら、「そこまでアホじゃない」としかめっ面。教材のために、膝を地面につき、ペッドボトルに汚れた水を汲む熱意に感心してしまった。
家に帰ると、妻は顕微鏡を取り出した。僕が先日のホワイデーにプレゼントした顕微鏡である。
彼女は、採取した池の水をプレパラートに垂らし、顕微鏡を覗くという作業を何度か繰り返した後、「いた!」と叫んだ。この顕微鏡、接眼レンズに、スマホのレンズを重ねることで、拡大された物体を撮影できるという優れものである。撮影されたのは下。
ミジンコである。ミジンコも種類が様々あるらしく、中学校の理科の教科書や資料集では、何ミジンコなのかまでは突き止められない。妻は『やさしい日本の淡水プランクトン』を取り出してきた。この本にはかなり詳しく淡水プランクトンのことについて解説されいて、分かりやすい。
(人間含め)生物にかなり苦手意識がある自分でもかなり楽しめる本であり、中学生のときにはなんとも思わなかったプランクトンが「かわいい」とさえ思えるようになってきた。顕微鏡で見つけたやつもちゃんと載っていた。これは…マルミジンコである……!
「そういえば、『ボルボックス』とかいうモンスターみたいなカッコいい名前のプランクトンいたよね?」と妻に聞くと、「あれはレアで、なかなか捕まえられない」との返事。そうなんだ……レアと聞くと、なんだかすごく欲しくなってきた。また探しに行ってみよう。
妻の教材採集に付き合う内に、にわかにプランクトンへの興味が高まってきたのであった。
☆
4月から臨時休校が解除され、僕ら教員夫婦の仕事も慌ただしくなる。
3月の休校措置については、色々と文句を言いたい点はあるのだが、休校になって良かった点もある。最大の良かった点は、卒業式が行えたことである。
もし休校措置にならず、集団生活が続く中で、生徒あるいは教職員の中から新型コロナウイルスの感染者が1人でも出たとしたら、絶対に卒業式は取りやめになる。そうなれば、卒業生やその保護者は非常に残念な気持ちになるだろうし、感染者は罪悪感に押しつぶされてしまっただろう。
勤務校では、無事に卒業式を終えることができた。次第の省略、式参加者全員のマスク着用、在校生の不参加、保護者の数の制限などの感染症対策がなされたが、それでも例年と遜色ない素晴らしい卒業式であったと思う。マスク越しからも、卒業生の晴れやかな表情が伝わってきた。異例の卒業式だっからこそ、卒業生にとってはいつまでも忘れることのない思い出深い式になっただろう。
政府は「感染症蔓延の恐れが高いと厚生労働大臣は判断しているものと認識しているが、学校再開の方針を変更する必要はない」と意味不明なことを言っている。学校は「密閉空間」、「人の密集」、「近距離での会話」の回避の工夫をしろという文科省からのお達しも出た。何を言ってるんだ。密集と近距離での会話を避ければ、学校生活は成り立たない。
来年度の運動会や修学旅行はどうなるのか、そもそもまたすぐに休校になるのではないか、休校が長引いた場合は履修漏れのまま受験に突入するのかなど、先行きは不安しかない。
しかしながら、できることをやっていくしかない。教員が悲壮感を出してはならない。微笑みを忘れず、目の前の生徒のために何ができるかを常に考えながら、地道に動いていきたいと思う。
「普通」は移ろいやすいの話ー『生命式』など読んで
1
4月から妻が仕事に復帰するため、3歳になる長男と1歳の次男が保育園に入園することになり、今週から慣らし保育が始まった。
今週の預ける時間は、1日1時間半だけなのであるが、初日からドキドキしちゃった。初日とあって、妻と自分の2人で子供の送り迎えを行なった。預けるとき、子供は泣くかと思ったが、2人とも泣かなかった。それも寂しい(ちなみに僕は泣きそうだった)。
預けている間に、僕と妻はデニーズに行き、いちごパフェを食べた。僕はいちご系スイーツが三度の飯より好きである。
そういえば、妻と2人きりになるのは久しぶりである。少し戸惑う。仕事や子供の話をした。しゃべっている間も、息子2人の様子が気になってしょうがなかった。
迎えに行くと、次男は僕たちの顔を見て、ちょっと泣いた。そして長男は……、「かえりたくない!もっとおともだちとあそびたい!」と言って、泣いて暴れた。宥めて、家に連れ帰るのが大変であった。
保育園の先生曰く、2人とも楽しそうに過ごしていたそうな。心配していたが、スムーズに保育園児になれそうである。
2
「来年度から、子供の送り迎えがあるので、少し遅れて出社することや、早めに退勤することがあると思います」と上司に伝えたが、すんなり受け入れてくれた。
うちの会社は結構寛容であるが、まだまだ男性が育児に積極的に関わることに難色を示す企業は多いと聞く。「なんで男の君が子供の送り迎えするの? そういのは奥さんにやってもらわなきゃ」とか言われちゃうのだ。
しかし、一昔前に比べると、男性が育児に関わることへの寛容さが社会全体に広がってきているように思う。夫婦共働きの家庭が増える中で、育児は女性が主で行い、男性が副で行う、あるいは全く行わないというのは不平等であるし、時代遅れだ。
「男だから」「女だから」といった言葉も非常に言いづらくなった感もある。僕自身、教育テレビの「おかあさんといっしょ」とか、オムツのCMの「先輩ママさんに選ばれています!」とかに、「これって男女差別じゃない?」と憤りを感じるほどではないものの、敏感に反応するようになった。
20年前、いや、10年前であれば、こんなにジェンダー表現を気にすることはなかっただろう。以前であれば「男だから」「女だから」といった言葉は普通に使われていた。
「普通」は移ろいやすい。
3
さて、ここからは本の話。
「普通」って何? ってことを強く考えさせてくれる小説家が村田沙耶香である。彼女の短編小説『生命式』を読んだ。
この小説の世界では、葬式は「生命式」と呼ばれている。生命式とは、死んだ人間を食べながら、男女が受精相手を探し、相手を見つけたら2人で式から退場してどこかで受精を行う式である。「死から生を生む」というスタンスで生命式は行われている。
「死んだ人間を食べる」というのはギョッとする設定であるが、この世界ではこの生命式が執り行われることが「普通」のこととなっている。しかし、この世界でも、30年くらい前までは、人間を食べることは禁忌とされていた。
主人公の池谷は、倫理観が30年前とすっかり変わってしまったことに違和感を持っている。その違和感を、仲の良い同僚の山本にぶつけると、こう諭される。
「真面目な話さあ。世界ってだな。常識とか、本能とか、倫理とか、確固たるものみたいにみんな言うけどさ。実際には変容していくもんだと思うよ。お前が感じてるみたいにここ最近いきなりの話じゃなくてさ。ずっと昔から、変容し続けてきたんだよ」
「俺はさー。今の世界、悪くないって思うよ。きっと、お前が覚えてる、30年前の世界も悪くなかったんだと思う。世界はずっとグラデーションしてっててさ、今の世界は、一瞬の色彩なんだよ」
そうだ、僕たちが今確固たるものだと信じているものは、全然確固たるものなんかではなく、いつのまにか変容してしまう可能性は十分にある。
山本は突然事故死する。友人のよしみで、池谷は彼の生命式を手伝うことになる……。生命式の手伝いを終えたばかりの彼女は、鎌倉の海でゲイの青年に出会い、そこでもまた倫理観の移ろいへの戸惑いを口にする。
「30年くらい前のことって、覚えていますか?」
(中略)
「もし、そのころの人たちが、今、山本をカシューナッツ炒めにして食べている私たちを見たら、発狂してるって思うと思いますか?」
少し考えて、男性は頷いた。
「はい。そうだと思います」
「そのこと、変だって思いますか? 世界はこんなにどんどん変わって、何が正しいのかわからなくて、その中で、こんなふうに、世界を信じて私たちは山本を食べている。そんな自分たちを、おかしいって思いますか?」
男性は首を横にふった。
「いえ、思いません。だって、正常は発狂の一種でしょう? この世で唯一の、許される発狂を正常と呼ぶんだって、僕は思います」
正常は発狂の一種……。この世で唯一の、許される発狂を正常と呼ぶ。
4
最近、草間彌生の作品集や関連書籍を読んでる。
草間彌生の作品や考え方には既成概念を揺さぶれる。今ではコアなファンがいる彼女であるが、若い頃、その表現のどぎつさは、理解されない、受け入れられないことが多かったようだ。こういう表現者たちの戦いが「普通」の外にあったものを、「普通」の内側に織り込んでいくのである。
芸術や文学は、効率社会の中では、残念ながら「無駄なもの」として切り捨てられてしまうことがよくある。しかしながら、芸術や文学こそが、パラダイムシフトを引き起こす、そして、確固たるものを変容させる大きなパワーを持っているんじゃないかなと思う。今の「普通」が辛い人にとって、芸術や文学は欠かすことはできない役割を担っている。
中国文化への興味がにわかに高まり、『三国志』の勉強を始めた話
1
NHK出版新書の『幸福な監視国家・中国』を読んだ。本書では、監視国家として急発展中である中国の現状をコンパクトにわかりやすく解説している。
政府による監視の体制とそれの更なる発展の可能性は、まさしくディストピア小説で描かれてきた世界そのもののように見える。ディストピアに見える中国の監視社会は、ジョージ・オーウェルの『一九八四年』的な世界よりも、オルダス・ハスクリーの『すばらしい新世界』的な世界に近いと筆者は言う。人々が画一的で自由を奪われた生活を送る『一九八四年』の世界に対して、社会規範を逸脱しないような「条件づけ」が個々になされた上で、人々が資本主義的で功利主義的な価値観をベースにしながら、自由を謳歌しているのが『すばらしい新世界』の世界である。
中国社会の多くの人は、監視カメラが増えることで、治安が良くなり、安心して生活できると考え、監視がない状態よりもむしろ自由に活動できる監視社会を受け入れている。情報技術の功利主義的な利用が方法が人々の行動を強制する「管理権力」の概念を、ポジティブなものへと更新させているのである。強制を受け入れることのメリットを感じさせるような社会の構築を目指していると思われる「社会信用システム計画」が、今後どのような道を辿っていくのかについては非常に興味深い。
本書は嫌中本ではない。中国を批判するのでなく、中国をケースとして近未来の情報技術の在り方を考察する姿勢に好感が持てたし、勉強にもなった。
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最近、『幸福な監視国家・中国』のような良書に巡り合ったり、中国発SFを読み機会が増えたりと、個人的に中国が熱い。
中国史にも興味が湧いてきて、妻が高校時代に使っていた世界史の資料集を使って、基本的な知識を学んでいる(日本史は大学受験で選択していたので教科書程度の知識を抑えているが、世界史の知識は皆無な僕)。加えて、近頃、友人に「コテンラジオ」というポッドキャストで聴ける歴史トークラジオを教えてもらい、中国史への勉強熱はより強まった。
「コテンラジオ」、マジで面白い。国内外の歴史について面白おかしく、ディープに語られるのだが、特に「諸葛亮」についての回は最高だった。諸葛亮の無私の精神と行動力、そして聡明さにシビてしまった。
諸葛亮といえば、三国志の英雄である。が、恥ずかしながら、僕は三国志についての知識は全くなく、諸葛亮でさえ、「コテンラジオ」を聞くまで、「誰だっけ?……そういえば、映画で金城武が演じていたような」くらいの知識の浅さであった。
三国志が好きな人は多く、仕事なんかで三国志の場面や英雄の人格や言動が一般常識的に引き合いに出されることは多い。ちょうど中国熱が自身の中で高まっているいい機会なので、今月から本格的に三国志の勉強を始めた。
3
三国志を学ぶと言っても、かなり壮大で、一筋縄ではいかないということが判明した。
とりあえず今学びとして取り組んでいるのは、以下の①〜④。
オーディブルで通勤時間に聴いている。全10巻。
文庫版(全30巻)を読んでる。分かりやすい。学校の図書室に置いてあったのに、学生の頃に一度も手を伸ばさなかったことが悔やまれる。
③ドラマ『三国志 Three Kingdoms』を視る
2010年製作、中国のドラマ(全95話)。日本円で25億円もかけて作られたらしい。スケールがでかい。面白すぎて、眠るのも忘れて深夜まで視聴している。
①〜③は、小説『三国志演義』を元にしたフィクションであるので、原典である史書も知っておきたいと思い、Eテレの「100分de名著」とそのテキストの手助けを受けながら読んでいる。ちくま学芸文庫で、全8巻。現在1巻を読んでいるが、すでに挫折しそうな予感。
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さて、本日3月15日は曹操の命日だそうだ。曹操も格好いいけど、(三国志作品での描かれ方の影響かもしれないが)今のところ三国志の英雄の中では劉備に最も惹かれている。
自身ももう30歳になったので、組織の中でのリーダー論を考える機会が増えた。個人的に、劉備は理想的なリーダーである。リーダーは、統率力や話術、聡明さなどをそれほど持ち合わせてなかったとしても、劉備のように、仁義を忘れず、目下の者に敬意を持ち、彼らの意見を傾聴する器のでかい人間であってほしいと思う。
以下は、コテンラジオの深井龍之介さんによる劉備についてのグッとくるツイート。
三顧の礼の絵。三国志で劉備が日本で人気だけど、実際は一番弱い。曹操と孫権がそれぞれGoogleとAmazonのCEOだとしたら、劉備は万年サラリーマン社長。家柄、学歴、財力、全ステータスで2人に負けてた。成功体験もない、歳も50に近い。夢に挑戦できるチャンスが残り少なくなってたオッサン、それが劉備 pic.twitter.com/P17wBXjCXv
— 深井龍之介 / ポッドキャストアワード(COTEN RADIO) (@CotenFukai) 2020年3月10日
『三国志』関連のおすすめ書籍やコンテンツがあれば教えてください。
『創造と狂気の歴史 プラトンからドゥルーズまで』を読んでー「統合失調症=創造の病」の時代の次に来るもの
先日、槇原敬之氏が覚醒剤所持で逮捕されたが、彼を擁護する意見を少なからず目にした。こういうアーティストとドラッグについて取り沙汰されるときに必ずある擁護の意見の一つは、「クレイジーさが創造的なものを生み出す源になる」といったものである。
その意見に、自然と納得してしまう自分がいることに気づく。一般的にも「創造」と「狂気」は分かち難いものとして捉えられていると思うが、「創造」と「狂気」の結びつきにはどのような歴史背景があるのだろうか。
『創造と狂気の歴史 プラトンからドゥルーズまで』では、「創造」と「狂気」の問題が、西洋思想史の中でどのように扱われてきたのかという歴史を解きほぐす。この「創造と狂気の歴史」は、約2500年前、哲学の祖であるプラトンから始まった。
本書の内容を簡単に辿っていきたい。
神的狂気とメランコリーによる人間的狂気の時代
プラトン以前にも「創造と狂気」について触れた思想家はいたようだが、それについての十分な記述があるのは、やはりプラトンからだそうだ。
プラトンは著作の中で、偉大な詩作をする際、詩人は狂気に陥っていると指摘する。その狂気は神からインスピレーションを受けて引き起こされるのだと彼は言う。「創造」に「神的狂気」を結びつけたのである。
対して、アリストテレスは、人間のメランコリー(うつ)が創造の根源であると説いている。著者が、プラトンとアリストテレスが並ぶ絵画《アテナイの学堂》(ラファエロ作)を、この2人の「創造と狂気」に関する考えの対立を重ねて見ているのが興味深い。
絵の中央にいる二人のうち、手で垂直方向(前)に広げているのがアリストテレスですが、プラトンが高所にある神的狂気を、アリストテレスが地上にある人間的な狂気を重視していたことを考え合わせると、私たちの興味関心からも非常に面白い絵画になっています。
アリストテレスが説く、「メランコリー=創造の病」説の時代はしばらく続くものの、次第に、近代的主体(自分の理性をつかって、行動ができる主体)と共に登場した「統合失調症=創造の病」説に取って代わられることになる。
統合失調症中心主義の時代
本書の中盤では、近代を代表する哲学者であるデカルト、カント、ヘーゲルなどが、どのように狂気を近代的主体に位置づけようとしたのかの格闘の様子を追っている。
そのデカルト、カント、ヘーゲルの章に続いて、ヘーゲルの親友であるドイツの詩人、フリードリヒ・ヘルダーリンについて一章が割かれている。彼は統合失調症に侵された詩人であった。「彼の頂点と評されることもある詩作品は、まさに彼の狂気(統合失調症)の発病前後からその極期に作られたもの」であり、「ヘルダーリンは、西洋思想史における『創造と狂気』の関係を考えるにあたっては避けては通れない人物」なのだそうだ。
近代以降の思想の特徴である「神の不在」は、「私」とは何かという哲学的な問いにとらわれるきっかけを作り、その問いは統合失調症(→理性の解体に至る病)の発症に強烈に結びついる。統合失調症は近代以降にしか現れることのできなかった病なのである。
狂気の詩人、ヘルダーリンは「神の不在」を歌う。このヘルダーリンの詩作をもとに、ハイデガーは「否定神学」(ある構造において、中心にあるべきものが欠如しているが、それが欠如しているがゆえにその構造はより強力に機能する)の哲学を作り上げ、続けて、ラカンは、その「否定神学」を統合失調症と結びつけた。このような議論がによって、統合失調症が創造的なインスピレーションを生むというパラダイムが確立したのである。
僕が本書で大きく関心を持って読んだのは、ヘルダーリンと同じく統合失調症的な狂気を持つ人物であるニーチェについて書かれているところである。僕は近頃、ニーチェの代表作『ツァラトゥストラはかく語りき』を読んだばかり。このニーチェの著作を読めば読むほど、まともな人間が書いたとは思えない、狂気を含んだ迫力を感じずにはいられなかった。
実際、ニーチェは『ツァラトゥストラはかく語りき』を執筆しているとき、梅毒感染による進行麻痺(梅毒によって脳実質が侵されて生じる精神病であり、当時の統合失調症と同じく、理性の解体に至る病)を患っていた。ニーチェ、そしてヘルダーリンは、プラトンが考えるような上から降ってくる狂気ではなく、「私」を問題にしたときに内側からやってくる狂気に恍惚を感じ、それを創造の源としていたのである。
ニーチェにおいてはーというよりも、ヘルダーリン以降の狂気の人物においてはー霊感は人間に直接的に与えるのではなく、人間に恍惚のなかで「自分」の主体的なありようを問題にさせるのです。ヘルダーリンやニーチェのような統合失調症圏の作家・思想家においては、神から直接的に言葉が与えられるのではなく、自分自身の存在が問われることによって、それまで覆われていた裂け目が、ブラックホールとして露出させられます。そして、そのことが彼らにそれまで一度も体験したことがない恍惚を感じさせるのです。これは、神なしで作動するー少なくとも、神がはっきり現れるわけではないような仕方で作動するーインスピレーションだといってよいでしょう。
ポスト統合失調症中心主義の時代
最後の章で登場するのはドゥルーズである。
ここまでの章の、統合失調症中心主義(統合失調症を患った傑出人が特権化され、「統合失調症者は、統合失調症でない人々では到達できないような真理を手に入れる」という言説)と悲劇主義的パラダイム(統合失調症を患った傑出人が真理を獲得できるのは、自分の理性の不可逆的な解体を受け入れた場合のみであるという考え)の議論を丁寧に追っていれば、この最後の章は読んでいて非常にワクワクする章となるだろう。ドゥルーズの哲学は、この統合失調症中心主義と悲劇主義的パラダイムを乗り越えうる哲学である。
ドゥルーズはポスト統合失調症の時代を、『不思議の国のアリス』の作者で、自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)であったというルイス・キャロルにみている。真理に及ぶ創造と結びつくのは、統合失調症的狂気(縦、深さ)とは無関係のところにある、そして、生の現実に触れることを避ける、キャロルによる言葉遊びのような表面の言語の世界(横、拡がり)への探求や偏愛なのかもしれないと考えているのである。
そのようなドゥルーズの考えに、著者はどのような「創造と狂気」の新たな可能性を見出すのであろうか……詳しくは、本書を「おわりに」「あとがき」の章までじっくり読んでいただきたい。
第1章にある、草間彌生の統合失調症の症例と創造の結びつきについての紹介から一気に引き込まれ、夢中になって最後まで読み進めた。「創造と狂気」についての様々な捉え方が獲得できると同時に、哲学史を新たな切り口で学ぶこともできる一冊である。
中原中也の詩に泣いた話
1
新型コロナウイルスの影響で、仕事が恐ろしく暇になってしまった。商売上がったりである。
退屈なので、読書がビックリするほど進む。……あ、ブックリするほど進む。『中原中也詩集』を読んだ。詩なのでしっかり声に出して読んだ。
愛するものが死んだ時には、
自殺しなきゃあなりません。
愛するものが死んだ時には、自殺しなきゃあなりません。
ではみなさん、
喜び過ぎず悲しみ過ぎず、
テンポ正しく、握手をしましょう。
ではみなさん、喜び過ぎず悲しみ過ぎず、テンポ正しく、握手をしましょう。
2
次男が産まれて、1年が経った。
子供の成長は早い。産まれたばかりの頃はなーんもできなかったのに、今では部屋中を歩き回り、ものを口に入れ、投げ、癇癪を起こしたり、ゲラゲラと笑ったりする。エネルギッシュで、3歳になる長男とも一日中じゃれ合っている。
この前の日曜日に、家族で公園に行き、次男に靴を履かせ、歩かせてみた。初めて踏む大地。数歩歩いて、どてっと尻餅をついてしまった。
昨年、次男が産まれる直前は大変だった。僕がインフルエンザになり、それを長男と妊婦の妻にうつしてしまったのであった。
家族に苦しい思いをさせてしまったことを本当に反省している。ごめんなさい。
長男にインフルエンザをうつしてしまったときは、子供のインフルエンザ脳症の記事をネットで読み漁ってしまい、鬱っぽくなったなあ。流行している感染症に対してあまりに無防備であったアホな自分を呪った。家族のためにも、自身がちゃんと健康に気を遣わなきゃならんと誓ったのであった。
次男も無事産まれ、大きな病気もなく、今のようにすくすくと育ってくれて、とてもありがたく思っている。父親になってもうすぐ3年になるが、僕が今いちばん恐れているものは、自分の子どもを失うことである。たまに子どもを失う夢を見ることもある。子どもを失うことは、自分の命を失うことよりも怖い。
文学の中での、子どもの死にも、非常に敏感になった。
3
中原中也は、愛息子である文也を2歳で失い、しばらく精神の安定を欠く状態に陥る。
中也が妻と文也を連れて万国博覧会に行った思い出を、文也を追悼する詩にしたのが「夏の夜の博覧会はかなしからずや」。最初の2連だけ引用する。
夏の夜の、博覧会は、哀しからずや
雨ちよと降りて、やがてもあがりぬ
夏の夜の、博覧会は、哀しからずや
女房買物をなす間、かなしからずや
象の前に僕と坊やとはゐぬ、
二人蹲んでゐぬ、かなしからずや、やがて女房きぬ
三人博覧会を出でぬ、かなしからずや
不忍池の前に立ちぬ、坊や眺めてありぬ
僕はこれを読んで、自然と坊やと自分の息子を重ねてしまい、ぼろぼろと泣いてしまった。つらい、つらすぎるよ。
最近読んだ『恥ずかしながら、詩歌が好きです』という新書では、著者の長山靖夫氏が、中原中也の傑作の一つとして、この「夏の夜の博覧会はかなしからずや」を挙げている。長山氏は中也の詩について、「美しさや繊細さだけでなく、どろどろとした愛執や、幼い子どもを失った絶望感が生々しく刻まれており、そうした精神写実の強度の上に、抒情が建立されています。」と言っている。
本来楽しかったであろう息子とのひとときの思い出に、それとはギャップのある、「かなしからずや」という直截的な言葉が添えられることで、中也の胸が張り裂けそうになるほどの深い悲哀がじんじんと伝わってくる。詩を読んで、こんなにも涙を流したのは初めてのことであった。父親になる以前では、こういう詩に心を動かされることはあっても、涙を流すまでには至らなかったであろう。
中也は、文也の葬儀で息子の遺体を抱いて離さなかったそうな。中也は、文也が亡くなった翌年、息子の後を追うように30歳で夭折した。
4
たとえフィクションの中であっても「生」に敬意を払い、「死」を丁寧に扱ってほしいと近頃自分勝手に思うようになった。「死」の描写を止めてくれと言っているわけではない。
物語の展開をつくる契機のためだけに「死」が扱われて欲しくないのだ。「死」はただの記号に貶められてはならないんじゃないなかな。
急の休校措置に翻弄される教員の備忘録
過去の記事で何度か言ったことがあるが、僕は中学校の教師の仕事をしている。
ここ数日のようなことは、今後の教員人生でなかなか遭遇することもなさそうなので、備忘録として書き残しておく。
2月27日(木)
僕は今年度、中学2年生の担任をしている。
この前日から担任するクラスで大きめの指導事案があったが、学年の先生たちと連携して対応し、何とか解決にこぎつけた。
生徒にはクラス全体の問題として捉えさせ、具体的にどういったところが問題だったのか、今後どうすればいいのかなどを考えてもらった。生徒たちは真剣に考えてくれている様子で、目に涙を浮かべてる子なんかもいた。まとめとして僕は、「君たちには期待してる。3年生になるまであと1ヶ月。君たちなら、1ヶ月あれば、もっとよりよく変われるよ」とか言ってみた。
勤務を終えると、車を運転しながら、今日の指導を振り返り、今後すべきことを頭の中で整理した。しこりを残さず、すっきりと3年生をスタートさせられるかどうかは、今後1ヶ月のフォローの仕方にかかっている。学級経営は始まりの4月と同じくらい、終わりの3月が大切なのだ。
……ところで、鼻水が止まらない。花粉つらたん。どこにもマスクが売っていないので、そろそろ自宅のマスクが尽きそうである、どうしよ。
そのとき、車のラジオから速報が流れた。「首相が3月2日から春休みまで臨時休校を要請ー」
聞いて、大量の鼻水が吹き出た。
2月28日(金)
朝の時点ではまだ自治体の教育委員会からの正式な連絡はなく、とりあえず、今日は年度の最終日というつもりで動いて欲しいという話が校長からあった。
朝の学活で生徒に、「突然ですが、今日がクラスの最後の日になると思います。昨日、『あと1ヶ月あれば変われるよ』とか言ったけど、残り1日でした、あはは」と言った。生徒は苦笑い。
クラス最後の日なので、自身の授業のない空き時間は、なるべく担任するクラスの子たちと一緒にいることにした。体育にも参加して、一緒に持久走をした。きっつい。
陸上部の生徒に、3回目に抜かれるときに「ファイトっす」と励まされた。女子にも何人かに抜かれた。運動不足を痛感。
昼頃になり、教委から「3月2日(月)から春休みまで臨時休校」と連絡が来た。首相の要請をそのまま受けた形だ。6校時の学活が、年度最後の学活となることとなった。
学活では、配布物や休校中の過ごし方についてなど連絡事項がありすぎて、クラスの解散を惜しむ時間などなかった。ふざけんなよ。
普段の年度末であれば、何日かに分けて持ち帰る生徒個人の荷物も、1日で持って帰らなくてはならないことになり、生徒たちはそれをカバンに詰め込むのに必死であった。「紙袋ください」と頼みに来る生徒も多く、職員室の紙袋はみんな無くなってしまった。
子でもたちは教科書などをギュウギュウに詰め込んだカバンを背負い、加えて、手にも何かしらの荷物を抱えて、帰った。Twitterで「帰宅する生徒は、会社が突然倒産したあとのサラリーマンのようだった」というツイートを見かけたが、まさしくそれだった。
とにかく慌ただしい1日で、職員室に戻るとぐったりであった。休憩にニュースを見ると、政府は今頃になって、「休校措置は各自治体で柔軟に」とか言っている。もう怒りすら湧かず、ただ呆れてしまった。
2月29日(土)
突然、1ヶ月暇になってしまった。
通常のやるべき年度末業務はあるが、授業と部活がなければ、仕事などあってないようなものである。こんなに時間ができるのは教員になって初めてのこと。この時間を有意義に使いたい。
やってみたいことはいろいろと思いついたが、とりあえず、漢字検定の準一級にチャレンジしてみようと思い立ち、今朝から勉強をスタートさせた。
あと、明日から、N予備校の授業が無料で視聴できるそうなので、それも見てみようと思います。